【117】
どうして長くなっちゃうんだろうか。
一ヶ月ぶりすいません。
目が覚めると、ベッドの上にいた。
物凄く深い眠りだったから体が軽く頭も冴えているが、胸の張りとお腹の違和感が極限まで来ている。
生理予定日は今日で四日過ぎたが、どうやら始まったらしい。
体を起こしてベッドに座り大きく伸びをしてから全身を一度弛緩させると、自分が制服姿であることに気づき、大きな罪悪感が襲ってきた。
「どうしよう」
昨日のあれは夢じゃない。
あの引き戸の弁償をするのは当然だけど、十月先輩と雄図先輩にどう謝罪をすればいいのか。
特に十月先輩は同じ学校だし今日の朝にはクラスに会いに来るかもしれない。
同じ女とはいえ裸を見られ、行為を見られ、逃げられた。
もしかしたらぶち切れた十月先輩に大声で暴言を吐かれ、殴られるかも。
羽最近は羽切君とクリストファーさんの事で悩んでいたけど、今は十月先輩の事で頭がいっぱいだ。
いっそのこと学校を休むという手もあるけど、それは問題をただ引き延ばすだけで何の解決にもならない。
それに私が休めば十月先輩の怒りも増す可能性だってあるし、結局行くしかない。
私はイヤイヤ立ち上がり、まずはトイレに行ってタンポンを交換する。
やはり生理は始まっていて、体の軽かったベッドの上とは違って立っていると貧血でフラフラだ。
トイレから出て一度ソファーに座り、ポケットに入っているスマホを見る。
そこには通知が数件あって、そのうちの一つに目が止まった。
『今日、学校休むの〜? 授業始まっちゃうよ〜(3時間前)』
スマホの上部に目を移すと時刻は11時30分。
いつも通りの感覚で朝の準備をしているつもりだったが、とんでもない寝坊をしてしまっていた。
最近睡眠不足だった事や昨日の事。
生理による影響と目覚ましをかけていなかった事で起きられなかったらしい。
今更焦っても仕方がないので美香に「寝坊した」とだけ返信してシャワーに入る。
結局運命は避けられないのに時間的猶予ができたことに少し安心しつつ、シャワーを浴びながら謝罪の言葉を考えた。
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昼休憩の直後、みんながご飯を食べ終えて席に座り先生が来るのを待つ時間にクラスに入った。
私は覚悟を決めていたつもりだったが、逃げて逃げて結局先輩が会いに来れないよう頭が勝手に時間調整をしている。
「景、おっは〜」
席に座ると美香が言った。
私達は一度席替えをしたので、今は美香が隣にいて羽切君は対角線上のちょっと遠いところにいる。
もう羽切君を頼ることは出来ないし、誰かを巻き込むわけにもいかない。
これは私がしてしまった問題で、誰にも迷惑かけたくない。
「おはよう」
「寝坊なんて珍しいね~」
「まあね」
「珍しいと言えばさ~、朝に十月先輩がクラスに来たよ~」
十月先輩がクラスに来たという情報に心臓が握りしめられた。
やっぱり何事もなかったかのようには進まない。
「どんな様子だった?」
「ちょっと落ち着きない感じだったかな~。景の席に座ってニコニコしてたけど、なんか目は笑ってなかったような~?」
「それって怒ってたって事……だよね?」
「怒ってるんだとしたら激おこだろうね~」
美香が言うならほぼ正しいだろう。
十月先輩は本気で怒っていて、私に何らかの制裁を加えにクラスへやってきた。
机を見るにかばんは無く、それはつまりあのかばんを会うまで返す気がないという事。
あの中には筆記用具、手袋や軽い化粧品、そして財布が入っていた。
家の鍵は家の周りに隠しておいた予備の物を使っているから大丈夫だけど、せめて財布だけでも返してくれないと生活に支障が出てしまう。
「それで、なんか言ってた?」
「景が来たら会いに来るよう伝えてくれってさ~。景、何かしたの~?」
「いや……何も」
「ふ~ん、学校終わったら会いに行きなよ~。私もついて行こうか~?」
「大丈夫。私一人で行くから」
「そう~? っていうか亀野君、貧乏ゆすり激しすぎだよ~」
「うるさい」
「うわ~、振られたダメージがまだ残ってるのか~」
「振られたわけじゃねえし」
「心残りがあるなら、もう一回チャレンジすればいいのに〜。十月先輩来年の三月で卒業だよ〜」
「分かってるよ」
美香の前の席でイライラを隠せない亀野君は突っ伏せる。
十月先輩の事を知った私からすると、亀野君にもうチャンスはないと思う。
初体験の失敗の原因が十月先輩に正しく伝わってないし、そもそも今は雄図先輩がいるから。
十月先輩はもう完全に亀野君を見限ってる。
見限った相手をまた昔と同じ関係に戻すのは相当努力しないと無理だ。
「はーい、授業始めるぞ」
先生が入って来るとクラスが静まった。
基本的に教科書は学校のロッカーに入れてるから支障はない。
数学の教科書を机の中から取り出し授業を受けたが、放課後の事を考えると全く集中できなかった。
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帰りのホームルームが終わり、私は一人で階段を登っている。
階段ですれ違う人は全員先輩でジロジロ見られるし、これからの事もあって階段を一段登るごとに緊張が高まり汗が出てきた。
三階に上がるといよいよ三年生しかおらず、いつもより全然雰囲気が違う。
いつも使っている一階の廊下よりも太陽の光が強く差し込んでいて全体的に明るいし、窓から見える景色もいつもよりも遠くが見えるから世界が広く感じる。
三年生はもう部活動は引退しているはずだ。
だからなのか、一年生フロアよりも通ってきた二年生フロアよりも人が多い。
もちろん受験生という事もあって学校が終わったらすぐに学校を出て塾へ出かけたり家に帰ったりする人もいるだろうが、全体的には結構のんびりしている印象がある。
もしかしたら学校の自習室や教室で勉強をする人が多いのかもしれない。
私は廊下を歩き、3年A組へと向かう。
やはりというべきか通り過ぎる人全員から視線を感じる。
二年のフロアくらいは一年生が上がってくる事はあるかもしれないけど、三年生フロアまで来ることは恐らく相当珍しいのだろう。
いや、この学校のミスコン二位で全校生徒に顔が知られているからというのもあるか。
「鹿沼さーん」
堂々と胸を張って気丈に歩いていると、声を掛けられた。
正面にいたのは見覚えがある先輩。
「竹内先輩、こんにちは」
「今日も可愛いね」
「ありがとうございます」
「この階まで来るなんて珍しいじゃん」
「ちょっと冒険してみました」
「あはははっ。面白いこと言うね」
十月先輩に謝罪をしにきたなんて言えない。
ましてや謝罪の理由なんて絶対に。
「良かったら教室くる?」
「えっ」
「一回と違って教室から見る眺めは絶景だよ?」
「でも勉強してる人もいますよね? 私なんかが迷惑ですよ」
「うちのクラス私で最後だったから誰もいないよ」
「じゃあ......行きます」
「ついてきて」
本当ならすぐに十月先輩の元へと向かって謝罪しないといけないんだけど、三年A組を前にひよってしまった。
ここは一旦、勇気を出すための休戦。
私は竹内先輩と共に三年B組へと入ると、言っていた通り人はおらず電気も付いていなかった。
どうやらこの階では外に出れるらしく、竹内先輩は窓際のドアを開けて手招きしてきた。
私は竹内先輩の後を追って外に出ると、そこには全ての教室が繋がった外廊下。
「落ちないようにね」
「はい」
今日は11月にしては暖かめの気温で、風もないから心地の良い。
真下には校庭があって奥には校門。
一階とは違って、同じ制服の生徒が次々と校門へと向かい、出ていくのがよく見える。
「双眼鏡使うと顔までハッキリ見えるよ」
「竹内先輩の趣味ですか?」
「やだなー、覗き魔みたいな言い方じゃん」
「うっ!」
覗き魔という言葉が胸を貫いた。
昨日の私はまさにそれだったのを思い出したからだ。
「大丈夫?」
「は、はい。それより先輩こそ大丈夫ですか?」
「えっ、何が?」
「受験ですよ」
「......」
竹内先輩の沈黙で私はハッと聞いてはいけないことを聞いたと気づいた。
先輩は受験生だからそういう話題には敏感だし、人によっては毎日親や先生に言われて飽き飽きしている筈なのだから。
「すみません、配慮が足りませんでした」
「ううん、私は受験しないから大丈夫だよ」
「受験しないって......就職ですか?」
「うん。それもねバイト先から正社員の打診されて、そこで内定もらってるの」
「凄いじゃないですか」
「でもね、この時期みんな努力して大学に進学しようとしてるわけじゃん? 私だけこんなんで良いのかなとか思ってるよ」
学年もクラスも大学受験ムードの中、恐らく竹内先輩は一人だけ取り残された気分になっているのだろう。
みんなが大学に行くのに自分は就職。
この学校は進学校だから99.9%は大学へと進学するだろうし、自分の進路がみんなと違う事に不安を感じるのは当然だ。
こういう時、なんて言えばいいんだろう。
まだ経験した事がない二者択一に対して後輩の私が口出しするのはあまり良い事ではない気がするし、かといって何も言わないのも違うような気がする。
「羽切君は何も言ってくれなかったなぁ」
「えっ、羽切君にも聞いたんですか?」
「うん」
「先輩……相談できる友達とかいないんですか?」
「いるいるいるっ! ただ二人の意見を聞いてみたかっただけ!」
「そ、そうですか……。私的には先輩の選択は間違ってないと思いますよ」
羽切君も口出しするのは良くないと思って何も言わなかったんだろう。
これは先輩の人生における大事な選択であり、責任を負えないからだ。
でも私は羽切君とは違って先輩の選択を肯定することにした。
竹内先輩が求めているのは自分の背中を押してくれる言葉だと思うし、私も大学に行くことが全てだとは思っていないから。
日本の大学進学率は50%だし、もはや大卒の肩書きは珍しいものではない。
私にはまだ分からない事だけど、それでもまだ大卒の資格がないと入れない会社があるらしいし、持って損はないのは確かだ。
高卒で働く事にも当然メリットがある。
まず大学進学組よりも早く社会に出て経験が積めるし、大学でアルバイトをするより給料が良い。
それに大学進学者の50%以上は奨学金という借金を抱える事になるが、就職組はそれがない。
奨学金は50代になるまで返済し続ける人もいるわけだし、結構人生において不利な点。
その負債を抱えてまで大学で学んだ事が社会に出て役に立つかどうか、また途中でドロップアウトしないかどうか等、色々と予測できない事があるし難しい。
もし勉強についていけなくて退学という事になれば、それは大卒という資格を得られず、しかも就職組よりも遅れをとり奨学金も残る人もいる。
もちろん就職組がノーリスクで順風満帆というわけではないが、とにかく言いたいのはどちらを選択しても将来の事はわからないということ。
分からない事を考えても仕方がないし、とにかく選択した事をやって行く他ない。
チラリと竹内先輩を見ると、双眼鏡で遠くを見ながら少しだけ広角を上げて笑っていた。
こんな話、なんで私に意見を求めたんだろうか。
少なくとも親や先生とは何度も話し合って決めた事だろうし、後輩である私に聞いたって何にもならないのに。
でもまあ、少しでも不安を解消させられたならいいか。
「おっ、校門で××高校の制服着た金髪女子が誰か待ってる。うちの学校に彼氏でもいるのかな?」
「え? ちょっと見せてください」
「どーぞ」
竹下先輩から双眼鏡を手渡され、校門を見る。
双眼鏡とはいえ校門までの距離が遠く繊細には見えないが、××高校で金髪と聞いてあの人を思い浮かんだ。
羽切君とキスまでしてたし、羽切君を待っているとしたら校門にいても辻褄が合う。
まさか学校終わりに校門で待ち合わせして、そのままデートなのだろうか。
他校同士でそういう事をするなんてまるで漫画。
これがもし羽切君じゃなければ羨ましいと思うところだけど、今の私は嫉妬で急激に顔が熱くなった。
もしかしたら羽切君はクリストファーさんと付き合ったのかもしれない。
クリストファーさんは羽切君に気があるみたいだし、羽切君だって満更じゃなさそうだった。
それにキスまで......。
でもどうしてクリストファーさんなのだろうか。
関係が深まっているなら出会ってからの年月が長く、最初から羽切君に気が合った一色さんの方が可能性としてはあったはず。
女子校の文化祭で出会ったクリストファーさんと羽切君が繋がり、キスまでするには期間が短すぎる。
関係が一気に近づく瞬間。
それは自分と同じ趣味や経験などの共通点があった時。
じゃあ羽切君とクリストファーさんに共通する事とはなんだろう。
色々考えてみるが見えてこない。
「そういえば今度、一年にまた転校生来るみたいだよ?」
「へー」
......転校生?
そういえばクリストファーさんも最近転校してきたと言っていた。
確か生まれも育ちもイギリスでハーフで......ん?
ここで気づいた羽切君とクリストファーさんの共通点。
そしてそれに気づいた時、クリストファーさんと羽切君の関係が急接近した理由がわかり、絶望した。
羽切君はクリストファーさんに、イギリスの情報や英語だったりを教えてもらってるに違いない。
もしかしたらイギリスへ行ったらクリストファーさんの家族との面会を計画していたり、長期休暇とかでクリストファーさんがイギリスへ遊びに行く時に会おうみたいな事を話し合っているのかも。
それはつまり未来を見据えた関係であるという事であり、恐らく羽切君は逆にクリストファーさんに日本の事を教えているんだろう。
二人はすれ違うかのようにお互いの産まれ育った国へと飛ばされるが、だからこそ知っている事を教えあう事ができる関係。
私と羽切君がしていたような何かをされたらお返しするという関係よりも遥かにロマンチックで、その関係は間違いなく未来へと続く。
対して私は過去でしかない。
同じ転勤族で同じ辛い体験があり、不良学校で表面上とはいえ恋人になった事もある。
高校で出会って色んな場所に行って、キスして。
その全ては未来には繋がらない。
だって羽切君は自分の時間が半年しかないって知っていたから。
私にはイギリスに関する知識も、習慣も文化も何も知らないし、行ったこともない。
当然、家族も友人もいないから羽切君が私から得られる未来の情報なんて何もないし、そんな私と一緒にいたってなんのメリットもない。
これは勝てない。
感覚的な敗北が胸の中にある。
想像以上に積極的で、自分の意志をハッキリと伝えられるクリストファーさんこそ羽切君の性格に合うと自然と敗北を認めちゃってる。
もしかしたら自分に自信が持てない羽切君は彼女と関わって行くうちに変わってしまうかもしれない。
本来ならば羽切君が自分の中の問題を解決するというのは喜ばしい事なはずだけど、私の知らないところで、私ではない人に変えられちゃうのは嫌だな......。
「女の子だってさ」
「そうなんですか」
涙をグッと堪えて適当に相槌を打つ。
正直、竹内先輩と話せる内容ってほとんどない。
少しだけ気まずい空気が流れるけど、別に無理に何か話す必要もないと思い沈黙する。
校庭から響く部活動の声、どこかの教室から風に乗って届く話し声と笑い声。
高校生活が始まって八ヶ月の時間が過ぎたけど、正直「こんなもんか」という感じだ。
高校生活は青春ってイメージがあるけど、高校生活の中にいると平凡な中学時代の延長戦でしかない。
色んな人と遊びに行っても、男子とデートに行ってもそこまで青春を感じないし、もしかしたら青春というのは後付けなんじゃないだろうかなんて考えも出てきている。
高校を卒業して数年後とかに「あの時は楽しかったなあ」とか「今思えば青春してたなあ」とか憂いて楽しむことで青春というものに気付くのだとしたら、それってつまり高校を卒業したら今以上に楽しい事が無いって事なんじゃないだろうか。
大学生になってもサークル活動とか恋愛とか出来るはずだし、社会人になっても出来るはず。
なのに高校生活だけがどこか特別で「青春」だと言われるのはどうしてなのだろう。
「羽切君とはどう? 順調?」
「順調じゃないです」
「やっぱりね。鹿沼さん彼氏募集とか言い出すし、最近は色んな男子とデートに行ってるとも聞いてるよ。どうしちゃったの?」
「羽切君は私の事、もうどうでもいいみたいなんです」
「あの羽切君が鹿沼さんをそんな簡単に捨てるとは思えないけどねぇ......一応確認だけど、これって二人の大規模な焦らしプレイの一環ではないよね?」
「そんなわけないじゃないですかっ!」
「あはは、ごめんごめん。二人ならそういう事して楽しんでる可能性もあるなって」
「私達をどんな関係だと思ってるんですか......」
「凄い強い信頼関係に結ばれてる仲だと思ってたけど......そっかぁ、今は仲違いしてるんだね。鹿沼さんは羽切君の事が好きなんでしょ?
「はい」
「おおっ、素直。鹿沼さんから告白するとかどう?」
「それはちょっと......」
「やっぱ自分からは嫌? それとも断られるのが怖いとか?」
「どっちもです」
「だよねー。やっぱり告白は相手からされたいし、仮にするとしても振られるの怖いのが普通だよね」
普通。
自覚は無かったけど、私は今“普通”を経験しているんだ。
誰もが一度は経験するが、私には無かった感覚。
意中の異性と恋愛関係になるための必要な行動を起こすのがどれほど難しくて怖くて、苦しいのか。
羽切君との関係が特別でなくなり、みんなと同じ地位まで落ちてきて初めて理解できた事。
「でも早くしないと、誰かに取られちゃうかもよ?」
竹内先輩は格子に体をあずけるのをやめて、私の後ろを通って外廊下をA組側へ歩き始めた。
外廊下は全クラス繋がっていて、一番奥は行き止まり。
私はてっきり行き止まりの方まで行くのかと思ったのだが、A組の教室の前まで行くと立ち止まり、窓枠に腰掛けた。
お尻が教室の方まで隠れているので、窓は空いているのだろう。
竹内先輩が寝招きしてきたので、近づく。
窓はやっぱり空いていて、教室の内側にはその窓に机がくっついていた。
受験生が机を動かしてあるべく明るいところで勉強してたら迷惑だな.......と思って見ると、そこには勉強している人ではなくカバンを枕にして寝ている一人の人物。
綺麗な顔立ちで寝ている姿も美しいその人物を見て、私の心臓は跳ね上がり本来の目的を思い出した。
「さっすがミスコンナンバーワン。寝てる姿も絵になるね」
「そ、そうですね......」
正直言って私の中ではそんな事はどうでもよく、起こして謝罪するべきか起こさないで帰るかで迷っている。
十月先輩の普段の姿を知らないから起こして機嫌を損ねるタイプだと嫌だし、逆に今日学校終わりに会いに来いと言われたのに帰ったらこれもより機嫌を損なう可能性がある。
「寝てないけどね?」
そんな事を考えていると十月先輩の口が動き声が発せられた。
「びっくりした。もしかして今から寝ようとしてた?」
「ううん、二人の会話を聞くために耳を澄ませてただけ。それにしても竹ちゃんと鹿沼さん知り合いだったんだ」
「顔見知り程度だけど」
「ふーん」
十月先輩は体を起こし一度伸びをした後、私を見る。
その視線と目が合うと私の体は血の気が引き、背中に冷や汗を感じた。
「遅い」
「す、すいません!」
「ほら」
十月先輩は右手を開いて私に差し出してきた。
私は何を求めてるのかわからず、とりあえずその手を握って握手する。
「違う」
しかし十月先輩はすぐに振り解いて再度、手をこちらに差し出してくる。
「えっと......」
「スマホ出して」
「は、はい」
訳がわからず私はスマホを出し、十月先輩の手のひらに乗せる。
すると十月先輩は私のスマホで何やら操作し出し、私はそんな姿を見守るだけとなった。
「十月さんどうしたの? なんか怒ってるみたいだけど」
「それは鹿沼さんが悪い事したからね」
「そうなの?」
竹内先輩の問いかけにこくりと頷く。
「とりあえず動画も写真も撮ってなかったみたいだね」
「当たり前です」
「前に私をストーカーして写真やら動画やら撮ってた馬鹿がいて警察沙汰になったからね。こういうのには気をつけてる訳。ましてや鹿沼さんに見られてたのはプライベートなものだったし」
「ごめんなさい......」
十月先輩も自分の事に対しての警戒感は強い人みたいだ。
ミスコン二年連続一位という肩書はこの地域ではかなりの影響力だし、私ももう一度気を引き締めて生活しないといけない。
「まあ、いいや。それより凄い写真見つけちゃった」
「凄い写真......?」
「竹ちゃん見てこれ」
「どれどれ......わあ!」
教室内に上半身を乗り込ませて私のスマホを覗き見た竹内先輩は驚き、スマホ内の写真と私を見比べながら何やら人差し指と親指で拡大したりしている。
スマホの中に変な写真なんてあったかな?
私はあまり写真とか動画を撮って記録として残すタイプじゃない。
どちらかというと自分の目で見て自分の頭に記憶として残したいタイプだから、写真とか動画の数は相当少ないし、変なモノがあればインストに写真を載せるときに毎回写真フォルダーを開くから気付くはずだ。
「なーんだ、鹿沼さん達やる事やってるじゃん」
「これがさっき言ってた羽切君?」
「うん」
「へー、仲良いんだ」
「そりゃもう、とんでもなく」
二人のニヤついた視線が私に刺さる。
羽切君を一方的に撮った写真や私とのツーショットは確かにある。
しかしそれは驚かれるようなものじゃないし、やる事やってるの意味も分からない。
「あの......どの写真の事を話してるんですか?」
「これだよん」
十月先輩はスマホの画面をこちらに向けてきた。
その画面には下着姿の私が裸の羽切君に抱きついている写真。
ラブホテルで美香にスクリーンショットを撮られたやつで、人には絶対に見せてはいけないやつ。
「これ、明らかに事後だよね?」
「ち、違いますっ!」
「お互い裸でこーんな抱きついて寝てるのに?」
「こ、これはその......」
「そっかあ、男と付き合った事すらない処女っていうのはミスコンで勝つためのブランディングだったわけね。怖っ」
「そんなブランディングするわけないじゃないですか!」
「どちらにしても私、羽切君に興味が出て来た」
「......え?」
「羽切君に会わせてくれる?」
「それは私の許可いらないと思いますけど......」
十月先輩は机の中から黒色の封筒を三枚取り出し、二枚を私に渡し一枚を竹内先輩に渡した。
「何ですこれ?」
「私主催の合コン招待券。これが最後だから学年問わず大規模にやるつもり。羽切君連れて来てよ」
「で、でも私......」
「これは昨日逃げた罰。招待券を羽切君に渡して、説得して、一緒においで」
「......わかりました」
確かに罰としては有効だ。
今の私は羽切君と会うのも怖いし、話すのも、一緒に行動するのも気まずくなっている。
そもそも招待券を渡して来るように説得できるかも怪しい。
もしもクリストファーさんと付き合っているなら断るだろうし、私と合コンに行くのも嫌がるはずだし。
「私も行っていいの......?」
「もしかしたらいい男に会えるかもよ?」
「でも私もう三年......」
「学年とか年齢とか関係ないって」
黒の封筒を開けて中身を見ると、そこには日付と開催場所が書かれていた。
日付は12月1日。
時間は17時。
服装は制服。
場所は隣駅のレンタルパーティールーム。
「それと鹿沼さん。壊した引き戸の弁償代10万円だからね?」
「わかりました。いつでも用意できます」
「それじゃあ、これ返すね」
十月先輩は枕にしていた私のカバンから頭を上げ、こちらに押し出して来た。
「言っておくけど、これからって時にドア破壊されて覚めたし、鹿沼さんが逃げた後ベッドの上からガラス片を一個一個頑張って全部拾って掃除機かけてって大変だったんだからね?」
「本当にごめんなさい。逃げずに手伝うべきでした」
「言ってくれれば特別に観戦させてあげたのに」
「見られて恥ずかしくないんですか?」
「恥ずかしいよ? でもその恥ずかしさが興奮するじゃん」
「ド変態ですね」
「鹿沼さんもいずれ分かるよ」
カバンを返してもらった私は、その後しばらく先輩達と話して帰る事にした。
今日の朝からずっと憂鬱だった件が終わり、その開放感に帰り道でスキップしそうになったが、家に帰ってカバンの中に入っている黒い封筒を見て再度頭が重くなる。
私が許されたのは、羽切君にこの招待券を渡し、来るよう説得する事を了承したからだ。
開催時期は二週間後の12月1日。
という事は少なくとも11月30日までには正面切って説得しなくてはいけない。
羽切君に話しかけるのも、関わろうとするのも怖い。
もし拒絶されたらなんて考えてしまったらどうしようなんて考えてる。
まだ二週間ある訳だし、どこかで覚悟を決めて行くしかない。
とりあえず今日は十月先輩との問題を解決できたという事で考えないようにしよう。
そう思って私は制服を脱ぎ、長袖の私服姿へと着替えてソファーに座ってゆったりとテレビを見た。
しかしそこから一週間と五日間。
私は羽切君の玄関の前でインターホンを押す覚悟を決められない日々を送るなんて、思わなかった。
一ヶ月ぶりすいません。