3.マルガレーテの悲劇
「--っ! 魔獣!」
王子がすかさずマルグリット嬢を背に庇う。広間にいた貴族っぽい人たちは、怯えるもの、それを庇うもの、我先にと入り口へ駆け出すものなどさまざまである。
先ほどの騒動を起こしていた三人の向こう側に、黒い靄のような人型が二つ、揺らめいていた。
「大丈夫です。皆さまへのご説明のために残しているだけですから、害を加えることはできません」
「聖女リュカ」
王子の声に、龍花の顔がまた引き攣る。
「--説明とは?」
「殿下、ここ数日の記憶が曖昧なのではありませんか?」
王子はきょとんとした顔をし、それからしばし考え込んで、頷いた。どうしてだろう。先ほどの強烈な印象とは違い、とても理知的に見える。
「霊にもさまざまなものがおります。
ただ、今回の三体は古い霊なのでしょう。影響力が強かったようです。心に受けた衝撃が強いほど、そして時間が経てば経つほど、霊というのは影響力を増して参ります。--おそらく、マルガレーテの悲劇、でしょうかね」
広間がざわめく。
「マルガレーテの悲劇……」
何やら周知の事実のようだが、あたしはさっぱりついていけていない。
「王子が魔女に騙されて婚約破棄をされているときに、シャンデリアの下敷きになって死んだというマルガレーテ様のお話……」
するとタイミングよく、先ほど龍花にほめられて恥じらっていた黄緑髪のお嬢さんが、解説するかのようにつぶやいた。
「まさかあの三百年前の?」
「マルガレーテ様は無実でしたのにお気の毒すぎましたわね」
「ーー婚約破棄をしかけた側の王子と魔女も同時に亡くなられたとか」
声が聞こえていたのか、龍花が満足そうに頷いている。
「霊は自分と波長の合うものを好みます。
殿下と王子の霊は性質はまったく異なるようですが、あの霊は自分が死んだことに気づいていません。自分によく似た容姿、王子という地位や、元婚約者と似たマルグリットという名に反応したのでしょう。……それから、執着していた魂にも」
そう言うと、龍花は黒髪フリフリドレスを鋭く睨んだ。そして、独特の形の手印を切る。
「え、あの……」
黒髪フリフリドレスは、黒目がちの瞳をうるうるとさせて、怯えたような表情になる。
「やめてください……! あたしに何をするんですか?」
「ふうん……。かなりの古狸ね」
ぽつりと落とされた龍花の言葉に、周囲の令嬢たちは首をかしげていた。
「たぬき……?」
「なんのことかしら」
しかし、その中で黒髪フリフリドレスだけがかっと顔を赤くし「なんですって!」と龍花に掴みかかろうと立ち上がる。
「ーーあら? あのご令嬢、……どなたかしら」
それに追従する形で、周りもざわめいていき、黒髪フリフリドレスは、はっと焦ったような顔になった。
「あなたは、ユリア。そうでしょう?」
龍花が聞く。黒髪フリルドレスはくちびるを噛んで押し黙った。
「ーー三百年に亡くなった」
黒髪フリルドレスの美しい瞳が真っ黒に濁る。
その異様さに大広間には悲鳴が響き渡った。すっかり正気を取り戻した王子は、マルグリット嬢を背に庇い、青ざめた顔をしている。
『あたしはわるくない!』
ユリアと呼ばれた霊は、黒い涙をぼとりぼとりと落として叫んだ。
『ふつうに毎日楽しくしてたのに。はじめて彼氏ができて、喜んでたときに、気づいたら勝手にこんなところに召喚されてて!
国のために働けとか言われて……!バカ男には逆らえないし、なんで、どうしてあたしばっかり……』
彼女の涙に反応したのだろうか。
ユリアの足元に絡みつくように、大理石の床から黒い靄が立ち上ってきた。