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*18* かくして抱きまくらになりましたとさ

 頭がぼんやりする。手足に力が入らない。


 ふわふわとした意識のなか。


 姫さまみたいに抱き上げられて、部屋の奥のベッドに横たえられていた。



「リオ」



 ベッドが軋んで、エルが覆いかぶさってくる。


 まつげがふれそうなほど間近でわたしを見つめる蜂蜜色の瞳は、煮詰めたように蕩けていた。



「夢にまで見た光景です。こうしてあなたにふれることを、ずっと……ずっと待ち望んでいました」

「エル……」

「えぇ……僕はここにいます。もっと僕を呼んで、リオ……」



 はぁっ……と熱い吐息をもらしたエルが、かたちのいい唇を、わたしの左のほほに寄せた。



「エル、まって……ひゃあっ……」



 ほほをかすめるようなキスがくすぐったくて、身をよじる。


 だけど顔をそむけた拍子に、かぷ、と耳朶を噛まれてしまった。



「昨日は『まて』をしたんです。今日は、『ごほうび』をくださいね?」



 羞恥の涙で視界がにじむわたしを、いたずらっぽい笑みを浮かべたエルが見下ろしている。



「ご、『ごほうび』って……」

「あなたが欲しい」

「っ……」



 身をこわばらせたわたしの頭上で、くすりと、笑い声がこぼれる。



「大丈夫です。怖いことは、なにもしませんから」



 いつもみたいにやさしい声の奥には、じりじりと熱がくすぶっているのが、わかる。わかってしまった。



「リオ……」



 また、名前を呼ばれた。


 そう気づいたときには、ぶわっと、ひときわ強い花の香りにつつまれていた。



「……んっ、ふぅ……んっ、んんっ……」



 かさねられた唇。


 わたしの唇の感触を楽しむように、角度を変えて、やわく食むような口づけが、何度も。


 息苦しさに涙がにじんできたころ、ふいに唇を離される。



「ん……ふぁっ、エル……ひゃっ!?」



 だけど、安心できたのもつかの間。


 わたしの肩口へ顔をうずめたエルに、首すじを吸われてしまう。


 ちく、とかすかな痛みの後に、遅れて首すじが熱を持ちはじめる。



「マーキングは、しておかないとですよね?」



 くすくす。耳のすぐそばでエルの笑い声が聞こえる。


 わたしはもう、恥ずかしさで、なにがなんだかわからなかった。



(わたし、このままエルと……)



 逃げたい。でも力の差は歴然だ。エルは逃してはくれない。



「なにも難しいことは考えなくていいんですよ、リオ」



 甘い甘い香りにあてられ、ぼんやりとしたわたしのほほに、エルが唇を寄せる。



「僕にとって、あなたが世界のすべて。あなたの望むことは、なんだって叶えます」



 ちゅ、ちゅ、とくり返しほほに落とされるキス。


 エルの長い指が、ベッドに投げ出されたわたしの両手の指にからめられた。



(このまま、流されちゃう……?)



 いっそ諦めてしまえば、楽になれる。


 流されて、身をゆだねてしまえば、エルは喜んでわたしを『愛して』くれるんだろう。



(このまま、エルを受け入れたら……)



 そうすれば、エルは全身全霊で、極上のひとときを味わわせてくれるんだろう。


 ……だけど、でもね。



「あなたのためなら、なんだってします。だからおねがい……僕を欲しがって、リオ。あなたが望むなら、奴隷にだってなりますから」



 わたしに慈悲を乞うその言葉を耳にしたとき、すっ……と、からだの火照りが引く。


 それは、ふいに吹き抜けたそよ風が、甘い香りを吹き飛ばしたような感覚で。


 思考が、クリアになる。



 からめられた指を、するりと外す。


 そして無言で胸を押し返したわたしに、エルが蜂蜜色の瞳を見開く。



「……リオ? どうし、」

「だめです、エル。これはだめ」



 そうとだけ口にすれば、わたしを抱き込むエルの腕が、強ばった。



「僕を……拒むんですか?」

「ちがいます」

「違わないです。だって、僕を遠ざけようとしてる」

「エル」

「嫌です、離しません。あなたに突き放されたら、僕はもう生きていけない……」

「おねがいだから、話を」

「聞きたくないです、あなたが僕を拒否する言葉なんて!」

「……そうですか」



 エルにはたいへん申し訳ないけど、さすがに、カチンときました。



「だーかーら……話を聞いてって言ってんでしょーっ!」



 リオさん、ぶちギレ。


 腹が立つくらい整ったエルのほっぺを、むにゅっとつねる。


 エルもエルだよ。わたしの攻撃なんか簡単にかわせただろうに、避けないんだもん。



「……いひゃいれふ」

「自業自得なので、そこんとこよろ、です」



 諸々の不満が積もりに積もって、そっけない物言いになってしまったことくらいは、多目に見てほしい。



「ねぇエル。わたしがなんで怒ってるか、わかりますか?」



 ふるふる、と首を横に振るエル。


 本気で心当たりがないらしく、へにゃっと耳を垂れた猫みたいにしゅんとしてる。


 叱られた子猫か。まったく。



「わたしが怒っているのは、エルがじぶんを大切にしないからです。『じぶんを安売りするな』って、わたし言いましたよね?」

「──っ!」



 ハッとしたように、エルが身じろぐ。


 わたしもほほをつねるんじゃなくて、今度は、両手でそっと包み込んだ。


 伝えたいことがあるから、ちゃんとエルの目を見て、話したいんだよ。



「エルがわたしのこと好きだって言ってくれて、うれしかったです。独りぼっちで生きてきたわたしでも、必要としてくれるひとがいるんだって、自信が持てるようになりました。だからこそ、エルの『おねがい』は受け入れられない」



 わたしを映した蜂蜜色の瞳は、水面のように、ゆらめいている。



「わたしは、エルに奴隷になってほしいんじゃない。虐げられることを、当たり前のように受け入れてほしくないんです」

「リオ……」

「エルにのびのびと生きてほしい。こころから笑っててほしい。わたしは、じぶんらしく楽しい毎日をすごしてるエルと、おなじ目線でいたいの!」

「っ……あぁ、リオ……っ」



 エルが顔をゆがめた次の瞬間。


 ぎゅううっと、痛いくらいに抱きすくめられていた。



「あなたのそばを離れたくないからって、なりふりかまわずに、僕はなんてことを……ごめんなさい、僕が間違っていました」



 いつもほほ笑んでいて、なんでも器用にこなしてしまうエル。


 そんなエルが、余裕のない様子で、声を震わせている。



「あなたは……あなただけが、僕という人間を、ちゃんと見てくれる。僕の間違いをただしてくれる。僕と、対等でいてくれる……」



 頼りなく震える背へ、わたしも腕を回す。



「いままでしんどかったですよね。いい加減、楽しく生きたってバチは当たらないと思うんです、お互い」



 わたしはエルの過去を知らない。


 だからこれは、あくまで、わたし個人の人生観の押し売り。



「エルはがんばってますよ。……って、なんか上から目線で申し訳ないですけど、とにかく! エルが思ってる以上に、わたしはちゃあんと、エルのこと見てますから!」

「……たとえば?」

「あっ、疑ってますね。よーし、それじゃあお教えしましょう!」



 わたしはここぞとばかりに、右手の人さし指を立てる。



「ひとつめ! エルはやさしい。いっしょにいると落ち着きます。ふたつめ! エルはいろんなことを知ってて、尊敬します。みっつめ! エルはすごく強くて、頼もしいです。はい、ヴァネッサさんからのお題、『エルの好きなところをみっつ挙げなさい』でした!」

「いまそれを言うんですか。……あなたは、もう」



 エルが薄く笑ったような気配がした。


 痛いくらいに回されていた腕が、そっと、わたしを抱き直す。



「あなたが愛おしい。それしか、言葉が見つからない。あなたはほんとうに……どれだけ僕のこころを揺さぶれば、気がすむんですか」



 すこしだけからだが離されて、ようやく、エルと視線を交わすことができる。


 蜂蜜色の瞳には、涙がにじんでいた。


 キラキラして、宝石みたいだなって思った。



「リオ。……ちょっとだけ、わがままを言ってもいいですか?」

「もちろん。エルにはいつも助けられてばっかりなので、わたしもお返ししたいです。わたしにできることがあったら、遠慮なくどうぞ!」

「……ありがとう」



 エルはまつげを伏せると、わたしの肩にもたれかかる。



「手を……にぎってほしいです。そばにいてほしいです。……僕が、眠れるまで」



 ──夢見はよくはないですね。むかしからです。



 エルが何気なく話していたことを思い出す。


 とりとめのない会話の一部。


 だけど、エルはだいじなことを教えてくれていたんだと、いまならわかる。



「あなたのそばなら、悪夢に悩まされることはないだろうから」



 エルはきっと、こころの拠り所をさがしていたんじゃないかな。


 その上で、わたしのとなりを安心できる場所だと思ってくれているなら、答えは悩むまでもない。


 エルの手を引いて、ごろりとベッドに寝転んだ。



「それじゃあ、今日はエルの抱きまくらに任命されますね。モンスター倒しまくって疲れてますよね、はい、おやすみなさい!」

「ふふ、では、お言葉に甘えて」



 くすっと笑みをこぼしたエルに、ぎゅっとハグをされる。



「……おやすみなさい、リオ」



 そっとつぶやいたエルの胸に抱かれる。


 すこし早足な心音を聞きながら、わたしもまぶたを閉じた。



 静かな部屋で、ふたりきり。


 クラクラするような甘い香りは、いつしか、心地よいほのかな香りへと変わっていた。

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