*10* 蜂蜜色の髪の青年
──インキュバスは少食です。
私たち人間とおなじ食事を摂ることもできますが、基本的には人間の精気を主食としているためです。
精気とは、気力、または精力とも。
人間の精気を食べることを覚えたインキュバスは、肉体的に急成長するケースが多くみられます。
インキュバスに関して調べたら、冒険者ギルドの図書館に、そんな文献があった。
わたしより数センチ高いくらい。
ちょっと背の高めな女の子くらいの身長だったノアが、いまでは見上げるくらいに。
声も、より落ち着いたトーンになった。
そうなると、おさがりの黒いローブが窮屈に。
今日は装備の新調も兼ねて、冒険者ギルドへ行くことになった。
* * *
この街で黒いレンガ造りの建物を目にするのも、慣れたものになってきた。
今日一番の目的、専用窓口で『ギルド認定薬術師』のライセンス発行手続きをして、処理が終わるまでは自由時間だ。
「おまたせ!」
小一時間ほどたったころかな。
ノアが、待ち合わせにしていたギルド内のカフェテリアにやってきた。
パタパタと足取り軽く駆け寄ってくるその両手には、紙袋を提げている。
「すごい大荷物だね」
「リオにプレゼント。はいっ、どうぞ!」
ノアはわたしの向かいの席に腰かけると、みっつある紙袋のうち、ふたつをさし出してきた。
「こんなにもらっていいの? ……わっ、かわいいローブだ!」
紙袋のひとつには、魔術師系の冒険者が好んで着るローブが入っていた。
クマのぬいぐるみみたいなテディブラウンカラーのフードつきロング丈ローブで、裏地がストロベリーピンク。
胸もとで、ピンクゴールドのサテンリボンを結ぶデザインだ。
「ローブは、俺とおそろいにしてみた」
ノアがもっていた紙袋から取り出したローブはネイビーで、裏地がサファイアブルー。
リボンの代わりに、シルバーグレーのクロスタイになっていた。
デザインはほとんどいっしょで、色違いのペアルックって感じ。
おそろいがよかったのか。ふふっ、なんだかかわいい。
「それで、本命はこっち」
ノアに指さされて、もうひとつの紙袋を開けてみる。
そこには、これまたストロベリーピンクのショルダーバッグが。
留め具がリボン型のピンクゴールドになっている、かわいらしいデザインだ。
「これ、マジックバッグなんだよ。リオがいま使ってるのより、たくさん入ると思う」
「えっ、こんなにちいさいのに!?」
「調薬の道具とか、いろんな薬草とか、もっといっぱい入るようにってね。俺からのお祝いだよ。認定ライセンス取得おめでとう、リオ」
「ノア……」
安物じゃないって、ひと目でわかる。
ノアがこれまで貯めたクエスト報酬で、一生懸命えらんでくれたんだろう。
「わたしにはちょっと、かわいすぎないかな?」
「ぴったりだよ。リオの瞳とおんなじ、ピンク色だ。絶対似合う、絶対かわいい」
断言するノアに、ポカンとする。
そうか……そうだったっけ。
黒髪に黒目の日本人じゃなくて、いまのわたしは異世界に転生した、リオなんだった。
ゆっくり鏡を見ておしゃれをする余裕もないくらい、がむしゃらに働いてきて……
わたし自身ですら気にかけられなかったわたしを、かわいいって、ノアはほめてくれる。
「こんな素敵なプレゼントもらったの、はじめて……ほんとうにありがとう……うれしい」
「んッ……」
変な声をもらして、椅子からガタッと立ち上がるノア。
かと思えば、ばさり。プレゼントしてくれたばかりのローブを羽織らせてくる。
フードをまぶかにかぶらせて、サテンリボンもしっかり結んでくれる、いたれりつくせり待遇。
ノアの突然な行動のわけに、はてなを浮かべるしかない。
「もぉー、そういう顔、俺以外に見せちゃだめだよ?」
「えっ? どういう顔?」
「食べちゃいたいくらい、かわいい顔」
「えぇえっ!?」
「外じゃなかったら、もう食べてるのになぁ……」
「いやいやいや!」
口をひらけば、かわいい、かわいいって。
お砂糖を煮つめても敵わないような甘い口説き文句を、サラッと口にするんだもんなぁ、この子は!
ジリリリリ!
そこへ、救世主とも呼べる音色が鳴り響く。
わたしの懐からきこえるベルは、懐中時計にセットしていたアラームの音だ。
「あっ、時間みたい! そろそろライセンスの発行手続きが終わってるだろうから、ささっと受け取りに行ってくるねっ! ノアは先にランチ食べてて!」
「ちょっと、リオっ!?」
呼びとめる声はきこえなかったふりで、慌てて駆け出す。
「大きくなったなぁ……ノア」
ちょっとずつ、いろんなことが変わっていく。
ノアは器用で頭もいいから、すぐにわたしを超える魔術師になって活躍するだろう。
エントランスに向かうらせん階段を下りながら、ふと疑問に思う。
そのときも、ノアは変わらず、わたしの前で笑ってくれてるのかなって。
(わたしのことが好きだって言ってくれるけど、こどものときにやさしくしてくれた近所のお姉さんに、あこがれてるみたいな感覚だったら?)
恋に恋をしているのかもしれない。
かん違いは、しちゃだめだよね。
(じゃあ……わたしたちの関係って、なんなんだろう?)
わたしはノアのことを、どう思ってるんだろう。
家族じゃない。
ただ、赤の他人にはもう戻れそうにない。
(そっか……ノアはとっくに、わたしにとって特別な存在になってるんだね)
それが恋というのかは、わからないけど。
ノアを思い出して顔がほんのり熱くなるのは、ダッシュしたせいだけじゃない気がした。
* * *
「『お菓子配りの魔女』さんが、この街に?」
「あぁ。キャンディ型のポーションを売りにきた娘がいたからな。最近このへんでちらほら見かけるぞ」
冒険者ギルドの魔法薬店にて。
とある青年と店主が、話し込んでいた。
青年は腰に剣をさげているものの、冒険者とは異なる上等な身なりだ。
「貴重なお話をありがとうございました」
店主へ丁寧に礼を言ったあと、青年は店を出る。
そよ風が吹き、青年のミルキーホワイトの髪をなでた。
「ようやく追いつきましたよ、『お菓子配りの魔女』さん」
こみ上げる感情をおさえきれず、青年は美しい顔に笑みを浮かべる。
「早くあなたに会いたいです──僕の女神」
青空のもと。
蜂蜜色の瞳が、まばゆい陽光にも劣らず、きらめいた。
* * *
「こちらが、『ギルド認定薬術師』ライセンスとなります。紛失の際は再発行料金が発生いたしますので、ご注意ください」
「はいっ、わかりました。ありがとうございます!」
冒険者ギルド1階フロア、専用窓口。
わたしはスタッフのお姉さんから、ハートに翼が生えたデザインのゴールドバッジを受け取る。
これが、ひとびとの命を守る特別な薬術師の証。
糊のきいた真新しいテディブラウンのローブの左胸にバッジをつけ、背すじが伸びる思いだ。
「では早速、現在『ギルド認定薬術師』向けに募集されている依頼のご紹介なのですが……リオさま、もしよろしければ、こちらの案件をおねがいできますでしょうか?」
1枚の文書を差し出すギルドスタッフのお姉さんの表情は、どこか煮えきらない。
詳細を書いた書面に、ひととおり目を通してみるけど……
「『ブルームの街での魔法薬納品』──ブルームって、ここから北西へ行った街ですよね? たしか、馬車で数日かかる距離だったような」
「馬車の手配や道中の宿泊費用などは、冒険者ギルドが負担いたします。実はこちら、至急の募集案件となっておりまして」
「……なにか、起きているんですか?」
「2週間ほど前から、モンスターの侵入が頻発しているのです。さいわい一般市民への被害はございませんが、討伐にあたった冒険者を治療するための人員ならびに物資が、不足している状況とのことです」
「なるほど」
お姉さんが渋る理由が、わかった。
つまり、モンスターがうようよいる危ないところに、わたしみたいなひょろひょろ薬術師を送るわけだからね、そりゃ心配にもなるわ。
だからって、怖気づくのは違うでしょ。
「その依頼、お受けします」
だってわたしは、薬術師なんだから。
傷ついているひとがいるのに、見て見ぬふりなんてできない。
「すばらしい! その勇気と深い慈愛に、感動いたしました」
「え……?」
背後から、聞き慣れない声が。
ふり向くと、わたしより頭ひとつ分は背の高い青年がたたずんでいた。
ふんわりと軽くうねった、ミルキーホワイトの髪。
さらけ出されたおでこがなんともまぶしい、いわゆる美青年だ。
どちらかといえば繊細な顔立ちなんだろうけど、軟弱な印象は受けない。
それは、柔和なほほ笑みをわたしに向けてきた彼から、どこか只者ではないようなオーラが感じられたからなのかもしれない。
「……あなたは?」
「これはこれは。レディのお話をお邪魔した上に名乗りもせず、ご無礼を」
突然現れた謎の美青年は、わたしに向かって恭しく頭を垂れてみせる。
「僕はエリオル。エリオル・カーリッドと申します。どうぞお気軽に、エルとお呼びください」
エリオル・カーリッド。知らない名前だ。
でも、ひとつだけわかることがある。
わたしもそうだけど、この世界で、平民の多くは姓を持たない。つまり。
「貴族の方が……わたしに、どういったご用件でしょう?」
「モンスターの出没する危険な街へ向かわれるとのこと。ぜひ、僕も同行させていただけませんか? レディをお守りする騎士の役目を、拝命したいのです」
「ちょっ……ちょっと待ってください!」
いくらなんでも、話が急すぎやしないか。
「エリオルさんが、見ず知らずのわたしにそこまでしてくださる理由が、わからないのですが……」
「見ず知らず……ね」
そのとき、ほんの一瞬だけど、彼の瞳がまたたいた。
猫のように妖しく光る、蜂蜜色の瞳──って、あれ。
「ふふ、覚えていないのも仕方ないでしょうが、僕たち、会ったことがあるんですよ?」
輝く黄金の瞳を、わたしは、見たことがあるような気がする。
あれはたしか、薄暗い路地裏で──
「ねぇ……『お菓子配りの魔女』さん?」
耳もとに寄せられた唇が、そっとささやく。
その瞬間、よみがえる記憶がある。
「あなた、まさか……っ!」
「思い出してくれましたか? うれしいです」
やわらかい笑みを浮かべた美青年が、蜂蜜色の瞳をまぶしそうに細める。
かと思えば、右手で掬ったわたしの髪のひとふさに、キスを落とした。
「ようやく見つけましたよ……僕の女神。あなたをさがしていたんです。『あの日』から、あなたを想わなかった日はありません」
あまいあまい声音が、わたしの思考を溶かすように、熱く染み入ってくる。
「──覚悟してくださいね? 僕を買わなかったこと、後悔させてあげます」
わたしを映した蜂蜜色の瞳は、とろっとろに、蕩けていた。




