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*9* おや? 少年の様子が……

 空が蒼く澄みわたった昼下がり。


 く~きゅるる、と、空きっ腹がさびしげに鳴いた。



「おなか空いたよー……」



 今日は、冒険者に義務づけられている半年に一度の健康診断があった。


 血を抜いてわかるのは血糖値とか中性脂肪の数値じゃなくて、魔力量とかそういうファンタジー世界ならではの項目。


 だけどなんていうか、癖でね、朝ごはん抜いたんです。


 だいじだよね、早朝空腹時。



 健診も終わって、午後はオフだ。


 黒いレンガ造りの建物内で、エントランスのらせん階段をのぼると、2階は憩いのフロア。


 この一画にある図書館が、ノアとの待ち合わせ場所だ。



 静かな館内で邪魔にならないように、そうっとあたりをさがして回る。


 1時間半ほど前に別れたノアは、図書館の最奥にある読書スペースにいた。


 おなじみの黒ローブ。


 室内だけどフードをまぶかにかぶった後ろすがたは、「話しかけるな」とでも言わんばかりの寒々しさだ。


 他者を寄せつけないあの子の周辺は、本当に気温が2、3度低い気がする。



 近づいて観察してみれば、テーブルに分厚い本を何冊も積み上げ、右手には羽根ペン。


 手もとには、びっしりと書き記された便せんが散らばっている。


 ポルプの木から作られた紙製品で、安く手に入るから、ノート代わりにたくさん買ってあげたんだよね。



 カリカリカリ……



 羽根ペンの先が紙の繊維を引っかく音は、心地よくて好きだ。


 黙々と黒いインクの文字を追うサファイアの目もとも、涼しげで魅入ってしまう。


 ノアって、黙ってるとクール系美少年なんだよなぁ。



「や、おまたせ」

「……リオ!」



 反射的に腰を浮かせるノア。


 わたしは人さし指を立てて、しぃ、と唇へ添えてみせる。


 ノアが気恥ずかしげに座り直すと、わたしも椅子を引いて、右隣に座った。


 会話は、内緒話をするみたいにひそめた声で。



「熱心にお勉強してたみたいだね」

「魔法式を書いてた。1回書いたら、大体覚えられるから。そこのは読み終わったやつ」

「これぜんぶ? すごいね……!」



 テーブルに積まれていた本は5冊。


 火、風、土、雷、水魔法の魔導書だ。



「インプットはしたから、あとは実践でアウトプットするだけ」



 サラッと口にしてるけど、ノアくん、それ、デキるひとの言葉です。


 初クエストでマンドラゴラを電撃で丸焦げにした実績のあるノアだから、すごく説得力がある。


 そんな天才少年は、6冊目、治癒魔法の魔導書をひろげて、格闘の真っ最中みたいだった。


 わたしはちょっとだけ身を乗り出すと、人さし指でとんっと便せんの端を叩いてみる。



「ポーションの治療効果を高めるここの設問だけど。10倍に濃縮させたいときは、魔法薬と治癒魔法の比率は、1対10じゃなくて、1対9だからね」

「えっ……」

「低級ポーションの場合、ポーション原液1本に対して、初級の治癒魔法を9秒間かけるのが正解」

「そうなのか……そのへんの考え方が難しくて、よくわからなかったんだ。教えてくれてありがとう」

「いえいえ。それが薬術師のお仕事ですから」



 薬術師は、魔術師から派生した特殊クラスだ。


 魔術師を目指す人は多いけど、魔法薬学に関心をもつ人はまわりにいなかったんだよね。


 私もついうれしくなって、口出ししちゃった。



「ノアも薬術師とか、回復師になりたいの?」

「うん、それができたらよかったんだけど……俺、治癒魔法とか補助魔法をあつかうのは、魔力の性質的に向いてないみたいだ」



 たしかに。


 わたしが目にした限りでも、ノアは魔力量が膨大かつ、攻撃魔法に向いた性質だったように思う。


 魔力消費の多い上級攻撃魔法をバンバン撃ちまくって、モンスター討伐クエストのメインアタッカーになれるくらい。



「『やりたいこと』と『できること』は違うんだな。それなら俺の魔力ちからは、リオを守るために使うよ」

「ノア……」

「もう二度と……俺のたいせつなものを、奪わせない」



 そう言葉にするノアのまなざしは、どこまでもまっすぐだった。



「あんまり治癒魔法が使えなくても、知識があったらリオのお手伝いができるかもしれないでしょ? だから、勉強はしたい」



 やりたいことができなくても、ノアは悲観していない。


 おなじ薬術師になれなくても、隣に立っておなじ景色を見ることはできるんだって、前を向いてる。


 心からまっすぐで……純粋な子だ。


 はにかむ澄んだサファイアの瞳を前にして、無性に、泣きたくなってしまった。



「ね、きいてもいい? リオの夢はなに?」



 いろいろこみ上げてきちゃってるときに、その質問は反則で。



「わたしにはね、みんなの度肝を抜くようなすごい薬を作って、世界中の人をしあわせにする野望があるんです!」



 おどけながら口にする。


 そうです、白状しましょう、照れ隠しです。



 前世ではやり遂げられなかったこと。


 志半ばで一度は折れてしまった夢を、今度の人生では、叶えたい。


 それがわたしのやりたいことなんだって、いままで信じてやってきたんだ。



「どうして?」

「えっ?」

「リオは回復師でもあるんだよね。おなじヒーラーでも、どうしてリオは、薬術師の仕事をしてるの?」



 ……信じて、やってきたのに。


 わたし自身すら疑問に思わなかったことに、ノアは首をかしげる。



「リオが作ったポーションは、リオのところから直接買われないことだってあるでしょ」



 そう。ギルドの魔法薬店で、ほかのポーションとおなじように棚に並べられる。



「直接ありがとうを言われないことだってあるのに、なんでリオは、顔も知らないだれかのために薬を作り続けるの?」



 これはノアの、素朴な疑問だ。



「そりゃあ……魔力量がアレですし。回復師としてパーティに入れてもらっても、お荷物になるだけだからね。わたしは現場に向いてないんだよ」

「じゃあ魔力がいっぱいあったら、リオは回復師をやりたい?」

「……それは」



 考えたこと、なかった。


 ……いや。ずいぶん昔に、考えるのを諦めたことだ。



「なんとなく思ったんだ。リオ、ほんとうにやりたいこと、がまんしてないかなって」

「……それをきいて、どうするの?」

「俺がすることなんて、決まってるよ。いつも言ってるでしょ? 『リオの役に立ちたいんだ』って」



 ノアはほんとうにいい子だ。心から、そう思ってくれてる。


 無垢な笑顔で、わたしの戸惑いに踏み込んでくる。



「リオ、俺を使ってね。俺がリオの夢を叶えてあげる」



 ノアの言っていることは、抽象的で、よくわからない。


 解けない難題を突然出されたときみたいに、思考が停止する。



「あれ、ポカンとしてる。ふふ、可愛い。大丈夫だよ、すぐにわかる。『もうそろそろ』だろうから」



 いまこのとき、ここでは、ノアの時間だけが動いてる。


 テーブルへ置きっぱなしになっていた左手に、するり……と指が絡んだ。



「ねぇリオ、おなか空いちゃった。今日はいっぱい……食べてもいい?」



 フードの影でほんのりとほほを染めたノアは、そう言ってなぜか、わたしについばむようなキスをした。



  *  *  *



 翌日、宿の部屋に1通の手紙が届く。




【測定結果】

 ・魔力質 A(前回値 A)

 ・魔力量 C(前回値 E)


 総合評価 B(前回値 C)



 以上、今回の健康診断における魔力項目の総合評価がB評価に達しました。


『ギルド認定薬術師ライセンス』発行基準を満たします。


 ライセンス発行をご希望の場合、期日までに冒険者ギルドの専用窓口へお越しください──




 朝起きてすぐ、眠気が吹き飛んだ。


 宿の部屋の前に郵便物──


 冒険者ギルドから昨日の健診結果と、認定ライセンス発行案内が届いていたからだ。



 冒険者ギルドのブランドを背負う、選りすぐりの薬術師。それが『ギルド認定薬術師』だ。


 その認定条件は、ふたつ。


 上級魔法薬を作ることのできる、高品質な魔力をもつこと。


 それを安定的に供給できる、豊富な魔力量をもつこと。



 このうちわたしは魔力量が不足していたため、魔力の総合評価がC。


『ギルド認定薬術師』の認定条件をふたつとも満たすB評価に、達していなかった。



(なのに、ここにきてB評価判定ですってぇ!?)



 身支度もそこそこに、慌ててポーション作りに取りかかる。


 あとは治癒魔法をかけて、瓶分けとラベリングをすればいいだけのところまで作り置きしていた分を、前倒しして仕上げに入る。



「うそでしょ……」



 小鍋ひとつで、低級ポーション5本分。


 それが、今朝は小鍋みっつ──


 低級ポーション15本分の治癒魔法を使っても、クラクラすることはまったくなかった。



「信じられない……」



 ほんの数日前までは、低級ポーションを5本作っただけで、ぐったりしてたのに!


 ポーション作りが一段落し、実感と歓喜がわき上がってきたお昼前。


 おねぼうさんのいる寝室に突撃した。



「ノア! きいてノア! ポーションをいっぱい作っても辛くならないの! 『ギルド認定薬術師』になれる……認定ライセンスがあれば、ギルドに取引先を紹介してもらえるよ!」

「んん……リオ? 元気だね……」



 当たり前のようにわたしのベッドで眠りこけていたノアが、のっそりと起き上がる。


 寝ぼけまなこをこするうちに、目が覚めてきたらしい。ベッド脇のわたしを見て、ふにゃあ、とほほをゆるめた。



「よかった、ちゃんとなじんでたみたいで」

「えっ、なにが?」



 ノアはベッドからおりると、わたしの正面に立つ。


 のぞき込んできたサファイアのまなざしは、どこかいたずらっぽい。



「最近やけに眠いとか、感じたことない?」

「眠い……そういえば、あくびが止まらないことがあって……でも、なんで」

「知ってるよ。だって俺、インキュバスだよ? 人間を食べる悪魔なの」

「えぇっと……ひゃっ」



 油断していたら、ぐっと引き寄せられるからだ。


 わたしはあっという間に、ノアの腕の中。



「痛いことなんてしない、おたがい気持ちよくなるだけ」



 じゃれるようにわたしの腰へ腕を回すノアの声は、うっとりしている。



「夢魔はね、人間の精気を食べるんだ。だけど俺ばっかり美味しい思いはしちゃだめだから、お礼にね、俺の魔力を毎晩リオに注いでたの」

「へっ……魔力を、注ぐ……?」

「こうやってね、リオが眠ってから、夢の中で……んっ」



 わたしにほほをすり寄せていたかと思うと、ノアがちゅうっと唇を吸う。



「ちょ、まっ……」



 軽くふれるだけだったキスが、しだいに深くなり、ぬるっと熱いものが口内に割り込んでくる。


 その瞬間だ。びりびりびりぃっと、背すじを電流がかけ巡った。



「んんんっ!?」



 驚いて飛びのこうとしても、腰に腕を回されていて、びくともしない。


 ノアの華奢な腕のどこに、こんな力があったんだろう。



「ふぁ……の、あ……」

「んっ……気持ちいいね、キス、きもちい……はぁっ」

「んんぅっ……」



 息を荒くしたノアに、かぷりと噛みつかれる。


 唇へやわく牙を突き立てられ、ぞくぞくっと肌が粟立った。


 ちょっと痛いくらいに唇を吸われて、ごっそりと『なにか』が持っていかれるような疲労感にみまわれる。


 かと思えば、ふっ……と吐息を吹き込まれ。ぴくんっと肩が跳ねる。


 甘い痺れが、からだじゅうに広がってゆく。



「……っん……わかる? 俺の魔力が、リオのからだに入り込んで、染みわたっていくの」

「ふぁっ……」

「ははっ……顔、とろんとしてる……リオ、可愛い、かわいい……」



 だめだ。これ。


 このままじゃ頭がばかになっちゃうって、わかるのに、ノアを拒めない。


 もっとほしいって、じぶんから腕を回して、しがみついちゃう……



「あぁ、こんなにしあわせな気分になること、なんでいままで知らなかったんだろう……リオ……リオっ」



 飽くことなく唇に噛みつきながら、わたしの名前を呼ぶノア。



「俺の魔力、いくらでもあげるから……もっと俺をほしがって、ぎゅってして、リオ……」



 甘い吐息が、何度も耳に吹き込まれる。熱が、あふれる。


 やがて糸が切れた人形みたいに、わたしはずるりと、ひざから崩れ落ちた。



  *  *  *



「またやってしまった……イケイケノアくんに流されてるぞ、リオさん……」



 真っ昼間からやらしい雰囲気に飲み込まれて、帰ってこれなくなるところだった。危ねぇ。


 あれからなんとか正気を取り戻したわたしは、慌てて外出の準備に飛びかかった。



「ギルドに行くんでしょ? 俺も行く」



 すかさず涼しい顔で寝間着を脱いで、着替え始めるノアくん。


 そうだよね、そう言うと思った。


 平然と着替えるのやめてね? 一応わたしという異性がいるんだけどな……



(口移しで魔力供給とか、どこのエロゲーだよ!)



 インキュバスだからなの? これもインキュバス・クオリティーのお話なの?


 窓際の壁にもたれ、腕組みをしてうんうんうなっていたら、シャツを着たノアが視界を横切る。


 つい目で追ってしまったわたしは、クローゼットから黒いローブを取り出すノアの背中を目にして、ハッとした。



「あれっ、ノア……? ちょっとまって……」

「うん? 俺がどうかした?」

「気のせいかな……こっち来てくれない?」



 わたしをふり返ったサファイアの瞳が、ぱちぱちとまばたき。


 首をかしげたままのノアが、言われたとおりに歩み寄ってくる。



「これは……うん、気のせいじゃなかった。ねぇノア!」



 じーっと見上げて、確信したわたしは、満を持してノアを呼ぶんだけど。



「ふふっ」



 ぎゅっ。


 なぜか、はにかんだノアにハグされた。



「って、なんでやねーんっ!」

「だって、目の前にリオがいたから」

「たのむから話をきいておくれーっ!」




 ご満悦なお顔でほおずりをしてくるノアを、なんとか引き剥がそうとして、引き剥がせなかった。


 やっぱり、間違いない!



「ねぇノア、なんかいつもと違うって思うこととかない?」

「いつもと違うこと? たとえば?」

「そうだね、たとえば、なんか目線が高い気がするとか!」



 ほぼ答えなんだけど、これ。


 そう、わたしが気づいたノアの異変……それは。



「身長、高くなってる! 声もちょっと低くなってるの!」



 美少年から、美男子へ。


 おとなっぽく成長したその変化に、ノア本人が、きょとんと首をかしげていた。

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