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*15* 純情インキュバスという天然記念物

 はじめは甘噛みをするように。

 角度を変え、徐々に深くなってゆく。


「んっ……リオ……」

「ふぁっ……」


 濡れそぼった唇を、何度も吸われる。


 ちょっと痛みをともなうくらいのそれは、まるで食べられているみたいな感覚だった。


 いや……比喩なんかじゃなくて、ほんとに食べられてる。


 だって、知らなかったの。あんまり大声で笑ったりしないノアの薄い唇の向こうに、鋭い牙があったなんて。


「リオのくちびる、やっぱりあまいな……もっと食べたい……っふ、んんっ……」


 かぷ、とやわく牙を突き立てられて、薄く口がひらいた拍子に、ぬるっとしたものが口の中に侵入してくる。


「んっ……んむぅっ……!」


 わたしの舌に、ノアの舌が絡みついてる。


 逃げようとしても追いかけられて、ざらついた表面で、ぞぞ……となぞり上げられるだけ。


 唾液をかき混ぜられる音が、耳にまとわりついて離れない。もらした吐息さえも、ノアの口の中に溶けていってしまう。


「あまいの、もっと、ちょうだい……んくっ……」


 クラクラするほど濃厚なキスの合間に、こくん、こくんと、ノアがのどを上下させている。


 啜り上げたわたしの唾液を、嚥下していたんだ。


 飲み下すほどに、まるで瑞々しい果実へむしゃぶりついたあとみたいに、恍惚とした表情を浮かべるんだ。


 キスの余韻に浸っているのか、ノアはすこしだけ顔を離し、潤んだサファイアの瞳で、わたしを、わたしだけを映し出している。


「……もう、むりだって、ノアぁ……」


 酸欠のせいで、視界がにじむ。


 ぐすぐすと涙をこぼしながら白旗をあげたら、密着していたノアのからだが、飛びのいた。


「あっ……俺、夢中になっちゃって……ごめんリオっ、大丈夫!?」


 わたしが泣いてしまったから、慌ててるんだろうか。


 これは息ができなかった生理的なものなので、ノアが嫌だったわけじゃないんだけど……って。


(おい流されるな! アラサー!)


 理性を取り戻しておのれを叱咤するも、悲しいかな。


 人生経験はひとまわりもふたまわりも豊富でも、恋愛経験値はゼロな干物女とは、なにを隠そうこのわたしです。


「くっ……ノア、キス上手すぎない? ほかにしたことないからわからんけども……」

「そうかな……俺も、リオ以外としたことないから、わからないけど……」

「…………」

「…………」


 挙句の果てには、ふたりしてこんな調子である。


「え、初心者でアレなの……? 初心者はふつう舌とか入れてこないよ……?」

「経験、ないの……? それじゃあ、俺がリオのはじめて……?」

「そうじゃなぁいッ! あとそれなんか語弊があるぅッ!」


 なんだろう、おたがいが絶妙に噛み合ってない。


 思わず飛び起きたところで、ノアがへにゃりと眉を下げた。


「嫌、だった……? 父さんが、キスは好きなひととするものだって言ってたけど……リオが嫌なら、やめる……」

「え、ちょ、ノアくん? すき……すきって、だれが?」

「リオ以外に、だれがいるの……」


 つい間抜けな声を出したら、拗ねたように返される。


 対するわたしの脳内では、ぽこぽことはてなマークが量産されていた。状況が理解できない。


 ノアが、わたしのことを、すき……?


「リオのことが、女の子として好きっ……だから一緒にいたいって言ってるの、俺はっ!」

「えっ……えぇえ……」

「こんなこと思うの、リオだけなんだからねっ……!」


 ……まじで?


 ポカンといまいち飲み込めてないわたしにむっとしたのか、口をへの字にひん曲げたノアが、ぎゅうううっと抱きついてくる。


 ちょ……くるひ……タンマタンマタンマ。


「俺だけ好きなの、さびしい……リオも俺のこと、好きになってよ。幸せにしてくれるんでしょ……?」

「幸せになってとは言ったけど、わたしが幸せにするという抱負を述べたわけでは……」

「往生際が悪いよ」

「んむっ」


 つらつらと言い訳を並べ立てれば、こうしてやるとばかりに唇をふさがれる。


「んっ……ふ、はぁ……とまらなくなりそ……」


 なんだ。なんでまたこんな至近距離で美少年の気持ちよさそうなキス顔を拝まなきゃならないんだ。ご褒美というより罰ゲームだぞ。


 だけど、真に言及すべきは、わたしのファーストキスが軽率に奪われたことじゃなかった。


「からだ、熱くなってきた……んっ……くぅ……あっ」

「うん……? ノア、どうし…………ひぇっ」


 苦しげにうめくから、何事かと思えば。


 声をひっくり返して絶句したわたしは、べつに悪くない。


 だって、どうしろっていうのさ!


「なんか、からだがおかしい……たすけて、リオ……」


 はぁ、はぁと息の荒いノアが、肌を桜色に染めた上半身裸の美少年が、お顔に見合わないモノを、ズボンの中で主張させてたんだから!


「ごめんなさい、それはわたしには荷が重いので、ごじぶんで処理していただけますでしょうか?」

「処理……どうやって?」

「みなまで! わたしに! 言えと!」


 発狂寸前だけどなんとか堪えているわたしを、どうか褒めてほしい。


「だからぁ! 自慰して発散してくださいね! わたしあっち行ってますからぁ!」


 ……言った。言ってやったぞ。


 前世に引き続き今世も穢れなき乙女なわたしにしては、よくがんばった。


 だけど、神さまはわたしを見放した。


「なにそれ」

「えっ……」


 きょとん、とノアが首をかしげている。


 くもりなきサファイアの瞳で、わたしを見つめながら。


「えっ、えっ……だってノア、インキュバスなんだよね?」

「うん」

「インキュバスって、女のひととえっちなことをしまくる、悪魔のことなんだよね……?」

「リオ」


 すっと右手を挙げて、ノアが告げる。


「えっちなことって、なに?」

「へぁっ……」


 変な声が出た。いやそんなことはどうでもいい。


 からかうのも大概にしなさいと叱れるならいいんだけど、まっすぐに挙手しているノアのすがたは、素朴な疑問を先生に質問する生徒のそれだ。


 ここで、ひとつの仮説が浮上する。


 いや、そんなまさか、いやいやいや……


「ノアくん、どうやったら赤ちゃんができるか、知ってますか?」

「愛し合う夫婦で一晩中神さまにお祈りしたら、できるんだよね。父さんが言ってた」

「おぉうふ……」


 ……決まりだな。


 この子、エロいことをなんにも知らないのね! 淫魔(インキュバス)なのに!

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