第66話 強行突破
奥秩父方面へと向かって、緩やかな登り傾斜になっている道路を歩く。
村雨さんの持つ受信機から、一定の周期でビープ音が聞こえる。どうやらビーコンとの距離で音の高さが変わるらしく、今は低い音だ。
道中はどこかに歩哨がいる可能性を考慮し、常に気を張りながら進んで行く。
道路の周辺から建物は減り、雑木林が増えてくる。そろそろ小鹿野町を抜けて、奥秩父地域に入って来たころか。
「少し休憩しませんか」
道路の傾斜が緩やかな下り坂に差し掛かる手前で、俺はそう提案した。周辺に敵影はなく、この場所は見晴らしも悪くない。警戒しつつも休憩するには悪くない場所だ。
「…そうですね」
村雨さんは周囲を見渡してから、そう答えた。
道路脇にある石段に腰を降ろす。バックパックを横に置いて、中から水入りのペットボトルを取り出して、村雨さんに手渡した。
「ありがとうございます」
そう言って受け取った水を、村雨さんはごくごくと半分ほど飲んだ。まだまだ9月は暑い、水分補給はこまめにしないと。
俺も同じようにペットボトルを取り出して、水を飲む。ぬるくて、やや塩素っぽさがあるものの、乾いた喉を潤すには十分だ。
次にバックパックから袋に入ったおつまみ系のジャーキーを取り出し、袋を開ける。朝飯としては少し塩気が強いが、塩分補給も必要だろう。
「どうぞ」
開けた袋の開口部を村雨さんに向ける。彼女は中から1つ、大きめのジャーキーを取り出して口に運んだ。そしてジャーキーを口にくわえたまま、彼女もバックパックから何かを取り出して、封を切って。
「ぉーぞ」
と言いながらクラッカーを差し出してきた。1枚取って口に運ぶ。程よい塩気、口の中の水分を奪いながら砕け、ざくざくと咀嚼する。
まだまだ暑い晩夏の昼前。木陰の石段で、微妙な組み合わせのクラッカーとジャーキーを2人で黙々と食す。
「そういえば、村雨さん。何食わぬ感じで保養所に向かいましたけど、そういうの得意なんですか?」
俺はペットボトルの蓋を開けながら、なんとなく気になって村雨さんに尋ねてみた。
普通、1人で敵拠点への潜入などやりたがる人はいない。自衛官なら猶更、危険な行動を避けた連帯行動を好むのではないか。俺は昨晩の夜襲の時、村雨さんを待ちながら考えていた。
「えぇ、どちらかというと単独行動の方が得意かもしれません」
「自衛官なのに、ですか」
「私は…」
村雨さんはペットボトルの水を飲んで、一息ついて。
「元々私は自衛官ではなかったんです。あ、今はちゃんと自衛官ですけど、その前の話です」
その前?
「というと?」
「外務省にいたんです。主に東南アジア地域で諜報活動をしていました」
おい。とんでもねえ発言が飛び出したぞ。国家機密に関わる話が、なんでもない街道の脇で話されているんだが…?
まあ、その国家ってのも既に崩壊しているんだがな。
「諜報、ですか。なるほど、隠密や潜入が得意なのは、諜報員だったからなんですね」
「…意外と、驚かないんですね」
「いや、驚いてますよ…?」
「反応、薄かったので…」
沈黙が訪れ、残ったクラッカーとジャーキーを咀嚼する音と、死にかけのセミが道路をのたうち回りながら最後の声を上げている音だけが聞こえる。
少し乾いた暖かい風が吹く。そういや、ここしばらくは雨が降っていないな。夏特有の夕立などもほとんどなかった。
「じゃ、行きましょうか」
「はい」
バックパックを背負い、武器を確認して、俺と村雨さんは歩き出す。
緩やかな下り坂を降り、狭いトンネルを抜ける。
今のところ、元凶による待ち伏せなどは一切なく、その痕跡などもない。
村雨さんの持つ受信機からは、相も変わらずビーコンからのビープ音を受信し続けている。
長い下り坂が終わると、道路の上に青看板が見えて来た。この先、左方向は秩父市街方面、右方向は大滝方面と書かれている。
大滝は確か奥秩父の地名だったな。温泉があったと記憶している。
看板の通り、秩父往還道路を東へと進む。左に荒川があり、渓谷の中を通る道路だ。
道路沿いにある民家に人気はなく、静まり返っている。人っ子一人いないらしい。避難したのか、それとも…
ただただ周囲を警戒しつつ、道路を行く。
なんか、青梅街道に似てる道路だな。左側に川が流れていて、右側には山があって、道路の脇には杉林。道路の幅なんかもそれっぽい。
大滝温泉まで5キロという看板が出て来た。
そして少し行くと、金蔵落としの渓流という木製の看板があった。なんだ、これ。
その先にはカーブがあり、ロックシェッドがあり、そのままトンネルになっている。歩道はトンネル内ではなく、渓谷側に突き出している外側だ。
「村雨さん、俺が先に行きます」
「何か、あると…?」
「地図を見てください」
俺はそう言いながら、地図を取り出して現在地を村雨さんに見せる。
「秩父から奥秩父へ車などで向かうには、今歩いているこの道しかありません。そして、この場所はカーブとトンネルがあります」
「車で通るなら減速が必要、ということですか…」
この先に元凶の大規模な拠点があるとするならば、この先のトンネルの出口で歩哨が警戒している可能性がある。というかほぼ確実にいる。こういう勘は良く当たる方だ。
俺は村雨さんの先を行き、足音を極力消しながらゆっくりと歩き出す。89式のセーフティーを解除し、いつでも応戦可能な状態にしておく。
ロックシェッドまで進んできた。鉄骨の陰から、ゆっくりと顔を出してトンネルの中を確認する。
人影はない。トンネルの中も、出口の先にも。
ゆっくりと鉄骨の陰に戻る。
杞憂か?
もう一度、同じように顔を出して確認する。
ん?
トンネルの出口、車道に何かが落ちている。枝か…?いや、違う。布…?でもない。
そうか、スパイクストリップか。その上を通過した車両のタイヤの空気を瞬時に抜くトラップだ。アメリカの警察が逃走車を止めるときによく使っているアレだ。トンネルの出口で視認しにくく、それがスパイクストリップだと知っている人も日本では少ない。かなり有効な罠だな。
このトンネルの先、確実にいる。
俺はそのまま後退して、ロックシェッドから離れた。そして、後方で待機していた村雨さんと合流する。
「確実にいます。トンネルの出口にタイヤをパンクさせるトラップが敷かれていました」
「どうします?」
「徒歩なので、迂回するのも手ですが…」
「時間も惜しいです」
航空支援が上空に到着するまで、あと1日半ほど。迂回するとなると、険しい林道を3時間から4時間ほどかけて通る必要がある。このロスは大きい。
元凶の拠点を見つける時間も必要なのだ。いくらビーコンがあっても、探すのに時間は掛かる。
「俺が先陣を切ります。援護をお願いします」
「はい、お任せください」
悩んでいる暇はない。ここでさっさと決断しなければ、時間のロスだ。
マガジンを取り外してフル装填であることを確認し、チャンバーを確認。バックパックからショットガンを取り出して12ゲージをチャンバーに1発、マガジンチューブに2発を装填する。スリングを確認して肩に掛けておく。
村雨さんも同じように89式をチェック、準備は完了しているようだ。
お互いにヘッドセットを装着し、マイクチェックを交わす。
俺はトンネルを迂回するように造られた歩道の方へと向かう。ゆっくりと、足音を極力立てないように気を付けながら。




