第78話 Through the darkness.
昼前には何とか雁坂トンネルの目の前まで到着した。かなり湾曲したトンネルを抜けて、その先の橋を渡ると、全長6キロ以上の長大トンネルの雁坂トンネルだ。
ここでは元凶の待ち伏せの可能性を考慮して、俺も村雨さんも89式を構えながら進んできたのだが、脅威は存在せず、静寂が支配する暗闇のトンネルが目の前にあった。
「微かですが、排気ガスの臭いがします」
隣にいる村雨さんが報告してくる。確かに、そんな臭いがしないでもない。
それが元凶たちが通った確実な痕跡であるとは言えないが、他の一般車両がこのアウトブレイクの後で通った可能性はそう高くない。特に停電が始まってトンネル内の換気装置が止まってからは、ここを通行する車はほとんどいなかっただろう。
総延長6625メートルと書かれた看板の横を通り過ぎて、トンネルへと歩みを進める。
元凶の待ち伏せの可能性を考慮し、明かりをつけることなく俺と村雨さんはトンネルの内部を進んで行く。お互いに足音を極力出さないように慎重に歩き続ける。
トンネルに入ってたぶん500メートル程度進むと、トンネルが僅かにカーブしているためか、視界は完全な暗闇に包まれた。振り返っても入口からの光はほぼ無に等しく、出口からの光は完全に無だ。
俺の腕に何かが触れる。これは、村雨さんの手か。
「どうかしましたか」
小さな声で俺の腕を掴む村雨さんに問う。
「いえ…はぐれないように…」
まあ、確かに一度でもはぐれてしまえば、声を出すか光源を使うかしないと合流できない可能性がある。この視界のない状況では誤射の危険も伴う。
とはいえ、咄嗟の射撃が必要な場合は互いの手が触れあっている状態は良くないな。
「村雨さん、俺が先頭に立つので、後ろで俺の腕以外の場所を掴んでください」
「…了解しました」
一旦立ち止まってそう伝えると、村雨さんは俺の意図に気が付いたのか、89式を肩に掛けてから後方へと移動して、俺の左の腰当たりの服を掴んだ。
さて、トンネルはまだあと6キロくらいあるな…
進んでも進んでも、相変わらずの暗闇。もうトンネルの半分程度まで来ているとは思うのだが。
既にトンネルに入ってから1時間ほど経過している。足音を立てないようにゆっくり歩いているため、致し方ないのだが。
トンネルに入って2時間くらい経過した頃、ようやく出口の明かりが見えて来た。トンネル内部が明るくなっており、見える限り人影はない。
歩く速度を通常に戻し、出口付近まで近付いていく。
出口での待ち伏せの可能性を考慮し、出口まであと50メートルまで来た時点で一旦立ち止まる。
俺が立ち止まったところで、村雨さんはようやく俺の服から手を放して肩に掛けていた89式を手に取った。
一度振り返り村雨さんとアイコンタクトを取る。彼女は振り返った俺の顔を眩しそうに見てから頷いて準備ができていることを伝えて来た。
俺がいるトンネルの反対側の壁を指差して、村雨さんに指示を出す。互いにトンネル両側の壁際を、歩調を合わせつつトンネルの出口に向かって進んで行く。
出口で立ち止まり、左右にある旧道と思われる場所を互いに確認。さらにトンネルを出てその先にある橋、橋の先にある料金所なども目視で確認する。
結局、待ち伏せはなく、敵対的な存在もおらず、鳥の鳴き声や木々の揺れる音だけが耳に入ってくるだけだった。
そのことから推察するに、あの元凶の拠点から脱出できた者はそう多くない。そして他の元凶の拠点への報告を優先した可能性が高い。EMPが使用されて以降、通信機器は使えなくなったから直接向かうしかないからな。
しかし、今後は元凶の拠点を襲撃する難易度は上がっていくな。
「村雨さん、先に進みましょう」
そう言いながら村雨さんに近付いて行くが、少々様子がおかしいことに気付いた。いつもキリッとしている彼女が、疲れているように見えた。それに俺の声にも未だに反応がない。
何かあったのか。そういやトンネルの中で暗闇になったタイミングで、村雨さんが俺の腕を掴んだ時、彼女の手がほんの僅かだが震えていたような気もする。しかし、あの村雨さんに限って暗いのが怖いってことはないだろう、夜間行動の時も1人で元凶の拠点に侵入するくらいの肝の据わり様なのだ。
ただ、そう、あの時もだ。大滝ダムを迂回した時に通ったトンネルも非常に暗かったが、その時も彼女は俺の腕を掴んでいた。たぶん、その時も僅かながら彼女の手は震えていた。
「村雨さん、閉所恐怖症なんですか…?」
導き出された答えは閉所恐怖症。閉塞感のある場所に対する極度な恐怖、不安が生じる症状だ。
明かりのついていない真っ暗なトンネルという場所に2時間もいれば、誰でも少なかれ辟易するだろう。それが閉所恐怖症の人ならば、どれほどのストレスを感じるかは想像に難くない。
「す、すいません。大丈夫です、少し休憩させて頂ければ…」
数秒の間の後、村雨さんは力なくそう答えて道路脇のガードレールに腰を降ろした。
俺もその隣に腰を降ろし、バックパックから水の入ったペットボトルを取り出して彼女に手渡す。
「ありがとうございます」
そう言って受け取ったペットボトルの蓋を開けて、1口ずつ、ゆっくり水を飲み始めた。
ついでに残りの食料、飲料水を確認する。まずは食料だが、鯖缶4個、グラノーラバー8個、ジャーキーが2袋だ。3日くらいで尽きるかな。飲料水は残り1リットル。空の500ミリリットルペットボトルが4つ。水は今日の分だけだが、入手難易度はそこまで高くないはずだ。
数分後、村雨さんが立ち上がったため、俺もそれに続いて立ち上がる。
「村雨さん、もう大丈夫ですか?」
「はい。すいませんでした。多少なら大丈夫なんですが、あまり長時間ああいった場所にいると緊張してしまって…」
やはり閉所恐怖症だったか。それでも数分程度で落ち着きを取り戻せるのは、彼女の精神力の賜物だ。あの2時間の暗闇で取り乱すこともなかったしな。
「じゃあ行きましょうか。もう完全な暗闇のトンネルはないはずです」
そして俺と村雨さんは、料金所のあるほうへと歩き出した。




