【48話】 夏休み⑧ (遊園地)
上空で孤立して10分程経っただろうか。
未だに救助される気配はない。
鹿沼さんと絡みつく手も夏の気温と体温、緊張によって熱がこもり、手汗でべちょべちょだ。
鹿沼さんは今も瞼を強く閉じて静かに耐えている。
「景、ちょっと話さない?」
「話す?」
「ほら、話してれば少しは恐怖が和らぐかなって」
「いいよ」
俺から提案したとはいえ、特に話す話題が思いつかない。
色々考えた結果、今日のこれからの事を話すことにした。
「今日の晩御飯どうしようか」
「晩御飯まで生きてるかわからないでしょ」
「……」
どうやら恐怖でネガティブになっているみたいだ。
せっかく考え抜いて話題を提供したのに一瞬でおじゃんになってしまった。
「景は今日で死ぬと思ってるんだ?」
「……かもしれないでしょ」
「じゃあさ、今日死んじゃうとして後悔はない?」
「うーん」
しばらく考える素振りを見せて、再度口を開いた。
「後悔が無いことに後悔があるかな」
「なんじゃそりゃ」
「美香の将来の夢は美容師なんだってさ」
いきなり話がそれたような気がするが、話せるなら話題は何でもいい。
「でね、私の将来の夢って何だろうって考えたんだけど全然出てこないの」
「俺も今のところ将来の夢なんてないけどな」
「でもやっぱり、将来の夢を持って生きた方が良かったのかなとか今死に際になって後悔してる」
「なるほどね」
話は別にそれてはいなかったみたいだ。
要は将来の夢を持つことなく、毎日を過ごしてきた事に後悔をしているという事か。
でも誰もが将来の夢をもって生きてるわけじゃない。
人によってはその日一日を生きるのに必死な人だっている。
俺だって小中学校の時は人の顔色を窺ったりして、毎日を生きるのに必死だった。
俺達みたいな境遇の奴は将来の夢はできにくいと思う。
「まぁ、将来の夢なんて今から探しても間に合うだろ」
「死んじゃうのに?」
「死ぬと思うなら、最後にこの夜景見た方がいいぞ」
「夜景……?」
「目を開けて見なよ」
鹿沼さんは一度、俺の手を強く握った。
そしてゆっくりと目が開かれて、俺と目が合った。
真っ暗な夜のジェットコースターの上空。
俺と鹿沼さんを照らしているのは地上のライトアップではなく、空に浮かぶ月の光。
ピューピュ―吹く温かい風に乗って鹿沼さんの匂いが俺の鼻腔にまで届いた。
そんな状況で恋人繋ぎで、見つめ合っている。
鹿沼さんの瞳は緊張からか泳いでいて、まるでクローズアップされたドラマのワンシーンのようだ。
もしこれがドラマで、ジェットコースターのトラブルじゃなくて観覧車の上だったらキスをしてエンドを迎えるだろう。
「ねえ、ナル君」
「うん?」
「キスしようか」
「……」
恋人キャラをしているが、キスはさすがにいきすぎだ。
まさかドラマのワンシーンのようだと思っていた矢先に鹿沼さんからそんな要求が来るとは思ってもいなかった。
しかしもしもこれが本当の彼女だとして、彼女がキスという恥ずかしい要求を頑張ってしたのに、男の俺が断るのは恥をかかせることになるのではないだろうか。
それに鹿沼さんもこれが恋人キャラであることはわかってるだろうから、本当にキスはしないだろう。
「いいよ」
そう言うと、鹿沼さんは俺の方に体を寄せてきた。
安全バーがあるのであまり体を移動させることはできないが、それでもキスをするくらいの距離は近づける。
俺はキスの仕方なんてわからないけど、とりあえず顔を近づける。
すると鹿沼さんも顔を近づけてきた。
顔が近づくにつれて、鹿沼さんの瞳が大きく揺れているのが見えた。
どこかのタイミングでいつものように「なんちゃって」と悪戯な顔で言ってくると思っていた。
しかし鼻先が付きそうな距離になっても全くその気配が無い。
心臓が痛いほど高鳴っている。
それでもどこかで鹿沼さんが止めるのだと信じて、さらに近づける。
鹿沼さんの唇に触れるか触れないか小さな呼吸すらも感じれる距離まで来ても止めようとしない。
これ以上近づいたら本当にキスしてしまう。
これは鹿沼さんから要求してきたことだ。
後で怒られるなんてことは無いと信じている。
それにキスがどんな感じなのかという興味もある。
俺は限界の距離を更に縮めて、鹿沼さんの唇に触れ――。
『大丈夫ですかー!』
突然の大声にビクッと動きが停止した。
ドラマの世界から一気に現実に戻された気分だ。
鹿沼さんの呼吸を唇に感じながら、俺はゆっくりと顔を離す。
鹿沼さんは赤い顔でうっとりとした表情をしていて、俺と目が合うとすぐに逸らした。
息も少し荒いし握ってる手が物凄く熱い。
「夜景、綺麗だね……」
そしてさっきまでの出来事から気を逸らすかのように夜景を気にしだした。
「そ、そうだね」
俺も顔が熱くなっていたので、夜景に視線を移す。
さっきまでの事を無かったことにしようとしてる鹿沼さんに乗った形だ。
地上の園内は綺麗にライトアップされている。
特に遠くに見える観覧車の輪郭を彩られた赤・青・黄の光や、さらにその奥にそびえ立つビルの部屋光が幻想的で美しい。
しばらく夜景を見ていると、カンカンカンと何かが近づいて来る音がした。
『皆さん、大丈夫ですか!?』
見ると、ジェットコースターの線路の横側にある鋼鉄の階段にオレンジ色の服とヘルメットをした人が5人立っていた。
救助隊の人だと確信した俺は、大きく胸を撫でおろした。
『皆さん聞いてください、今から先頭の方から降りていただきます』
どうやらやっと救助されるらしい。
俺は救助隊の言う事にしっかりと耳を傾けた。
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結論から言うと、上空で止まっている状態よりも自分の足で降りている方が怖かった。
足を踏み外せば死ぬような高さで鉄骨の階段を一歩一歩降りるのだ。
当然命綱はあるのだが、それでも足や手が猛烈に震えて感覚がなくなっていた。
そして長い時間をかけて地面に足をつけると、安心からか腰が砕けそうになった。
俺で腰が砕けそうなのだから、鹿沼さんは間違いなく砕ける。
俺の次は鹿沼さんが降りてくるはずなので、振り返ってその到着を待った。
そして一歩一歩着実に降りてくる鹿沼さんが遂に地上にたどり着いた。
その瞬間、腰の姿勢が崩れて倒れそうになったので俺は腰に腕を回して支える。
やっぱり怖かったのだろう、足ががくがく震えている。
「歩ける?」
「……うん」
俺は鹿沼さんの腰を支えながら歩き出す。
「お兄ちゃん!」
すると絵麻が駆け寄ってきた。
「いやあ、とんだ災難だったわハハハ」
「笑い事じゃないって! 心配したんだから!」
「ごめんごめん」
絵麻はふくれっ面になった。
「ごめんね絵麻ちゃん、待たせちゃって」
「そんなの全然いいって! それより無事でよかったよ」
絵麻はそう言うと、鹿沼さんに抱きついた。
鹿沼さんは絵麻としばらく抱擁して安心したのか震えが収まり、俺の腕を必要としなくなったので支えるのをやめた。
「てか、今何時?」
「もう20時だよ」
「えっ、俺ら一時間近くもあそこにいたの?」
「そうだよ」
絵麻は鹿沼さんの首筋に顔を埋めながら言った。
俺達が乗ったのは多分18時50分ごろだったと思う。
つまり1時間10分上空にいたわけだ。
そしてここは19時に閉園となっている。
「帰るか」
「そうだね」
俺達は出口に向かって歩き出す。
「上で止まってる間、何してたの?」
「まあ話をしてたくらいかな」
「ずっと恐怖感あって楽しかったでしょ」
「お前と違って一般人はそういうので楽しめないんだよ」
「ふーん」
絵麻は俺の横から離れて、左の鹿沼さんの横についた。
「鹿沼さん、顔真っ赤だけどどうしたの?」
「へっ? そ、そうかな?」
「やっぱり怖かったんだね」
「そ、そう。怖かったの」
「もしかしたら明日のニュースとかに載るかもね」
絵麻は上空での出来事を知らない。
まさか上空50mのジェットコースタートラブルの間に俺達がキスをしようとしていたなんて想像もつかないだろう。
それよりも鹿沼さんの一連の行動が何だったのかよくわからない。
いつもだったら悪戯な顔で「なんちゃって」と言うはずなのだが、結局そのセリフも表情も見ることができなかった。
もしあの瞬間に救助隊の声が無かったら、俺達は本当にキスをしていた。
そのことについて鹿沼さんはどう思っているのだろうか。
そしてそれを女性に聞くのはデリカシー的に大丈夫なのだろうか。
何にせよ、この疑問は保留にすることにした。
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目を覚ますと、前に座る絵麻と目が合った。
帰りの電車内はガラガラで、俺達が乗っている車両には俺達含めて10人程度しか乗っていない。
「おはよう」
「よく寝ずにいられたな」
「明日朝に帰るから、今日の夜寝れないと困るし」
絵麻とは明日でお別れ。
次にいつ会えるかわからないけど、イギリスに行く前に一度会えて良かったと思ってる。
久々に会ったというのに特に気まずい感じもなく、お互い少しは成長したからなのか、むしろ一緒にいて楽しかった。
「次はイギリスに行くんだね」
「みたいだな」
「そしたらまたしばらく会えないね」
「さすがにイギリスじゃあ無理だろうな」
絵麻は足を組んで、スマホをいじりだした。
「私も来年一人暮らししようかな」
「父さんが一人で悲しむぞ」
「そこは説得次第でしょ」
引っ越しはそんな簡単じゃないと思うのだが。
父さんにも仕事があるだろうし。
「私、お兄ちゃんの学校の入試受けようかな」
「……は?」
「ほら、鹿沼さんとも仲良くなれたし」
「そんなんで受験先決めるなよ」
「だって~」
「父さんの仕事とかの関係もあるだろ。ちゃんと相談しろよ」
「お父さんは今サラリーマンじゃないからどこでも仕事できるし」
「そうなのか」
離婚してから父さんの情報が何もないから知らなかった。
「んっ……」
俺の肩で何かがもぞもぞと動いた。
見ると鹿沼さんが俺の肩に寄りかかって寝ている。
「鹿沼さん、お兄ちゃんの事かなり信頼してるみたいだね」
「みたいだな」
「付き合っちゃえばいいのに」
「もし付き合ったとしても5カ月の期限付きだぞ」
「それでもいいじゃん」
「お別れが辛いのはお前もよく知ってるだろ」
「まあね」
絵麻も小学生の時までは転勤族だったのでよく知ってるはずだ。
「だけどさ、日本の高校生活でしか出来ないこともあるし、悔いが残らないようにした方がいいよ」
「わかってるよそんな事」
俺と絵麻は最寄りの駅に着くまでの間、話をしながら過ごした。
明日の新規投稿はできないかもしれないです。
空き時間を活用して何とか毎日投稿しようとしてるのですが、ちょっと厳しくなりつつあります。
それと7月からは投稿頻度が落ちちゃうかもしれません。
特に7月10日~16日はお休みするかも……。
申し訳ないっ!
b9