*30* 傷だらけの翼竜
「ワイバーン? ドラゴンじゃないのか?」
「バカを言え! ドラゴンがこんな人里の近くにホイホイ現れてたまるか! あれはワイバーンだ!」
翼竜──亜竜や、低級ドラゴンとも呼ばれる。
モンスター全体でみると希少価値は中級クラスで、冒険者ギルドがさだめる討伐クエストの難易度はC以上。
わたしも、目にするのははじめてのモンスターだ。
「グルルル……」
ここで、鉄錆のにおいが鼻をついた。
地面にうずくまり、低くうなるワイバーンの足もとに、じわりと血だまりがにじむ。
翼だ。左の翼の付け根からの流血が酷い。
「翼がちぎれちゃいそう……いったいなにが……」
「大方、街のひとを襲おうとして冒険者に返り討ちにされたんでしょう。ここまでやられてんなら、あとは簡単ですよ」
そういって前に出た商団ギルドメンバーのおじさんが、クロスボウをかまえる。
「脳天をぶち抜いてやる!」
ギリリと限界まで引き絞られた矢が、うなだれるワイバーンの頭部めがけて放たれた。
「ギシャアアッ!」
けれど、ワイバーンが跳ねるように起き上がり、雄叫びをとどろかせる。
一直線に飛んでいった矢は、ワイバーンが吐き出した炎に焼かれ、消し炭となってしまった。
「なっ……ファイア・ブレスだと!? ワイバーンはドラゴンと違って、ブレス攻撃ができないはずじゃ……のわっ!」
ヴン!
トカゲのような尾が、空間を薙ぐ。
間一髪よけたおじさんだけど、もしあの一撃をまともに受けていたら、岩壁に叩きつけられ、全身を骨折していたかもしれない。
「手負いのモンスターは、通常より気が立っていて凶暴です。おのれを過信して軽んじることのないように」
「も、申し訳ありません、エリオルさま……」
口調こそやさしいけど、エルの言葉は、戦闘に臨む者のそれだ。
緊迫の瞬間。ほとんどのギルドメンバーがどう出るべきか決めあぐねて、膠着状態に陥る。
そんな中、エルは蜂蜜色の瞳でワイバーンを見据え、その動向を注視している。
長い指先は腰に佩いた白銀の剣に添えられ、いつでも応戦できる状態。
「エリオルさま、こんなところでモタモタしてられないですよ。こんな死にかけモンスター、さっさとやっつけちまいましょう」
「おい、死体はどうするんだ? そのまま放置したら、別のモンスターが死臭につられて集まってくるぞ」
「やつらの餌になる前に、解体して燃やしちまえばいいだけの話だろ」
「それがいい、殺せ、殺せ!」
馬車酔いとか、そういうのとは別次元の頭痛がする。
(なんとまぁ過激な言い分ですこと……)
いのちを『救う』ために日々奔走する薬術師の前で、安易に『殺せ』だなんて。
「……グゥゥ……」
そのとき、その光景を目にしたのは、まったくの偶然だったのかもしれない。
でも、こっちがさわぎ立てるほど、ワイバーンがうなだれているのは、気のせいじゃない。
(……つらそうな顔、してる?)
大きなからだを小さく丸めるそのすがたが、「聞きたくない」って耳をふさいでいるようにも見えて、目が離せない。