第61話 落下傘
2023年、あけましておめでとうございます。
「っ!」
病院の付近にやってきた感染者に向かってマチェットを振り抜く。いつもよりも力を込めているためか、感染者の首がゴトリと落ちた。
力を込めすぎか。刃毀れする。
「これで最後か」
トラックの音に釣られてやって来た感染者は4体ほどで、全てマチェットで倒した。やはり波のように大量の感染者でなければ割とどうにでもなるな。知能もなく本能的に人を捕食しようと動くだけの屍、束になってやって来ても、重火器があれば薙ぎ払えそうだが…。いや、断続的に、ほぼ無限にやって来る屍には弾薬がいくらあっても足りないだろう。
「む、向井さん、あなた一体何者なんですか」
門を開けてもらい、病院の敷地内に入ると、義一さんがそう声を掛けていた。外で感染者を排除してる姿を見ていたんだろう。
「まあ、普通の人間ですよ」
「普通の人間は、そんな刃物で人を一瞬で殺すことは…」
ん?
「あの、向井さん?」
この音は。
「あ、人じゃなくて、感染者でした。すみません」
航空機。
「原沼さん、安部医院長に屋上にいるって伝えてください」
「え、ちょっと、向井さん!?」
俺は病院内に入って階段へと向かい、駆け上がった。そして屋上へと出る。
その頃には音もしっかりと聞こえるようになっていた。ブーーーーンというレシプロ機の音。
音の方向を見ると飛んでいる機体も目視できた。4発機、C-130か。
北東から近付いて来ている。徐々に右旋回しつつ、真上を飛んでいく。
ん?何か落とした。
「物資…いや、違う、人だ」
やがてパラシュートが開き、病院から西側1キロほどの場所に落ちていく。
すぐに病院の屋上から地上に戻り、バックパックとショットガンを持って原沼夫妻に門の開閉を頼んだ。
「向井さん、あれ、自衛隊ですか?」
「わかりません。あの機体はアメリカでも使われてますから…」
尾翼や主翼についている国籍マークは見えなかった。塗装からして空自の機体だとは思うが…
すぐに門を開けてもらい、俺は西へと向かった。病院の西側には荒川がある。たぶんそこの河川敷に降りるつもりなんだろう。
俺は途中でパラシュートを見失っていたため、荒川が見渡せるハープ橋の上にやって来た。ここからなら河川敷が広く見渡せる。
北側、川の下流側にはいない。
南側、川の上流側、いた。細かい迷彩色の戦闘服、自衛隊員であるのは確実だ。
やや湾曲した川の内側にある広い河川敷で、パラシュートを片付けているようだ。
俺は橋を降りて、河川敷に続く細い道を走った。
気持ち程度の低い土手を駆け上がる。
「村雨さん…!」
やっぱり、この人か。俺は彼女の名前を呼びながら、河川敷へと降りて行く。
俺の声に気付いて振り返る村雨さんは、やはり驚いた表情をした。そして少し笑顔を見せた。
「向井さん!やはり…ご無事でしたか!」
やはりって、俺がここにいることを読んでいたのか…?
彼女はパラシュートを解体していたようで、パラコードを手早く束ねてバックパックにしまって、立ち上がった。
「村雨さん、どうしてここに?」
とりあえず、大きな声を出さなくても会話ができる距離まで近付いて、疑問をぶつけた。なんで、ここにいるんだ。
「例の、向井さんが言う元凶の組織から民間人を守護することが目的です」
「え?いや、村雨さん1人ですよね?」
「はい」
「んな無茶な…」
「向井さん、その言葉をそっくりそのままお返しします」
「うっ」
うっ。何も言えん。いや、声には出たが。
「まさか降下直後に出会えるとは、幸先が良さそうです」
「俺が秩父にいること、知ってたんですか?」
「いいえ。ですが、奥多摩からだとここ秩父地方か、山梨方面に向かったかと予想しました。それに、北関東と仰っていたので、こちらに」
「よく、1人で来る許可が出ましたね」
「元々そういうのが専門でしたから」
え?
「え?」
「いえ、今はここであまり長話している時間はありません。向井さんなら、この近辺の生存者の避難状況などの情報をご存じでしょう、教えて頂けますか?」
「わかりました。近くに生存者のいる病院があります。とりあえず、そこで話しませんか」
「はい」
こうして、俺と村雨さんは急ぎ足で病院へと舞い戻った。
「おお、自衛官だ。来てくださったんですね…!」
門で待機していた義一さんがそう言いながら重い門を開けてくれた。
「とりあえず、医院長を呼んで…」
「ここにいるわ」
俺が言うまでもなく、安部医院長は門の付近で待機していたようで、すぐに俺の目の前に現れた。
「こちら、避難所になっている病院の医院長の安部さんです。こちら、自衛官の村雨さんです」
「あら、ご丁寧な紹介ね、よろしくね」
「はい、安部さん、よろしくお願いします」
とりあえず、この2人の紹介が終われば、本題でいいだろう。
「村雨さんは元凶から民間人を守るために来たそうです。俺もまだそこまでしか聞いていないですが」
「向井さんの言う通り、民間人の守護が目的です。付近の情報など教えて頂きたいのですが」
「ふぅむ、とりあえず私の病院に避難してきているのは総勢300人くらいよ。お年寄りが多いし、病人も少なくないわ。付近の状況なら、向井さんの方が詳しいわよ」
「安部さん、ありがとうございます。向井さん、他の避難所とか知っているんですか?」
「俺が知ってるのは他に3つ。1つはさっき村雨さんが降りた荒川の向こう側の山の上にある公園、次はそれとは反対側にある横瀬町にある小学校、それと南に2キロくらい行った場所にある学校。それと…」
「他にもあるんですか?」
「西にある小鹿野町には、500人程度の避難所があったようですが…」
「あった…?」
「元凶に襲撃され、かなりの人が死んだようです。生き残った人たちも恐らく散り散りに…」
「…っ、間に合いませんでしたか…」
間に合わなかった…?それは襲撃があると知っていないと出ない言葉だ。
「村雨さん、そちらの情報も教えてくれますよね?」
「…はい。実はまた、公安と思われる人物から接触を受けました。その方は人々を感染者に変えた者たち、つまり向井さんの言う元凶の組織の情報を提供してくれました。そして、これから生き残った人たちに対して組織的に襲撃を開始するとも言っていました。上層部はそれを信じれるだけの証拠を渡されたようで、こうして我々が日本各地で民間人を守護する任務を与えられました。とはいえ、本当に少数の志願者だけなのですが」
「だから村雨さん1人で…」
「はい」
周りで話を聞いている安部医院長、門番の原沼夫妻、他の周囲に来ていた人たちも俺と村雨さんの会話を聞いているが、皆半分程度しか理解していなさそうだ。
「それで、提供された情報に、秩父に元凶の拠点があると?」
「ええ、詳細な場所までは不明ですが」
「実は元凶の拠点を1つ壊滅させて、もう1つにも襲撃を仕掛けていまして」
「向井さん…私には1人で来たのかと言っておいて…それで、どうなったんですか?」
「1つ目には下っ端がいただけのようで、拉致された2人を助けたのち、皆殺しに」
「…」
「2つ目では、80人ほどの信者のような連中がいました。10人くらいぶち殺して、捕らわれていた10人ほどを助けました。が、助けられたのは全員ではなく…」
「そう、ですか。こちらの情報では、この近辺にいる元凶の人員数は400人程度だとされています」
400人…多いな。20~30人くらいはぶち殺したが、まだ10倍以上いるのか…。
「向井さん、私とあなたの目的はほぼ同じです。ご協力して頂けますか…?」
「それは構いませんが…」
俺は横目で安部医院長を見る。より安全な場所へ生存者たちを運ぶのも、重要な目的ではある。それを放棄するのは、乗り掛かった舟から降りるようなもの、不義理だろう。
俺の視線に気付いた安部医院長はため息を吐いて、口を開く。
「向井さん、あなたの好きにするといいわ。私たちだけだったら、今頃途方に暮れていたでしょうけど、あなたのおかげで移動手段もいくらかの食料も手に入っているのよ。ここであなたがどんな選択をしようとも、私たちがあなたに文句を言える資格なんてないわ」
それは、どうだろう。俺がいなくても、どうにかすることはできただろう。食料の調達も、トラックの調達も、俺がいなくても不可能ではなかったはずだ。
「いいえ。犠牲者を最小限に留めてくれたのは向井さん、あなたよ。確かに、1人命を落としたけれど、あなたがいなければ多大な犠牲を払っていたはず。あまり、自分を過小評価しない方がいいわ」
俺の心を見透かすように、安部医院長はそう続けた。




