【113】 二学期(文化祭⑦)
体育館のステージには、まるでライブ会場の演奏者になったかのように光が私にだけ集中していて眩しい。
その眩しさを最初は我慢して気丈に振る舞っていたが、目が慣れると体育館に居る人達が鮮明に見えるようになった。
体育館の状況は一階も二階も人でぎゅうぎゅう詰めになっていて、全員が立って私を見ている。
男も女も。
制服の人も私服の人も。
大人も子供も。
ステージ上にはカメラもあって、そのカメラの向こう側には校庭のスクリーンで見ている大勢の人。
多くの好意の視線とカメラを向けられている事に一瞬たじろんだけど、発作は起きない。
これだけのことが起きていて発作が起きないのであれば、薬を飲んでいればどういう状況でも今後は発作は起きないだろう。
「それでは自己紹介をどうぞ」
司会者の女子がマニュアル通り進行し始めたので、私は手に持つマイクを口元へ移動させて口を開く。
「一年B組の鹿沼景です」
少し声が震えちゃったけど、不思議とそんなに緊張はしていない。
ただっ広い体育館のステージに一人残されて、私は一つ一つ質問に答える。
体育館には笑いも掛け声も何もない。
私以外の一年生は質問の答えにギャグを言ったり、体を使ったパフォーマンスをして場内を沸かせようと頑張っていた。
二年生は応援する人がいて、場内から質問のたびに掛け声が放たれて盛り上がっていた。
三年生も回答を捻ったり含みを持たせたりして場内を笑わせていた。
でも私には何もない。
ギャグを言う勇気も、声を出して応援してくれる人も、笑わせる技術も。
孤独に淡々と質問に答える私を、みんなは哀れだと思って見ているのだろう。
「では最後の質問です。今、彼氏はいますか?」
ミスコンでその質問はどうなの? っと一瞬思ったが、ここは素直に答えることにした。
「いないですし、いた事もないです」
「えっ、鹿沼さんは恋愛経験なしという事ですか? 本当に!?」
「本当です。全くありません」
「じゃあ募集中って事でいいですね?」
「はい、私……彼氏募集してますっ!」
最後に何かしないといけないと思った私は、恥ずかしさと勇気を振り絞って声に出した。
本当は募集してないけど、何か爪痕を残したいと思って出た言葉。
誰も何も反応してくれず、シーンとして終わるかと思いきや――。
「「「おおおおおおおお!!!」」」
っと場内が沸いた。
男子の低い声で。
「予選二位通過の鹿沼景さんでしたー! ありがとうございましたー」
私は鳴り止まない歓声を浴びながらステージ袖へと移動する。
ステージ袖に体の全部が隠れると安心感で大きくため息が出た。
「まさかミスコンで彼氏募集するとはねー。前代未聞だよ」
十月先輩がこちらに歩いてきて、頭をヨシヨシしてきた。
「よく頑張ったね」
「ありがとうございます」
「それで、本当に募集してるの?」
「いえ、ただのパフォーマンスですよパフォーマンス」
「鹿沼さんはそう思うかもしれないけど、男子共は本気にして今頃目を光らせてるよきっと」
「それは流石にないと思います」
「それはこの地域の高校男子舐めすぎだよ」
「私まずい事しちゃいました?」
「恋愛経験がなくて、ミスコン二位の超可愛い一年生。しかも巨乳。男子は黙ってないよこりゃ」
ここのミスコンにそこまでの影響力ないと思うけど......。
そう思ったが、十月先輩はミスコンの常連でありこの地域の先輩。
私がわからないミスコンの影響やこの地域の特性について知っているのだろう。
そう考えるとなんだか不安に感じてきた。
「それじゃ、次は私だね」
「先輩は何かパフォーマンスするんですか?」
「ううん、しない。去年も私の時は静かだったよ」
「よくそれで優勝しましたね」
「本当、私も驚き」
先輩は名前を呼ばれ、ステージへと出た。
そして淡々と質問に答えていき、場内は静か。
しかしキラキラ光っていて凄く美人なその横顔に魅了されてしまい、私の視線は釘付けになった。
多分、場内のみんなも同じようになっているんだろう。
先輩は質問タイムが終わると颯爽と舞台袖へと戻ってきた。
そしてしばらくお話をした後、クラスへと戻って行った。
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「あの......鹿沼さんですよね?」
体育館の次のイベントは演劇。
さっきまでミスコンだったから急いで次使う演劇の壁紙や道具などをステージ上に設置しなければならない。
しかし一度外の空気を吸うために体育館から出ると声を掛けられた。
見ると男子二人。
この学校のじゃない制服を身に纏っていて、堂々としている。
「はい、そうですけど......?」
「俺、芳賀仁って言います」
「俺は斎藤健治」
「俺達××高校の二年生で......その、良かったら今度一緒に遊びに行きませんか?」
これはナンパというやつだろうか。
××高校といったら王さんが通っている高校だ。
前に王さんに会いに文化祭に行ったし、普通に良さげな高校だった。
この二人も変な感じではない。
「ごめんなさい。いきなりはちょっと......」
「そうですよね。だったらチャット交換してくれませんか?」
「チャットですか?」
「俺、鹿沼さんと少しでもお近づきになりたいんです!」
「そ、それなら......」
私はスマホを出してチャットアプリを開く。
男子二人と交換すると、友達欄に二人の名前が追加された。
「ありがとうございます!」
「いいえ、こちらこそ」
「また何かあったら誘うので、興味があったら是非来てください。待ってます」
「分かりました」
男子二人は一度会釈してから嬉しそうに離れたいった。
私もドキドキしていてしばらく立ちすくむ。
このドキドキは不安からでも恐怖からでもなく、心地の良いドキドキ感。
発作が無くなって自由になった解放感かとも思ったけど、それも少し違う。
遠くに離れて行った二人の男子の背中を見ると更にドキドキ感が強まる。
私を求める男子が会いにきて、遊びにも誘ってきた。
連絡先も交換したし、たったそれだけの事ですごい嬉しそうだった。
頭にチラつく青春の二文字。
今までは発作とトラウマによる不安で遊びに誘われても全部拒否してたが、今はそれがない。
拒否するのも応諾するのも自由だし、もし応諾してあの人達と遊びに行ったらどこで何をして遊ぶんだろう。
そんな期待に胸が膨らみ、熱くなる。
「モテモテだね鹿沼さん」
肩に手を置かれ、振り向くと王さんがいた。
「さっきの王さんの高校の男子じゃない?」
「うん、どっちも同じクラス」
「どんな感じの人?」
「興味あるの?」
「そういうわけじゃないけど一応」
「芳賀君は弓道部で礼儀正しいから女子からも人気が高い。斎藤君は空手部で無愛想だから女子からの人気はあまり無いね。二人は中学から知り合いらしくて、いつも一緒にいる」
「へー、結構対局な感じなのに仲良いんだ」
「もし鹿沼さんがあいつらと遊びに行くなら、私も一緒に行ってあげるよ。不安だろうし」
「本当に? ありがとう」
王さんが来てくれるなら心強い。
いよいよさっきの誘いに乗るかどうか迷う。
「それよりさっきのスピーチすごかったね。彼氏出来たことありません、募集中です! ってやつ」
「アハハハ......咄嗟に出たんだよね」
「そんな事言っていいの? 同じ学校に彼氏がいるって未央から聞いてるけど」
佐藤さんから聞いたという事は彼氏は羽切君の事だろう。
私と羽切君の色んな場面を見られてしまい、今までついてきた嘘。
でももう私達には隠す必要がない。
「大丈夫だよ」
「もしかして別れちゃった?」
「うん」
「うわマジか」
嘘ついちゃった。
破局したということにした方が都合が良いししょうがない。
羽切君はもう私を求めていない。
私の発作が治まった事で発作に関連する機会が激減し、加えて羽切君は私を完全に遠ざけている。
それは段階的に私との関係を終わらせる事でお別れの辛さを最小限に抑えようという試み。
そして羽切君がイギリスへと旅立つ決意の強さも私は知ってしまった。
私の中に羽切君とずっと一緒にいたいという気持ちは強く残っているけど、もう現実的にその願望が叶う事は無くなってしまったし、羽切君の決断も邪魔したくない。
私もいい加減、羽切君から離れるべきだ。
じゃないと前を向けないし、羽切君もそれを望んでる。
心残りはいっぱいあるし、その後悔で潰れそうなくらい胸を締め付けられているが、私はその全てを今日断ち切るつもりだ
具体的には演劇部の舞台上で。
「じゃあ早速、今週遊びに行こうよ。週末いつもつるんでる仲間と遊びに行くことになっててさ、鹿沼さん来たら喜ぶと思うんだよね」
「本当に私も行ってもいいの?」
「私達は一応グループではあるけど、一人一人にグループ以外の親密な人だったり、その親密な人のグループとも何となく関係があったりみたいなのってあるじゃん? だから遊びに行く時にたまに誰かがグループ以外の人を連れてくる事があるの」
「へー、受け入れ態勢ある感じなんだ」
「まあ、ガチガチのグループ! ってわけじゃないよね。どこもそんな感じじゃない?」
「まあ......そっか」
「また連絡するよ。さっきの男子の誘いも不安なら私も行くから誘ってね。鹿沼さん遊び慣れてないみたいだからさ」
「うん、ありがとう」
「鹿沼さんはこれから暇? 未央と演劇部の舞台を見る予定なんだけど、一緒にどう?」
「えっと......私、その舞台に立つんだよね」
「ええっ、演劇部だったの!?」
「いや、誘われたからやってみようと思って」
「へー、人気者は大変だねぇ。あっ、友達が呼んでるから私は行くね。演劇、楽しみにしてる」
「うん」
王さんは振り向き、手をひらひら上げて校庭の方へと歩いて行った。
私も演劇部の準備を手伝うために、体育館へと戻ることにした。
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織姫と彦星という話の正式名称は「七夕物語」といい、いわゆる童話に分類される。
天の神の娘である織姫は五色に輝く美しい布を使ってハタを織り、それを神様達へと献上していた。
神様達はその織物を非常に気にっており、天の神も自慢の娘だと溺愛した。
そんな娘も年頃となり、機織りに一生懸命で男気のない娘を心配して織姫にふさわしい婿を探しに行く。
そこで見つけたのが彦星という少年。
彼は牛の世話や畑仕事に一生懸命で、天の神はこの少年ならば織姫と幸せに暮らせると思い、結婚相手に選ぶ。
二人は仲の良い夫婦となったが、天の神はそれによって困ってしまった。
二人は恋愛に一生懸命になってしまい、機織りや畑仕事などを厳かにし始めたのだ。
その結果、神様の衣服などがボロボロとなり始め、畑も雑草だらけと変貌していく。
天の神は何度も二人に注意をしたが、聞く耳を持たなかった。
激怒した天の神は二人を天の川を挟んだ西と東へと離れ離れにする。
これで二人は再度、一生懸命に働くだろうと思ったが、織姫は泣いてばかりで彦星は部屋に引きこもってしまった。
そんな二人を見かねた天の神は、一生懸命に働けば一年に一度の七月七日に二人を会わせると告げる。
すると二人は前にも増して一生懸命に働き、七月七日にめでたく再会したのだった。
めでたしめでたし......という内容だ。
もちろん今回の演劇ではもう少し肉付けしていくわけだが、それでも30〜40分程で終わる。
主要な登場人物はたったの4人で、台詞も大して多くないから楽っちゃ楽だ。
最初はこの内容で客を楽しませる事が出来るのかと不安にはなったが、たかが文化祭の演劇だし終わったら俺は演劇部じゃないから批判もされないと思って”どうでもいいか“となった。
「よいしょ! よいしょ!」
ステージの上で畑仕事の真似事をする俺。
観客は思っている以上にいて、恐らく鹿沼さん効果だと思われる。
ミスコンで多くの人に認知されたからこの舞台も観に来たのだろう。
俺に当たっていた明かりが消え、ステージの向こう半分が照らされた。
ステージの向こう側には赤い綺麗な服を着た鹿沼さんが機織りをしている。
頭にはシルクのスカーフをつけていて、上品な格好。
本来であれば織姫は神様へと献上品に一生懸命で、自分の髪や服などの身なりに構っていなかったのだが、何もそこまで忠実にする必要はない。
織姫と彦星の仕事内容をステージの中心で区切ってナレーションが入ることで客へ内容がスッと入る仕掛けらしい。
織姫と彦星が仕事を放棄してラブラブするシーンでは、鹿沼さんの手を握ってスキップしながら舞台を周ったり、寝てしまった鹿沼さんをおんぶして家へと帰る等、大勢に見られていると考えると恥ずかしいものばかり。
こういう肉付けされたシーンでは俺や鹿沼さんのセリフが多く、緊張しながらもやり遂げる事が出来た。
「お願いします天の神様っ、僕は織姫を愛してるんです!」
「いいや、もうダメだ! お前ら二人は金輪際、接触はさせん!」
「そんなっ! 織姫っ!」
「彦星っ!」
ガタンと動く足場。
小さなタイヤのついた自家製の階段が二つあって、それぞれに俺と鹿沼さんが乗っていて、それが左右の舞台袖へと動いているのだ。
これは織姫と彦星が離れ離れになるという演出で客側からは階段に大地の絵が描かれた壁紙が貼られているため、天の神が大地ごと二人を引き剥がしたという風に見える演出となっている。
もちろんこの足場を動かしているのは隠れて押してくれてる演劇部の人。
舞台袖まで移動するとステージが真っ暗になり、その間にステージの中心に天の川の絵が描かれた壁を設置し、その後ろに全員で力を合わせて体育用のマット4枚を積み上げる。
これは一番最後の再会で必要な物であり、今からやる必要があるのだ。
「ううっ......彦星に会いたいよ......」
準備が終わると、涙を流す迫真の演技をする鹿沼さんに光が当たった。
対して俺は俯いて放心状態の演技。
困り果てた演技をする、天の神役の演劇部部長。
そして一生懸命働けば年に一度に七月七日に会わせるというアイデアを思いつき、織姫と彦星それぞれへ、その話をする場面。
さすが三年の部長。
声量や動きといい演劇部向けのもので、俺たちのとは根本から違う。
そんな事を思いながら再度一生懸命働く姿を演技して、遂にラストの場面へときた。
七月七日。
ステージ中心にある天の川に橋がかかる。
橋と言っても先ほどの小型タイヤ付き階段の壁紙を橋に変えて天の川壁紙の後ろにある積み上がったマット4枚の所にくっ付けることで客に橋がかかったかのように見せるというだけの事。
向こう側から鹿沼さんが近づいてきて遂にマットへと辿り着いた。
本当にラストシーンだ。
「織姫」
「彦星」
マットの上に降り立ち、名前を呼び合う。
客からは橋の中央で久々に出会った二人という風に見えてるはずだ。
客からしたら今回の演劇部の出し物はそこまで良いものじゃなかったかもしれない。
ストーリーも短いし、演出も完璧とは言えないから。
でも重要なのはそこじゃないのかもしれない。
演劇部の人達がこの出し物をするにあたって、計画したり必要な物を作って揃えたり、光の加減とかも考えたりした時間は間違いなく充実した時間だったんじゃなかろうか。
これはあくまで文化祭であり、プロの舞台じゃないし、身内で楽しめればそれで満足という考えの方が平和的で正しいんだと思う。
さて、もう終わりだ。
四段も積み上がったマットは相当高く、足場も悪いから怖い。
後は織姫の鹿沼さんと抱きしめあって、再開できましたとさ、めでたしめでたしっと舞台幕が降りてハッピーエンド。
織姫の鹿沼さんと俺にだけ光が当たる。
鹿沼さんと見つめ合って、お互いの足を出すタイミングを図りながら近づくのがここでしなくてはいけない事。
早速俺は目で合図して一歩踏み出す。
しかし鹿沼さんは一歩踏み出さなかった。
一歩鹿沼さんに近づいた事でその表情が鮮明に見えた。
俺を見るその瞳はどこか悲しげで、表情も暗い。
どうしてそんな表情をしているのか分からないけど、今はさっさとこの舞台を終わらせなければならない。
天の川に架かる橋でずっと沈黙してたら絶対変だし。
俺が一人でに二歩めを踏むと、鹿沼さんは四歩一気に近づいて来て、俺の首の腕を回した。
これはリハーサルとは違う動きだ。
本来はお互いの腰に腕を回して軽く抱き締め合って終わりのはず。
俺は一瞬困惑したけど、近くで瞳を見て鹿沼さんが何をしようとしているのかが分かった。
この大勢の前でそれをするのは鹿沼さんにとってデメリットが多すぎると警鐘を瞳で伝えるが、鹿沼さんは聞き入れようとせず顔を近づけて来る。
鹿沼さんの意図はなんだ......?
もう訳がわからなすぎて頭がパンクしそうになっている。
しかし演劇のラストのラストである今、俺が変な動きをしたら全部が台無しになってしまう。
俺も鹿沼さんの腰に腕を回し、顔をゆっくりと近づける。
そして俺と鹿沼さんの唇が触れた。
こういう事をしたのは本当に久々だ。
柔らかい体と唇、鹿沼さんの香り。
大勢に見せつけてしまっている現状を頭ではまずいと思いつつ、心と体は強烈に興奮してしまう。
暫くすると思考は停止し、とにかく鹿沼さんを感じたくて意識を全身に向ける。
この学校で鹿沼さんを求めてる大勢の男に、コイツは俺の女だと見せつけている感覚。
男としての優越感、本能がもっともっと目の前の鹿沼さんを求めてしまっている。
ずっと押さえつけて、遠ざけようとしてたのにどうしようもなく......。
「あ、あの......」
鹿沼さん以外の声が聞こえ、ハッと夢の世界から引き戻された。
唇をゆっくり離すと鹿沼さんのグラグラ揺れる瞳と目が合い、再度俺の首に腕を回して強く抱き締めてくる
「さよなら」
耳元でそう囁いた鹿沼さんは、俺の首から腕を外し背を向け歩き出す。
――さよなら。
その言葉は、鹿沼さんにとっての決意表明だったのかもしれない。
この学校、この地域でちゃんと青春を送ると。
俺という存在から巣立ち、先に進むと。
いつかこうなるとは思ってたが、いざなってみると未練ばっかり残ってて胸が苦しくなる。
鹿沼さんの表情をもっともっと見たかったし、本当はずっと一緒にいたかった。
もしかしたら転校が無かったら恋人になっていたかもしれないし、そうでなくとも俺に依存している間に俺が求めればエッチな事も出来たかもしれない。
釣り合わないだとか、鹿沼さんの気持ちだとか、嫌いになっちゃうかもだとか、そんな事考えなければもしかしたら......。
――大きなチャンスが舞い降りてきた時、自分にはまだ早いだとか自分には向いてないとか言ってそのチャンスを掴まないで後悔した人をたくさん見て来た。
母さんが言ってた言葉が脳内に流れ、俺は後悔で手を伸ばして鹿沼さんを止めようとしたが、グッとその気持ちを抑えて腕を下す。
今ならまだ間に合うかもしれないと馬鹿な事を考えてる自分に嫌悪しながら、ゆっくりと離れていく鹿沼さんの背中を見届ける。
最初はゆっくりいつも通りの動作だが、少しづつ階段を降りるスピードが早まり、鹿沼さんはステージに降りて舞台袖までダッシュで消えていった。
「お疲れ様。すごく良かったよ」
後ろから声をかけられ振り向くと、そこには演劇部一年生を統括している佐々木さんがいた。
少し赤いけど、終わって安心している表情をしている。
「それは……どうも」
俺もステージへと降り、佐々木さんと舞台袖へと移動した。
段幕の向こう側から聞こえる拍手はその時には小さくなっていた。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
「景が文化祭で頑張ってる姿見れて、お母さん嬉しかったわ」
「それは良かった」
「それじゃ、私は行くから......」
校門の前には大きなワンボックスカーがあって、千尋さんが運転席に座っている。
お母さんはキャリーバッグを後ろの席に入れると、助手席のドアを開けた。
「私も空港まで一緒に行く」
「ダメよ。これから打ち上げあるでしょ? 私よりもそっち優先」
「で、でも......」
これがお母さんと一緒にいられる本当に最後の瞬間。
今までまともに家に帰って来なかったし普通にさよなら出来るかと思っていたけど、予想外に熱いものが込み上げてくるのがわかった。
必死に我慢するけど、目の前に立つお母さんの泣きそうな顔を見て込み上げて来たものが下瞼に溜まっていくのがわかった。
「泣かないで」
「無理だよ......」
「お母さん、最後に景の笑顔が見たい」
「こ、こう?」
私は涙が溢れないように注意しながら口角を上げる。
「うん、やっぱり私の娘は可愛い」
「お母さん、私これからやっていけるかな......?」
「景なら大丈夫。それに......」
お母さんは私の体に腕を回し、軽く抱きついて来た。
「景がどんな選択をしても私は受け入れる。だから自由にやりなさい。後悔は絶対にしないように」
「うん......ありがとう、わかった」
「それと自分を大切にする事。約束よ?」
「約束する」
私がそう言うと、お母さんは私から離れた。
「それじゃ、今度こそさよならね」
「お母さん......さよなら」
お母さんは私の顔を再度近くで見てから助手席に乗り込んだ。
そして車が動き出し、見えなくなるまで手を振って見届けた。
胸に大きな空洞が出来た感覚に晒されながら私は校門の中へと入り、クラスへと向かう事にした。
校庭では片付けが始まっていて、各クラスでも今は片付け中。
しかし全員が片付けに参加してる訳じゃなく、喋って暇を潰している人もいれば、遊んでいる人もいる。
「あの、鹿沼さん」
そんな人達の横を通ってクラスへと向かっていると、誰かが目の前に立ち行手を阻んできた。
見るとそこに立っていたのは佐々木君。
サッカー部で修学旅行で私に告白して来た女子に人気の男子。
「どうしたの?」
「良ければその......俺にもう一度チャンスを下さい」
「チャンス?」
「俺、前に振られちゃったけど、どうしても鹿沼さんを諦められなくて......」
「ああ......じゃあデートでも行く?」
「えっ!?」
「もちろん条件があるけど」
「マジで?」
「マジだよ。とりあえずチャット交換しよっか」
「うん」
私のチャットに追加される新たな男子。
羽切君から離れ、羽切君を忘れる。
その為には羽切君よりもずっとずっと成長して、彼が小さく見えるくらい進んでいかなくてはいけない。
羽切君よりも沢山の人と関わって、沢山の経験をして、羽切君が学校から居なくなった事すらも気づけないくらい楽しむ。
それくらいしか羽切君を忘れる方法が思いつかなかった。
「それじゃ、また連絡するね」
「本当にありがとう」
佐々木君は嬉しそうに校庭にいるいつものグループの仲間たちの元へと走っていった。
私とチャットを交換し、デートに行くと自慢するのかもしれない。
そんな男子達の集団を見ていると、ふと奥の掲示板が目に入る。
優勝:3年A組、十月芽衣
準優勝:1年B組、鹿沼景......。
結局、十月先輩が史上初の二年連続優勝でミスコンは幕を下ろした。
私は何の感情も湧かないその結果から視線を外し、再度クラスへと歩き出す。
胸の中には新しい自分になる不安と期待。
そしてお母さんとのお別れと羽切君を頼らないという強い決意が、疲れた体をグングンと前へ前へと押してくれているような気がした。
うーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーん