デジャブ
奴らは追ってこなかった。
追ってこようとしているのかもしれないが、警察との撃ち合いで時間を費やしているのだろう。
「美奈子、運転出来たんだ?」
「これ、お父さんの車と同じだったから、操作を知ってるの」
鍵がついて、エンジンがかかっていたことから考えて、この車は警察の車両と思われた。
公道に出ると車の運転を代わり、街に出たら車は乗り捨てた。
車に入っていた財布から現金だけ抜いて、俺たちは街でタクシーを拾い、病院に向かった。
俺は撃たれた部分の傷の手当てをしてもらうと、電車に乗った。
「なんかここは、別の世界に来たみたいに平和だ」
「……」
林さんは、俺の言葉を聞いているのかいないのか、窓の外を見ている。
トンネルだから、窓の外は何もない暗闇だった。
死んでしまった蓮や、瑛人のことを考えているのだと思った。
「美奈子……」
俺が呼ぶと、涙を流した顔を向けた。
抱きしめると、俺は彼女の髪に口づけした。
なんとか自宅に着いた俺たちは、パソコンでインターネット・ニュースを、テレビやラジオをつけてニュースや報道番組をしらみつぶしに見たが、どこにも記事になっていなかった。
翌日、俺たちは怖くて家から出れなかった。
同じように必死に調査するが、何も記事になっていない。少なくとも一人の警官が死んでいる。その後の撃ち合いを考えれば、四、五人の警察官が死んだり、怪我をしたりしているはずだ。
「俺たちの居場所はバレているんだろうか」
「……瑛人にここの住所を伝えたことはないわ」
「けど、部屋に招き入れたんだろ?」
彼女は怒った。
「なんでそんなこと蒸し返すの」
「モーフリング側が、俺たちの情報を掴んでいて、反社がそれを知ったら、ここにやってくるかも」
「じゃあ、どうしろっていうの。一生、逃げ回れと?」
「……」
「私は明日大学に行って、休学してくる。そして仕事を探すわ。忠さんはしっかり大学に行って」
「どういう意味だよ」
「ついでに、私の部屋も引き払ってくる」
「だから、どう言う意味だよ」
「私、あなたと結婚する」
「!」
勝手に決めるな。俺が何か言ったのか。怒りのような気持ちが湧いてくる一方、運命の女性なのだ、これを受け入れるべきだ、という考えがあり、二つがせめぎ合っていた。
断るなら、今言うべきだ。
俺は断らなかった。
その夜、俺は夢を見た。
ノートPCのような機械を開き、机に座っている。
対面する机に、男が座っていた。
髪は短く、丸く刈り込んでいた。
しばらく髭をあたっていないらしく、顎と鼻下に髭が見える。
俺は慣れないタバコを口にして、煙を部屋に吐き出していた。
俺は一度立ち上がり、窓の自動シャッターを下げると椅子に戻る。
シャッターが下がっていくにつれ、部屋が暗くなっていく。
天井についた羽根、シーリングファンがゆっくりと回っている。
羽根の影が、俺と対面する男の間を行ったり来たりしていた。
俺はノートPCのディスプレイで自分の口が、相手に見えないように、少し低く座り直した。
「質問するから、可能な限り早く答えて。反射速度のテストだ」
俺はなぜそんなことを言っているのかわからなかった。
最初は、ノートPCに表示される質問を、読み上げた。
「嫌だね。そいつに刺されたくないからな」
男の挙動は何かを隠しているようだった。
オドオドした感じ、というべきか。
次の質問は、ノートPCから発せられた。
俺には聞き取れなかった。
だが、男は答える。
「デッカードって言ったっけ? あんた、俺に死ねって言うのか?」
ノートPC『確定』の表示が点滅する。
俺はタバコを口に咥え、手を上着の下に滑らせる。
固く、ひんやりしたグリップを握り込むと、素早く取り出して、男の額に照準を合わせる。
銃身が綺麗に一直線に揃ったタイミングで引き金を絞る。
銃の重さやグリップの硬さから想像できないほど、トリガーは軽い。
射出された弾丸が、正面に座っていた男の頭蓋を破壊した。
俺は立ち上がって死体を確認する。
そしてスマフォで連絡する。
「モーフリングを一匹処理した。後片付けを頼む」
そこで目が覚めた。
変な寝汗をかいていて、シャツがべったりと体に張り付いていた。
俺の右腕に頭を乗せ、林さんが寝ていた。
右腕が痺れるのは、このせいだ。
下手をすれば変な夢もこの腕の痺れのせいかもしれない。
俺は林さんと結婚した。
それから間もなくして、彼女の妊娠が分かった。
日付から考えて、蓮にパソコンを教えた日だと思われた。
日付もそうだったが、その日ぐらいしか『避妊』を考えずにした日がなかったからだ。
お腹の中で、ゆっくりと、時間をかけて成長する子供の姿に、俺も彼女も安堵した。
俺は大学を卒業し、働き出した。
彼女と、そろそろ子供を幼稚園に入れようとか、そんな話をしている時期だった。
その朝、勤めている会社に行くため、俺は電車に乗った。
大学と勤め先の住所は違ったが、大学時代と同じ路線を継続して利用していた。
ふと見た座席に、如月遥香に似た女性が座っているのに気づいた。
「!」
隣に座っている男も俺が『ラジオくん』と呼んでいた如月瑛人に似ていた。
いや、完全に死んだんだ。あの時、確実に。
俺は首を振り、二人を見ないように努力した。
突然、車内に声が響いた。
『昼のラジオは飛満津ヒカリのヒマに任せて。こんにちは! ヒミツヒカリです。アシスタントの今川アキです。今日は水曜日。ヒミツヒカリのヒマに任せて! スタートです。
プープップープープ。(オープニング音楽らしい)』
「こら、ここは電車の中だぞ」
女性が、隣でラジオ番組の真似をする男をたしなめる。
まるまま『ラジオくん』の再現だ。
俺は男の顔を見た。
違う。
如月瑛人ではない。どこか違う。隣の遥香さんに似た人も、遥香さんそのものではない。
「……」
俺は気づいてしまった。
ラジオのモノマネをした男と、隣に座っている女性。
ただのチョーカーではない。『ハントクラブ』でつけられたあの『首輪』そのものをつけていた。
そして、二つの首輪から、フードコートで注文の仕上がりを知らせるようなブザー音が鳴る。
同時に、バイブレーターの振動音。
さっきから、車内の全員がその二人に注目していた。
男と、女は、『何かが聞こえている』様子であたりを確認している。
電車が次の駅に止まると『首輪』をつけた二人が降りる。
ホームの反対側に下りの電車が入ってきた。
キョロキョロと周りを見回しながら男と女がそこに立っている。
下りの電車からサングラスを掛けたスーツの男が降りてきて、そいつは自身の上着に手を突っ込んだ。
「まさか……」
立て続けに銃声がして、電車の窓に血が掛かった。
換気のために上部が少し開いていた窓から、血が車内に入った。
二人を撃った男は、銃を左脇の下に収めると、何事もなかったようにスーツの男は下りの車両に乗り込む。
撃たれた二人の体が、俺の乗っている上り電車の車両にもたれかかってしまい、電車が出発出来なくなった。
上り電車がトラブルで止まっているのをよそ目に、下り電車は走り去っていく。
騒ぎ出した乗客と、倒れた二人を確認しにきた駅員が事態に気付き、大騒ぎになった。
車内にはスマフォで映像を撮り始める狂った奴らがいて、俺は吐き気がした。
俺は電車を降りてこの場を去ろうしたが、駅員は、警察が来るまで動かないでくださいと言い始めた。
「取引先との約束に間に合わない。降りてタクシーをつかまえなきゃ」
駅員は警備を呼んできた。
警備の人が言った。
「お名前と連絡先を教えてください」
携帯に一度掛けるまでされてから、俺は解放された。
駅を出ると、会社に連絡して、今日は休むと告げた。
そしてタクシーを捕まえ、自宅に戻った。