【88話】 二学期⑦(定期テスト)
4限の“国語”が終わるチャイムが鳴った。
先生が「そこまで~」と言うと全員の手が止まり、後ろからゾロゾロと解答用紙を前へ流していく。
今日は1限数学、2限物理、3限化学、4限国語という時間割となっていて、テスト週間という事もあり午前中で終了。
終わりのホームルームもないのでこの後はクラスに残って雑談するのも帰るのも自由だ。
「景、どうだった~?」
「100点かな」
そんな鹿沼さんと戸塚さんの会話が右側の席から聞こえてきた。
今回のテストで俺は選んだのは当然“英語”。
しかし今になってその選択を後悔している。
俺はイギリスに転校すると分かった時からイギリス英語を主に勉強してきて、高校で習うのはアメリカ英語。
アメリカとイギリスの英語では単語自体のスペルや単語の使い方、意味などが異なる場合が多い。
例えば学校で習う英語で色はColorだが、イギリス英語ではColourだ。Centerもイギリス英語だとCentreだし、CatalogはCatalogue。
これらはまだ単語を少し変えてるだけだが、全く違う場合も多い。
例えばゴミはアメリカ英語ではGarbageだが、イギリス英語ではrubbish。CandyはSweetsだし、一階をFirst floorとは言わずGround floorと言う。
面白いのはアメリカ英語ではPantsはズボンだがイギリスでは下着の事で日本で使われるパンツはイギリス英語。
日本で英語と聞くとやっぱりアメリカ英語を思い浮かぶ人が多いと思うが、実は世界的にはイギリス英語が主流だ。
そもそもアメリカという国はイギリスから来た入植者によって建国された国だし、現在の英語圏のほとんどがかつてイギリスによって植民地支配された地域だからだ。
日本はアメリカの戦争に負けたからアメリカ英語を学んでいて、実は世界的に主流な英語とはイギリス英語である事を知らない人が多い。
そりゃ義務教育から習っているし当然のことなのだが。
つまり何が言いたいかというと、明日の英語のテストでまともな点数を取れる気がしないという事だ。
俺はイギリス英語を主体として勉強してきたので、選択する科目を完全に間違えた。
かと言って今からアメリカ英語を勉強する気にもなれず、正直ゲームに勝つ事は諦めている。
俺はスマホを出してトリッターを開きあのアカウントを確認する。
やはりまだ削除されておらず、お手上げ状態。
仮に鹿沼さん母が、鹿沼さんを装った卑猥な写真を課金制で公開してるあのサイトを何処かに頼んで削除できたとしても、このアカウントの動画が消えないと意味がない。
鹿沼さんからあのイジメの記憶が無くなる事は一生ないだろう。
それがイジメの最大の罪。
一生過去のいじめから自信を失い積極的になれなくなる。
鹿沼さんはそれに加えて発作もあるし、当時の動画や画像が出回っているなんて事口が裂けても言えない。
「なあ、羽切」
「うん?」
視線を上げると八木がこちらを振り返っていた。
俺はスマホの画面を切ってポケットにしまう。
「もし今回のゲームで一位取ったら誰に何を命令する?」
「そうだなぁ……」
実際問題何でも命令できると言ってもやっぱり制限はある。
特に八木は彼女がいるし、異性に命令するのが鉄板なこのゲームにおいて異性に命令できない唯一の存在。
「特に決めてないけど。そっちは?」
「俺は鹿沼さんにしようと思う」
八木は女子に命令する事はないという俺の考えは瞬時に打ち砕かれた。
鹿沼さんが人気なのはわかるが、一体何をするというのだろうか。
「何を命令するつもりなんだ?」
「彼氏が誰か」
「あー」
ずっと前の合コンで鹿沼さんが自分には彼氏がいると言ってしまい、嘘を突き通さなくてはいけなくなった。
戸塚さんは鹿沼さんに彼氏がいない事は把握済みだが、佐藤さんは二度も言い訳が通用しない場面に出くわしてしまい、俺と鹿沼さんが付き合ってるという嘘を今でも信じてる。
そして八木は今でも鹿沼さんのいない彼氏の存在を知りたがってるらしい。
「なんでそんな事、気にしてんのよ」
「やっぱ鹿沼さんが人気者っていうのもあるけど、早すぎると思ったんだよね」
「早すぎるって?」
「付き合い始めた時期が」
「何言ってんだ。お前もその時すでに佐藤さんと付き合ってただろ」
「俺達は合コンで初めて出会ってその後も何度も偶然会ったからみたいな経緯があるから早かったけど、鹿沼さんがあの日以外でそういう場に顔を出したなんて話聞いたこと無いんだよな」
鹿沼さんがあの日合コンに行ったのは六月。
当然入学は四月だからたった二ヶ月で誰かと付き合ったという事になっている。
確かに八木のようなパターンならその二ヶ月間で恋人ができてもおかしく無いが、鹿沼さんは発作やトラウマでそういう場に行く事はなかったのだろう。
男女で出会いを求めるような空間に行かずして入学から二ヶ月で誰かと付き合うなんて事はまずない。
だけどそれは高校生になってから付き合い始めたならという前提。
「中学の時に付き合ってた彼氏とまだ続いてて、遠距離恋愛って可能性もあるだろ」
「でも未央は男の人の腕に引っ付きながら歩く鹿沼さんを見たって言ってたし」
「それが本当に鹿沼さんかどうかも怪しいな」
「鹿沼さんを見間違えるなんて事、絶対ないと思うけどなぁ」
まあ無いだろうなと心で思いつつ、その思いは心に留めておく。
特徴的な髪色にあの可愛さ。
絶対に間違える訳がない。
「なあ、もし鹿沼さんに告白されたらお前ならどうする?」
「どうするって?」
「佐藤さんを取るか、鹿沼さんを取るか」
「そりゃ未央だろ」
少し意地悪な質問をしてみたのだが、まさかの即答で少し驚いた。
顔もスタイルも良くて男子からも女子からも人気が高い鹿沼さんと付き合えるなら今の彼女を捨てて乗り換えるという選択をする可能性もあるはず。
人を好きになるというのは、見た目とか胸の大きさとか人気かどうかなんて関係ないという事か。
鹿沼さんの彼氏が誰かという話題から逸らすために変な質問してみたのだが、ちょっと興味が湧いてきた。
八木が鹿沼さんを差し置いて佐藤さんを選ぶ理由は何なのか。
「それは何故?」
「鹿沼さんは色々完璧すぎて俺には逆にそれが欠点に見える。未央はドジだから支えたくなる」
「なるほど」
実際は完璧じゃないしちゃんと欠点もある。
発作はともかく、不幸体質なのか俺との相性が悪いのか、俺と出掛けると何らかのトラブルが起きるし。
「それに未央と一緒にいると自分らしくいられるっていうか……何も話してなくても同じ空間にいるだけで安心できるみたいなのがあって、心地がいいんだよ」
何だか結婚相談所に来てしまったかのような内容だ。
高校生のもっと情熱的で高校生らしい恋愛観を聞いてみたかったのに。
「じゃあ鹿沼さんにホテルに誘われたらどうする?」
「そりゃ行くだろ。鹿沼さんとできるだけでも男としては名誉みたいなもんだし」
「やっぱそうだよな」
「当たり前だろ。大丈夫かお前?」
男は性欲に忠実。
スタイルの良い女を見ればヤりたいと思うし、可愛い子がいればこれまたヤりたいと思う。
だけど八木は佐藤さんと鹿沼さん同時に告白されたら佐藤さんを選ぶと言った。
やはり性欲とその人を好きかどうかは切り離して考えなくてはいけないようだ。
前に八木は言っていた。
「男として今すぐ女子とエッチしたいという気持ちはあるけど、本命の女子とするのは怖い。理由はその女子とエッチして満足してしまったら、ただの体目的だと気づいちゃうから」と。
今日の話と組み合わせて考えると、何だか少し解決の糸口が見えてきた気がした。
結局男と女が惹かれ合い、付き合うという形までいくのは労力と勇気が必要で、時には偶然のようなものも必要だし確率も決して高くない。
その上、性格的な相性まで良いとなれば中々出会えない。
だから長期的に関係を持ちたいし、肌を重ねてしまうと満足して短期的に終わってしまうのではないかという恐怖があるという事だ。
少し無理矢理な考えな気がするが、わからなくはない。
例えば同じAVで抜き続けていたらいつかはそのAVにエロさを感じなくなって次を探し始めるようなもの。
ただしそのAVを持っている時は次のAVは探せず、もし探し始めるなら前のを捨てていかなくてはならないというルールがある前提。
前のAVと同等もしくはそれ以上の興奮を得られるモノが果たして存在するのかという恐怖でどうするか選択しなければならないみたいな感じだろう。
もしこういうルールがあるなら、今のAVを大切にじっくりと時間をかけて楽しむから長期的なものになる。
AVに例えるのは女子を卑下に扱っているようでちょっと違うかもしれないけど、男ならこの表現でなんとなく理解ができる。
「なあなあ、どうせ午前授業だし場所変えてだべんね?」
「別にいいけど、どこ行くつもり?」
「未央のバイト先とかどう?」
「えー、あそこのパフェ結構高いしなぁ」
「あそこ行くかどうかは後で決めて、とりま昼飯行こうぜ」
「いいね」
午前授業で昼飯はどこかで食うつもりだったからちょうどいい。
俺達はカバンを持って立ち上がる。
「お二人さん〜、どこ行くの〜?」
すると戸塚さんが声をかけてきた。
「八木とどっか飯行こうかなって」
「私も行ってもいい〜? 景はどうする〜?」
「私も行こうかな」
「おっけーい。この四人で出掛けるの羽切の入学日以来じゃね」
「確かに」
俺達は四人は廊下に出て下駄箱まで歩く。
俺がこの学校に入学した日に俺は八木と佐藤さんの勤務するバイト先へ行き、そこでたまたま戸塚さんと鹿沼さん二人と関係を持った。
そして修学旅行もこの四人を含んだ六人だったし、何だかんだ学校では一緒にいる。
夏休みは少々八木とは疎遠だったけど、まあ普通そんなもんだ。
「高校一年の夏休み後って付き合い始める人が多い時期らしいよ〜?」
「へー、前じゃないんだ?」
「流石に入学して間もないしね〜。夏休みを経て自分達が青春送れてないことに焦り始めるのかもね〜」
「高校生活ってやっぱ貴重だよね」
「そりゃ、大人になったら女子高生とエッチできないからね〜」
「そういう意味で言ったんじゃないぞ!?」
相変わらずの会話で安心すると同時に、確かに女子高生とすることができるのは同じ高校生である今の時期しかないんだとハッとさせられた。
実際は法律上、未成年同士でもアウトなのだが、現実にそれを取り締まるなんて事はほとんどない。
つまり法律上アウトだけど唯一見て見ぬふりをしてくれる三年間であり、そう考えると確かに高校生活って貴重だ。
俺たちは下駄箱に着き、それぞれ上履きから靴へと履き替える。
俺も履き替えようと下駄箱を開けると、俺の上履きに四角い何かが入っていた。
「何だこれ」
「どうしたの?」
俺のすぐ隣で靴を取り出そうとしている鹿沼さんが、俺の下駄箱を覗き見た。
俺はそのモノを掴み取り出してみる。
「これって……」
見たところ真っ白な洋封筒。
表面には「羽切君へ」と書かれていて、裏面の開け口にハートのシール。
つまりこれは……。
チラリと隣の鹿沼さんを見ると目が合った。
俺は恐る恐るハートのシールを剥がし中に指を突っ込む。
入っていたのは便箋ではなく、名刺くらいの大きさの紙。
そこには丁寧な字で「放課後、屋上で待ってます」と書かれている。
この時期に付き合い始める人が増えるという話をしていた直後にこんなことが起きるとは……。
「おーい羽切、鹿沼さん行くよー」
靴を履き終えた八木が言った。
「ああ、校門で待ってて。少し用事できた」
「わかったー」
「ほら八木君、腕組んで歩こうよ〜」
「戸塚さんっ! 変な噂されるから!」
八木と戸塚さんは楽しそうに会話しながら外へ消えていく。
しかし鹿沼さんはあの二人について行かず俺の横でじっとしている。
「鹿沼さんもあの二人と校門で待ってて」
「嫌だ。私も行く」
「鹿沼さんが来たらおかしな事になるでしょうが」
「バレなきゃいいでしょ」
「まあそうだけども……」
何故そんなに頑ななのかわからないけど、とにかく俺は階段に向けて少々早足で歩く。
屋上で誰かが待っているとして、俺はずっと教室で話してたから結構時間が経っている。
まさかの呼び出しからの告白なんて古典的な方法じゃないだろう。
いやいや、下駄箱に手紙を置いて屋上に呼び出すなんて告白の定番中の定番じゃないか。
階段を上がるにつれてドキドキしてきた。
相手が誰なのかやどう断ればいいか、泣き出したらどうしようとか、そもそも本当に告白なのか? という考えが脳みそをぐるぐる巡り、混乱。
そしていまいち覚悟ができないまま最上階の小さな空間まで来てしまった。
扉を開ければすぐに屋上。
そこには女子がいて、告白されるかもしれない。
何もかもが人生で初めてだし、まさか自分にこんなドラマみたいな日が来るなんて思ってなくて、体が硬直している。
「羽切君?」
俺がただただ扉の前で突っ立っていると、追いついてきたし鹿沼さんが声をかけてきた。
俺は振り返って言う。
「どうしよう鹿沼さん、俺緊張してる」
何故か俺より不安そうな顔をしていた鹿沼さんは、「ふっ」と少し笑った。
そして俺の目の前に立つと手で強制的に後ろを向かされれ、バチン! という鈍い音と共に背中が強烈な痛みが来た。
「痛っ! マジで何!?」
「この扉の向こう側には羽切君よりも緊張した女の子がいるのっ! だからヨソヨソしてないでしっかり断りなさい!」
何で断る前提なんだよと言いたかったが、鹿沼さんの言ってることも一理ある。
一大決心して俺に告白しようとしている女子がすぐそこにいる。
それを変な形で傷つけるのは良くない。
「ありがとう鹿沼さん」
一応お礼だけ言って、俺はドアノブを握った。
「ちゃ、ちゃんと断るんだよ?」
だから何で断る前提なんだか。
それに何で不安そうなんだよ。
そんな思いを胸に、屋上の扉を開けた。
人生初のスズメバチに刺された。
服の中に忍び込んでて、服着たら激痛。
もう長袖着るの怖くなっちゃって中確認しないと着れない体になっちゃった。
みんなも気をつけて。