揺れる
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今日のターゲットは小さなマフィアの親分殿だ。小さなというのはあくまでも現状を表しているだけで、これから大きくなりそうな予兆があり、だから今のうちに叩き潰しておきたいと、俺の雇い主は考えた。俺は「一人でやる」と言った。いつものことだ。「前金は要らない」とも言った。これもまた、いつものことだ。
両手にサブマシンガンをぶら提げて、事務所に乗り込んだ。今日もトリガーがすこぶる軽い。どんどん撃って、どんどん殺す。もちろん、反撃に遭う。クスリをキメているわけではないのでちゃんと痛いし、身体が鋼鉄でできているわけでもないのでしっかり血も出る。やり切ろうだなんて思っていない。金が欲しいわけでもない。俺には他にやることがない。死ぬまでの暇潰しにふさわしい作業をこなしているだけだ。
力の限りわんさか死体をこしらえ、その中には親分殿の姿もあり、奇襲は成功。要はやり遂げたということだが、ずいぶんと弾をもらった。左肩が特に痛む。致命傷はなかろうと、このまま全身から血を垂れ流し続けたらこの世とオサラバすることになる。行き倒れになるのはまったくもってかまわないのだが、だったらどうして俺は自宅のアパートを目指しているのだろう。ずるずるずるずるとみっともなく足を引きずりながらも歩いているのだろう。なぜ、腐った水の臭いが絶えない路地裏なんかを、壁に身体を預けながらも、それなりに一生懸命に進んでいるのだろう。――苦笑が漏れる。なにも要らない。欲しくない。なのに俺は、いつもいつも煮えきらない。素直に死を選ばない――否、選べない。無意識に生を求める。決断力に欠ける俺の心は今夜も中途半端に揺れ動く。
表通りに出たところで力尽き、前のめりに倒れてしまった。人通りはまるでなく、だったらいよいよ死ぬのかと考える。裏の世界で腕利きと賞賛されたことも、所詮は昔の話だ。俺もずいぶんと年をとった。このへんが潮時だろう。なんだかとてもいい気分だ。静かに目を閉じる。もういい。死を待とう。最後の最後まで血と銃声に彩られた人生だった。
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女のハミング、どこかで耳にした曲。俺は死んだんじゃなかったのか? 苦笑。生きているから聴こえるのだ。どうやら死神は俺の首を刈り損ねたらしい。
目を開ける――見知らぬ天井。やはりベッドに横たわっているようだと知る。若い女が椅子の上で編み物をしている。俺が目覚めたことに気づいたらしい。腰を上げ、顔を覗き込んでくる。長く豊かな金色の髪。美しい。なんて綺麗な顔立ちだろう。心配そうな、それでいてどことなく不思議そうな表情。弱々しく「水をくれ」と訴えると、上品な唇を笑みのかたちにした。
痛む身体を起こし、ヘッドボードに背を預ける。上半身どころか下半身まで包帯でぐるぐる巻きにされているようだ。雑で乱暴な処置ではあるが、その手厚さには思いやりを感じた。
女が戻ってきた。コップを差し出してきて、受け取る。カルキ臭さがない。ミネラルウォーターなのだろう。口をつける。途端、むせた。喉がうけつけない。女が口元をタオルで拭ってくれた――至れり尽くせりだなと思う。
俺は肩を上下させ、大きく息をついた。
「すぐに出ていく。服を返してくれないか?」
「ぼろぼろよ。着られたものではないわ」
「それでもいい。返してくれ」
女は首を横に振り。
「ダメよ。無理しないで」
「俺みたいのを家に入れると、ろくなことにならん」
「やっぱり殺し屋なの?」
「勘がいいな。そのとおりだ」
掛布団を取り払い、ベッドから下りようとするも、身体がうまく動いてくれない。全身に痛みが走り、額には脂汗が浮かぶ。女と目が合った。「ほら」とでも言いたげな表情、また「ダメよ」と言われ、なだめられたような気分になり、再び息をついた。
「最初に礼を述べるべきだった。すまなかった」
「いいのよ」と言い、女は椅子に腰を下ろした。「なにせ大きなおじさまですから、運び込むのはたいへんだったけれど」
「ここは二階だろう? 大したものだ」
「それなりに力はあるの」
「手間をかけて、ほんとうにすまない」
「二度も謝らないで」
女をまじまじと見る。ほんとうに美しい。美しすぎる。この街でそういった女はたいてい――。
「マフィアの女なのか?」
「わかる?」
「わかるさ」
「未亡人よ。今は義父に囲われているの」
「義父?」
「夫の父親。ボスよ」
「なるほど」
よくある話ではないが、そういうことがあってもおかしくはないだろう。
「でも、ただ囲われているだけじゃないわよ」
「普段はなにを?」
「喫茶店を営んでるの。ここの一階」
「おまえ、名は?」
「おまえとは失礼ね」
「すまない」
「ローズよ。あなたは?」
「ロイだ。ローズ、俺はどれくらい寝ていた?」
「丸二日よ。急いで帰らないと心配するヒトがいる?」
「いや。そんなものはいない」
俺は額に右手を当て、「ああ、そんなものはいないんだ」と、もう一度言った。自分に言い聞かせるように言った。
ローズはことのほか穏やかに微笑んだ。どれだけ記憶を探ったところで拾い上げることもできなければ、それ以前に見つけることすらできないのだが、俺は彼女の振る舞いに母の温もりのようなものを見た。包容力にあふれている――とでも言えばいいのだろうか。
「ずっといてもいいのよ?」
「ボスが許さないだろう?」
「うまくやるわ」
「どうあれ手間はかけたくない」
「そばにいてほしいって言ってるの」
「ローズ、おまえは――」
「一目惚れ。ダメ?」
悪戯っぽく舌を出して見せた、ローズ。しばらく黙し、そして決断し、呟くようにして「……世話になる」と伝えた俺は、いったい、彼女になにを期待したのだろう。
*****
喫茶店を手伝うことが、目下の仕事になった。街でたまに知り合いと顔を合わすことがあっても、殺しの依頼は断った。報酬がよくても受けなかった。今、最も重要なのはローズに迷惑をかけないこと。恋慕の情を抱くことはなく、一方でローズは事あるごとに色っぽい視線を向けてくる。「あなたはほんとうに素敵ね」ということらしい。"飼い主"に抱かれている最中も、俺のことばかりが頭をよぎるのだという。そんなことをいちいち口にすることはないと思うとともに、そこまで想ってもらえることについては、正直、とても嬉しく感じた。
隣町の問屋まで、コーヒー豆と紅茶の葉の買い出しに遣わされた。もっぱらの業務の一つだ。ただ遣いに出されてそれだけでは芸がないと今日に限ってそんなふうに考え、帰りにジンを買った。ローズはアルコールを嗜む。上品な口で少しずつすすり、細い喉をこくりと鳴らす様が、俺は好きだ。
まあるいフォルムが愛らしいローズの愛車を転がして、帰宅した。カウンター越しに常連客の老人と笑い合っていたローズが「おかえりなさい!」と大きな声で出迎えてくれた。昼時だ。メニューはカレーらしい。老人は心得たもので、にこりと微笑むと席を立ち、ローズに見送られ、店を後にした。ローズはドアプレートを"closed"にひっくり返して戻ってきた。「無水カレーに挑戦してみたの」と言う。目を三日月にして微笑む様子には何度だって惹かれてしまう。
*****
夜、丸いテーブルを挟んで、ジンをロックで飲みながら。
橙色の電灯が淡く照らす中、ローズがふいに「独立したいの」と言った。グラスに浸した右手の人差し指をゆっくりとくるくる回す。彼女がよくやる――癖みたいなものだろう。
「独立?」
「パパの相手は、もういいかな、って」
「許してくれるのか?」
「ダメだって言って、にこにこ笑うの」ローズが浮かべたのは苦笑だ。「パパはは私のことを見ると、我慢ができなくなるんだって」
そういうこともあるだろう。死んだ息子に対して不義理を働いていることには感心できそうもないが。
「ローズは今の立場が嫌じゃないのか?」
「彼も奥さまに先立たれた身だから、情が移っちゃって」
「きみらしいな」
「愚かだと思う?」
「いや。ただただ、優しいだけの話だと思う」
あなたらしい感じ方ね。
そう言って、ローズは微笑み。
「ねぇ、ロイ。これからもずっと一緒にいてくれる?」
「俺はきみの倍も生きてる。ずっと一緒にはいられない」
「命がある限りという意味なんだけど?」
「近いうちに、ここを出る」
「えっ」ローズが目を見開いた。「どうして? 私のこと、嫌いになった?」
大切だから出ていくんだ。
そうは言わなかったが、俺が幸せを得るのは、なにかずれている気がして。
ローズは眉間に皺を寄せ、怒ったような顔をして、それからジンを一気にあおった。今度は俺が驚く番だった。強い酒だ。一息に飲み干すのはよくない。顔はもちろんのこと、首から胸元にかけてまで、白い肌が見る見るうちに桃色に染まり――ついにはテーブルに突っ伏した。
「泣きたい気分よ、ロイ」
「すまない」素直に謝罪した。「一週間以内にいなくなると約束する」
「そんなに急なの?」ローズが身体を起こした。「ダメよ。考え直して」
「俺が愛していいニンゲンなんていない。俺を愛していいニンゲンもいない」
「どうしてそこまでこじらせちゃったの? そんなふうに考えることが格好いいと思っているの?」
「格好どうこうの問題じゃない」
「あなたは自分に自信が持てないというだけでしょう?」
そうなのかもしれない――そうなのだろう。だが、俺はずっと自分は無価値なニンゲンだと思って生きてきた。どうしてそうなってしまったのか、そのきっかけなんて覚えていないし、今を生きている理由もよくわからない。気づけば殺しを屋稼業に足を突っ込んでいた。自分で自分を蔑むようになっていた。つらい毎日だとは言わない。ひたすらにむなしいだけの人生だ。
ローズが今にも泣きだしそうな顔をする。俺は小さく首を横に振ってから立ち上がり、寝床であるソファへと向かう。後ろから「ロイの馬鹿っ!」と怒った声が聞こえた。
*****
カウンターに入ってカップを磨いている最中に、その小男は現れた。黒いハンチングにみすぼらしいグレーのジャケット、茶色いズボン。鼻が異様に高いこの人物は馴染みの情報屋でシドという。その道では有名な男だ。知り合ってからはもう長い。仲がいいわけではない。いちいち浮かべる皮肉屋然とした表情は嫌いな部類に入る。どうひっくり返っても友人になれることなんてないだろう。
「茶店に転職したっていうのは、ほんとうだったか」
「今の俺はおまえに用がない」
「とっとと立ち去れってか?」
「ああ」
「一つ、爆弾を落としてってやるよ」
「要らん」
「まあ、つき合えって」
「さっさと言え」
シドはくつくつと喉を鳴らした。
「ここの女主人のツレを殺したのは誰だと思う?」
「知らんが、それがどうし――」
「あんただよ。あんたが殺したんだ」
「……なに?」
今度はげらげら笑った。
「デイヴィッド・ロホって言えば、いくらなんでもわかるだろ?」
殺したニンゲンのことなんて片っ端から忘れてしまうので、ターゲットだったのか、その記憶はあやふやだが、名前くらいは知っているような……思い出した。男性らしからぬ細身の男だった。きりりとした眉が印象的だった。
「シド、おまえはどうして俺がやったことを知っているんだ?」
「偶然さ」
「偶然?」
「ああ。俺は見たんだよ。たった一人の目撃者だろうさ。あんたが現場を立ち去ってから、死体の顔も確認した。間違いなく、そうだったよ」
「だったらどうして、ファミリーに伝えないんだ? 情報を寄越してやれば相応の報酬が得られるはずだ」
「目撃したってだけじゃあ、信じちゃもらえない。違うか?」
「違わないな。ローズの夫だということはどこで?」
「何事にも無関心なあんたが知らないだけで、そこそこ有名な話なんだよ」
「間違いないんだな?」
「嘘をついて、どうするよ」
そうか。
ローズの夫を殺したのは、俺だったのか……。
まったく、なんの因果か……。
「じゃあな。せいぜい、頭を低くして暮らすこった」
結局、シドはなにも注文することなく、出ていった。爆弾とやらを俺に投下するためだけに訪れたのだろう。
「ただいまぁ」テーブル席の客と談笑していたローズが戻ってきた。「ねぇ、今のヒト、知り合い?」
心臓がどきりと跳ねた。話が聞こえていた? たしかにシドの声は小さくなかったが……。とはいえ、嘘をつく理由もなければ必要もないと判断した。
「知り合いだ。仕事仲間とまでは言わないが」
「情報屋さんだったり?」
ほんとうに、どこまで聞こえていたのだろう……。
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今日はローズの夫、デイヴィッド・ロホの命日らしい。その日くらい覚えていてもよさそうなものだが、やはりあいにくと俺の記憶にはない。申し訳ないと思いそうで思わない。立場を呪え。ことヤクザ者に関しては、その言葉だけで事足りる。
にわか雨に見舞われた墓地。デイヴィット・ロホの墓石は、それはもう立派なものだった。ローズが手向けたのは真っ赤なバラの花束。デイヴィットが愛した花なのだという。
一人になりたのではないか。そう思い、先に車に戻ることにする――と、三歩進んだところで背中に硬いものを突きつけられた。銃口だとすぐにわかった。俺は鼻から息を漏らし、「昨日の話、聞こえていたのか?」と訊ねた。「ええ」と返事があった。
「ロイ、ほんとうにあなたが殺したの?」
「そうだ。間違いない」
「どうして……」
「仕事だった」
「愛していたの。心の底から、彼を」
「命を奪ったのは俺だ。殺すといい」
「あなたを殺して私も死ぬ」
「ダメだ」
「どうして?」
「理由は自分で考えろ」
ローズが鼻をすすった。
「あれもダメ、これもダメ。あなたが私に強いているのは、まるで拷問よ」
「健やかに生きてほしい。さよならだ、ローズ。さあ、撃て」
「撃てるわけないじゃない!」
後ろから抱きついてきた、ローズ。
「パパはおまえを手放すつもりはないんだろう?」
「ええ。だから、どこかに逃げよう?」
「それはよくない」
「どうして?」
「俺じゃダメなんだ」
「自虐は身を滅ぼすわ」
優しい女だ、ほんとうに。生死の、善悪の、そして希望と絶望のあいだで揺れる半端者の俺が好きになってはいけないタイプのニンゲンだ。つらいだけの関係なら、とっとと別れてしまったほうがいい。
天を仰いで目を閉じる。
柔らかにまぶたを打つ雨に、ほんの少し、涙が溶けた。
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外に出してもらえなくなった。散歩すらダメだという。出ていかれるのが怖いのだ。それがわかっていても、いけないものはいけない。ローズを殺し屋の恋人にするわけにはいかない。できることなら、マフィアとの関係も絶ってほしい。血生臭い世界とは無縁でいてほしい。フツウの生活を送ってもらいたい――難しいことなのだろうが。
ローズが仕入れに出ているとき――俺がしっかりと番をこなしている最中、店の電話が鳴った。出てみると、シドだった。『あんたのツレの話だ』という。「ツレじゃない」と訴えると、『まあ、どっちでもいいよ』と返ってきた。くつくつと笑う。うっとうしいし、気色が悪い。
「それでいったい、なんの用だ?」
『昨日の夜、ローズの"飼い主"が死んだ。奴さんのファミリーも大ダメージを受けた』
必然、目を見開き、息を飲んだ。
「ドンパチがあったのか?」
『ああ。今、警察がいろいろと洗ってる。仕掛けたのは、"バラク・ファミリー"の連中だ』
「俺が言うのもなんだが、戦争が流行る時代でもないだろう?」
『事実は事実だ。ではなぜ、連中は事を起こしたのか』
「どうしてなんだ?」
『武器や麻薬の流通ルートをぶんどろうとしたわけじゃない。バラクのボスはローズを欲しがってる』
「ローズを?」
『ファミリーを的にかけるくらいなら、さらったほうが話は早かったと思いはするが、まあ、ローズをめぐって抗争になる前に先手を打ったんだろうな』
厄介な話だと思う。バラクのボスは相当ローズに執着しているということだろうから。もちろん、ローズからすれば、面倒で迷惑な話でしかないだろう。心中を察してしかるべきだ。
『バラクはでかい。いくらあんたでも守り切ることは不可能だろうな』
そのとおりだ。そうでなくとも、ヒト一人にできることなんて限られている。
だったら、せめて――。
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スマートとは言えず、また申し訳ないことだが、紅茶に睡眠薬を溶かすことで、ローズには静かにしてもらった。横抱きにする。ベッドに寝かせ、布団をかける。頬にそっと触れる程度の贅沢は許してほしい。
表に出た。
満天の星空。
仕事をするにはうってつけの夜――であるような気がしてならない。
長らく留守にしていた自宅に帰り、武器を得た。バラクのボスの家は知っている。郊外の屋敷だ。大きなマフィアだ。警備は頑丈だろう。生きては帰れないかもしれない。だが、やらないわけにはいかない。目当ての人物を仕留めることで元を断てるのであれば万々歳だ。とにもかくにも、災いが降りかかる前に成すことを成せば、悪い結果にはならないだろう。
タクシーを拾って目的地へ。少し手前で降ろしてもらい、身構えられる前に門番の二人を殺した。門を乗り越え敷地に侵入。ドーベルマンが襲いかかってきた。犬は好きだが止む無く射殺。銃声を聞きつけたらしい黒服の連中がぞろぞろと出てきた。発砲、発砲、発砲をくり返す。弾をもらっても耐えるしかないし、どれだけ痛くても我慢するしかない。この職についておよそ三十年。やり方はいつも同じだった。誰かが速やかに殺してくれたら思い悩みながら生きることもなかったわけだが、今さらそんなことを言っても始まらない。
撃つ、撃つ。
殺す、殺す。
たくさんの死体を作ることには成功したものの、こちらのダメージも小さくない。肩で息をしながら屋敷へと入り――建物の構造はわからないが、勘を信じてとにかく奥を目指した。そのうち、突き当たりにそれらしい両開きのドアを見つけた。拳銃を片手に十秒、ドアを開け、思いきって中へと飛び込んだ。すぐさま、パン、パァンッ――乾いた銃声が鳴り響いた。当たり前だ。ボディガードがいないわけがない。実際、男が二人、こちらに銃口を向けていた。腹を撃たれた――痛い。右の膝を打たれた――痛い。自分の無鉄砲さが招いた事態だが、まごついていては応援が次々とやってくるかもしれない。やるしかなかったし、やるべきだった。仮にもっとうまいやり方があったとしても、そちらを選びはしなかっただろう。俺の命は軽い。
膝から崩れ落ちる。血を吐く。手が震える。歯を食いしばってトリガーに指をかける。次の瞬間、弾が胸の真ん中を貫いた。仰向けに倒れる、倒れてしまう。ホワイトカラーみたいな風体の、まだ若いと見えるボスがやってきた。こちらを見下ろし、銃を顔に向けてくる。
「ローズのイロだな? 勇猛果敢とはこのことだ。なんならウチで雇ってやってもいい。その怪我で生き延びることができたらの話だが」
俺は口元をゆがめ、自嘲するつもりで笑った。
誰も愛さず、誰も信用せずに生きてきた。誰にも愛されない、誰にも必要とされない。そんな人生を歩んできた。悲しくむなしい生き様だと言っ差し支えない。そのくせ、揺れることがあった。死に瀕すると生きたいと思うことがままあった。明るい未来なんてあるはずがないのに、希望を捨て切ることができなかった。今もそうだ。この場を凌げるのであれば凌ぎたい。会えるものならもう一度、ローズに会いたい。決断力に欠け、気弱で、優柔不断なのだ。だから、揺れる。どう振る舞うのが正解なのかわからず、心が揺れる、ただ揺れる。だが、決めよう、決めなければ。
本人が望もうが望むまいが、俺はローズを守りたい。マフィアの女にはしたくない。フツウの家庭を築いて、フツウに子を生んで、フツウに暮らしてほしい。俺の注文はそれだけだ。だから――。
「煙草を……吸ってもいいか……?」
弱々しい掠れ声での問いかけに、オーケーが出た。俺はトレンチコートのポケット――右のポケットに手を突っ込んだ。
もう迷わない。
もう変えない。
もう怖がらない。
俺の心はもう揺れない。
右手の親指でスイッチを押し込み、腹に巻いたそれを起爆させた。
意識が弾け飛ぶその刹那に、ローズの笑顔が脳裏をよぎった。
*****
目が覚めると、なにをするより先に彼の姿を探した。「ロイ! ロイ!」と大きな声を出して探した。返事はなく、どこにもいなかった。なにが彼を縛りつけていたのだろう。なにが私に触れることを拒ませたのだろう――わかりきっていることだ。殺し屋である自分を蔑んでいたのだろう。自分の手が汚れていると思っていたのだろう。なにより自分には幸せになる権利なんかないと考えていたのだろう。だからこそ、悲しさばかりを漂わせていたのだ。
私は一人ぼっちで寂しい思いをしている彼を救いたかった。そうすることで、彼にとってのスペシャルになりたかった。二度と、ここには戻ってこないだろう。男が黙って出ていったのだ。そこには相応の覚悟があるはずだ。不自由な性格であり、不格好な生き方だと思う。もっと肩の力を抜いて、日々を過ごせばよかったのに……。
胸が詰まる。絞り出すように「ロイ……」と発し、両の頬に涙を感じながら、出窓の前に立った。
花が生けられていた、一輪のバラ。
花瓶の前には、便箋。
一言だけ、したためられていた。
《どうか幸せに》
私はその場にへたり込んで、彼の名を叫びながら、子どもみたいに号泣した。