いつもの車両
『昼のラジオは飛満津ヒカリのヒマに任せて。こんにちは! ヒミツヒカリです。アシスタントの今川アキです。はい、今日は月曜日。今日はね、いい夫婦の日ということで、『夫婦だけのヒミツ』というテーマで皆様からのお便り読んでいこうと思ってます。ギリギリまでね、お便りやメッセージ受け付けてますんでね。番組公式ツイッターか、公式HPからどんどん送ってください。面白いの優先で進めていきますよ。はい。
ヒミツヒカリのヒマに任せて!
プープップープープ。(オープニング音楽らしい)』
いつも乗っている電車で、初めてこれを聴いた時、頭がおかしいのだと思った。
誰かのラジオから流れている『音』として聴いた訳ではない。
スマフォやイヤフォンから漏れているのでも、ない。
車両の中の、端の席の男が口で『話して』いるのだ。
頭がおかしいのだと思った。
俺が、ではなく、そいつが、『糖質』だと考えた。いや『池沼』と表現するべきなのか。どちらにせよ『おかしい』という認識以外に何も感じなかった。
次の日も、同じ時間の同じ位置から電車に乗り込んだ俺は、全く同じようにラジオ番組を丸暗記した『独り言』が聞こえて来て、驚いた。
三日目、やはり同じことが起きた。
ラジオ番組を丸暗記したように読み上げたのだ。
俺は、そいつの事を『ラジオくん』と呼ぶことにした。
何か電波が脳に入ってきて、それを一人で喋っているのかも知れない。そう思ったからだ。
だから『ラジオくん』というネーミングは、なんとなくこいつの性質をいい当てているような気がして、自分一人で悦に入っていた。
ラジオくんがイケメンだったから、何かそうやって『下げ』ないと俺の中でバランスが取れなかったのかもしれない。冷静な自分はそう思っていた。
四日目、『ラジオくん』は乗ってこなかった。
五日目は、またちょっと違っていた。
ラジオくんがいつもの席にいて、いつものようにラジオのオープニングを喋り始めた。
「昼のラジオは、ヒミツ光のヒマに任せて……」
そこまでは同じだった。
そこで、横に座っている女性に注意されたのだ。
「ほら、ここは電車の中だから、どうするんだっけ?」
今までラジオくんに同伴者がいたという認識がなかった。
ラジオくんとその女性は何かやり取りを続けると、ラジオくんは固まった様に黙って正面を向いた。
ラジオくんは日常生活に問題があるから同伴者がいるのだろうか。
俺はその女性を見た。
長い髪は綺麗にとかれて、艶やかだった。
露出の多い服装は、その女性のスタイルがいかに良いかをアピールしているようだ。
俺の偏見かも知れないが、ラジオくんの同伴者の服装ではない。仕事感もないし、髪も服装にも不潔な感じや、疲れた感じがない。そもそも、生活感がない。まるで婚活パーティか、合コンにいくような格好だし、雰囲気なのだ。
正直、その女性を見ているだけで男としての何かが刺激された。
途中の駅でラジオくんが電車を下りた。
女性はついていく訳ではなく、手を振ってラジオくんと別れた。
俺は突然、その女性に興味が湧いた。
チラチラとことある毎にその女性の姿を見ていた。
終点のターミナル駅に着くと、俺は少しゆっくりと歩いて、ラジオくんの隣に座っていたその女性を目で追った。
俺は次の路線に乗り換えなければならず、改札に向かって歩いていた。
目で追っていたつもりだったが、女性はいつの間にか見えなくなっていた。
大学の授業が終わると、俺は研究会の部屋に寄った。
カバンを置いた途端、二人が寄ってきた。
「あ、こんにちは、村上くん……」
「村上も賛成だよな!?」
挨拶してきたのは林さんで、声をかぶせてきたのは毛利だった。
林さんはメガネを直して振り返ると、毛利に怒った。
「ねぇ、ちょっと私が先に話しかけたのに」
「同じこと話すつもりなんだからいいじゃん」
「なんのこと?」
聞いてみると、どうやら研究会で合宿をしないかということだった。
「あれ、なんかイベントの締め切りあったっけ?」
「合宿で漫画書くだけが脳じゃないだろ?」
「?」
林さんが俺の顔をじっと見てから、目を逸らした。
「皆んなの親睦を深めるとか…… そういう」
髪を指で絡めながら、横目で俺の方を見てきた。
「学校の行き来だけじゃ息が詰まるよな? どっか行って、遊びたいだろ?」
毛利は林さんの後ろで、言いながら俺にウインクした。
ああ、毛利は林さんを狙っているのか。
だから合宿という名目で、遊びたいのだ。
俺はそう思った。
「いいんじゃない。あんまり金かからないところがいいな」
「いくところは、決まってるんだ。高原だよ。ペンションだよ。大学生といったらさ。パソコンやタブレットに向かって絵を描くだけじゃなくてさ。そういう空気のいいところでさ、テニスとかしたりしてさ」
「村上くんテニスできる?」
林さんが笑顔でそう言った。
「いや、やったことない」
「じゃあ、私が教えてあげる」
「林さん、村上だけじゃなく、俺にも教えてよ」
俺は笑いながら、椅子に座った。
「他の人たちは?」
「みんなもOKだよ。毛利くんと月島くんの車で行くから配車も決めないとね」
「それじゃ、林さんは俺の車に」
「ねぇ、ちょっと勝手に決めないでよ」
俺たちはその後も合宿のことを話し、グループのLINKに流した。