第68話 巨壁
俺と村雨さんは警戒を続けながら道路を歩く。
しばらく歩き続け、道路の周辺に中規模の集落のある場所へと差し掛かった。
この辺りもやはり人の気配はない。
「車両音、前方から来ます」
周囲の建物を警戒しつつ進んでいると、村雨さんがそう警告を発した。確かに、車のエンジン音が聞こえて来た。
「隠れて。とりあえずやり過ごします」
俺はそう言って、村雨さんと一緒に道路と民家を隔てるブロック塀に身を隠した。
車のエンジン音は徐々に近づいて来て、目の前を通り過ぎていく。ブロック塀にある空気通し用の隙間から通り過ぎていく車を確認。
黒のワンボックス。運転席と助手席に人が乗っているのが見えたが、後部座席の窓は2列目も3列目も濃い目のスモークが入っていたため正確にはわからなかったが、何人か乗っている様子だった。
そのまま、車が通り過ぎて行くのを見送る。
「歩哨の交代ですかね」
「おそらくそうでしょうね」
ということは、あの惨状に気が付いて報告のために戻ってくるはず。
俺は咄嗟にさっき見た地図を思い出す、確かこの先に橋がある。
「村雨さん、急いで、奴らが戻って来る前に移動します」
「え、はい…」
俺は小走りで道路を進んで行く。
ここからは道路の横に流れている荒川が2つに別れ、それと共に道路は橋を渡った先で2つのルートに別れる。1つは大滝ダムへと続くルート、もう1つは二瀬ダムに続くルートだ。どっちを進んでも最終的には雁坂トンネルへと続いて山梨に抜けることができる。
「この先、ルートが2つに別れます。元凶の拠点の位置はわからないので、どっちのルートを行けばいいのかわかりません」
「え?はい、まあ、そうですね」
「それなら、教えてもらえばいいんですよ、奴らに」
俺は橋を渡り終わって振り返る。村雨さんも同じように振り返った。
「あの、ここで襲撃ですか」
「はい。ただ、ちょっと仕掛けをします」
俺はバックパックから、スパイクストリップを取り出す。村雨さんは、「いつの間にそんなもの…」と思わず小声で呟いている。
そして橋と地面の繋ぎ目に、スパイクストリップを設置。
繋ぎ目は黒く、スパイクストリップも黒いため視認性は最悪。加えて慌てて運転をしていれば絶対に気付けないトラップだ。
「なるほど、パンクさせて止めるんですね。それで車内から引き摺り出して、尋問ですか?」
「いや、聞く必要はないんですよ」
「どういう…」
村雨さんが言いかけた時、先ほどよりも大きなエンジン音で車が近付いてくるのが分かった。かなり飛ばしてるな。そりゃ歩哨だった6人が全員死んでいるのを見れば、すぐに報告しなくてはらない。無線通信はEMPの影響で不通、報告するには直接向かうしかない。
「村雨さんは向こうの、あの辺りで待機を。俺はあっちで待機します。急いで!」
「はい」
少し離れることになるため、所定の位置に向かいながらヘッドセットを装着。
村雨さんは交差点から大滝ダム方面へ少し行ったところ、俺は交差点から二瀬ダム方面へ少し行ったところで待機。
あとは車が来るのを待つだけだが、エンジン音とスキール音は急速に接近して来る。
走って来たワンボックスは橋を通過、その直後にある交差点を右折。そして少し進んだところでフラフラっと挙動を乱し、そのまま急激に向きを変えて横転。ズザザザザと滑りながら村雨さんの待機している目の前で停まった。
完璧に予想通りの動きをしてくれた。まさに予定調和とでも言うべきか。もはや芸術的とすら言える。
スパイクストリップでタイヤをパンクさせても、その場でバーストするわけではない。僅かに時間をおいてタイヤの空気が抜けるのだ。そのため、交差点を曲がることは可能だが、曲がっている途中も空気が抜け続ける。まっすぐ直線を走っているのならばタイヤの空気圧が急速に抜けてもすぐさま操縦不能に陥る可能性は低いが、車が横Gを受けている時はその限りではない。しかもそれが急いで飛ばしている時となると、横Gの変化をタイヤが受け止めらずに操縦不能になる。
パンクしたら徐々に減速して路肩に止まろう。急ブレーキ、急ハンドルなど急な動作はご法度。
89式を構えながら、横転したワンボックスに後方から近付いていく。
村雨さんは横転したワンボックスの前方から接近し、89式を構えて。
―――パァンッ―――
発砲した。
『銃を持っていました。車内は1人だけだったようです』
と報告が入る。
「普通に説明してくださいよ。事前にこうなるとわかっていれば、撃たなくても済んだんですよ」
と横転したワンボックスの中を覗く俺に、村雨さんは言う。
「すいません、時間がなかったので」
「まあ、確かに…」
納得してもらえて何より。
「では、こっちのルートでいいんですね」
そう、ワンボックスが向かおうとした方向、大滝ダム方面に元凶の拠点がある。
「急ぎましょう」
俺は村雨さんと一緒に、さらに道路を進み始めた。
そこから30分ほど歩くと、前方にループ橋が見えて来た。そしてその向こうには巨大なダムが見える。
この先ループ橋、という注意看板の下を通り抜ける。
「向井さん、姿勢を低くッ」
そう言って村雨さんは俺を引っ張って、歩道に張り出した茂みに俺を引き込んだ。
「ちょ、どうしました」
「ダムの上に人影が。たぶん歩哨です」
ここにもいるのか…ってことは絶対にこの先にあるな、拠点が。
てか、6~700メートルくらい離れてるけど、よく肉眼で見えたな…
「どうやって突破するか…」
「このまま道を進んで行ったら絶対に見つかります」
ダムの上は眺めが良いことで有名だ。ループ橋へと辿り着く前に絶対に発見されるだろう。というか、相手が双眼鏡など偵察ツールを持っているのならば、ここでもいずれは発見される可能性がある。
「迂回しましょう」
「そう…ですね」
俺と村雨さんは可能な限り遮蔽を取って、姿勢を低くしながら来た道を戻ることとなった。
大滝ダムから流れてくる中津川に掛かる橋がある場所まで戻って来た。地図にはこの先に林道があり、ループ橋を迂回してダムの横まで登れるようだった。
ちょっと疲れてきたな。さっきからゆるい登り坂だったが、この林道はかなりの急傾斜で登っている。
連日の疲労もあって、進む速度は非常に遅い。
近くを歩いている村雨さんも、流石に疲れが溜まっている様子だ。
「村雨さん、航空支援は明日の何時頃に来るんですか?」
「…ひとふたさんまるです」
そうか、正午過ぎか。
「拠点が良く見える位置を探さないといけません。休憩している暇はないですよ…?」
と少し正気に戻った村雨さんが付け加える。
「そうです、か。ここが頑張り所ってことですね…」
そう呟いて、登り傾斜を進む身体に力を入れる。




