【80話】 夏休み㊶ (戸塚家)
朝になったみたいだが、瞼が重すぎて持ち上がらない。
太陽の日差しのような光で瞼の裏からでも部屋が明るくなっているにはわかる。
この30分くらいの間に何度も脳がシャットダウンと再起動を繰り返していて、起きるための睡眠は間違いなく足りていない。
昨晩……時間的には今朝だが、俺は鹿沼さんに叩き起こされてホラー体験をした。
弟さんによると戸塚家の人間は夢遊病持ちらしく、それが故に戸塚さんと真里さんはあの時間に家を徘徊していた原因との事。
普段はベッドに取り付けられた手錠でベッドから離れないようにするようだが、真里さんは酔っ払って寝てしまったし、戸塚さんは布団で寝たのでその安全装置が機能しなかったのだろう。
それなら修学旅行の時とかどうするのかと疑問に思ったが、どうやら夢遊病にも薬があるみたいで、外泊の時はそれを飲んでいるらしい。
何度も細かく意識が途切れるが、さすがに人の家で長いこと寝るのは良くないと思い一気に瞼を上げる。
そして眠たさで少しづつ下がってくる瞼が下がり切る前に、身体を起こして窓から差し込む太陽にしっかりと当たり、目を覚ます。
脳が起きてくると共に左頬がジンジンと火傷のような痛みを認識しだした。
これは鹿沼さんにビンタされた痛み。
今まで鹿沼さんの抵抗といえば驚いた声を上げてその場を離れるというものだけだったが、ちゃんと暴力で抵抗できる事を証明してくれてちょっと安心した。
太陽光で睡眠欲をかき消しながら隣で眠る鹿沼さんを見る。
昨日は弟さんの話で安心した後、鹿沼さんからの要求で一緒に寝た。
鹿沼さんはうつ伏せで気持ちよさそうにスゥスゥ寝ていて、何だかその姿にイタズラしたい欲が込み上げてくる。
俺は何をしようか周りを見渡すと、ベッドの上部分に取り付けられた手錠が目に付いた。
それをベッドから取り外し、うつ伏せに寝ている鹿沼さんの腕を後ろに回してその両手首にはめた。
これはイタズラであり、復讐でもある。
昨日変な時間に首を絞められて起こされた復讐。
起きた時にどんな反応をするか楽しみだ。
そんな楽しみを胸に、1階に降りるべくベッドから降りて廊下に続くドアに向かう。
時刻は7時35分になっていた。
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1階に降りると、既に戸塚一家が揃っていた。
長テーブルの奥には戸塚さんと美香さん。手前には弟さん。
「おっはよ~」
「おはよ」
こちらに気づいた戸塚さんが手を振ってきたが、手を振り返す元気もなく弟さんの横に座る。
「友利から聞いたよ〜? なんか怖がらせちゃったみたいでごめんね〜」
「本当だよ。鹿沼さん安心させるの大変だったんだからな」
「ぷはっ、それでどさくさに紛れて景のおっぱいでも揉んだの〜?」
「なんで?」
「だって羽切君、ほっぺに紅葉咲かせてるし〜」
一瞬意味がわからなかったが、ジンジン痛む頬ですぐに理解した。
どうやら俺の頬には鹿沼さんの手形模様がついているらしい。
「揉んではない。唇で軽く挟んだだけ」
俺がそう言うと、隣の弟さんはブッと音を立ててむせた。
その姿を見た戸塚さんはニンマリ笑う。
「友利にはまだ刺激が強かったか〜」
「そんな刺激的なこと言ってないけど」
「いや〜? 景の乳首を唇で挟んだんでしょ〜?」
「ち、ちげえって! 耳を挟んだの!」
「どうかな〜?」
戸塚さんはニヤニヤ顔で朝から興奮中。
確かに戸塚さんは胸の話をしていたのに、いきなり唇で挟んだなんて言ったらそう誤解されても仕方がない。
それにそもそも主語がなかった。
たまに説明不足なのは俺の欠点だ。
「後で家中の監視カメラの録画確認しちゃうよ〜?」
「ご自由にどうぞ」
別に見られてまずいシーンなんて一つもない。
それにここは戸塚家の家だし、その辺のことは戸塚家の人間の自由だ。
「あの、昨日も話したと思うんですが、鹿沼さんと羽切さんは本当に付き合ってないんですか?」
お茶を吹いて今は机を拭いている弟さんがそんなことを聞いてきた。
「付き合ってないよ」
「にしてはすごい親密ですよね」
「まあ、それはそうかもしれない。ってかそんな話昨日したっけ?」
「したよ〜。それに羽切君すごい酔っ払ってて外に逃げ出しちゃったんだよね〜」
「マジかよ」
再度戸塚さんが話に入ってくる。
正直、鹿沼さんとの関係を追求されるのは面倒だったのでありがたい。
「景ったら羽切君連れて帰った後、ずっと興奮してたんだよ〜? 羽切君、景に何したか覚えてる〜?」
「いや......まったく」
「そりゃ残念〜」
昨日は晩飯前に真里さんの提案で先に酔い潰れた方に何をしても良いという条件で酒を飲んだ。
俺は未成年で法律上酒を飲んではいけないが、不良時代に酒も煙草も経験済みだったし、真里さんとの勝負に勝てば何でもして良いという条件は魅力的だったので受けた。
途中からかなり酔ってしまって、結果がどうなったかもわからないし、鹿沼さんと外に出たら事なんてまったく覚えていない。
戸塚さんの言う興奮が精神的にハイになってるという意味なのか、性的な意味なのかはわからない。
もし後半なら俺は酔った勢いで鹿沼さんに何かしてしまったのかもしれない。
だけどそれなら夜中に起こされた時に気まずい感じになると思うけど、鹿沼さんはいたって普通だった。
つまり大した事はしていない。
「はい、どうぞ」
そんなことを考えてると俺の前にお盆が置かれた。
その上にはバターが乗ったパン、卵焼き、赤味噌の味噌汁、シラスのような魚三匹。
「ありがとうございます」
俺はお礼を言ったが、すぐに違和感に気づく。
テーブルの向こう側には戸塚さんと真里さん。隣には弟さん。そして上では鹿沼さんが寝ている。
じゃあ朝ごはんを持ってきたこの人は誰?
俺は顔を上げてその人物を見る。
そこには俺を見下ろしてピースをしている女性。
「初めましてー、この子らの母親でーす」
「は、初めまして。羽切成です」
その人物は戸塚家母だった。
ものすごい若々しくて、元気な人。
「おおっ! 君が羽切君かー。美香からいーっぱい話してきてるよー?」
「そう……ですか」
変な話してないだろうな? という意味を視線にこめて戸塚さんを見る。
戸塚さんは朝ご飯とスマホに夢中で視線は合わなかった。
「鹿沼さんっていう学校一可愛いくて、エロい体した子を焦らしまくって楽しんでるらしいねー」
「ははは、そんなわけないじゃないですか」
「発散する時は私も立ち合わせてくれるー? っていうかその鹿沼さんは今どこにいるの?」
「鹿沼さんはまだ上で寝てます。多分10時頃までは起きないかと」
昨日最終的に寝たのは4時過ぎ。
鹿沼さんがその前にどのくらい寝ていたかは知らないけど、普段から睡眠時間がかなり多い事も考えると早くても10時頃だと予想。
「おはよ......」
「おは〜」
しかし俺の予想に反して後ろから超絶眠たそうな声が聞こえた。
見上げる戸塚母は愕然とした表情をしている。
「友利、今後ろ向いちゃダメだからね〜?」
「えっ、なんで?」
「今景はね、後ろ手で手錠をかけられてて、バスローブはその手錠まで脱げて地面を引きずってる状態だから〜」
「つ、つまり……?」
「全裸って事〜」
全裸。
朝起きて自分の裸が見えていたら、普通は身なりを整えてから人前に出てくる。
しかし今日の鹿沼さんはいつもの睡眠時間をかなり下回った時間しか寝ていない。
普段十分な睡眠時間を取ってても寝起きは猛烈に眠そうなのに、多分今はほとんど意識がない状態で降りてきてしまったのだろう。
戸塚母は体をプルプルと震わして突っ立っていた。
当然だ。
自分の娘の友達が、手錠を掛けられた状態の全裸で階段を降りてきたのだ。
とんでもないイジメが行われていると勘違いしても仕方がない。
戸塚母は鹿沼さんへ向けて「ア…ア…」と動揺しながら歩き出した。
俺は振り向けないので見えないが、多分ちゃんとバスローブを着させてあげるつもりだろう。
「このおっきくて綺麗な胸っ! きめ細やかなですべすべなお肌。うっわぁ太ももも引き締まっててちゃーんとお肉もある。お尻も……うーん最高」
「ちょっ、なんですか貴方は!?」
「羽切君、この子の発散私がしていいー?」
「どうぞ」
「あっ、ちょっと、ダメですっ! ああっ! どこ触ってるんですかっ!」
ドタドタと階段を駆け上がる音。
鹿沼さんは手を手錠で拘束されているので、抵抗虚しく逃げたのだろう。
「あーあ、逃げられちゃった」
戻ってきた戸塚母は興奮9残念1の表情。
後ろで何が行われていたかはわからないけど、とにかく分かった事がある。
戸塚家のド変態DNAはこの人から散らばったものだ。
俺が転校した後も鹿沼さんは戸塚家と関わる。
そのつもりでいたのだが、何だか不安に感じた朝だった。
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「手錠外してくれないと食べれないんだけど?」
鹿沼さんは頬を膨らませて不機嫌な様子。
その不機嫌の矛先は俺。
じっとりした瞳で見つめられていて、なんだか怖い。
「じゃあ私が食べさせてあげましょうかー」
「あなたは嫌です」
鹿沼さんにキッパリ断られ、シュンとなる戸塚母。
戸塚さんや真里さんは断られてもシュンとはならないので、何だかちょっと可愛い。
というか鹿沼さんは初対面なのによく嫌とか言えるものだ。
もしかするとこの人が戸塚母というのに気づいていないのかもしれない。
「羽切君?」
左隣からの視線を回避していたのだが、名前を呼ばれたので仕方なく振り向く。
「何?」
「手錠外して?」
「またビンタされそうだからヤダ」
「ビンタしないから外して?」
俺は強気な姿勢の鹿沼さんにグッと顔を近づける。
すると鹿沼さんは目を大きく見開いて驚いた。
位置をずらせば鼻先があたる近い距離で鹿沼さんの瞳を見つめる。
「な、何?」
「ビンタしないから手錠を外してください……だろ?」
俺がそう言うと、鹿沼さんは再度ムッとした。
「ビンタしないので、手錠を外してください」
「残念。鍵ないから無理」
「バカっ!」
そんな会話をしていると、テーブルの戸塚一家がクスクスと笑った。
何だか笑われて恥ずかしくて、鹿沼さんと少し顔を下げて笑いが治るのを待った。
「美香の言ってた通り、物凄い仲良しなのねー」
リビングはふわふわした空気になって和んだが、やっぱり顔を上げて一人一人の表情はまだ見れない。
そんな事をしていると、ガチャンンンーという音が鳴り響いた。
「あっ、お父さん帰ってきたみたいねー」
戸塚家の主人。
その言葉を聞いて一気に緊張が走る。
顔を上げて鹿沼さんを見ると、同じく緊張した瞳と目が合った。