【69話】 夏休み㉙ (夏祭り)
夜になった。
窓の外は真っ暗だが、祭りらしい太鼓の音がドンドンと振動が室内まで響き始めている。
母さん達は臨時の仕事を終えて帰ってきてから20分が経った。
俺はリビングで男用の浴衣を母さんに着付けしてもらい、鹿沼さんは鹿沼さん母に俺の部屋で着付けしてもらっている。
男の俺は5分程で着付けが終わったのだが、鹿沼さんは20分経っても出てこない。
やはり女性の方が浴衣に着替える上で色々と気を遣わないといけない事が多いのかもしれない。
俺は暇だったので、姿見で自分の姿を確認してみる。
真っ黒なベースカラーに白色の千羽鶴が漂っているようなデザインの浴衣。
最初見た時は子供っぽいかと思ったが、こうやって着付けてみると結構しっかりしていて全然普通だ。
「成くーん?」
名前を呼ばれたので俺は自分の部屋の前に立つ。
すると扉が開かれた。
中から出てきたのは浴衣姿の鹿沼さん。
白赤青黄のベースカラーに錦鯉が泳いでいるデザイン。
そしていつもは肩甲骨くらいまである黒と銀の髪の毛が今はアップになっていて、後頭部で結ばれている。
どんな構造になっているかわからないけど、三つ編みにした後に後ろで上手くまとめているような髪型。
両方のこめかみから流れる銀の髪だけがゆらゆらと揺れていて、何故かその動きを目で追ってしまう。
「……どうかな?」
衝撃的に可愛いし、綺麗だ。
髪をアップにしているからなのか、何だか少し大人っぽくなっていて色っぽい。
胸も帯で押し上げられていて、浴衣を大きく膨らませている。
「すごく綺麗」
「ありがと」
親のいる前でこういう事を言うのは何だか恥ずかしい。
チラリと後ろにいる鹿沼さん母を見ると、ニヤニヤ何か言いたげにこちらを見ていた。
何だか嫌な予感がする。
「まさか下着してないとかじゃないですよね?」
「どうかなー?」
「どうかなって、透けますよ?」
浴衣というのは大昔は寝る時に着ていた着衣で下着を着ていなかった。
それに寝間着として使われていたので風通しを良くするために生地は薄く、内側に濃い色の下着を着ていると、明るい場所では透けてしまう。そして当然何も着ていなければ肉体が透ける可能性は十分にある。
「そんなに心配なら触って確かめてみたら?」
なんでそんな遠回しな事しなきゃいけないんだ?
してるかしてないかを言えばいいだけなのに。
しかしまあ確かめる必要はありそうだ。それにお触りの許可も得たし男として触らないわけにはいかない。
「それじゃ、遠慮なく」
「えっ」
驚きの声をあげたのは鹿沼さん本人。
親の許可は得たけど鹿沼さんの許可は得ていない。
それでも俺は人差し指を立てて浴衣を押し上げる鹿沼さんの胸をツンと一刺しした。
柔らかい肌が少し反発しながら凹んで離すと元に戻る。
チラリと鹿沼さんを見ると、声を出さないよう我慢している様子。
「景が男の人に胸触られてる」
鹿沼さんの後ろにいる母親は何やら嬉しそうにキャッキャしている。
「下着は着けてるみたいですね」
「あ、当たり前でしょ!」
「でもちょっと張ってない?」
「なっ」
鹿沼さんの顔がかぁーっと赤くなった。
前に触った時より弾力が無いように感じたから聞いてみたのだが、もしかして良くないことを言ってしまったのだろうか。
「景は成君に胸の柔らかさまで把握されちゃってるのね」
「そ、そんな訳ないでしょ!?」
「張ってるっていうのは本当?」
「それは……本当」
本当に張っていたらしい。
前に保健室の先生に保健体育の教科書で少し授業をしてもらった時、女の子の日について学んだ。
人によっては胸が張ったりするとも言っていたので、もしかするとその日が近いのかもしれない。
最後に鹿沼さんが女の子の日になってから26日が経っていて、確か保健体育の教科書では大体28日周期でその日が来ると書いてあった。
ただそれには個人差があって……。
そこまで考えて思考を停止する。
女子の生理周期なんかを計算してる自分が気持ち悪いと思ったからだ。
「あの日が近いから張ってるって事よね?」
「うん」
一応、確認のためのなのか鹿沼さん母が聞いた。
胸が張っているという事で病気の可能性もあると思ったのかもしれない。
「成、景ちゃん。相当混雑してるみたいだから気をつけなさい」
俺の後ろに立つ母さんが俺の肩に手を乗せて言った。
そして母親二人に軽く押されながら玄関まで歩く。
玄関には見慣れない履物が二つ用意されていた。
一つは下駄で一つは雪駄。
「景ちゃんが下駄で成が雪駄ね」
「こんなのまで用意してたのかよ」
俺は雪駄を履いて先に玄関を開けて玄関を振り返る。
鹿沼さんは玄関で座ることなく下駄に足を通してカランカランと何だか夏っぽい音を立てながらこちらまで歩いてきた。
「成君、景、こっち向いて」
そう言われて玄関の方を見ると、母親二人がスマホをこちらに向けていた。
「ほら、手繋いでよ」
鹿沼さん母がそう言うと、鹿沼さんから手を握ってきた。
鹿沼さんの手は温かいけれど震えている。
「チーちゃん、私達も行かない?」
「若者の青春を邪魔しちゃ悪いでしょ」
「いやいや、子供達とは別に二人きりで」
「あなたもまだまだ子供ね」
わくわくの表情を浮かべている鹿沼さん母はぷくーっと頬を膨らませた。
「それじゃあ、いってきます」
「いってらっしゃーい。楽しんできてねー!」
俺は母親二人を家に残して、玄関の扉を閉めた。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
この地域の夏祭りはかなり盛大だ。
駅から海までの真っすぐの道路が封鎖され、左右に屋台が並んでいる。
右側の2車線は海へと歩く人用で左側の2車線は駅側に戻ってくる人用になっていて、グルグルと屋台を回れるようになっている。
「ねえ、何食べる?」
人の流れに乗って歩いていると、鹿沼さんが聞いてきた。
腕を伸ばせば誰かに触れてしまうくらい混雑しているし、左右の屋台のほとんどが何かを焼いているので空気が熱い。
「お腹すいたの?」
「実はかなりすいてる」
「じゃあ何か食べようか」
鹿沼さんは何だか楽しそうだ。
そういえば夏祭りが近所で開催されたのは中2の京都にいた時以来。
しかしあの地域では不良が多くて、俺が行ったときはすぐに喧嘩になったし、鹿沼さんは当然行かなかっただろう。
そう考えると久々に祭りというものに参加しているような気がするし、気持ちが高揚するのもわかる気がする。
歩けば歩くほど違う食べ物の屋台が出てくるので鹿沼さんは食べたい物を決めきれない様子だ。
しかししばらく歩いていると、グイッと引っ張られてそのまま屋台の前に出た。
「とりあえず焼きそばかな。ナル君も食べる?」
「もちろん」
少し歩いた影響と常に食べ物の良い匂いが充満しているため俺もお腹が減ってきていた。
しかし買うのは良いのだが、問題はどこで食べるかだ。
路肩で座って食べている人もちらほらいるけど、それは何だか違う気がする。
そういえば少し先の道を外れたところに小さな公園があったはずだ。
もしかすると人がいるかもしれないけど、路肩で食べるよりは随分とマシだと思う。
俺達はお会計を済ませて焼きそばが2つ入った袋は俺が持った。
そしてその後も次々と屋台で食べ物を買い、今度は俺が鹿沼さんの手を引っ張っぱって人の流れから抜け出すよう誘導する。
そして路肩の人の流れの無い場所に出ると、鹿沼さん不思議そうにこちらを見た。
「どうしたの?」
「いや、ここで抜け出さないと公園に行けないから」
「公園?」
「路肩で食べるより公園で食べた方が落ち着くと思って」
「ああ、なるほど」
納得してくれたみたいだ。
俺は鹿沼さんを手を引いて祭りの本道を外れて脇道に入った。
脇道には祭りの明るい雰囲気とは真逆で、暗くて不気味な雰囲気漂っている。
「この辺に公園なんてあったっけ?」
「小さい公園があったはずだよ」
「公園に連れてこうと見せかけて変な所に連れ込もうとしてないでしょうね?」
その疑問にはわざと沈黙で返した。
そして手を引っ張って不気味な暗闇の中へと歩き出す。
「ちょ、ちょっと!? 本当に変な所はダメだからね!?」
「……」
「何か言ってってば!」
しばらく何も言わずに歩いてみたのだが、公園が見当たらなかった。
もしかすると何ブロックか間違えてしまったのかもしれない。
気づくと辺りは真っ暗で祭りの太鼓の音は聞こえるけど、人通りは全く無い空間にいた。
夏の夜で暑いはずなのに、ここだけ空気がひんやりしていて、異世界に飛ばされた気分だ。
何となく雰囲気に気圧されていると、右腕が柔らかい何かに包まれたので見ると鹿沼さんが抱きついていた。
「せっかくの着物が着崩れしちゃうよ?」
「だ、だって不気味で怖いんだもん」
「分かった分かった。一回戻ろう」
俺が想定していた場所に公園がなかったので戻るしか無い。
しばらく来た道を歩いていると、先の方に薄らと公園らしき場所が見えた。
さっきは脇道に入って左を歩いたのだが、どうやら公園は右側にあったらしい。
とりあえず近くに行ってみると、これまた不気味な公園が現れた。
いくつも街灯があるにも関わらず、実際に光を放っているのはその内一つで、パチッパチッと不定期に暗くなったり明るくなったりを繰り返している。
当然切れかけの街灯一つでは十分な光を提供できておらず、その真下にあるベンチ以外は真っ暗。
遊具やベンチには誰一人おらず、ポツンとただ存在しているだけの公園に少し身震いした。
「やっぱ違う所で食べようか」
「ううん、お腹もすいたしここでいいよ」
怖がっているはずの鹿沼さんがそんな事を言うので、チラリとその表情を確認する。
恐怖で何となく引き攣っていたが、それ以上に悪戯な表情になっている。
どうやら俺が少し怖がっているのが鹿沼さんに伝わってしまったみたいだ。
俺たちは切れかけの街灯の下にあるベンチに座り、買ってきたものを開封する。
たこ焼きやら焼きそばやら定番メニューの他にも魚の塩焼きや五平餅のような物まで随分と買ってしまったみたいだ。
真っ暗になったり灯りに照らされたりを繰り返しながら飯を食うなんて初めての経験だ。
ホラー映画とかだったら暗くなった瞬間だけ誰かが立っているのが見えて、きゃー! みたいなシーンだろう。
「ナル君、ありがとう」
脳内でホラーシーンが再生されて内心びびっていると、隣から感謝された。
隣を見ると、たこ焼きと焼きそばを食べ終わった鹿沼さんと目が合う。
「どうしたの? 急に」
「ナル君と一緒じゃなかったら、今頃こうやってお祭りに参加したりできなかった」
「いいよそれくらい」
「それだけじゃない。お泊まりだったり、デートだったり、水着選んでもらったり、海行ったり……キスしたり――。ナル君と関わってから色んな初めてを経験させてもらってる」
「それは俺も同じだから、お互い様だよ」
鹿沼さんが初めてだと思ってることは基本的に俺にとっても初めてのことだ。
同類で人生の経験値もほぼ同じ。
でも最近になって思う。
鹿沼さんと関わってから色々経験したが、現段階で既に一般的な高校一年生が経験したことがある項目を超えているんじゃ無いかと。
俺達はもう、普通を超えてしまったのではないか?
前にネット記事で見たのだが、20代独身男性の40%がデート経験が無いらしい。
という事は高校一年生の段階でデート経験がある割合は相当低い。
ましてや、ラブホテルで一泊したり、キスしたりなんてのは相当少数なのでは無いか?
「これからも一緒にいてくれる?」
質問というよりも懇願に近かった。
鹿沼さんは何だか寂しそうな表情でこちらを見ている。
瞳の奥には不安の色。
いつかこの関係に終わりが来る事をどこか心の隅で感じているのかもしれない。
「ああ、できる限りは」
俺は曖昧な答えを返した。
夏休みはもう終わりが近い。
再度学校生活が始まれば時間が過ぎるのも早いだろう。
夏休みにできることはしておきたい。
俺にとって日本で最後の長期休暇なのだから。