第72話 悲願の再会
時系列:第71話の3日後
場所:不明
3日間、俺は森の中で生き残った。殺した人たちの顔が目に浮かんでくる。40代の女性、60代の男性、そして俺と同じくらいの歳の男性。皆、最初の人と同じように、誰かを人質に取られたうえでここに放り込まれて、俺のことを殺すように脅されていた。だから、自分の身と恋人の身を守った。それだけのこと。それだけのことだ。
「よう、生き残ったか」
目の前に、俺のことをここに放り込んだ男が現れた。初老の白髪の男。
俺は咄嗟に、その男へと走り寄った。さっき殺した同年代の男が持っていたサバイバルナイフを握りしめて。
殺してやる。殺してやる。殺してやる。
だが、もう少しで手が届く距離まで来たところで、俺は身体の自由が利かなくなって走る勢いのまま倒れた。受け身を取ることもできずに。
何をされた。身体が、動かない。
「テーザーだ。ったく、とんでもないのが出来上がったな」
耳に聞こえてくる声。そして俺の腕に何かをつけた感触。
すると、身体の自由は戻って動けるようになって、顔を男の方へと向ける。
「狂犬め。少しは考えて行動しろ、俺を殺したら、お前の恋人はどうなると思う」
「くっ」
そうだ。彼女はここにはいない。他の誰かに監視されていると考えるのが普通だ。だが、頭に血が上っていてそんなのを考えている暇すらなかった。
「立て」
そう言われて腕を引っ張られる。そこで気付いたが、俺の腕には手錠が嵌まっていた。クソが。
「今からお前の恋人に会わせてやる。おとなしくついて来い」
ああ。そうか、3日間生き残ればって最初に言っていたな。本当に約束を守ってくれるのか?いや、信用はしない。何をされるかわからない。
俺はそのまま森を囲むフェンスの外へと連れていかれ、しばらく歩かされる。
「俺は川崎だ。お前とは長い付き合いになるだろう、こんな出会い方で残念だが、よろしく」
「は?何を…」
それからは、黙って森の中の道を歩くだけだった。
景色が変わり、ひらけた場所に大きめの建物が見えて来た。山間部にマンションのような病院のような建物があるのはものすごい違和感がある。
川崎についていき、その建物へと入って行く。そして長い廊下を進み、とある扉の前で立ち止まった。
川崎は扉を開けて、中に入るように促してきた。恐る恐る扉をくぐると、ロッカールームのような部屋だった。
「着替えはそこにある。奥にシャワールームがある」
と言いながら、俺の両手を拘束している手錠を外した。要は身体を洗って着替えろということか。
俺は黙ったまま、椅子に置かれた着替えとバスタオルを拾い上げて、シャワールームへと向かった。
埃や砂、そして血に塗れていた身体を清め、清潔な服に袖を通す。少しだけ、生きていることを実感できた。少しだけな。
そしてまた、川崎に案内されて、廊下を歩いて階段を昇り、扉の前で立ち止まった。
「ここだ。入っていいぞ」
俺は目の前にある扉のドアノブに手を掛けてゆっくりと回し、扉を押した。
「悠陽っ…!」
「淳…?」
部屋の中にはパイプ椅子が1つ置かれ、そこには俺の恋人である悠陽が座っていた。
名前を呼びあい、立ち上がった彼女に駆け寄って抱きしめる。生きている、よかった、よかった、本当に。いつもの、少し小さいが抱きしめると暖かくて安心する、いつもの悠陽だった。
しばらく抱擁を交わし、冷静になったところで俺は振り返った。扉から川崎がこちらを見ており、目が合った。俺が眉をひそめると彼は扉を閉じた。なん、だ…?
しかし、今はそんなこと気にしている時じゃない。
「大丈夫だったか?何かされてないか?両親はどうしてる?」
と立て続けに質問する。
「うん、何もされてない。ただ、普通の、ホテルみたいな部屋でずっと過ごしてた。お父さんとも、お母さんとも、ずっと会ってない」
「そう、か。とにかく無事でよかった」
「淳…。淳は、何もされなかった…?」
「ああ。この通り、大丈夫」
実際はあちこちに擦り傷や痣ができていて痛むが、彼女を心配させないために嘘を吐く。
「嘘、何か、あった」
見破られてる、な。だけど、俺の怪我には気付いていない。俺に何かあったことには気付いても、その何かはわからない様子。
あの川崎という男、電話では彼女を目の前にして話している風だったが、実際は彼女から見えない、もしくは聞こえない場所から俺に電話していたのか。
目的がわからない。あの川崎という男の。
ガチャリ。と音がして俺は振り返る。川崎がこちらを見て。
「2人とも、出ろ」
と言う。俺は抵抗せずに従い、悠陽の手を取って部屋から出た。
「ついて来い」
そう短く言って、歩き出す川崎。俺と悠陽は黙ってそれについていく。
階段を昇り、また廊下を歩く。
「ここに入れ」
また扉の前で止まって、入るように言われた。そして。
「お前と、その娘の命は保障してやる。この部屋にいろ。外には出れんが、衣食住は揃っている。だから、無駄な反抗や抵抗はするな」
と続けた。川崎の表情はあまり変化していないが、敵対的な態度ではない。
言われるがまま俺は扉を開けて、先に悠陽を部屋の中へと入れる。
「少し、待ってて」
と部屋に入った悠陽に声を掛けて、扉を閉める。それなりに重厚な鉄の扉だ、大声でなければ中に声は聞こえないだろう。
「どうした」
川崎が俺に問う。
「目的は、なんなんだ」
「今は言えん。明日の朝、迎えに来る」
「何をさせるんだ…」
「とにかく、反抗や抵抗をしなければ、お前とあの娘の命は保障する」
俺は川崎のことを懐疑的な目で睨みつける。
「3日間生き延びれば恋人に会わせてやると俺は言った。それは実際、そうなっている。俺は嘘は言わない」
「クソ…わかった。抵抗はしない、言う通りにしよう」
「それでいい。さあ、入れ」
言われた通り、俺は扉を開けて部屋の中へと入った。
扉が閉まると、ガッチャンという鍵を閉める音が聞こえた。内側に鍵の操作箇所はないため、俺たちは部屋に閉じ込められたということだろう。
悠陽は入って来た俺を見て。
「何を話してたの…?」
「いや、大したことは話してないよ。ほんとに。ただ、俺たちの置かれている状況を聞いてたんだ」
「それで?」
「だから、大したことは何も。少なくとも、今は俺も悠陽も、安全ではあるらしい」
「…そうなら…いいけど。でも、淳がいてくれるなら嬉しい。今までとにかくずっと独りだったから、寂しかった…」
そう目を潤ませる彼女を抱き寄せる。
何が何だかわからないが、今はとにかく彼女を守ることが最優先だ。
抱き寄せた彼女が俺の胸の中で寝息を立て始めそうになったところで、俺は部屋を見渡した。
ビジネスホテルの一室のような部屋だ。家具はベッド、机、椅子、冷蔵庫。入口の横にはトイレとシャワーもあった。しかも別だ。
眠気眼の悠陽を抱っこして、ベッドへと運ぶ。
ベッドに降ろすと、彼女は。
「心配なことがたくさんあって、眠れなかった。けど淳のおかげで安心しちゃって、眠くなっちゃった…」
「そう、か。俺も少し、眠いよ」
そう言って彼女の隣に寝転ぶ。実際、森の中で3日間、ほとんど寝ていない。
水と食料は、少量ずつだが、俺が殺した者たちが持っていたため、あまり衰弱はしていない。
隣で再び寝息を立て始める彼女に腕枕をするように抱き寄せる。殺した、あの3人の死に際の顔が浮かんでくるのを、塞ぎ止めるように。