父親との出会い
俺の両親は、林さんと子供を喜んで受け入れた。
親は俺の子供の頃の服を取っておいたらしく、サイズごとに綺麗に整理してあった。
「美奈子さん、この子、お名前は?」
「まだ届けていないんですけど、蓮にしようかと」
「いい名前がつきそうねぇ。蓮くんだって!」
母は林さんの子供を抱き抱えて、そう言った。
子供はまだ言葉を喋れない。
体の大きさとしては六歳、七歳に達しようとしているのに。
「この子、喋らないのかしら」
「……蓮。トイレしようか」
林さんは母から子供奪うようにしてトイレに連れて行った。
それを見ていて俺は言った。
「お母さん、まだ産まれて五日しか経ってないんだよ。言葉なんか覚えられないよ」
「……頭と体の成長のバランスとかが違うのね。難しいわね」
「何か自分で言葉を覚えるようなことをさせないといけないのかも」
俺は土日で蓮に言葉を覚えさせる方法を考えた。
考えながらも、とにかく話しかけなければと思いものを持っては、そのモノの名前を言って説明した。
色とか、数とか、『概念と言葉』は同時に形成されるように思う。
りんごを指差して『りんご』と言ったり『一個』と言ったり、『赤い』と言ったりする。相手が何の質問したのかを理解するには、モノにどういった性質があるか理解しなければならない。
月曜、俺達は初めて蓮と離れて大学に行くことにした。
家を出た時は蓮を一人にするのが不安そうだった林さんも、駅に着くと表情が明るくなっていた。
「久しぶりの大学だね。村上くんと学校に通うのも初めてだし、なんか楽しみ」
俺は駅に着いて、ホームを歩いている時、突然思い出した。
「待って、この電車に乗ったら……」
「何、突然」
このあたりから次にくる電車に乗れば、座席に『ラジオくん』が座っている。
以前見た合コンの写真が『ラジオくん』だとしたら、ここで林さんとラジオくんが出会うことになる。
出来た子供があんな異常な成長速度を持っているのだ、だとすると『ラジオくん』は人間なのか? いやいや『ラジオくん』を疑う前に、林さんが人間かどうかを疑わなくてもいいのか? 眩暈がする。もうそんなことはどうだっていい。電車が入ってきたからだ。考えるのは本人に会ってからにしよう。
俺は言った。
「この電車に林さんの合コンの相手が乗ってるかも」
「えっ…… どうするの。私、どうしたらいいの」
「分からないけど、とりあえず届出日までに父親になってもらうとか?」
そんな事務的なことを聞きたかったのではないだろう。だが、俺に言えることはなかった。林さんの気持ちなのだ。
「やだ。私、会えない」
「電車と車両を変えられたらまた会えなくなる。最初で最後のチャンスかもしれない。話せなければ連絡先だけでも抑えておこうよ」
車両が止まった。
扉が開く。俺は強引に林さんを電車に乗せる。
俺が見た先に『ラジオくん』が座っていた。
林さんにそれとなく場所を示す。
「あいつだろ」
「……」
次の駅は直ぐに着いてしまう。
そこから先は暫く停車しないから、話すならそこだということを説明する。
「本当になんて話していいか」
「とにかく連絡先だけでも抑えないと。あいつで間違いないんでしょ」
林さんは頷く。
駅につき、扉が閉まって走り出すと、俺は林さんを連れて『ラジオくん』の前に進む。
「!」
如月さんが座っていた。
キャップをかぶっていて、気付かなかった。迂闊だった。
いや、今は如月さんのことは無視だ。俺は決意した。
横にいる林さんが決意して『ラジオくん』に呼びかけた。
「如月くん!」
えっ? 俺は如月さんに呼びかけたのだと思った。
ラジオくんと、隣に座っている如月さんが反応した。
「ああ、あの時の?」
「あの時の、じゃないよ」
林さんはここで言うことが出来ないと判断して言葉を飲み込む。
「まずは連絡先を教えて。というか時間があるなら、どこかで話をしたいんだけど」
「この人は?」
如月さんは、ラジオくんに言った。
「ああ、合コンでちょっと」
「村上さん、この女性、もしかして……」
如月さんは手招きをした。
俺は顔を近づけると、耳打ちされた。
「赤ちゃんできた」
「えっ? そんな馬鹿な」
「?」
その言葉をどう取っていいか分からなかった。
「村上くん、その女性何?」
「えっと……」
こういう時、女性の勘はなぜ良いのだろうと思うことがある。林さんは言った。
「もしかして話していた彼女?」
ここで否定することも出来ない。
林さんは如月さんに名前を聞く。
「どちら様ですか」
「私は如月遥香」
「彼と同じ苗字なんですね」
「……」
自然と全員が次の駅でおり、駅近くのファミレスに入った。
頼むものを頼んでから、俺は言った。
「簡単に状況が知りたいんです。如月くんと如月さんはどういう御関係ですか」
如月さんは周りを見回して言った。
「待って。先に知りたいのは、そちらの彼女の話ね。もう産まれたんでしょ」
「!」
如月さんが、どうしてそれを知っている。俺は言葉が出なかった。
林さんは相手がこの短期間で出産までに至ったことを知っていることに対して驚きもしない。興奮状態で、冷静に判断できないのだろうか。
「……それがどうしたっていうの」
林さんは震えながら、そう言った。
如月さんは冷静なままだ。
「こちらでその子供を引き取ります。もちろんタダなんて言いません」
「お金で譲れってどういうことなんですか? 私がお腹を痛めて産んだ子なんですよ」
「混乱しているのは分かりますが、落ち着いて考えてみてください。あなたの産んだ子はあっという間に体が大人になる。戸籍上は零歳なのに」
人間ではないのか。異星人? 霊とか、鬼とか?
「だから?」
「だから、まともな教育は受けられないし、零歳の人を雇う職場もないということです」
「あなた達なら出来るとでも」
「できますよ。こっちでは少なくとも仕事を与えられるから、お金の心配をすることがない。あなた達の元にいたら、立派なひきこもりにしかならない」
「いいから子供は俺に渡せ。君に育てるのは無理だ」
如月さんの言葉に続けて、ラジオくんがそう言った。
「何よ、やるだけやってほったらかしといて!」
遥香さんがキョロキョロと周囲の席を確認し始めた。
「……」
何気なくスマフォを操作しているようだったが、スマフォのカメラを周囲に向けて動かしているように見える。
確かに片付けていないテーブルにスーツ姿の客が座り、店内から店員の姿が消えている。
「ちょっと急用を思い出したわ」
如月さんは、ラジオくんに耳打ちする。
ラジオくんは頷くと、林さんの手に千円札を渡すと言った。
「また連絡する」
「ちょっと……」
林さんが言いかけると、ラジオくんは林さんの口に指を一本たてて「シー」と言った。
二人はトイレに行くように、時間差をつけて立ち上がると、トイレではなく出入り口から走り去って行った。
片付けていないテーブルに座っていたスーツの男も、気がついたのか追いかけるように走っていく。
「……」
「林さん、今の見た?」
小さく頷いた。
警察なのか、それとも別の機関なのか。とにかく、如月さん達が、誰かに追われていることは間違いない。
だが、追われていることと、この成長の早い子供がどう関係するのかは謎だった。