第74話 囚われの身
時系列:物語開始の1年半前。第73話の半年後。
場所:とある雪山
―――バシュンッ―――
スコープのレティクルに合わさっていた背中には般若の刺青。次の瞬間には、般若の額に赤い点が浮き出る。
レティクルから目を逸らさずに、SV98のボルトハンドルを操作、排莢し次弾を装填。
後方からの狙撃を受けてもなお、般若を背負う男は膝立ちになって胸を押さえている。
それを見て驚きつつも、俺は容赦なく次弾を撃つためにトリガーを引く。
―――バシュンッ―――
周囲に積もっていた雪が、銃口から放出される発射ガスによって宙を舞う。
スコープを覗くと、僅かに視界が揺らめく。サプレッサーに滞留していた高温の発射ガスが2度目の射撃でさらにサプレッサーと銃身を加熱させ、氷点下の大気とぶつかってシュリーレン現象を発生させている。つまり陽炎だ。
銃口が重くなるのを嫌がって、ヒートリボンをつけなかったのが裏目に出たな。
だが数秒でサプレッサーと銃身が冷え、視界はクリアになる。スコープの中には、頭の欠片をまき散らして倒れている半裸の男が写った。確実に死んだな。
急いで排莢し、2発分の空薬莢を拾い、マガジンを取り外してライフルバックにSV98を入れる。
立ち上がって振り返り、雪山の中を歩き始める。ザク、ザクと雪を踏みしめながら、月明かりを頼りに進む。
しっかし、こんな真冬の雪山の山荘のバルコニーで寒風摩擦とは、とんでもない趣味のヤクザ者だったな。1発目で背中から胸にかけて撃ち抜いたのに、膝立ちで耐えてたしな。バケモノかよ。
それから3時間、無心で雪の降り始めた山を降りた。
合流地点の峠には人の姿は見当たらず、俺は7キロちょっとあるライフルバックを雪の上に置いた。
狙撃で人を殺したのは、これで3度目。今も少しトリガーを引いた右手の人差し指が震えている。相手は逮捕歴すらある悪人の極道だが、それでも命を奪ったという事実には動揺せざるを得ない。
極寒の雪の降る峠道の片隅で、俺は膝を抱えてうずくまる。寒さで震えているのか、恐怖や不安で震えているのか、もしくはその両方か。
しばらくすると、車両音が近付いてくるのに気付いた。朝方の暗い山道を走って近付いてくるヘッドライト。
念のため、ライフルバックを担いで近くの木陰に退避した。
近付いてきた車両は俺の目の前で止まってヘッドライトを消した。白のSUVとわかり、僅かに安堵しながら俺は木陰から出て車へと向かった。
助手席側から近付いて行くと、窓が僅かに開いた。
「どうだった」
と問う川崎の声。
俺は黙って車の後ろを指さす。
すると、コッ、という音がしてドアのロックの解除音が聞こえた。
俺は車の後ろへと向かい、バックドアを開けてライフルバックをしまってから、助手席に乗り込んだ。
「やった。胸に1発、頭に1発。頭が欠けてたから、即死だろう」
「脳幹を吹っ飛ばしたのか?」
「いや、風もあって距離もあったんだ、そりゃ無理だろう」
確実に殺すなら脳幹を撃ち抜け、川崎は何度もそう言っていたが、今回は弱いが横風も吹いていて200メートル以上の距離からの狙撃だった。この状況で僅か数センチの脳幹に弾丸を叩き込むのは至難の業だ。
「そうか…。どちらにしろ、死亡が確実になるまではお前は帰れない。報告を待つ」
そう言って川崎は車を発進させる。
だったら聞くなよと言いたいところだが、これは川崎なりの心配の仕方なんだろう。俺が標的を仕留め損なえば、死ぬのは俺だけでは済まない。それに、彼も従順な配下を失いたくはないんだろう。
車を転回させ、峠を降りて行く。
陽が昇る頃には、湯畑のある温泉地に到着した。どうやら宿を取っているらしく、そこで待機するとのことだ。
朝方だったが、宿は出入りできるようで、なるべく静かに俺と川崎は客室へと向かった。
客室には既に川崎の私物が置いてあった。俺が雪山で狙撃のために待機してる間にも、川崎は暖かい宿の一室でくつろいでいたと思うと少し腹立たしかった。
しかし、それよりも疲れていたため、上着と防寒ズボンを脱いでから敷いてあった布団へと倒れる。
横では俺の置いたライフルバックを開けて、中身を確認し始める川崎。カチャカチャうるせえなと思いつつも、そんな音が遠くなっていく。
ハッと目が覚める。身体を起こして周囲を確認する。部屋には誰もおらず、時計の秒針の進む音と、窓の外に降り頻る雪だけが動いている。
時計を見ると1時20分。外が明るいところを見るに13時20分だろう。まあまあ寝れたな…
とそのままの体勢でぼおっとしていると、扉の開く音が聞こえ、目の前の襖が開いた。
「おう、起きたのか。これを食え」
旅館の浴衣を着ている川崎は、俺に何かを差し出してきた。黙って受け取ると、それは肉まんだった。
「宿のサービスだ。どうせ外を出歩いても雪に埋もれるだけだからな」
そうか。昼飯の代わりに配ってるのか、良い宿だな。
包み紙を開いて、肉まんを口にする。まだほのかに温かい。18時間ぶりの食事で、胃はすっからかんだったため、1分も掛からずに平らげた。
「茶だ」
そう言って川崎はテーブルに湯吞みを置いた。
黙って手に取って、あっつい茶を啜る。
すると川崎の持っていた携帯電話が鳴った。スマホをポケットから取り出して、電話に出る川崎。
「俺だ…ああ、ああ。そうか…わかった」
と短いやり取りの後、電話を切る。そして。
「良かったな。標的は確実に死んだらしい。今夜のニュースでも流れるだろうよ」
「そう…か」
脳裏に浮かぶ、うつ伏せに倒れている半裸の男。その頭は一部が欠けて散らばっている。背中の般若の額からも血が流れ出る。
「相手は殺人で逮捕歴のあるヤクザだ、気に病むことはない」
「っ…」
俺が何を考えていたのかを的確に当てて来やがったな…
俺は言葉を返さず、話題を変える。
「それで、計画はどうなってる…」
「まだダメだ。助けるべき孫がどこにいるのかすら掴めん」
「…あれから半年経った。俺は今回で3人の人間の命を奪った。どれもヤクザやマフィアの悪人だったが、殺人は殺人だ。捕まれば無期懲役か死刑、そのリスクを背負っている。それなのに、そっちは何の成果もないって言うのか…?」
「…すまない。だが、どっちにしろ、お前はやらねばならん。あの娘を助けたいのなら、な」
「クソ…」
川崎は自分の孫と俺と悠陽の全員が助かる見込があるならば、組織に反抗すると約束したが、今のところその見込は一切ないということだ。つまり、俺と悠陽が生き残るには、俺がこのまま殺し屋を続けていくしかないということでもある。
「そのための技術は教えてやっただろう。足りなければ、これからも教えてやる」
「ちっ…」
川崎の言葉を無視し、俺は舌打ちをする。川崎は続けて。
「明日、施設に帰る。またしばらくは、お前はあの娘と一緒に居られるだろう…」
何だその言い方…って、そうか、川崎は人質に取られている孫とは会えていないんだったな。電話では話せているらしいが。結局、俺と同じ囚われの身なのか。
「クソ…」
俺は悪態をついて、布団へと潜った。
疲労も溜っていたため、すぐに意識は薄れて行った。




