序章 その婚約破棄、霊の仕業です!
それは、しゃぼん玉がぱちんと割れるような覚醒だった。
自分がどこにいるのかわからずに、きょときょとあたりを見回していると、いまいましそうな顔をした人々が目についた。
「マルグレーテ!貴様との婚約は破棄する」
キラキラした髪の毛の、王子様っぽい服を着た男がぴしっと指さしたのは、青ざめた顔のお嬢様然とした女性だった。そしてその男には、黒髪フリフリドレスの少女がひっついている。
「……うっわあ、なんてラノベ」
思わず声に出てしまい、口元を押さえたが、かく言う私は現在、ラノベ作家である。
慌ててきょろきょろ辺りを見渡すが、だれもあたしに気づいていないようだ。それもそのはず。また"生霊"化してしまったのだろう。
半年前のことである。
亡くなったはずの親友の夢を見たと思ったら、どうやら彼女は転生していて、しかもそれが異世界であり、あたしはそこに生霊となって飛んでいることがわかったのだ。
それについてはおいおい説明しようと思う。それにしても、目の前で繰り広げられるこの茶番は。
「貴様は、ここにいるユリアをいじめたらしいな!ユリアは異世界から来た麗しの聖女なのだ! それを貴様は……」
そう焦っている間にも、王子男はつらつらといじめがどうとか聖女がどうとか御託を並べている。
周囲にいた貴族っぽい人たちもざわつきはじめた。
「まさか!マルグリット様が?」
「ありえませんわ。淑女の鑑のような方ですのに」
「ーーでも、あの方って本当に聖女なのかしら?」
「そうですね。聖女といえばやはりヴォルハルト家の……」
少しずつ場に慣れてきて、大広間を見渡していると、そこはなにかのパーティー会場のようだった。
美しく盛りつけられたご馳走に目がいく。と同時に、ざわめく室内にはお構い無しで、料理に夢中になっている令嬢がひとり。
桃色の髪に見覚えがあり……振り向いた美少女は、ぽかんと口を開けて「佐保里」とこぼす。
彼女こそが白雪龍花。凄腕霊能者として知られる、私の親友だ。(なお、白雪は本当の名字ではない)。
「会えてよかった……! この間は急に消えてしまうから……」
「……龍花」
龍花らしき少女の瞳が潤んでいる。
あたしは焦った。周囲の視線がこちらに向いている。壁に向かって話しかける龍花に。
半年前はてっきりあたし自身が霊になってしまったのかと思っていたが、あのあとふつうに目が覚めて、いつも通りの日常がはじまった。昼寝した程度の時間しか過ぎていなかった。
あまりにも当たり前すぎて、今まで、都合のいい夢を見ていたんじゃないかと思っていたくらいには。
でも、周りの反応を見るに、たぶん、今のあたしは「霊状態」である。あたしに話しかけるのはやめてほしい。
それをなんとかジェスチャーで伝えようと動いていたけれど、龍花はこてりと首をかしげる。
かわいい。ーーずっとかっこいい美女だった彼女がとてもかわいい。
けれども、今はそれどころではない。
「あら? リュカ様が何もないところを……」
ほら見たことか。周りにいたお嬢様たちがざわめいている!
「ま、まさか魔獣……」
「魔獣が学園内に?」
人々は真っ青になる。
この世界では、どうやら誰もが霊を視ることができるらしい。しかし、彼らはそれを「魔獣」と呼んでいる。人型では見えないため、気づきにくいのだろう。
周囲の声が届いたのだろう。龍花はつんとくちびるを尖らせ、「まあ、皆さま!」と言った。
(あの喋り方! お嬢様かよ! まったくもう……一体だれなんだ……)
すっかり変わり果てた親友の姿に、あたしは思わず頭を抱えた。
「魔獣ではございませんと申し上げたではありませんか」
人差し指を立ててこんこんと説明するように、美少女龍花が口にする。
「いいですか、霊です」
「れい」
黄緑色の髪をした令嬢がくり返した。
「まあ!よくできました! 霊です。
霊とは簡単に言うと死後の姿です。
教会の教えにもあるでしょう? 善行を積めば、死後の世界で休息ののち、生まれ変わるのだと。
霊とはそこに行きつけていないもののことを言うのです」
気がつくと、彼女のまわりに人が集まりはじめている。
婚約破棄だなんだと叫んでいた王子男たちの周りからは少しずつ人が減っている。
「自分が死んでしまったのだと気づかないもの。人に害をなすことを楽しんでいるもの。ただ怯えて周りに攻撃しているもの。さまざまなのですよ。
ーーまあ、ちょうどあちらに良い見本が!」
王子男たちのほうへ向いた龍花の目が輝く。そして、彼女はこう言ったのである。
「--この婚約破棄、霊の仕業ですね」