【84話】 二学期③(SNS)
「羽切君が不良だった事は別に何とも思ってない。だけど鹿沼さんに関しては驚いたよ」
俺は今、織田さんのスマホに釘付けになっている。
織田さんが俺や鹿沼さんの過去を知っていたのは、織田さん自身があの学校の出身だったわけでも、どこからか流れた噂話でもなく、スマホに映し出されたSNSからだった。
「なんだよコレ……」
俺が見ているのはSNSアプリ“トリッター”。
多くの一般人や有名人が日常を自由に呟いたり、今では閲覧数やフォロワー数によってお金を稼ぐ事も可能になった有名なソーシャルメディア。
本来ならば日常をつぶやいたりして反応を楽しむためのツールだが、俺が今見ているアカウントにはその目的を超えたソーシャルメディアの闇のようなものを感じさせる投稿が数多くされていた。
初投稿は二年前。
最初の投稿はただ学校の廊下を歩いているだけの動画。
その廊下の雰囲気は懐かしく、間違いなくあの学校だ。
学校の色んなところで勃発している喧嘩を撮影した後、画面が変わって俺が教壇に立って先生から紹介される動画。
そしてその後にクラスでの喧嘩へと発展。
動画の本数は100本。画像は40枚。
織田さんが言うには動画の最初の50本は学校での喧嘩ばかりが映っているらしく、俺に見せてきたのは51本目からの動画。
51本目の動画には鹿沼さんが映っていた。
保健室で丁寧に不良の怪我を治す、まだトラウマとも発作とも縁の無いない純粋な鹿沼さん。
この51本目の動画をから急激に“いいね”と“ブックマーク”の数が増え始めていて、多分反応を多く受けた事で投稿者は鹿沼さんを基軸に撮影をしようと決めたのだろう。
その後はあらゆる状況の鹿沼さんが映っていた。
保健室で不良の治療をする鹿沼さん。
教室で授業を受ける鹿沼さん。
廊下を歩く鹿沼さん。
帰り道を歩く鹿沼さん。
体操着に着替える鹿沼さん。
そしてトイレで用を達している鹿沼さん。
少しづつ過激な動画へと変貌していき、その度に反応が増え、さらに過激になっていくという悪循環。
そして60本目から先は、教室やトイレ、校舎裏で殴られ蹴られの暴行を受ける鹿沼さんの動画がほぼ毎日投稿されている。
暴行が終わると毎回撮影者は地面で無抵抗に横たわっている鹿沼さんの顔をズームしてその感情のない表情を映したり、スカートをめくってパンツを映したりしている。
動画が後半になるにつれてブラウスとスカートがボロボロになっていき、そんな似合わない服装で廊下をトボトボ歩く鹿沼さんが映ると、ギュッと心臓を掴まれたような苦しい気持ちになった。
そして最後の動画にはーー。
「羽切君の登場だね」
あのトイレでの出来事。
鹿沼さんは水を浴びてベチャベチャな状態。
二人に拘束され、リーダー格がブラウスのボタンを外し、前が露わになっている。
スマホに映し出されている怯え切った鹿沼さんの表情に、俺の心臓はズキンと痛みを感じた。
そして抵抗できない鹿沼さんの濡れて少しグレーになった純白のブラジャーに手を掛け、剝ぎ取ろうとしたその時、俺が登場した。
俺は全員を外に出るように言い、動画は終了。
この動画を見る限り、撮影していたのはあの不良グループのうちの一人。
全部見終わった後も俺は動けなかった。
このアカウントを消すためにどうすればいいか考えていたからだ。
「ありがとう、織田さん」
「え、何が?」
「こんなアカウントがある事教えてくれて」
「いやいや、本番はここからだよ」
「え?」
織田さんはスマホを操作し、そのアカウントの備考欄にあるURLをタップ。
するとその先は外部のサイトに移動した。
サイトの背景色は真っ黒で、“あの子の撮影会しちゃいました♡”というタイトルが中央上に表示されている。
そしてその下には四角いモザイクのかかった画像が10枚表示されていて、小さく1枚1000コインと書いてある。
「これは一体……」
「ここはね、ネット上で色んなものを自由に売れる場所なの。ほとんどの人は自作の漫画とかイラスト、小説を売ってたりするんだけど、たまにエッチな写真とか売ってたりするんだよね。ちなみに1コイン1円」
「このサイトが本番ってどういう意味?」
「それはね――」
織田さんはモザイクのかかった画像をタップ。
すると写真の表示が大きくなり、下に画像が連なった。
織田さんがゆっくりと下へとスクロールしていき、その画像を見た俺は胃酸が込み上げたのを感じた。
「このアカウントの写真を買ってみたらこんなのが出てきたんだよね」
そこには10枚の女の裸。
顔は映っていないが、それ以外の体の部位は全部映ってる。
中にはM字開脚や四つん這いをしている写真すらある。
体格や胸の大きさ、形、ホクロの位置からして写真の人物は全員同一人物。
そしてサイト自体もかなり悪質な構成になっていて、縦にスクロールした時の課金画像と課金画像の間には盗撮したであろう制服姿の鹿沼さんの写真が差し込まれているので、まるでこれが鹿沼さんの裸であるかのような見せ方をしている。
「流石にこれはアウトだろ……」
「まさか鹿沼さんがこんな事してたなんてね」
「いや、これは鹿沼さんじゃないよ」
「アカウント自体は違うかもだけど、この裸の画像は鹿沼さん本人じゃないかな?」
サイトの構成がそうであるように、織田さんも騙されている。
鹿沼さんをよく知らない人が見たら騙されるのも仕方がないのかもしれない。
悪質すぎる行為に、俺は自然と拳を握り締めていた。
「不良の人達に脅されて裸の写真を送っちゃって、それが流出してるんじゃない?」
「それはないな」
「根拠は?」
「体の特徴が違いすぎるよ。胸の大きさも乳首の形も。ヘソも横向きじゃなくて縦向きだし、それに――」
「それって今の鹿沼さんの情報でしょ? 胸の大きさとか乳首の形とかヘソの向きなんて成長すれば変わるし、これが中学時代の鹿沼さんじゃないっていう根拠にはならないよね」
「鹿沼さんの内太ももの付け根には小さい縫い傷がある」
ラブホテルで下着姿の鹿沼さんが寝ているときに見つけた唯一の傷跡。
縫い傷と言っても2cm程のもので、肌の色と同化していてほとんどわからないレベルのもの。
しかしこのアカウントに載っている画像の女にはそんな傷跡が無く、それが鹿沼さんでない証拠になる。
「それもさー、鹿沼さんがこの写真を撮った後に怪我をしたのかもしれないじゃん?」
「……確かに」
「まあでも、鹿沼さんとラブホテルに行った羽切君が体の特徴が違うって言うなら鹿沼さんじゃないんだろうね」
「え、ちょっと待って。何でラブホテルの事知ってるの?」
「ライブハウスで風花にラブホテルの場所教えたの私だし」
「はああ? って事は桐谷さんと同じバンド?」
「そうだよー」
全く気付かなかったが、織田さんは桐谷さんバンドのメンバーらしい。
いや今はそんな事を考えている場合じゃない。
ラブホテルに行ってないと嘘をつくことよりも、そこで何も行われていないと説明する事よりも前にやらなくてはいけない事が山積みだ。
今、俺が直面しているのは鹿沼さんの人生の危機なのだから。
万が一でもこのアカウントが誰かに見つかれば、一瞬で噂が広がっていき、鹿沼さんの評判やブランドはガタ落ちするだろう。
噂程度なら後からどうにでもなるが、実物が拡散されればどんなに人気者で清楚なイメージがある鹿沼さんでも取り返しのつかないことになる。
あの学校みたいなイジメがこの学校で行われる事は無いだろうが、3年間窮屈な高校生活を送らなくてはいけなくなるのは間違いない。
それにせっかく発作もトラウマも克服しようとしているところに、新たなトラウマや心配事を増やすことになってしまいかねない。
「織田さんはどうやってこのアカウント見つけたの?」
「夏休み中に変なアカウント漁ってたらたまたま見つけちゃった」
「そうか」
織田さんは誰かから教えてもらったわけではなく、自分で見つけたらしい。
もし人づてだったらもう身近で広がっているということになるので、とりあえずは安心した。
しかし広まらないようにする為にすぐに対策が必要だ。
「このアカウントは誰にも言わないでくれないかな。もちろん鹿沼さんにも」
「鹿沼さんにも? それはどうして?」
「あんな過去を掘り起こされるのは誰だって嫌だろ。それに鹿沼さんは最近までイジメられていた事を引きずってて、やっと今は前を向き始めてる。それを邪魔したくないんだ」
「へー、意外と優しいんだね。まぁ鹿沼さんには恩もあるし、秘密にしといてあげてもいいかな」
「恩?」
「羽切君たちが来てくれたライブハウスの日はね、私にとって特別楽しみにしてた日だったの。小さい時からライブハウスで演奏して客を沸かせることが夢で、それがやっと叶うって日。だけど運悪く台風だったじゃん? お客さんがほとんど帰っちゃった中で、鹿沼さんはちゃんと残って私達の音楽に乗ってくれてて、すごく嬉しかったんだー」
織田さんは義理堅い人みたいだ。
この学校は偏差値的に高い部類に入る学校だし人としてちゃんとしてる人も多い。
とはいえ俺は織田さんについてほとんど知らないし、それだけではまだ信用していいかも判断できない。
「でさ、これからどうするつもり? 鹿沼さん連れて警察に相談しに行くとか?」
「それも含めて鹿沼さんの母親と相談するよ」
これはもう俺達子供がどうこう出来る問題じゃない。
特に鹿沼さんの写真を使ってエロ写真を売っているという行為は犯罪だし、捕まってもおかしくない。
クズはどこまで行ってもクズ。
そんなクズを退治するのは人間じゃなくて法律。
このアカウントを所有している女が今高校生活で充実していようが、関係ない。
「羽切君はこれからどうするの?」
「できるだけ早くこのアカウントを消すよう動こうと思う」
このアカウントは1年前に“撮影会”を始めたという告知投稿以降、動いていない。
何らかの理由でアカウントを放置しているのかもしれないが、誰でも見れる状態になっている以上、削除必須だ。
アカウントが削除されても情報開示請求は通ると思うし、IPアドレス等を完全に消し去ることが出来るわけではないのだから。
「私も協力するよ」
「いいの? テスト期間中だけど」
「ちゃんと最後まで付き合うよ」
織田さんの協力があるのは正直ありがたい。
俺はSNSを実際に利用したことがないから“トリッター”の基本操作すらも知らないから。
「織田さん、俺にトリッターの使い方教えてくれない?」
「いいよ。まずはアカウント作ってーー」
と、織田さんが解説を始めたところで教室の扉が開かれた。
教室から出てきたのはこのクラスの担任の先生。
「織田さん、授業始まってますよ」
「はーい」
「羽切君も」
「はい」
「それじゃ、後でまた話そ」
織田さんはそう言うと、先生に誘導される形で教室へと消えていった。
夏休みが終わり二学期が始まった初日。
まさかこんな爆弾を抱える事になるとは思ってもなかった。
俺は化学室へ向かいながら、“トリッター”のアカウントを新規作成。
そして化学の授業中に操作を調べながらあのアカウントに辿り着き、投稿されている画像と動画の全てをスマホ本体に保存した。
後は課金画像だが、それは後で織田さんに貰うことにした。
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昼休みになり、俺は織田さんから貰った課金画像と事前に保存した画像と動画。そしてあのアカウントへ飛べるURLを鹿沼さん母に送った。
そして教室の端で織田さんにトリッターの分からないことやトリッターを利用するにあたっての注意点や面白い点などを教えてもらい、自分の席であのアカウントをどうしたら削除できるかを模索。
ずっとスマホに夢中になっていて、ふと視線を上に移すと、俺の目の前に誰かが立っていた。
更に視線を動かしてその人物を確認すると、立っていたのは腰に手を当てて、仁王立ちで俺を見下げて睨んでいる佐切さんだった。
「羽切君......?」
その瞳は明らかに怒っていて、しかし俺は怒らせる事をした覚えがなく困惑。
「ど、どうしたの佐切さん」
「どうしたのじゃないでしょ! 屋上での約束忘れてたでしょ!」
「あっ」
完全に忘れてた。
そういえばそんな話を朝にしてたな。
「あら、佐切さんいらっしゃい」
佐切さんに睨まれて小さくなっていると、鹿沼さんが教室に帰ってきた。
そして俺と佐切さんの横に立つと、不思議そうに俺たちを交互に見た。
「どうかしたの?」
「聞いて鹿沼さん。羽切君が私に無許可で抱きつこうとしたの」
「……はい?」
鹿沼さんもまた、その言葉を聞いて俺を睨みつけてきた。
「ご、誤解だって! ただイギリス式の挨拶をしようとしただけで!」
「海外式って言えば何でも許されると思ってるの? 変態」
「ヤリチン」
これは多分、佐切さんの報復攻撃なのだろう。
俺はその罰を受けるべく、特に言い訳もせずただただ小さくなって昼休みが終わるのを待った。