122
遂にこの日が来た。
昨日は早めに寝て、今日は午後2時に起床。
出来るだけたくさんの睡眠時間を取る事で顔色をよくするためだ。
朝ごはんは食べず、昼ご飯は控えめ。
今日は17時にデートの待ち合わせをしているため、約3時間前から筋トレをして体をパンプアップで大きくさせた。
そして色々と調べ物をした後、デート1時間半前にシャワーに入った。
ドライヤーで乾かしてワックスで髪を作り、BBクリームで肌を整える。
もしもの為に買ってきた新しいパンツを履き、服は一番自信のあるものを着た。
「どうしたの仁? めっちゃ気合い入ってるじゃん」
脱衣所から出てリビングへと行くと、姉ちゃんが話しかけて来た。
「デートだよデート」
「あんたがデートにマジになってるの初めて見るんだけど」
「今日は俺にとって大事なデートだからね」
「そんな可愛い子なの?」
「最高に」
「じゃあこれ持ってく?」
姉ちゃんがくれたのは高級ブランドのサングラス。
俺はそのサングラスをかけて鏡の前に立ってみる。
「似合ってるじゃん」
「でもデートは夜だぜ?」
「ばーか。今は機能じゃなくて格好つけろよ」
「サンキュー姉ちゃん」
今日は俺にとって大事な日だ。
鹿沼さんと何度もデートして来て、何度も断られてきた夜でのデート。
まだ誰も鹿沼さんと夜デートをした人はいないらしく、つまりは俺が初めての男という事。
夜にデートをしたことは何度もあるが、今回は鹿沼さんという事もあって心の高鳴りが全然違うし、絶対に告白を成功させるぞという強い気持ちがある。
俺は正直言ってモテるし、選ばなければいつでも彼女を作る事が出来るだろう。
しかし高校生になって全ての告白を拒否してきたのは、鹿沼さんがいたからだ。
始めて見た時からずっと心臓を鷲掴みにされていて、修学旅行の時に俺は人生で初めて告白をする側へと回った。
思い返すとあの時は変になっていた。
見た目、スタイル、雰囲気……何もかもが俺が見て来た女子と格別で、あまり話したこともなかったのに誰かに取られるのが怖くて焦って告白をしてしまった。
当然、撃沈。
しばらく立ち直れなかったけど、それでも諦めきれなくてまた一歩ずつ鹿沼さんと関係を築いてきた。
そして今日、俺は再度告白する。
俺は告白を断られてからも積極的にアタックしてきたし、ここまでプライドを捨てたのは初めてだ。
それくらい俺は鹿沼さんの事が好きだし、自分の女にしたい。
噂では鹿沼さんは俺の告白をOKする予定らしいが、実際はわからない。
何故なら前に聞いた芳賀という男と鹿沼さんのデートが明日にあるからだ。
もし鹿沼さんが今日の告白をOKする予定であるのであれば明日にデートなんて入れないのではない。
しかし逆に言えば今日、俺が告白を押し切れば鹿沼さんの今後の予定は全部俺一緒に染まる。
例え、俺が知らない鹿沼さんの悪い部分があったとしても俺は手放すことは絶対にしないし、俺も鹿沼さんから手放されないように本気で努力するだろう。
家を出る1時間になって息を吸うたびに心臓に痛みを感じるくらい緊張してきた。
あの鹿沼さんと恋人関係になるという事の大きさ。責任。
その全てを受け止める覚悟はあるが、やはりそれでも揺らぐものはある。
「姉ちゃん、マ……お母さんは?」
「ママは休日出勤だって。夜に帰ってくる」
「じゃあ今日は帰らないかもって伝えといて」
「えっ、お泊り?」
「もしかしたらね」
「ホテル予約してるの?」
「いや、してない」
「最近は事前予約が必要なラブホも多いから、ちゃんと調べていきなよ。いざという時に焦ったら台無しになっちゃうだろうから」
「姉ちゃん、ラブホとか行ったことあるの?」
「私だって大学生なんだけど?」
姉ちゃんは二歳年上の大人しい人だ。
過去に彼氏がいたという話も聞いたことが無いし、大学生になった今も勉強ばっかりで男っ気がないと思っていた。
だからか姉ちゃんがラブホについて少しでも知っているという事に少し驚いた。
「ちゃんと調べてあるから大丈夫。駅一つ行けばラブホ沢山あるし予約なしでも入れる部屋もいっぱいあったから」
「やる気満々じゃん」
「一応、準備はね」
「あんた童貞?」
「違うけど?」
「そんだけモテれば童貞なわけないか」
「まあね」
「ちゃんとゴムつけろよ」
「わかってるよ」
サッカー部の友達と何度も今日の事について話して、告白を成功させたらそのままホテルって事もあり得るという話で盛り上がった。
だから俺ももしもの事を考えて現地の事についてはかなり調べたし、ゴムだって財布の中に三枚も入ってる。
しかし今になって思えば、告白してすぐにホテルに行くという考え方自体が異常だ。
それはつまり、俺はまた焦っているという事。
焦れば失敗するという前回と同じ踵を踏もうとしているが、やはり期待している部分もある。
だから最低限の準備は怠らず、それ以外の準備もちゃんとしてきたつもりだ。
「で、相手はどんな子なの?」
「鹿沼さんっていう子」
「インストやってる?」
「やってるよ」
「調べちゃおーっと」
別に隠す事は何もない。
姉ちゃんはスマホをいじり、アカウントを見つけたのか目を丸くして大きく驚いたような表情になった。
その驚きは理解できるし、そんな人と今からデートに行き一夜を共にするかもしれないという事に優越感すら感じる。
30分前になって俺は席を立つ。
少し早めに家に出ようと玄関へ行き、最後に鏡で自分の姿を見る。
今まで自分で自分の姿を見てきて、ここまで決まった自分を見たのは初めてで自信が湧いてきたのがわかった。
「頑張っておいで。自信を持ってアタックするんだよ」
「わかってる」
「断られたら家に帰って皆で慰めてやるから」
「やめろよそれは……じゃあ、行ってくる」
「待って」
「何?」
「自分らしさを出せよ」
「はいはい」
「いってらっしゃい」
姉ちゃんの出迎えに背を向けて、俺はデートへと出かけた。
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夜の水族館は凄く静かで幻想的だ。
館内の電気はすべて消されているが、真っ暗ではない。
ガラスの向こう側ある青い世界から漏れてくる光だけで館内を照らしていて、ゆったりとした雰囲気となっている。
小さな子供もいないし館内BGMも何もないから静かで、それはまるで海の中に入ったかのような心地が良い空間だった。
「鹿沼さんはどの魚が好き?」
左側にいる佐々木君が小声でそう問いかけてきた。
「あの大きな海藻かな」
「魚じゃないじゃん」
「佐々木君は?」
「俺はあのオレンジの」
大きなガラスの向こう側には大中小と色んな魚が泳いでいて、色んな植物が奥の方まで生えている。
私が選んだのはオオウキモという海藻で、長さは30m~40mになる世界最大の海藻。
佐々木君が選んだのはガリバルディという中型でオレンジ色の見た目が派手な魚。
軽くガラスに手を触れてみると凄く冷たくて、私が今いる場所よりも遥かに冷たい世界で生きているんだなと実感させられた。
夜のデートにこの水族館を選んだのは、ずっと前のデートで水族館に行ったことが無いと私が言ったからだろう。
あんな前の事よく覚えててくれたなと感心するとともに、嬉しさもあった。
「あっちにガチャガチャがあるよ。見に行かない?」
「いいよ」
最近、学校でもガチャガチャの話が良く飛んでいる。
いわゆるカプセルトーイというやつだが、今は代5次カプセルトーイブームとなっているらしい。
ブームになる理由は時代によって違うけど、最近ではレトロな家具だったり昭和的なモノだったりが流行っていたりするからそういう事なんだと思う。
また、低コストにも関わらず高クオリティのモノが出てくるというコスパ的な部分もまた、流行っている要因だろう。
佐々木君は私の手を握って歩き出す。
もう十回以上デートして手を繋ぐことは普通になってきている。
ガチャガチャの前に来ると佐々木君は財布を取り出して小銭入れを見て、100円玉が無かったのか1000円札を取り出した。
1000円札を取り出すと同時に財布から長細い何かが地面に落ち、佐々木君は「あっ」と焦ったような声を出す。
私はしゃがんでその落ちたものを拾う。
「えっと……それは……」
長細いそれは正方形の袋がつながった三枚のコンドーム。
一枚一枚中の輪っかが浮き出ていて、もはやごまかしようのない代物だ。
「これは……自転車のチューブだね。なんで財布に入れてるの?」
私はそれが何なのか知っていながら、あえて知らないふりをする。
佐々木君はそういう事も起きるかもしれないと思って準備してきたのだろう。
それはそうか。
夜のデートを承認してしまった時点で男の人ならそういうことがあるかもと期待するのものだ。
周りにいるのは大人の男女だらけで、これが大人のデートなのかなと思いつつも、でもどこか物足りない感じがありながら私達は館内を歩き回った。
私はいつ告白されるのかなってドキドキしていたのだが、少なくとも水族館の中で告白されることは無かった。
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真っ暗な夜空、街灯だけの光に照らされた公園に俺達はいる。
水族館でデートをして良い感じの雰囲気にした後に告白をしようと思っていたのだが、たまたま公園に転がっていたサッカーボールを見て、昼に姉ちゃんから聞いた「自分らしさを出せ」という言葉を思い出し鹿沼さんにサッカーをしようと提案した。
鹿沼さんは快く俺の提案を受け入れてくれて、今まさに夜の公園でサッカー中。
サッカーといっても俺達は二人しかいないから、俺からボールを奪えるかどうか勝負しようという話になり、鹿沼さんが必死に俺の足元にあるボールを奪いに掛かっている。
初心者を欺くくらいは簡単なトラップで十分で、俺は小さい時からサッカーをしているから目を切ったって体が覚えてるから問題がない。
ボールから目を切って見ている先は鹿沼さん。
鹿沼さんは俺のトラップに翻弄され、胸を揺らし、綺麗な髪をなびかせ、額には薄い汗。
学校では大人しい雰囲気だが文化祭ではアクティブに踊ってたりと色んな面を持っている人だけど、俺の一番得意としているサッカーに必死に食らいつこうとしている鹿沼さんの姿はそれらとは全く別物で、特別な時間だと感じた。
ボールや足が砂を引きずる音、風の音、呼吸の音しか聞こえない二人だけの世界。
もし付き合うことが出来れば、またこの幸せな時間を過ごせる。
鹿沼さんとの時間を独占できる。
そんなちょっと先の未来を想像した瞬間、俺の足元からボールが離れて転がっていった。
「やった! 私の勝ちっ!」
息を荒くして顔を上げて嬉しそうにガッツポーズする鹿沼さんの姿に心臓が跳ねあがり、もうどうかしそうなくらい感情が揺さぶられた。
絶対に付き合いたい。この人の事、もっと知りたい。
誰にも渡したくない。
「1勝100敗くらいだけどね」
少し意地悪な事を言ってみると鹿沼さんは頬を膨らませた。
その表情は子供のように無垢で可愛い。
コンドームを落とした時には驚いてしまったけど、ソレを知らないという事は本当に鹿沼さんは経験がないという事なんだろう。
男と付き合ったことが無いとも言っていたし、本当に全てが未経験なのだろう。
これだけの見た目を持ちながら心も体も誰にも許していないというのはあまりにも稀有だ。
俺はの気持ちはもう我慢できないくらい高まってしまい、この気持ちを伝えたくて仕方が無くなった。
「佐々木君、上手すぎるんだもん」
「子供の頃からやってるからね」
「凄いね」
「そんなことないよ」
「ううん、本当に凄いと思う。一つの事でずっと努力して継続してきたなんて、羨ましい」
「鹿沼さんには無いの? そういうの」
「……ないよ」
さっきまで楽しそうにしていた鹿沼さんの表情は少し儚げになった。
俺は自分がやってきたサッカーが凄いとは思ったことが無い。
サッカー好きの父親に育てられるうちに俺もサッカーが好きになって、上手くなりたくて、楽しくて努力してきた結果、継続できたというだけなのだから。
しかし鹿沼さんからしたらそれは凄い事らしい。
「じゃあさ、俺と一緒に探そうよ」
「一緒に?」
今まで見たことが無い儚げな表情に手を差し伸べたくなり、同時に「今だ」と思った。
「鹿沼さん、俺と付き合おう」
俺の中でずっと想定していたのは「付き合わない?」という疑問形だったが、とっさに出た言葉はもっと力強く、自信の含んだ前向きな言葉。
強く冷たい風が俺と鹿沼さんの間に吹く。
俺の言葉を聞いた鹿沼さんは再度顔を上げて俺の顔を見て、目を見開いた。
鹿沼さんだって俺が今日告白するという噂は聞いているはずだし、今日はそれを承知で夜のデートに来た。
それに信じられないくらい今日のデートは上手く行った。
特に最後のサッカーは鹿沼さんとの距離がグッと縮まったように感じたし、鹿沼さんも俺に好意を抱いているような感覚も感じ取れた。
正直言って、これ以上ない良い雰囲気の中で告白できたと思う。
今度はサッカーをしていた時よりも静かな世界になった。
俺は渾身の告白をしてから鹿沼さんから目を離さない。
鹿沼さんは俺を見上げて目を見開いた後、何か言おうとしたように見えたがゆっくりと口が閉じて顔も下がった。
その姿はまるで「はい」と言うのが恥ずかしがっているように見える。
しかし俺は小さくても良いから鹿沼さんの「はい」を聞きたくてその言葉を待つ。
その言葉を聞いた瞬間、俺の中で人生最大の喜びを感じるのが確実だからだ。
「......ごめんなさい」
しかし長く返答を待った結果、俺の期待とは真逆の返答が鹿沼さんの口から小さく放たれた。
「......へ?」
俺の口からも情けない声が漏れる。
有頂天からどん底へ落ちたような気分に血の気が引き、自分の空耳だと疑ってしまうほどに動揺しているのを感じた。
「佐々木君とは......付き合えません」
明確に鹿沼さんからその言葉を聞いた瞬間、俺の頭はパニックになり、何も考えられなくなった。
「本当にごめんなさい」
何度も謝られて我に返った俺は、ようやく口を動かして言葉を発する。
「な、なんで......?」
発したのは疑問。
今までデートを何十回もしてきて、時間をかけて関係を築いてきた。
それはひとえに本気で鹿沼さんと付き合いたかったからで、その気持ちは伝わっているはず。
少ないながらも俺には過去に二人彼女がいたことがある。
その経験から鹿沼さんの心が俺に向いてきているのも感じ取ってたし、だから告白も自信があった。
なのに断られた。
俺には理解不能で、本気で好きだったからこそ断られた絶望が体の芯まで蝕んでいくのを感じる。
もう何もかもどうでも良くなって今この場で鹿沼さんを襲ってしまいそうなくらい感情が揺さぶられている。
生半可な理由ではきっと俺は納得できない。
鹿沼さんはしばらく沈黙し、本当に申し訳なさそうに俺の足元を見ながら言った。
「私、好きな人がいるんです」
その言葉に心臓がギュッと締め付けられ、しかし納得は出来なかった。
「じゃあ、どうして今まで俺とデートしてたの? 鹿沼さんならその人に告白すればすぐに付き合えるはずでしょ」
「付き合えないんです。その人は……きっと断ります」
「それはあり得ないよ」
「わかるんです。彼の事、良く知ってるから」
鹿沼さんが良く知っているという男。
それが誰なのかは凄く気になるが、それは後で聞く事にする。
「じゃあ何で色んな男子とデートしてたの? もしかして色んな男子とデートをすればその好きな人が振り向いてくれると思ってたとか?」
「……」
「だとしたら最悪だよ。俺はこの気持ちを利用されてたって事なんだから」
「そうじゃない」
「じゃあ何で?」
失恋した絶望はどんどん怒りへと変わっていくのがわかったが、全力で抑えて鹿沼さんの回答を待つ。
もしも利用されてたとしたら俺の鹿沼さんに対する人間性とか評価とか全てを疑う事にはなるが、それでも好きだという気持ちは変わらないだろう。
「私は、その人よりも好きになれる男子を探してた。色んな男子と会って、デートすればいつか見つかると思って」
「じゃあ俺はその人に勝てなかったってわけか......」
「で、でもねっ。佐々木君にはその人よりもたくさん――」
「もういいよ」
聞けば聞くほど傷つくのは俺の方だ。
どう頑張っても鹿沼さんを自分の女にすることは出来ない。
なのに俺は必死に頑張って、色んな妄想を膨らませて……。
色んな怒りは湧いてくるけど、男のプライドは守りたい。
ここで怒鳴り散らかしたり暴力を振るうのはみっともないし、情けない事だ。
「ちなみに誰なの、鹿沼さんの好きな人」
「そ、それは……」
「芳賀ってやつ?」
鹿沼さんは首を横に振る。
「うちの学校の先輩とか?」
首を横に振る。
「羽切……?」
ずっと引っかかってた男の名前。
鹿沼さんの首はピタリと止まり、それはつまり肯定したのと同じだった。
「わかった」
これ以上鹿沼さんと一緒にいるのは無理だった。
気まずいし、何よりもプライドが傷つく。
俺は鹿沼さんに背を向けてカバンを取りに行き、そのまま振り返る事はせず帰った。
家には姉ちゃんとママとパパ。
きっと姉ちゃんから話を聞いていたのだろう、俺が帰ってきたことに驚いていた。
そして失恋パーティーという名の慰め会でまた傷をつけられた。
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土曜日という事もあって電車の中には人が結構いたのだが、前の駅で多くの人が降りたため今は車両に私を含めて5人しかいない。
私は一番長い座席の真ん中に座って窓に反射する自分の姿を見る。
今日の為に買った服、色んな化粧を試して作った顔、美容院で整えてもらった髪。
今日は前から約束していた二回目の脱毛サロン戸塚へと行って、ムダ毛を脱毛してもらったから肌だってスベスベで綺麗。
今まで自分が生きてきて、ここまで準備してデートに行ったのは初めてだった。
それは今日、佐々木君が告白をしてくることを知っていたから。
私は彼の告白を受け入れるつもりだった......直前までは。
一回目の告白を断って、それでも私にアタックして来て、毎回のデートも私を楽しませてくれた佐々木仁という男子。
なんとなく私はこの人と付き合うんだろうなって心の中で思ってたし、だから私もデートは毎回本気で、少しづつ自分が変わっていくのを感じた。
――俺と付き合おう。
だからその言葉を真正面から受けた時、正直嬉しくて顔を上げてすぐにOKするつもりだった。
私は流されやすい人だって知ってる。
だからここで流されたまま付き合っちゃえば、もう後戻りは出来なくなると思ってすぐに返事をしようと口を開いた。
しかし「はい」という言葉は喉に突っかかってどう頑張っても言葉にはできなかった。
一度流されていた波が止まってしまった事で色々と考える余裕ができてしまい、その瞬間に浮かび上がったのは羽切君の顔。
もし羽切君だったらどこで何をしてデートをしたのだろうか。
告白してきた相手が羽切君だったらどんなに良かった事か。
羽切君と付き合いたかった。
込み上げて来た羽切君への感情。
これが出てしまった瞬間、目の前にいる佐々木君に対して強い嫌悪感のようなものを感じた。
今までのデートの事、手をつないでいた事、告白された事。
嬉しかった事全てが嘘だったかのように嫌悪感へと変換され、全身が鳥肌立ってしまう。
そしてそんな状態で出た答えは告白拒否。
次々と変わっていく景色を呆然と眺めていると、いつの間にか最寄りの駅にたどり着いた。
ホームに出ると物凄く冷たい風が吹いた。
そのまま改札を出て家まで歩く。
家の敷地の前までたどり着くと、羽切君の家は明るくなっていて私の家は真っ暗。
私は自分の家の鍵を開けて、扉を開く。
玄関に月明りが照らされて少し明るくなったが、扉を閉めると再度真っ暗になった。
玄関から更にリビングまで全部真っ暗で本当に静かで寂しい。
今日、この玄関を出た時には希望と期待でいっぱいだったはず。
なのに今、何もないまま、何も得られないままこの玄関へ戻ってきた。
玄関に座って今日の為に買った黒ブーツの紐をほどいていく。
するとポタポタとそのブーツに涙が落ちて、視界がかすんだ。
――私……何してるんだろう。
色んな感情ががんじがらめになってもう何も考えられない。
泣いている自分も許せなくて、紐がちゃんとほどけてない状態のブーツを無理矢理脱いで玄関に投げつける。
「うわああああああっ! 私っ、どうしでっ!」
告白を拒否した後悔なのか、それとも申し訳なさなのか。
もう訳が分からない。
自分の感情が理解できない。
ただ感情を爆発させて理性的じゃなくなった私は、家の中にあるありとあらゆる物に当たった。
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気づいたら空は明るくなっていた。
時計を見ると12時50分。
昨日は色々疲れていたから寝すぎてしまったが、今日は日曜日だから何の問題もない。
スマホを取って見ると、そこには5通のチャット。
一つは美香。そして他の4つは全部は芳賀君。
4つも芳賀君からチャットが来ている事に異変を感じて一個ずつ読んでみる。
“10時30分”「今日はよろしくお願いします」
“12時1分”「待ち合わせ場所の喫茶店に着きました。ゆっくりで大丈夫ですよ」
“12時30分”「もしかして今日は忙しいかな? 良かったら連絡くださいな(音符)」
“12時45分”「流石に長居しすぎてるので、後10分で帰ろうと思います。また連絡します」
寝ぼけた頭で4つのメッセージを読み、一瞬にして脳が覚醒した。
今日は芳賀君と約束していた日。
12時に喫茶レンジ。
今は12時50分。
私はベッドから起き上がるよりも先に芳賀君へと電話を掛ける。
ピンピンポロンという呼び出し音が止まった瞬間、私は息を吸い全力で謝罪した。
「ごめんなさいっ、今起きましたっ!」
「あ、あー、大丈夫だよ。今もう一杯コーヒー頼んだところだから」
「い、いえっ、すぐ行きます!」
「ゆっくりでいいから来てね」
「はいっ!」
電話を切った後、ベッドから飛び上がり、すぐに服に着替える。
ボサボサの髪を櫛で整えたが、ちょっと無理があったのでまだ羽切君に返していないキャップをかぶって家を出る。
家の中は昨日の事でグチャグチャになっていた。
しかしそれを片付ける時間も精神的な余裕もなく、逃げるように目的の喫茶店まで全力で走った。
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「お、お待たせして…はぁはぁ…すいませんでし…はぁはぁ…たぁぁ!」
喫茶店に着くなり私は全力で頭を下げた。
芳賀君は先輩だし、それに50分以上も待たせてしまったのだから当然だ。
しかし芳賀君は全く怒っている様子はなく、メニューを渡してきた。
前から分かっていたことだが、芳賀君はメチャクチャ優しい。
私は店のマスターにホットコーヒーを頼みメニューを畳んだのち、顔を上げると芳賀君のニコニコした顔と目が合った。
「こんなお店あったんですね。知りませんでした」
「俺も最近見つけたんだよ」
「へー」
建物から椅子、机、カップまでも全てが木製の昔ながらのレトロ喫茶。
マスターも40代くらいの渋い雰囲気で、席が少ないから落ち着いた雰囲気。
今日、私が芳賀君と会うことになったのは前の合コンで私に相談したい事があると言ったからで、たまたま今日は空いていたから約束していた。
「なんか鹿沼さん、疲れてるね」
「寝起きですから」
「それもそうだけど、顔が疲れてるように見えるよ」
「走ってきましたから」
「でも昨晩はいっぱい泣いたでしょ?」
「えっと……」
この人はなんで泣いたことを知っているのだろうか。
そう思っていると、芳賀君は自分の目尻を人差し指でトントンと叩いた。
私は何だろうと思ってスマホで自分の顔を見ると、私の目尻からこめかみくらいにかけて白い線が出来ていた。
これは涙で出来た線で、寝起きでそのまま来たから気付けてなかった。
「もしかして失恋?」
「いや……」
「鹿沼さんが失恋するわけないか」
「えっとぉ……ところで相談とは何でしょうか」
逃げるように本題へと話題をそらす。
先輩で他校の芳賀君が私に相談したいなんて一体、どういう事なのか。
昨日の事が大きすぎて脳みそが動いていないから可能性すらも浮かび上がらない。
というかどうでもいい。
今は何もかもどうでも良くて正直相談相手としては不向きだと思うが、話を聞くだけなら別になんとでもない。
「実はその……一目ぼれした人がいて……」
芳賀君は××高校で人気の男子。
そんな彼が私を呼び出して、一目ぼれをしたと言ってきた。
“誰に”という部分は聞かなくたってわかる。
心の中で大きくため息を吐いて「昨日の今日でしんどいなぁ」と感じた。
「ごめんなさい。私、今恋愛とかに疲れちゃってて……」
「せめて名前だけでも教えてくださいっ!」
「へ? 名前?」
「はいっ!」
「どういうことですか?」
「先週の火曜日、駅で鹿沼さんと歩いてた女子の名前が知りたいんですっ!」
てっきり私は芳賀君に告白されるのかと思っていたが、違った。
私は自分の思い上がりに恥ずかしくなって顔がカッと熱くなる。
さて、芳賀君は先週の火曜日に私と駅で歩いていた女子に一目ぼれをしたと言った。
先週の火曜日……。
最近は色んな人に会っていたから少しづつ過去を辿っていき......ん?
「ああ、美香の事ですか」
「美香さんって言うんですか。苗字は......」
「戸塚です」
「戸塚......美香さん」
芳賀君は小さくそう呟き、何だか嬉しそうな表情になった。
まさか美香が芳賀君の目に留まるとは想定外すぎだ。
美香は学校で男子へのボディータッチが多く、そういう意味で男子の気を惹きまくっている。
しかしその清純ではなさそうな雰囲気があってか、告白をしてくる男子は今のところ聞いたことが無い。
それに美香には男っ気がない。
というか自分が告白されたとか過去にこんな彼氏と付き合ったとかこんな男子がタイプとか全く聞かないし、でも性の知識は豊富でそういう事に関してはやりたい放題しそうな感じはある。
その矛盾によって美香という人物をミステリアスに見せていて、そこを聞くようなことはしてこなかった。
「はぁ......」
あからさまにため息が出た。
みんな恋愛恋愛恋愛。
昨日の事もあったし、しばらく恋愛話は聞きたくない。
チラリと芳賀君を見ると困惑していて、自分の態度の悪さに気づいた私はすぐに背筋を伸ばしていつも通りを演じた。
「ごめんなさい」
「ううん、無理しなくて良いよ」
「じゃあ、お言葉に甘えて」
再度、テーブルに頬をつけて全身を預ける。
体も頭も全部がだるい。
失礼な態度なのは分かってるけど色々と限界だし、全てがどうでもいい。
私はスマホを取り出し、美香へチャットでここの喫茶店へ来るようにチャットを打った。
もう全てが面倒臭いから美香が来たら私は帰るし、来れないとなったら連絡先だけ教えて帰る。
っていうか、火曜日に私と駅を歩いてた女子ってチャットで送って来ればいいのにわざわざ会う必要あったのだろうか。
しばらく経つと美香が喫茶店にやって来た。
突然の大本命登場に芳賀君はとんでもなく驚いていたけど、私は美香に状況を説明した後、その場を美香に任せて帰った。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
家に帰っても体調は良くならなかった。
頭はずっしり重いし、体もだるい。
お風呂に入る気にもならず、しかし再度布団に入って寝る事も出来ない。
どこかイライラもしていて、静かな家が寂しくて。
どんなに昨日の事を忘れようと映画を見たり宿題をしたりテレビを見たりしてもサッカーで激しく動かした足腰の筋肉痛が忘れさせてはくれなかった。
時刻は18時30分。
いつもならご飯の準備をしている時間帯だけど、何もできない。
ただ座ってテレビをボケっと眺めているだけ。
――羽切君がいなくなるまで、私はこの苦しみを抱え続けなくてはいけないのだろうか。
……いや、羽切君がいなくなって本当にこの苦しさは消えるとは思えない。
むしろ悪化するような感じがする。
でもだからといって現状は何も変えられない。
もう何度のこのループを繰り返してきて、その度に苦しみは倍増していって蝕まれていく。
しかし私はやめられなかった。
もはや自傷行為だが、それが自分に対する当然の罰であるかのような感覚で続ける。
ピンポーン。
涙も出ない塞ぎこんだ世界にいた私の耳に届いたのは家のインターホン。
無視したのに何度も何度も鳴るその音にイラッと来た私はインターホンの画面を見に行く。
そこに映っていたのは美香。
入学してから一番長く一緒にいた友達。
私は応答に手が伸ばせなかった。
今は一人で自傷行為に励んでいたい気持ちがあったからだ。
インターホンの画面の前に立ったまま無視していると、パッと画面が消えた。
私は家まで友達が来たのに無視してしまった。
それがまた私の胸に罪悪感としてのしかかる。
今までこんなに長く友達と過ごしたことが無かった。
どうせ転校するからって事で軽薄な関係で、今までの友達とはどこか距離を保って接していた。
小学生の頃からそういう生き方をしてきたから急には変えられない。
私にとって友達って期限付きで、本当の友達って何なのかわかっていないのかも。
そんな考えをソファーに戻って考え込んでしまい、30分経った頃に何となくインターホンの画面へと行ってモニターのボタンを押してみる。
するとそこにはまだ美香がいた。
外は既に暗くなっていて、物凄く寒いだろう。
鉄格子に座って足を少しバタつかせながら空を見上げている。
美香はいつも何考えてるか分からず他の人とは違ってミステリアスだ。
私はあまりにも申し訳なくなって、玄関へと向かう。
私が出て行ったら私が居留守を使ってた事はバレてしまうが、それでもドアを開けた。
「酷い顔だね~」
30分も寒い中待たせたのに美香は怒る事もせずに微笑んできた。
そんな美香を見て熱いものが込み上げてくる。
「ごめん」
30分もこの寒い中で待たせてしまった事、居留守を使ってた事について謝罪する。
しかし美香は何も気にしてない様子で、スマホを取り出し何故か私の写真を撮った。
「いいって〜。それよりご飯は食べた〜?」
「ううん、食べてない」
「じゃあ食べに行こうよ〜」
「今から?」
「美味しい中華料理屋さん知ってるんだ〜」
「……うーん」
本当のことを言うと、今はどこにも行きたくない。
昨日の事もあるし気分が落ち込んでいるからだ。
しかしながら美香がわざわざ家まで来てご飯を一緒に食べようと言ってきている。
これは拒否するべきではない。
そこまで考えて顔を上げると、美香はドアを大きく開けて中に入ってきた。
そして玄関の壁に掛けてあるダウンジャケットを取って私に渡すと、今度は私の腕を持って無理矢理外へと連れ出してくる。
「ほら、行くよ~」
家に鍵を掛ける時間も与えられぬまま家からどんどん離れていく。
真っ暗な夜道をしばらく歩いているとブルッと体が震え、一度立ち止まる。
「待って。これ着るから」
そう言うと美香は立ち止まり、私の腕から手を離した。
私はその場でダウンを着て、今度は美香の隣に並んで歩く。
「佐々木君、振ったんだって~?」
いきなりド直球の悩み事を疲れて胸がズキンと痛んだ。
きっと今頃、噂か何かになっているのだろう。
その後、美香と中華料理屋でご飯を食べた。
美香はうちに泊まり、一緒にお風呂入って一緒のベッドで寝た。
相変わらず私に対してもボディータッチが激しくて、なんだかいつも通りの美香と接していて心が軽くなったように感じた。
私と佐々木君の事、羽切君の事、美香と芳賀君の事。
色んな話をすると、その日はぐっすりと寝ることが出来た。
もっと水族館のところとかちゃんと書くべきだったかなぁ。と思いつつも。