第70話 怨敵-伍-
一部内容を変更しました。主に中盤から終盤にかけての会話に変更があります。
ただただ暗い森の中にある基地局、ただ電波塔があるだけの施設で夜を明かす。9月の中頃になると、標高1000メートル近い山の上はそれなりに冷える。
結局、朝になるまで元凶がこの場所にやってくることはなかった。まさか1キロも離れた場所から偵察しているなどと思ってもいないのだろう。
村雨さんは、日が昇り明るくなってきたところで、バックパックから何かを取り出した。
三脚付きの装置、なんだ…これ。
「航空機に目標を指示する誘導装置です」
はあ。まあ、爆弾やらミサイルを当てるために必要な装置ってことだな。
それからも俺と村雨さんで交代しながら、絶え間なく偵察を続ける。
相変わらず、歩哨は拠点周辺やダム湖の周辺にいる。もはや見つけるのは諦めて、防衛体制に移行したのか。
12時30分、いよいよ作戦開始時刻だ。村雨さんは無線機の電源を入れ、マイクロSSDを入れる。何をしているかは知らないが、必要なことなんだろう。
それから1分ちょっとで、高高度を飛ぶジェット機の機影が見えた。
―――…を探…、目…指示を…―――
と無線機から途絶え途絶えに通信が入った。村雨さんは三脚の上に乗っている機器を操作し、元凶の拠点に向ける。
―――座標…を確…突入ま…4ふ…―――
と再度無線機に通信が入る。そして高高度から徐々に降下している機体は南の方へと飛んで行った。
恐らく南側から侵入しないと目標位置に攻撃できないのだろう。
その高度まで来ると、ジェット機特有のエンジン音が聞こえて来た。元凶の拠点にいる連中も気が付いただろう。
機体は…F-4、ファントムか。機体下面にあるパイロンに爆弾を大量に抱えている様子が見える。
「攻撃目標の指示ができました、あとは待つだけです…」
そう言って村雨さんは双眼鏡を覗いて拠点の方を見始めた。
―――…まで、3分―――
そう無線に通信が入った時、村雨さんは双眼鏡を落とした。そして、茫然としている。
「村雨さん…?」
「…攻撃を中止しましょう」
は?
「は?いったい何を…」
「子どもがいるんです、たくさん。30人か、40人くらいです」
子ども…?
俺は村雨さんが落とした双眼鏡を拾って、拠点の方へと向ける。
確かに、子どもがいる。幼稚園児くらいから高学年児童くらいまでの子どもが1クラス分程度の数、空を見上げているようだ。
ただ、服装は元凶特有の白いカルト風のもの。つまりあの拠点にいる元凶の連中の子ども、関係者ということだろう。
―――投下まで2分―――
無線機から聞こえて来ると、村雨さんは三脚で固定されている誘導装置の方へと向かう。
俺は彼女の腕を掴んで、止めた。
「あれは捕虜でもなんでもないです。このまま続行でいいでしょう」
「…っ!?」
村雨さんは俺を今までに見たこともないような表情で睨む。綺麗で整った顔は、鬼のような形相になっている。
「…待ってください、捕虜でないという確証はありません。攻撃を中止しましょう」
そう言って俺の腕を払い、誘導装置へと手を伸ばそうとする。
俺は彼女の腕を強引に掴み、装置から引き離し、彼女と誘導装置の間に割って入った。
「奴らは自衛隊に狙われていることに気付いたんです。ここで逃せば厄介なことになりますよ」
「だからって民間人の可能性がある子どもたちを巻き込むわけには…!」
「いいや。服装が奴らと同じところを見るに、関係者ですよ」
「…それでも、可能性がある以上は中止しましょう。そこを、どいてください」
「奥多摩で、言いましたよね。俺は女でも老人でも、子どもでも、敵であれば殺すと」
―――投下まで1分―――
無線に通信が入った。
そして次の瞬間、村雨さんは僅かに身を屈めたかと思うと、俺に向かって拳を突き出していた。
殴られると気付いた瞬間に、僅かに身体を後退させた。それでも彼女の拳は俺の顔面に直撃。そして第二打が目の前に迫っている。
頭が揺れて霞む視界を頼りに、相手との距離を掴み、拳の挙動を確認。どっちにしろ避けられないと判断し、こちらから前に出て当たりに行く。
鈍い衝撃が側頭部を襲うが、当たったのは拳の中心ではなかったため意識を刈り取られるほどの威力はなかった。
俺は驚いている彼女の表情の少し下、首に向かって手を伸ばした。
「うぐっ」
首を掴んでいる俺の腕をなんとか振り払おうとするが、腕力では俺に敵わない。いくら彼女が鍛え抜かれた兵士でも、こちらも修羅場を潜り抜けて来た世界の裏側を知る人間、腕力は一般人よりはある。
だが腹に強い衝撃が入り、首を掴んでいた手から力が抜け、彼女は俺から急速に離れて行った。
クソ、あの状態からよく膝蹴りができたな。
―――30秒―――
「そこを、どいてください!」
そう叫びながら走り込んでくる。予備動作からして、また顔面を殴りに来るな。芸がねえ。
腕の長さも、こちらに分がある。先出しされてもリーチを生かして殴り返せる。と思っていたが、勢いのまま彼女は跳躍し、空中で姿勢を変えた。
「…ッ」
飛び蹴りが俺の下腹部に直撃し、後方に倒れる。純粋な力勝負では無理と判断して、技勝負というわけか。
彼女も飛び蹴りの体勢のまま地面へと落ちるが、しっかりと受け身を取っていて無傷だ。
もちろん先に立ち上がったのは彼女だが、俺も痛みを堪えてすぐに立ち上がる。位置関係はまだ誘導装置と彼女の間にいる。
「どいてください」
「それは無理だ」
投下まで残り10秒くらいか。
「それなら…」
と言いながら彼女は腰の裏辺りから何かを取り出そうとする。この動作、拳銃か!?
気付いた瞬間には、既に彼女の手には拳銃が握られていた。ホルスターを身に着けていないから拳銃は持っていないと思ってたが、戦闘服の下に隠してたのか…気付かなかった。
―――パァンパンパン―――
3発、乾いた銃声が響く。
―――投下、投下―――
無線機に通信が入る。爆弾は投下された。
振り返ると誘導装置は銃弾を受けて壊れていたが、F-4は爆弾を投下したようだ。
村雨さんを見る。悲しみ、そして怒り、絶望の入り混じる表情で投下されて空中を滑空している航空爆弾を目で追っている。
俺は落ちている双眼鏡を取ろうと一歩踏み出すが、力が入らずにその場で転倒した。
「なんだ…?」
そう呟いて、違和感のある右の太腿を触る。手に何かが付着した感覚があり、見ると、手のひらは血塗れだった。
彼女が撃った弾が右太腿に当たっていたらしい。そうだよな、俺の後ろに誘導装置があったんだ、俺にも弾が当たっていて当然だ。
そう考えていると、ドドドゴォゴォゴゴゴオーンという爆音が響き渡った。投下された爆弾が着弾し爆発した音だろう。
双眼鏡に手を伸ばそうとするが、双眼鏡は横から伸びて来た手によって掠め取られた。
「…」
「…」
村雨さんは無言で双眼鏡を覗き込んで元凶の拠点の方へと向ける。俺は無言でそんな彼女を見上げる。
「…ふぅ。ん?あれは…一体…?」
一瞬、安堵したような吐息が聞こえたかと思うと、不思議そうにそう呟いた。そして、また黙って双眼鏡を覗き続けている。
俺はそんな村雨さんから視線を落とし、自分の右太腿の傷を確認した。クソ、痛てえな。ただ、傷は浅く、銃創というよりは切り傷のようになっており、弾は掠っただけのようだ。
先日、村雨さんを治療した時に、バックパックからリグに移していたファストエイドキットを取り出して、急いで止血する。クソ、痛てえな。
「…どうして…なんで…?」
止血していると、ガクッと村雨さんが力なくその場に座り込んだ。あれだ、女の子座りという姿勢だ。
俺は止血を終えて、村雨さんの手から双眼鏡を取り上げて、元凶の拠点の方へと向けた。
どうやら爆撃は中心を逸れて、奥側の方に集中した様子で、手前側や中心付近の建物などは派手に破壊された様子はない。とはいえ爆風で外壁や屋根がそこかしこで崩壊しているのは見える。
そしてそんな拠点の中に、大量の感染者がいるのが見えた。
「は?」
思わず声に出る。なんであんな大量に感染者がいるんだ…?
感染者は爆撃の余波で怪我をして動けないでいる人間に襲い掛かった。1人に対して3人、4人の感染者が喰らい付き、抵抗も虚しく喰い殺されている。
そして爆風や飛翔した破片で負傷したのか、ただ単に驚いて腰を抜かしているのか、動けなくなっている子どもも、容赦なくその餌食となっているのが見えた。他の白服を着た者やAKのような自動小銃を持った歩哨が、感染者を撃ったり、鈍器で殴りかかったりしているが、その間にも感染者に喰い殺された者が感染者へと成り代わり、また他の人間を喰い殺し始める。
地獄のような光景だが、自業自得だ。自分たちで起こしたこの未曾有の生物災害、自分たちだけ被害無く生き残ろうなんて虫のいいことだ。
「へっ、ざまあねえ。報いを受けろ」
そう呟く。
その瞬間、何かが光った気がした。俺はその光の発生源へと双眼鏡を向ける。
奴だ。川崎と名乗り、俺に戦い方を仕込んだ人間。その川崎が、こちらへとSVDの銃口を向けている。そして硝煙が風に流されているのが見えた。
はっ、あそこからここまで1キロはあるし高低差もある。そんな7.62×54㎜R弾で届くわけ…
―――ヂュン―――
弾の飛翔音か…?
身体から力が抜け、双眼鏡を取り落とし、膝を付いた。
熱を感じる右の脇腹に手を添える。ヌメりとした感触が手に伝わってくる。
うそ、だろ…
―――ヂュコォーン―――
次弾の飛翔音。飛んできた弾は俺の20センチ横の地面に当たって跳弾した。
「ク、ソ」
俺は隣で力なく座り込んでいる村雨さんの方へと身体を動かし、覆いかぶさるように押し倒した。
バチコン、バシュン、とライフル弾が近くに着弾する音が聞こえ続ける。近くで爆ぜる地面や切り株から土や欠片が飛散してくる。
10秒か、20秒ほどで音は聞こえなくなった。
「あ…れ…」
俺の下敷きになっている村雨さんの声が聞こえた。
「はっ、向井さん…?」
「え、血が。あ、あ、そんな」
「ど、どうしたら…」
やっと正気に戻ってくれたか。
彼女は俺の下から抜け出し、俺を仰向けに転がした。
「向井さんっ!」
「…エイド、キット、青、の、注射器」
声を絞り出す。
「エイドキット、注射器、青いの。これですね」
震える手で、村雨さんは注射器を俺の身体に打ち込んだ。入っている薬剤はほんの僅かで、1秒も掛からずに俺の身体の中へと入っていく。
「赤、が、モル、ヒネ…」
「もう、喋らないで、血が止まら…え、止まり始めてる…?」
ダメだ、意識を保てない。
「奴ら…来る…逃げ、ろ」
「向井さんを置いてはいけません。少しだけ、頑張ってください」
村雨さんはそう言って、俺を無理やり立たせて、肩を支えた。俺もそれに応えるように、朦朧とする意識の中、懸命に足に力を込める。
第三章 埼玉編はこれで終わりです。次章は主人公の過去を回想する第四章 過去回想編となります。
さて、章の終わりなので催促させてください。
まず、ここまでご覧いただきありがとうございます。読者の皆様無くしては、ここまで執筆する気力は湧かなかったでしょう。割とブックマーク数や評価数を気にしてしまう人間なので、あまり増えていないような時期は投稿をしなくなったりしていました。ですが最近ガッとポイントが上がってジャンル別ランキングにまで乗るようになったので、ご期待に応えるべくペースを上げてきました。
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