【98話】 二学期(ドライブ)
ちょい微妙かな
夜になった。
今日のディナーは鹿沼母が予約していたらしく、俺達はその高層ビルの40階にいる。
予約をしていたということはつまり、何の予定もなく朝突然ドライブに行くと言い出したあれは突拍子もない行動だったわけではなくちゃんと計画された行動という事になる。
それも予約を男1女2の三名で入れていたところを見ると、最初から俺をこのドライブに誘うつもりだったらしい。
このビルは44階まであって、商業施設やオフィス、ホテルやレストランなど階によって様々な楽しみ方のあるいわゆる複合ビルだ。
鹿沼母が予約したレストランは23階にあるレストラン街の更に上の41階にある少し高級なレストラン。
だからなのか一つ下の40階で降りてその一角にある店で俺たちは着替えている。
今回行くレストランにはドレスコードもしくはセミフォーマルといういわゆる正装でなくてはダメらしく、俺達はそれを着付けしてもらってから食事へと向かうみたいだ。
俺はタキシードを着付けさせてもらい、髪もワックスで整えてもらった。
正直、ここまでするとなるとどこまでマジな高級レストランなんだよとビビっているのだが、まあ何とかなるかという
いつも通りの楽観的な気持ちもあって何とか精神を保っている。
鏡の前に立って自分の姿を見ると、自分の姿に大いなる違和感を感じる。
タキシードとワックスで長年見てきた自分と大きく乖離していて慣れない。
しかし着付けしてくれた女性が俺の不安そうな様子を見てか「大丈夫、カッコいいですよ」と言ってくれたのでその言葉を信じる事にした。
「成君、お待たせ」
そうこうしていると後ろから声をかけられ振り向く。
そこにはこちらに歩いてきている鹿沼親子の姿。
どちらもイブニングドレスを着ていて、奈々美さんは上下黒でしっかりした感じ。鹿沼さんも同じ黒だが奈々美さんよりだいぶ派手な感じ。
どちらも上下が一体となっていてスカート。
しかし鹿沼さんの上半身は腰回りに巻かれている布から二本の幅の広い布が胸を隠し、そのまま首に巻きつく同色の紐で固定されているようなちょっと攻めたデザイン。
完全に肩も脇も露出していて、胸を隠す二本の布の間から谷間も見えているし露出度は高め。
向こう側の鏡が反射して後ろ姿が見えるが、奈々美さんは背中もガッチリとドレスでカバーしているのに対して鹿沼さんは背中のほとんどが開けていて首から腰に布が×のように通っているが、それ以外は丸見えで背中の中心にある窪みも結構な長さで露出している。
「どう? 成君の評価は」
「お二人とも綺麗ですよ」
「それはありがとう。良かったわね景」
「私だけ露出多くて恥ずかしい……」
「ほら、景も成君の評価してあげなさい?」
鹿沼さんは奈々美さんに言われて俺のことをまじまじと見た。
「なんか……変」
俺は鹿沼さんから発せられた予想外の言葉に心臓を貫かれたかのように胸がズキンと痛んだ。
そしてこれから上へ行って、陰で他のお客さんや従業員が俺の姿を見て笑っている想像をしてしまい一気に不安になっていく。
鹿沼さんは自分の発した言葉の重みを理解していなかったみたいだがすぐにハッと何かに気づいたかのように慌てながら言った。
「ち、ちがうのっ! 私の感覚がまだ子供だからナル君のちゃんとした姿に慣れてないって言いたかったの……」
「いつもはちゃんとしてないって事ね?」
ちょっと意地悪してみたら更に慌て出し、俺の目の前まで来ようと一歩踏み出したが、ロングスカートに慣れていないためかスカートの内側を踏んでしまったらしく俺の胸に頭突きをするような形で飛び込んできた。
俺は鹿沼さんが倒れないよう体を支えてあげると、自分の体の体勢を整えながら上目遣いでこちらを見てきた。
「訂正させて」
「いいよ」
「すごくカッコいい」
「ありがとう」
一度変と言われて二度目すぐにかっこいいと言われてもあまり響かないし不安は残る。
しかし俺も鹿沼さんもやはりこういった姿は見慣れていないしちょっと違和感があるのも仕方がない事だ。
それに着付けのプロに髪の毛までセットしてもらったんだから信用する他ない。
「それじゃあ行きましょうか。成君、景のエスコート頼むわよ?」
「エスコートって具体的にどうするんです?」
「さっきみたいに景が転ばないように腰に手を回して軽く支えながら歩いたり、それ以外のことも基本的には女性中心に行動するの。いいわね?」
「こういうのの基本を知らないので、自己流でいいですかね?」
「いいわよ」
「わかりました」
俺は鹿沼さんの隣に立ち、背中に腕を回して反対側の腰を軽く掴む。
ここから先は人にジロジロ見られるだろうし、落ち着かないかもしれない。
懸念点としては鹿沼さんが発作を起こさないかという点だが、今回は俺もいるしそれに人の視線に慣れるのも大切な事だ。
ちゃんとした正装で真っ当な意味で大人の行動を今から求められる。
鹿沼さんの表情には恥ずかしさと不安が入り混じっているが、それは俺も同じだしもう飛び込むしかない。
「さあ、行きましょうか」
俺達は歩き出した鹿沼母に追ていく形でエレベーターに向けて歩き出した。
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エレベーターから出るとそこは薄暗い空間。
落ち着いた雰囲気でカチャカチャと食器の音以外ほとんど何も聞こえてこない。
しかしちゃんと人はいるので全員がなるべく音を立てないように気をつけながら食事をしているとすぐにわかった。
俺達は受付のウェイターと予約の確認をして席の方へと移動する。
食事をしている人達の100%が大人で、100%が男女の二人組。
やはりちょっと場違いな感じもするけど、予想外に誰も俺たちに視線を向けないのであまり気にならなかった。
ここに来るような人は食事や一緒に食事に来ている人を優先しているので他人にあまり興味を持っていないのだろう。
まあ、こちらとしては好都合だが。
このレストランは周りが全部ガラス窓になっていて外を見ることができる。
俺たちの席も窓際の席で横を見ればすぐに外の世界。
41階から見る夜の街は抜群に綺麗だ。
「鹿沼さん、奥どうぞ」
「いいの?」
「うん」
奥の席は窓のすぐ側で一番よく外が見える。
それに女性は基本的に奥に座らせるのが礼儀でもある。
俺は鹿沼さんが座れるように椅子を引いてあげる。
「ありがと」
鹿沼さんは席に座り、俺もその隣に腰を下ろす。
予約の段階でコースメニューも注文しているらしく、テーブルに置かれている紙には前菜からデザートまでの一覧が載っていた。
後は食事が運ばれて来るのを待つのみなので少々暇でもある。
スマホをいじるのも違うし、かといってずっと話せる話題もない。
俺も窓の外を見てみる。
夜の街は綺麗だが、それよりもガラス窓に反射している鹿沼さんに釘付けになった。
夏祭りの時に花火を見ていた時と同じように瞳を輝かせてさっきまで緊張していた表情とは違って初々しい少女の表情。
まるで生まれて初めて光を見たかのように純粋で声をかけないとずっとこうしていそうな感じだ。
しばらく窓に反射する鹿沼さんを見ていると、ふと目が合いそして苦笑いでこちらを振り返った。
「私、興奮しすぎてる?」
「いいや全然」
「もっと大人っぽくなったほうがいいよね……」
「鹿沼さんの言う大人っぽさってどんなの?」
「落ち着きがあって、何事にも動じない感じかな」
「だったら鹿沼さんは大人っぽくならない方が良いね」
「どうして?」
「その方が可愛いから」
「かわ……それって子供っぽい方が良いって事?」
「そうじゃなくて、感情がすぐ表情とか挙動に出るのが魅力の一つって……」
と、ここまで言って自分がスラスラと恥ずかしい事を言っていることに気づいた。
俺が思う鹿沼さんの魅力を本人に言ってしまって恥ずかしさで体が熱くなってくる。
鹿沼さんの顔も少し赤くなっていて、途中で言葉を止めたから少しの沈黙が流れた。
「お母さんの前で……バカ」
沈黙を終わらせたのは鹿沼さん。
対面に座る母親である菜々美さんをチラチラ見て気にしている様子。
俺もチラリと菜々美さんを見てみると、鹿沼さんと同じように少し顔を赤くしてニヤニヤしてこちらを見ていた。
「この後、ホテル予約しようか?」
そしてすぐに雰囲気をぶち壊す発言を投げてきた。
「結構です。明日も学校ですし」
「えー」
「じゃあ今、私の前でキスしてくれない?」
「はあ?」
いきなり訳の分からない事を言い出した奈々美さんにマジトーンの「はあ?」が出てしまった。
しかし奈々美さんは怯む事なく、続ける。
「ここのフルコース料理+服のレンタル代でも結構お金かかってるのよ? お金は私が出す訳だし、一個くらいお願い聞いてくれてもいいんじゃないかしら?」
「それはつまり景さんとのキスはその程度の価値という事になりますけど大丈夫ですか?」
「景の唇の価値はもっともっと高いに決まってるじゃない。その損の部分は私の奢りよ」
であればキスとかしなくても、奢ってくれよと思ったが口には出さない。
母親が男に娘とキスをしろだなんてよく言えるものだ。
「だとしても景さんの許可が必要……」
「景、いいわね?」
「うん」
まさかの即答。
大人の雰囲気のお店でお互いちゃんとした服装。
それに目の前には鹿沼母。
とんでもなく緊張してきた。
しかしどうだろう、確かにこのレストランでのコース料理に借りた服。レンタカーとその他諸々の代金。
結構お金がかかってるし、それを奢ってもらってるのは間違いない。
チラリと横目で隣を見ると、睨みの利かせた鹿沼さんと目が合った。
「今キス一つでチャラになるならいいかもとか考えてたでしょ」
「なわけないだろ」
「言っとくけどそんな理由でキスはしないから」
「じゃあどんな理由ならキスさせてくれるの?」
「そんなに私とキスがしたいんだ?」
鹿沼さんは睨み顔から悪戯っ子の表情に変わった。
久々にその表情を見て何だか胸の奥がポワッと温かくなった。
「別にそうは言ってないだろ」
俺がそう言うと、鹿沼さんはプクーっと頬を膨らませて正面を向く。
相変わらず表情がコロコロ変わる人だ。
「ほら成君、エスコートエスコート」
エスコートの意味知ってんのかこの人……?
元々は菜々美さんがお金を囮にしてキスをしろと言ってきたくせに、今は何だか俺が鹿沼さんにキスしたくてたまらないないみたいな感じになっている。
「俺は一回。景は二回したよね」
「……なんの話?」
「自分からキスした回数」
「私二回もしたっけ」
「一回目はラブホテルで初キスの後、俺の首に腕回してしたよね。二回目はついこの間、屋上で佐切さんに逆ドッキリした時に」
「確かに二回したけど……だから何?」
「俺にはまだ一回する権利があると思うんだ」
まさに強行突破。
平等・公平・対等の精神攻撃。
「た、確かに……」
絶対に通用しないと思っていた攻撃がまさかのヒット。
鹿沼さんは俺の椅子に手をついて上半身をこちらに傾けてきた。
「じゃあ……する?」
ここは公共のレストラン。
あまり長い事キスしていると他の客に不快と思わせてしまう可能性は十分にある。
しかし奈々美さんの興奮具合だとただ一瞬唇を重ねるだけでは要求を満たせない可能性もある。
「いや、食事終わってからね。他の客に迷惑になっちゃうかもしれないから」
「わかった。後でね」
「別に今じゃなくてもいいですよね? 菜々美さん」
「えー」
「雰囲気重視のこのレストランでキスするのはあるまじき行為ですよ」
「まあそうね。でも後でぜっったいしてもらうわよ?」
「はいはい」
会話が終わったところでちょうど前菜のお皿が俺達のテーブルに置かれた。
ウェイターの男性が前菜の説明をし終えてその場を離れようとした。
「あっ、ウェイターさん」
しかし菜々美さんはウェイターを呼び止め、柔らかい表情で「赤ワイン何があります?」と問いかける。
菜々美さんとウェイターさんの間で交わされる赤ワインの銘柄。
「じゃあ、それボトルでお願いします」
「かしこまりました」
ウェイターさんは注文を受け、離れていった。
「菜々美さんってお酒強いんですか?」
「強いわよ」
「そうは思えませんけど」
「まあ見てればわかるわ」
先ほど注文した赤ワインのボトルがバケツに入って運ばれてきた。
菜々美さんはグラスに一杯継いでもらい、飲み始める。
少しずつ酔っぱらって陽気になっていく菜々美さんと綺麗なドレスを身にまとって一段と大人に見える鹿沼さん。
その二人とのディナーは楽しかったが、俺達はまだ気づいていなかった。
とんでもないミスを犯している事に。
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食事とお会計を終え、着つけてもらったお店で写真を撮り私服に着替えた。
時刻は20時55分。
予約した時刻が20時だったので、約1時間いた事になる。
お母さんはお酒が強いと豪語していたが、一人でボトル一本飲み干し、結局は泥酔してしまって肩を貸さないと移動もままならない状態。
「ほら、帰りますよ菜々美さん」
「かえりゅの~?」
「いくらなんでも飲みすぎです」
私がお母さんの左肩、右肩は羽切君が支えてエレベーターに乗る。
営業時間が21時までなので、1階とB1階以外にはシールが貼られていて押せない様になっていた。
私は駐車場のあるB1のボタンを押してエレベーターの閉ボタンを押す。
エレベーターの窓から外を見ると、ものすごい速度で地上へと降りているのがわかった。
「羽切君、ごめんね」
「いいよ別に」
「お母さん、普段こんなお酒飲まないんだけどなぁ」
「せっかくの休みだからハメ外したんじゃないかな。普段、仕事ばかりしてるだろうし」
「羽切君のお母さんもそう?」
「たまにお酒飲んで家で踊ってるよ」
「そっか」
お金を稼いで生活するのは大変な事だ。
小学校5年生でお父さんがいなくなってシングルマザーとなったお母さんは死に物狂いで勉強して働いてきたんだろう。
お父さんが亡くなって最初の一週間は精神的に不安定で泣き叫んだり、頭を抱えたりしていたのを覚えている。
「菜々美さん言ってたよ。景がちゃんと育ってくれて嬉しいって」
「なんで私じゃなくて羽切君に言ったんだろ」
「うーん、恥ずかしいからってのもあると思うけど、後ろめたさもあるんじゃないかな」
「後ろめたさ?」
「親として一緒にいてあげられなかった事とか、色々苦労を掛けた事とか」
「確かに寂しかったし転校多くて辛い事もあったけど、お母さんにはすごく感謝してるんだけどね」
「それこそ菜々美さん本人に言ったの?」
「やっぱり恥ずかしいから言いにくいよね」
「じゃあどっちもどっちだ」
「そうだね」
ここまで育ててくれたことに本当に感謝している。
何か恩返しをしたいと思っているけど、どうやって返せばいいかわからない。
「恩返しするなら何がいいかな」
「既に少しづつ恩返し出来てると思うよ」
「私何もあげてないけど?」
「産んで、育ててもらった恩なんて一生かけても返せないよ。俺も一回母さんとそういう話になって言われたんだけど、親としては健康に育ってくれるだけで嬉しいんだとさ」
「それ言われて羽切君は理解できた?」
「あまり理解は出来なかったかな。だって生きてるだけで勝手に育つし俺ら。健康に関しても正直、運だし」
「親にならないとわからない事なんだねきっと」
「そうかもしれないね」
エレベーターは地面の下へと降りていき、薄暗くなった。
そして「地下一階です」の音声アナウンスと共にエレベーターが止まり扉が開く。
私達のレンタカーはエレベーターが開いてすぐ正面に停めてあるので扉が開いた瞬間、目に入った。
「鍵はどこかなー……ん?」
お母さんのバッグを漁り、車の鍵を手に取った所で重大なことに気づいた。
「ねえ羽切君」
「ん?」
「これ、誰が運転するの?」
「誰ってそりゃ……」
私と羽切君は未成年で免許は持っていない。
お母さんは赤ワインをボトルで飲み泥酔状態。
ここは私たちの家から高速を使って1時間の距離にある街。
つまり帰れない。
それに加えてレンタカーなので時間内に返さないといけないし、この駐車場も24時までであと3時間以内に車を出さないといけない。
今日帰るのは不可能だから泊まる場所も確保しないといけないし、明日は学校。
「どうしようか」
「まあ、まだ三時間あるし一個づつ対処していくしかないね」
羽切君は少し困った顔をしながらも冷静だ。
私一人なら焦ってしまうかもしれない場面だが、羽切君が一緒にいるというだけで安心感がある。
羽切君とならどんなトラブルも一緒に楽しめる気がするし、対処していけるという謎の自信。
「それにしてもバカだったね私達」
「全くだ」
一人は唯一の運転手にも関わらず飲酒して泥酔。残りの二人はそれを止める事もしなかった。
駐車場に残されたバカ三人衆。
車の出入り口から入って来る風に吹かれて、なんとも虚しい気持ちを抱えながら私達はレンタカーへと歩き出した。