2.霊力は感染する
「霊力は感染する」
そう言ったのは、取材で会った、龍花の師匠だという老人だ。
「長生きしたければ、あの子のそばにおるのはおすすめせんがね……。いやだが、そもそも……」
"師匠”はそういうと、豊かな白い口ひげをさすりながら、なにかぶつぶつとつぶやきはじめた。
こうなると、なにも聞こえないだろう。
霊能者には意外と変人が少ない。
どこにでもいるような、ふつうの人ばかりなのだ。
むしろ専業霊能者というのは少なく、フルタイムで働くビジネスパーソンもたくさんいる。
小説のためにたくさん取材をしたけれど、OL霊能者が多いことに驚かされた。
龍花もまた、遠縁のおばあさんへの仕送りのためにと、副業可能な会社を選んで就職していた。
そして、仕事の傍ら出版社を通して受けてきた多数の霊能相談を、ほぼそのまま実話としてあたしが小説にまとめたのである。
けれども、龍花は一年前に死んだのだ。
なんの前触れもなく心臓が止まり、あっけなく。ーー突然の事だった。
そして彼女の師匠は、そうした「意外とふつうの人ばかり」という法則からは大きく外れていた。口ひげも豊かだが、頭髪もまた漫画のキャラクターのようだった。
頭頂部は禿げ上がり、側頭部の髪を長く伸ばしている。けれども、その毛はくるくるとしたくせ毛だ。歯も何本かない。
見た目からして怪しく、いかにも(胡散臭いタイプの)霊能者といった雰囲気だ。しかし、龍花によると、彼は本物なのだという。
霊力は感染する。その話を聞いたときは、正直、意味がわからなかった。
けれどもあの小説を書いているうちに、不思議な現象が起こるようになり、だんだんと目に見えないなにかが見えるようになっていった。
怯えながらそれを話すと龍花は「それは、……あたしのそばにいるから霊力が磨かれてるのよ!」と、からりと笑った。
「いやだよ、そんなものいらない」
そう言ってからはっと口を押さえた。そのとき龍花が悲しげに笑っていたことを、今でも覚えている。
表情は暗かったけれど、彼女はまるで無意識に振る舞っているように、部屋の中を"除霊"していった。
染み付いたようなその自然さこそが、彼女の歩んできた人生を物語っているようだった。
龍花は、いくつもの殻を持っていた。
今はそう思っている。第一印象は長いつやつやとした黒髪を持ち、すっきりした一重の切れ長の目に長身で、きつそうな雰囲気を与える美女。
龍花もまた勤め人であり、いつもグレーのパンツスーツばかり着ていた。
話し出すとさっぱりとした気性で、男友だちといるようだ。
でもそれさえも殻のひとつに過ぎず、きっと彼女の内面は繊細で、たぶん可愛いものが好きで、そしていつだって愛情を求めていたのではないかーー?
今ではそう思っている。
バッグの中に忍ばせた真っ白なレースのハンカチには、手製の緻密な刺繍が施されていたし、長身の彼女にパンツスーツは似合っていたけれど、インナーに着るのは女性らしいフリルのついた華やかなシャツばかりだった。
それも黒や白のことは少なくて、モーブピンクだとかミントグリーンだとか、そういうかわいい色ばかり。
そういうささやかなところに、彼女の本質が現れていたような気がしてならない。
そもそも龍花は仕事の相棒である以前に、学生時代の友人でもある。付き合いは長いはずなのに、あたしは結局最後まで、彼女の最後の殻を破ることができなかったように思う。
「あたしの寿命は少なくともあと五十年以上あるはずなのよ。さらにもっと見えるんだけど、どれだけ長生きするのかしら」
龍花はそう言ってくつくつと笑っていた。
ここ数年の彼女は、ただの視える人とは言いがたい状態だった。
まず、使い魔とでもいうべき存在が何匹も(不敬だろうか?)押しかけてきた。それどころか、古代神と渡り合うことさえあったのだ。
(ちなみに、不本意に磨かれた霊力のおかげで、あたしにもその神の姿が見てとれた。恐ろしすぎて、足が縫い付けられたように動かなくなったし、執筆をやめようかと何度も思ったくらいだ)
でも。たとえどんな悪霊に取り憑かれたって、かんたんに蹴散らしてきた。どんな呪詛もはね返してきた。
年々磨かれていく霊力は、彼女に先視の力までも与え、あたしはノンフィクションを書いているはずなのに、リアリティと虚構が入り混じったものを書いているような心持ちにさせられて苦戦していた。
霊の仕業じゃない。それなら、どうして──? どうして龍花は死んでしまったのだろう。