【59話】 夏休み⑲ (ライブハウス)
不定期投稿なう。
今日は鹿沼さんとライブハウスに行く日。
しかし3日前から天気予報では台風が近づいているという情報を発信しており、正直中止になるかもしれないと思っていた。
テレビに映し出されている台風経路図では完全に俺達の地域とライブハウスのある地域は台風のど真ん中に位置している。
今日の夜20時頃から台風の雨風の影響が出始めるらしく、桐谷さん達は18時から演奏が始まるので行くか行かないかの判断は難しい。
ライブハウスのある駅までは電車で1時間程。
そして鉄道会社の出している事前情報では、台風の影響で20時30分が今日の最終便になると書いてあった。
つまり帰ってはこれる。
「台風どうかな?」
「うわっ!?」
そんな事を考えながらソファーでゆったりとしていると、突然人の声が耳元で聞こえてビクッとなった。
チラリと横を見ると鹿沼さんの顔が至近距離にあり、ソファーの後ろから体を乗り出してまじまじと俺の顔を見ている。
「びっくりしたでしょ」
鹿沼さんは悪戯に笑う。
その無邪気さを含んだ笑顔に心臓が一瞬、高鳴った。
「いつ入ってきたの?」
「たった今」
「鹿沼さんだったらいつでも俺の事暗殺できるね」
「暗殺してほしくなったらいつでも言ってね?」
「言っちゃったら暗殺にならないだろ」
「ふふっ、そうだね」
鹿沼さんは前かがみの体勢から立ち上がり、俺の横に座った。
「台風が来てるけど、今日どうする?」
「桐谷さんのライブは18時からでしょ? 最寄りの駅まではここから1時間弱で着けるし、さっき調べたら電車は20時30分まで動いてるらしいし、羽切君が良いなら行きたいな」
どうやら鹿沼さんは鹿沼さんで調べていたらしい。
鹿沼さんが行きたいのなら、行こう。
「台風でやってなかったりしてな」
「さっき桐谷さんに聞いたら台風でもやってるってさ」
「ライブする側も大変だな。お客さんもあまり来ないかもしれないし」
「私達だけだったらどうする?」
「それはそれで面白いかも」
時間は午後15時。
電車に乗るのに後1時間半は時間がある。
「コーヒー飲む?」
「うん」
俺はキッチンに行ってコーヒーメーカーでコーヒーを作り始めた。
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ライブハウスの最寄り駅で降りると、雨が降り始めていた。
俺達は駅から徒歩で10分程歩いてライブハウスの前で立ち止まる。
「ライブハウスって地下にあるんだ……」
鹿沼さんはライブハウスに来るのが初めてみたいだ。
俺もこれで2度目なのでベテラン顔は出来ないが、ドラムをやっていた身としては地下にないと騒音問題で大変なことになるだろうなと想像できる。
「ほら、行くよ」
「うん」
かなり急な階段を一歩一歩安全に降りる。
階段が雨で濡れているというのもあって降りるのが意外と怖い。
もし滑って落ちたら病院行き確定だ。
なんとか時間をかけて一番下まで降り、扉の前に立つ。
すると中から楽器の振動が伝わってきて何だか緊張してきた。
音楽をやっている人からすれば、ライブハウスに行くというのは普通の事かもしれないが、一般人の俺からしたら少しディープな場所に行くんだという緊張感がある。
「羽切君」
「うん?」
「私、ちょっと緊張してきたかも」
「大丈夫、俺もだから」
俺はライブハウスの扉の取っ手を握って、鹿沼さんの顔を見る。
「行くよ?」
「うん」
そして扉を開くと籠っていた振動と音が一気に解放されて、内臓と鼓膜がズンズンと大きく振動するのを感じた。
中に入ってまずは受付に向かう。
俺がチケット2枚と1000円を受付のお姉さんに渡す。
1000円というのはドリンク台で、二人分なので1000円。
ライブハウスでは受付で最初にドリンク台を払うのがセオリーなのだ。
受付のお姉さんからプラスチックのコイン2枚を受け取り、1枚を鹿沼さんに渡す。
すると鹿沼さんは俺の耳に口を近づけてきた。
「このコインは何?」
「あそこにあるドリンクコーナーでこのコインと交換でなんでも1杯飲めるんだよ」
「へー、無料で飲めるんだ。すごいね」
「無料じゃないよ。さっき払った1000円の中に二人分のドリンク代が含まれてるんだ」
「あっ、そうだったんだ。後で返すね」
「ちなみに交換はいつでもできるから、今飲んでもいいし帰りに交換して飲みながら帰ってもいいって感じ」
今演奏しているバンドの楽器の音や振動、ボーカルの声で顔を近づけてお互いの耳元で話し合わないと会話ができない。
どうやら今演奏しているバンドは人気らしく、台風が近づいているにも関わらずかなりの人がステージ前でリズムに乗っている。
俺達がライブハウスに入って20分ほどでその人気バンドの演奏が終わり、一度部屋が明るくなる。
ライブハウスの演奏者と演奏者の間には20分ほどの休憩時間がある。
それは次の演奏者の準備時間が必要というのもそうだが、同時に会場内が少し忙しくなるというのも理由の一つだろう。
前のバンドを見に来た人が終わって出て行ったり、逆に次のバンドを見に来る人が入ってきたりと会場内がざわつき始めた。
こういう風に客が移動するというのも20分休憩が設けられている理由なんだと思う。
「ついに次だね」
「ああ。最前列に行く? それともここでいい?」
「う、うーん」
先ほどの人気バンドが終わり、客の数はかなり減った。
恐らく台風の影響もあって、本来残っていたであろう客も帰ってしまったり、来るはずだった客が来なかったりしているのだろう。
「最前列においでよ」
突然背後から話しかけられ、振り返ると桐谷さんがそこにいた。
深めにキャップをかぶって、バンドTシャツのようなものを着ている。
「桐谷さん!」
「鹿沼さん来てくれたんだね」
桐谷さんは一瞬俺に視線を送って、再度鹿沼さんと向き合った。
「お客さん、今日は少ないなー」
「そんな事ないと思うけど」
「鹿沼さん達も大丈夫? 既に大雨洪水警報出てるけど」
「えっ」
鹿沼さんはスマホを取り出した。
俺もスマホを取り出してネットニュースを見る。
すると確かに大雨洪水警報と真っ赤な文字で表示されていた。
ライブハウスという防音施設の中にいるので、全く気付かなかったが台風の進行が予定よりもだいぶ早いみたいだ。
そして重要な鉄道会社の情報。
現在の時刻は17時55分で既に電車は運休になっていた。
「電車も動いてないみたいだな」
「えっ!? どうしよう……」
家から電車で一時間の距離の知らない土地に取り残された感覚に襲われたのか、鹿沼さんは不安げだ。
俺も今までの人生でこんな事になったのは初めてだが、別に焦る程の事じゃない。
海外だったら焦りまくるだろうが、ここは日本だし、言葉も通じる。
それにこの辺はかなり栄えた場所で、カプセルホテルだったり最悪ネットカフェとかを探すのは容易だと思うし。
「鹿沼さん」
「はい?」
「桐谷さんのライブ終わったら、ホテル行こうか」
「えっ、えええっ!?」
驚きの悲鳴をあげたのは、桐谷さん。
「そっか。ホテルって選択肢もあるんだ」
「明日の朝も電車は動かないみたいだから、鹿沼さんが良ければホテル行くのどう?」
「うん。ホテルがいい」
「じゃあ終わったらホテル探ししようか」
「わかった」
鹿沼さんの了承を得たところで、桐谷さんを見る。
桐谷さんは顔を赤面させて目を丸くしていた。
「桐谷さん大丈夫?」
「あえ!? だ、大丈夫だけど!?」
「もうすぐ18時になるんだけど」
「あっ……」
時刻は4分進んで17時59分。
客は俺達含めて8人しかいない閑散としている。
先ほどまでは40人ほどいたので、だいぶ減ってしまった。
「お客さん少ないけど、全力でやるから見ててね」
桐谷さんはそう言うと、ライブハウスの“関係者以外立ち入り禁止”の文字の入ったドアの内側へと消えて行った。
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桐谷さんのバンドが今日のライブハウスのラストだったらしく、演奏が終わると10分以内に退場するように言われた。
俺達は受付でもらったコインとドリンクを交換して、ライブハウスの後ろの椅子に座っている。
ライブ中、鹿沼さんは桐谷さん達の音楽に体全体でリズムをとっていた。
跳ねる胸、ふんわりと動く黒と銀の髪。時折ステージに向けて腕全体を横に振って桐谷さん達を鼓舞していたり。
人があまりいないという事もあってか、思う存分楽しんだという感じだ。
そうやって普段とは違う活発な鹿沼さんに俺は釘付けになっていた。
やっぱり鹿沼さんは魅力的だ。
それに加えて今日は音楽に乗るという野性的な部分も見ることができて、俺も何だかドキドキしている。
演奏中は実際に心臓が鳴っているのか、ドラムやベースの低音による振動が心臓の音と勘違いしているのかわからなかったが、演奏が終わってもしばらく高鳴っていたので、前者だろう。
「汗かいちゃった」
鹿沼さんはてへへと笑って黄色い色をしたドリンクを吸い上げた。
俺も途中から立ち上がって鹿沼さんの隣でリズムに乗っていたので、体が熱い。
「私達の演奏どうだった?」
“関係者以外立ち入り禁止”の文字の入ったドアから出てきた桐谷さんは俺達と同じように椅子に座って言った。
「すごく良かったよ!」
「それは良かった。さっき裏で皆と話してたんだけど、皆鹿沼さんに感謝してたよ」
「感謝? 私に?」
「うん。すごく乗ってくれてテンション上がったってさ」
「そっか」
鹿沼さんは何だか恥ずかしそうに俯いた。
『もうそろそろ退場お願いします』
ライブハウスの係員のような方が俺達に近づいて言ってきた。
「わかりました」
俺と鹿沼さんは立ち上がる。
「そうだ羽切君、皆に良い感じのホテルないか聞いてみたんだけどね、ここを出て左の道をまっすぐ歩いた右側にあるみたいだよ」
「おお、良い情報ありがとう」
「それと……」
桐谷さんは俺の肩に腕を回し、鹿沼さんに聞こえないような声量で言った。
「今夜は思う存分、野生になっちゃえ」
「……?」
どういう意味かよくわからない。
しかし桐谷さんの表情を見ると、何だか不安が込み上げた。
口元はニヤニヤしていて、目元は戸塚さんが興奮している時にそっくりだ。
「それじゃ、またね鹿沼さん」
「ばいば~い」
鹿沼さんから初めて聞くやんわりした、バイバイという言葉。
その言葉を聞いてニヤリと笑った桐谷さんは、後ろ向きでひらひらと手を振って、再度“関係者以外立ち入り禁止”のドアへ消えて行った。
井上尚弥うおおおおおおおおおおおおおお!
今年中に2階級統一王者になるのか!?!?!?!?
300年あるボクシングの歴史上、初だぞ!?!?
とまぁ、興奮した日となりました。