3.名もなき者
僕は、人の恨みから生まれた。
清廉な神社の一角に大樹がある。
その大樹の洞の中に隠されるように、ある男が小さな祠を作った。神社の御神体を割った欠片を祀り、日々の恨みを込めた。
そうして生まれたのが僕だ。
人間の心から生まれた僕は、しかし、はじめから良心のようなものを持っていたようだ。
向けられる願いに嫌悪感を覚え、叶えることはいっこうにしなかった。
ところが、たまたま何人かの願いが叶ってしまったらしい。不本意にも、呪いを生む神として讃えられるようになってしまった。それは僕に力をつけた。
それから長い時が流れ、小さな祠のことは皆忘れてしまった。
ある日、少女が僕を覗き込んでいることに気がついた。このあたりでは見ない、ずいぶんと身なりのよい少女だ。
名をオリザと言った。どうやら神社の裏手にある屋敷に住んでいるらしい。
波打つ黒髪が美しい、切れ長の涼やかな目をした綺麗な子どもだった。
遠い街から引っ越してきたらしく、馴染めていないのだろう。よく一人でぽつりとここへやってきては、菓子を「おすそ分け」と称して供えながら、ぽつりぽつりと自分の話をしていた。
彼女は、木の枝に腰かけて、ただぼんやりと過ごしていた。
慣れてくると、刺繍道具を持ち込み、無心で針を動かすようになっていた。
オリザが毎日供物をくれるので、僕は少しずつ力をつけていき、やがて実体化できるようになった。
自分の手を動かしてみる。
これまで見てきただけの人間たちと同じように動く。しかし、なぜかいつでも寒かった。
ある日、オリザがいつものようにここに来ると、その後ろを男が尾けているのに気がついた。
下卑た笑みを浮かべた男の背中には、恨みがましい顔をした子どもの霊がたくさん憑いている。
男がオリザの腕をつかんだ。悲鳴をあげようとする小さな口を、ごつごつした手が塞ぐ。
恐怖で真っ白になったオリザの顔を見て、僕はおもわず洞から飛び出した。
男は僕の姿に驚いたのか、走り去っていった。
「あなたは……」
オリザははくはくと口を押さえながら言った。
しまった。成人した男の姿で出てしまったから怖がっているのかもしれない。そう思い、姿をオリザと同じくらいの年頃に変える。
はじめに顕現したときの姿から変えるのには、力がいるらしい。
少し疲れた。
「ありがとうございます、神様」
オリザは涙を浮かべ、微笑んだ。
彼女が帰ったあと、胸の中がとてもあたたかくなった。できることが増えた。
しかし、彼女がここに来ることは二度となかった。
それから何年も経ち、戦争がはじまり、街に爆弾が落とされるのを僕はただ見ていることしかできなかった。
オリザが住んでいた屋敷をたまに覗いてみた。
しかし、住んでいる人が変わっていた。オリザと少しだけ似た顔立ちの男と、その家族だ。
僕は落胆して洞に戻り、それからしばらく眠ることにしたのだった。