【24話】 修学旅行⑥ (発作)
時刻は21時を回っていた。
就寝時間まで残り1時間。
俺は喉が渇いたので、自動販売機のある休憩スペースへ行くことにした。
「自販機行ってくるけど、何かいる?」
「なんもいらん」
「大丈夫です」
一応、八木と原田に聞いてから廊下に出る。
俺達の部屋は3階の端っこ。
今回の旅館は階段が廊下の端にあるので、階段から一番近い部屋になる。
そして自動販売機がある休憩スペースは廊下の中央部分にあるのでそこまで歩く。
休憩スペースは正方形の形をした場所で、背もたれの無い椅子4つが中心にあり、様々な自動販売機が壁沿いに立っている。
俺は一つ一つの自動販売機を見て回って、結局お茶を一本買う事にした。
そしてスペースの中心にある椅子に座り、お茶を一口飲む。
――自分で何とかするから。
鹿沼さんの言葉が頭をよぎった。
彼女の震えは精神的な所から来ているんだと思う。
そして彼女はそれを自分で克服しようとしている。
そんな事を考えていると、誰かが廊下を走っている音が聞こえた。
そしてその人物は休憩スペースの前で急ブレーキして立ち止まった。
「羽切君来てっ!」
「どうした?」
「とにかく来て!」
そこにいたのは、戸塚さんだった。
俺は戸塚さんに手首を掴まれ、無理矢理走らされる。
戸塚さんは俺を連れて、俺の部屋を通り過ぎて階段を降り始めた。
「ちょっと待って、どこまで行くつもり?」
グッと足を止めて、聞く。
「私達の部屋まで」
「それはまずいと思うんだけど」
もう就寝時間まで1時間を切っている。
そんな時間に女子の階に行くのも怒られそうだが、女子の部屋にいることがばれたら何時間の説教を受ける事になるのやら。
「景が大変なの!」
また戸塚さんが鹿沼さんに何かをして、俺をからかおうとしているのかと思ったが、いつもは楽観的な戸塚さが血相を変えているのを見ると何やら大変なことがあったのだと感じた。
俺は戸塚さんに連れられて2階まで下りる。
廊下には何人かの女子がいたけれど、戸塚さんが一緒だったので、怪しまれることはなかった。
そして戸塚さん達の寝泊まりする部屋の前に着いた。
戸塚さんがドアノブに手をかける。
今回の旅館は外側にドアがあり、内側に引き戸がある。
ドアノブを掴む戸塚さんの手は少し赤くなっていた。
何かに強くぶつけたかのように。
「手、赤くなってるよ」
「さっき叩かれちゃった~」
誰に? と聞く前に、戸塚さんはドアを開けた。
中からは男子の部屋とは違う、女子特有の匂いが吹き抜けてきた。
俺はスリッパを脱いで、客室の引き戸の前に立つ。
男の俺が女子部屋の引き戸を開ける事は許されないので、戸塚さんが来るのを待つ。
「羽切君、覚悟した方がいいかも」
戸塚さんは俺の隣に並び、そんな事を言って引き戸を開いた。
視界に入ってくる女子部屋。
男子部屋とほとんど変わらない間取りだが、男子部屋よりも整理整頓されていた。
しかしその部屋でうずくまる人物を見て、心臓が大きく跳ねた。
そこにいたのは、体を震わして畳にうずくまる鹿沼さん。
浴衣風の寝巻きが半分脱げており、太ももの深い所までが見えてしまっている。
鹿沼さんのそんな光景が、あの日の記憶と重なって見えた。
薄暗い空き教室で暴力を振るわれ、うずくまって怯える彼女。
俺は教室のドアのガラス窓からその様子を見ていた。
でも助けなかった。
俺は俺で生きるのに精一杯で、誰かを手助けする余裕が無かったから。
俺はうずくまる彼女に近づく。
彼女は自分の両腕で自分の顔や頭を守るように絡めて震えている。
俺はその腕を無理矢理剥がすことはせず、彼女の顔を隠している銀と黒の髪を優しく丁寧にどかす。
すると彼女の表情が見えた。
彼女の瞳には色が無く、一点を見つめていた。
もう、何もかもを諦めたかのような瞳。
口元は小刻みに振動していて、ゆっくり小さく開閉している。
「鹿沼さん、来たよ」
「……」
声を掛けても、反応はない。
俺はどうすればいいのかわからず、彼女の肩に触れた。
「嫌っ!」
するとバシッと強烈に振り払われた。
振り払われた右手がジンジンと痛む。
戸塚さんもこうやって叩かれたという事か。
鹿沼さんは先程とは違って目を強く閉じ、体を更に縮こまらせた。
そして、
「羽切君……助けて……」
そんな弱々しい声が、彼女から聞こえた。
その声が聞こえた瞬間、俺の理性が吹き飛んだ。
1秒でも早く彼女を現実に戻したい。彼女を苦しめたくない。
もう無意識に近かった。
俺は彼女の上に馬乗りになり、両手首をがっしりと掴む。
そしてそのまま手を顔から離れた場所まで無理矢理持っていく。
「嫌っ!嫌っ!」
と彼女は猛烈に抵抗する。
暴れれば暴れるほど衣服が脱げていき、それがまた彼女を怯えさせている。
こんな状況を他の人に見られたら、俺が夜な夜な鹿沼さんを襲っていると誤解される可能性もある。
「落ち着け!」
少し強めの声量で言うと、鹿沼さんはビクッとして静かになった。
もう顔と頭を守るガードは解けていて、顔があらわになっている。
それでも最後まで抵抗しようとしているのか、目を強く閉じ、顔を横に向けている。
「鹿沼さん、もう大丈夫だからこっちを見てほしい」
語りかけるようにそう言うと、鹿沼さんの目が少しづつ開いた。
そしてゆっくりと俺を見る。
「羽切……君?」
「そうだ」
鹿沼さんの瞳は少しづつ色を取り戻していく。
そして体の震えも落ち着き始めた。
「私、羽切君に襲われちゃった?」
「バカ、助けに来たんだよ」
そんな冗談を言えるほどに彼女は戻ってきた。
俺は彼女から手を放し、彼女の上からどこうと腰を上げたところで、鹿沼さんが勢いよく抱き着いてくる。
予想外の彼女の行動に俺はバランスを崩し、尻もちをついて壁に背中を強く打ち付けた。
「痛ててて」
「羽切君、ごめん」
「何に謝ってるの?」
「また羽切君に頼っちゃった」
「頼る事は悪い事じゃない」
「でも……」
それに、たいして頼られた覚えもない。
あの日の事も全部、俺が勝手にしたことなんだから。
「それに言っただろ、俺がいる間は守るって」
「うん……」
彼女から守るべき対象はもうこの学校にはいない。
それに、守る力も地位も俺にはない。
それでもせめて俺がいる間は彼女を守りたい。
そう思えるほど彼女を大切に思っているなんて、信じられなかった。
胸辺りがざわざわして止まらない。
出来るだけ長い時間こうしていたいという気持ちが、彼女の体を通じて俺にも伝わって来ている気がする。
この気持ちは……何だ?
初めての感覚に、俺は激しく動揺した。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
時計を見ると、21時30分になっていた。
もう10分以上鹿沼さんと抱擁している。
戸塚さんは何が起きてるかわからないという表情を浮かべていたが、俺と目が合うとニヤニヤ顔へと変化した。
鹿沼さんの銀と黒の混じった髪から香る甘い匂い。
そしてその匂いの奥から微かに香る汗の匂い。
さすがに長い時間抱擁しているので、密着した部分に熱を持っている。
俺も少し落ち着いて来ていて、刺激の強さに下半身が反応しそうになっていた。
「美香」
「うん?」
突如鹿沼さんに呼ばれた戸塚さんは反応が遅れた。
「手、叩いてごめん」
「いいよ~そんなの」
「それとね……」
再度鹿沼さんは俺の腰に回している両腕に再度力を入れた。
「羽切君とはこういう関係なの」
「おーい、誤解を招く言い方だぞ」
「なるほど~、ただならぬ関係なのはわかった」
戸塚さんは少し真剣な顔になる。
「景、さっきのは精神的なもの~?」
「……多分」
「じゃあ、今度うちに来なよ~」
「うち?」
「言ったでしょ。私の親、精神科医だから~」
それは初耳だった。
しかしこれは好都合だ。
鹿沼さんは悩んでいる様子だったので、背中を押すことにした。
「修学旅行が終わったら行った方がいい」
「うん……」
小さな返事をした後、鹿沼さんは俺から腕を外し、離れていく。
「えっ?」
俺は驚きの声が漏れた。
離れた鹿沼さんの全身が見えてしまったからだ。
汗が首から胸の谷間、へそと流れていき、パンツの上部分で止まった。
そこまで見て、再度鹿沼さんの顔を見る。
「変態」
「理不尽過ぎない?」
鹿沼さんはバッと衣服で体を隠し、立ち上がる。
真っ赤な顔で薄っすらと笑みを浮かべている彼女を見て、ようやく戻ってきたのだと安心した。
「羽切君、そろそろ出ないと先生来るよ~」
戸塚さんはムフフと笑いながら言ってきた。
何もかもわかってますよ? みたいな表情。
「今無理、立ち上がれない」
「立ち上がったらばれちゃうもんね~?」
「ばれちゃうって何が?」
鹿沼さんは何の話をしているのかわかってないらしい。
「体の反応がだよ~?」
戸塚さんは楽しそうだった。
この物語の【1話】~【3】話と、昨日の【23話】を少し改筆します。
(物語の内容に変更はありません)
【23話】に関しては読み返したら結構ひどい事になっていたので、既に出来ている【24話】に影響がない範囲で変更します。
まだ羽切君が転校してきて1カ月しか経ってないのに展開が早くて私自身も焦っています。
ただ、この物語の終わりは既に決まっているのでそこまで何とか書ききるという意志はありますのでご心配なく。
※改筆により、明日6/1の新規投稿は無いかもしれません。