第64話 夜襲-壱-
俺と村雨さんは神流町に到着して、学校の体育館で避難してきた人たちの体調を診ていた安部医院長のもとへとやって来ていた。
「良かった。無事だったのね」
「ええ、全員無事に連れて来れました。ただ、あの病院にはもう戻れないです。感染者が大量にやって来たので、門を開けっぱなしで逃げて来たので…」
「そう…それは別にいいわ。必要な物資や医療品も持って来れているから、問題ないはずよ。助けてくれて、本当にありがとう」
安部医院長は深く頭を下げてお礼を言ってくれた。周りの人たち、特に先ほどの感染者に包囲されつつあった病院からの脱出を経験した人たちも、各々で頭を下げてお礼を言葉を口にしていた。
「こちらこそ、休める場所を提供して頂いたりしましたから」
「それでも、返しきれない恩ができてしまったわ。もし何かあれば、いつでもここに来てちょうだい」
「はい、そうします。では、俺は行きますね」
「ええ。気を付けて…村雨さんも」
俺の後ろにいた村雨さんは、安部医院長と目を合わせて黙って頷いた。
体育館を出ると、若木さんと佐川さんがいた。俺を見つけると2人は駆け寄ってくる。
「向井さん、あの…」
「もう、行っちゃうんですか…?」
2人はどことなく、寂しそうに尋ねてくる。答えは聞かなくともわかっているんだろう。
「はい」
「向井さん、色々とお世話になりました…!」
「また会いましょう、きっといつか…」
「2人も、お元気で」
そう言って、俺は学校の敷地の外へと向かって歩き出す。後ろで、村雨さんと2人が何か話しているようだったが、すぐに追いついてくるだろうと思って、俺は先行した。
道路にあるバリケードへとやって来た。数人の地元民が待機していて、俺たちが出て行くのを待っていたようだ。
そこで早足でやって来た村雨さんが追いついて来て、地元民に会釈しながらバリケードを通過した。
振り返ると、さっそくとばかりにバリケードの復旧作業が始まっていた。
「とりあえず、俺が襲撃した元凶の拠点に行ってみますか?」
「そうですね、確か小鹿野町でしたね」
俺と村雨さんは、通って来た峠道を歩きながら今後の動きを話していた。元凶の生存者狩りを止める、それが村雨さんの目的なら、俺の元凶への復讐とやることは同じである。これからはほぼ目的は同じだ。
村雨さんは続ける。
「できれば元凶の大きな拠点を3日以内に発見したいんですが…」
「3日…何かあるんですか?」
「3日後、秩父地方上空に航空支援が来ます。1度っきりですが」
航空支援。自衛隊はまだ航空戦力を自由に使えるのか。ただ、元凶の拠点がわからなければ意味がない。上空を飛ぶ戦闘機から拠点の判別はできない。
「無線通信がダメなので、再度呼ぶこともできません。なので3日以内に見つけ出さないと」
「じゃあ、少し急ぎましょうか」
俺はそう言って歩く速度を上げる。
バックパックに.30-06のライフルと12ゲージのショットガンが入っていて重いが、村雨さんのバックパックにも装備類が入っているのか重そうだ。それでも、彼女は余裕な顔で俺の横を歩いている。タフだなぁ。
峠道を抜けて、午後3時ごろ。まだまだ汗ばむ陽気の9月中旬。人っ子一人いない田舎では、虫の声と鳥の声だけが聞こえてくる。それに時々吹く風が木々を揺らす音が混じり、重い荷物を背負っていることを考慮しなければちょっとしたハイキングだ。
ハイキング、か。昔は良く悠陽と一緒に公園や街中を歩き回った。いつも彼女の歩幅に合わせ、ゆっくりと歩いていたからか、一人で歩く時も速度が少し遅くなっていった。
今、隣を歩いている村雨さんに、そんな気遣いは不要だ。か弱い乙女、とは正反対の兵士。自衛官だ。なんだったら、俺の方が少し疲れて歩行速度は低下している。むしろ彼女が合わせてくれているのが現状だ。
夕刻。山に陽が沈み、ヒグラシが遠くで鳴く。
人家の多い場所までやって来た。小鹿野町の襲撃を受けていた公園までもうすぐだ。
「向井さん、襲撃されていた公園はこの辺りですか?」
「ええ。まあ」
「念のため確認させてください」
行くのか…あんまり気が乗らないが、村雨さんが望むのなら断ることもできない。
俺は頷いて、公園の方へと進み始める。
「こ、れは…なん…て…」
広い公園に無数の人の遺体が無造作に転がっている。晩夏の暑さもあって腐敗は進行し、周囲には今までに感じたことのない腐臭が漂っている。
村雨さんも、言葉を出すこともできず、ハンカチで口元を覆い、その光景を観察している。
「遺体の多くには打撲痕や切断痕がありました。一部は銃創も確認しましたが…」
「こんな数の人を…兵器も使わずに…惨殺するなんて…」
確かに、今のところここにいる元凶の連中は兵器と呼べるものは使っていない。民間で手に入るような工具や刃物、猟銃を所持しているだけだ。軍用の兵器類を持っている様子はない。
ほとんどを白兵戦で、数百人を死に追いやる、なんていうのは基本的にはあり得ない。
「たぶん、何か興奮剤のような薬物を使っていたか、元からタガが外れている連中なのか…」
もしくはその両方か。
「行きましょう。とりあえず、向井さんが襲撃した拠点を確認してみましょう」
既に周囲は夕闇に飲まれつつある。隣にいる村雨さんの顔も、明瞭には見えない。
「日が暮れて視界も悪いです。そうなると地の利のある向こうが有利に…」
「大丈夫です。これがあるので」
そう言って村雨さんは俺に近付いて来て、手に持っている物を見せてくれた。これは…
「暗視装置、ですか」
いわゆるナイトビジョンだ。単眼タイプの物だが、民間用ではない軍用の物。
「1つしかないですが、これで拠点に人がいるかどうかは一方的に確認できます」
確かに、元凶の奴らはそういったハイテク機器を持っている様子はなかった。ある程度の距離までは一方的にこちらが有利だ。
「わかりました。村雨さん、周囲の警戒は頼みます」
「お任せください」
俺は暗闇に染まりつつある公園を離れて、道路を進み始める。
鼻を突く腐臭から解放され、深めの呼吸をしながら元凶の拠点を目指す。
『もうすぐです』
『今のところ、人の気配はないですね』
ヘッドセットのマイクに小声で話すと、すぐに小声の村雨さんの声が耳元で聞こえて来た。
通信可能な状態に設定してもらい、少し離れながら腰を落として進んでいる。拠点まで100メートルもない。
俺は89式を持ちながら、村雨さんはナイトビジョンを構えながら、ゆっくり、ゆっくり進んでいる。
周辺の建物の窓、塀の隙間、空き地の茂み、ボロ小屋の陰。そういった敵の潜んでいる可能性がある場所を1つ1つ、村雨さんが確認し、進んでいく。
『コンタクト…』
小声の村雨さんが敵の発見を告げる。俺はすぐに止まって、その場で膝をついて姿勢を低くした。
『11時、距離80、民家の2階ベランダ、歩哨1、武装しているようです』
89式から.30-06ライフルに持ち替えて、スコープを覗き込み、報告された場所に照準を向ける。
いる。スコープの倍率を上げる。
どうやら狩猟用のショットガンを持っている白服の男が1人、道路に面した民家のベランダに立っており、道路を監視しているようだ。
『あそこの民家の手前にある道路を曲がると、奴らの拠点があります。白服を着ているので、元凶の連中で間違いないです…どうしますか』
『その拠点にはどれくらい奴ら、元凶がいたかわかりますか?」
ワ…びっくりした。途中からヘッドセットの通信じゃなくて、隣から声が聞こえてた。よくその重量のバックパックを背負って足音立てないで歩けるな…
「確認しただけで80人くらいです」
「あと300人、どこにいると思いますか?」
そうか。村雨さんの情報では元凶の連中が合計で400人程度、この秩父地方にいると言っていたな。
航空支援で殲滅するなら、もっと連中がいるところを狙いたいはず…
「目星は付いてます。地元住民への聞き込みである程度絞り込み出来たので」
「それは…?」
「奥秩父にある2つの別荘地です。割と最近に造られたというので、恐らくそのどちらかか両方か」
「でしたら、夜襲を掛けます。連中を拠点から炙り出して、撤退せざるを得ない状況に追い込み、逃げた者を追跡して、その別荘地を特定します」
村雨さんはいつもより低い声でそう言った。さっきの公園の状況を思い出しているのかもな。
「わかりました」
俺は了承して、村雨さんに大雑把に元凶の拠点になっている元保養所の構造と付近の地形情報などを伝える。




