第58話 石棺‐壱
まだ空が白み始める前の時間。俺は病室のソファーで目を覚ました。どうやら、若木さんと佐川さんが夕食を取りに行っている間に寝てしまったらしい。それからかなり長い時間、おそらく10時間程度寝続けていたようだ。
未だにベッドで寝ている2人を起こさぬように、静かに身体を起こす。目の前にあるテーブルには、巨大なおにぎりが置いてあった。『起きたら食べてください』とメモが添えられている。
ムシャ、ムシャとなるべく音を立てないように握り飯を食む。1口目で塩むすびかと思ったが、中には茄子の味噌漬けと思われる漬物が入っていた。うまい。
夕食だった朝食を終えて、俺はさっそく荷物を持って病室を出た。今回は、ライフルを持たずにショットガンを持っていく。
病院の正面玄関を出る。朝に集合、とは言ったものの流石に日が昇り始める前には誰も集まっていなかった。病院入り口の門を守る数人がこちらを見て軽く会釈をする。
こちらも軽く会釈を返して、彼らに近づいて行った。
「おはようございます」
やや小声で挨拶をする。
「おはようございます」
「どうもー」
「…ざいます」
「朝が早いんですね…」
と少々元気のない様子で返答があった。皆、夜中から見張りとして立っているようで、疲れているのか。
4人いる見張り、1人目は30代前半の男性、真面目そうな眼鏡をかけた青年という風貌だ。2人目は20代前半で俺とそう変わらない歳だろう、髪を茶髪に染めているようで、頭頂部から黒髪が生え始めているのが見て取れた。3人目は20代後半の男性、かなり眠い様子で挨拶の言葉も最初の方は一切聞き取れなかった。4人目は30代後半の女性、そう、女性だ、少しガタイが良くニット帽を被っていたため近付くまで女性だと気付かなかった。
「俺は今起きたばっかで、他の人たちが集まってくるまでは暇なんで、良ければ代わりましょうか」
俺がそういうと、2人目と3人目は即座に。
「いいんすか」
「おなしゃす」
と言って、少し離れたところにあるベンチへと向かって行った。休憩用のスペースらしい。
「全く、最近の若いのは根気がないわね。えっと、向井さんでしたっけ?」
そんな2人を見ていた女性が呟き、俺の名を確認してきた。
「あってます、向井で」
「そう…向井さん、あんまり甘やかさないで欲しいわね。ま、でも半分寝てるようならいてもいなくても同じだけど。それに代わりがあなたなら、ね」
「はぁ…えっと、あなたは」
「私は原沼よ。一緒に近くのスーパーで食料を調達したのだけど、覚えてない…?」
そう言われてみれば、確かにいたかもしれない。ただ、女性だとは気付かなかった。と、口に出すのはやめておこう。
「すいません…」
「ま、いいわ。おおかた、私が女だって気付かなかったとかでしょうし」
「…」
「図星ね…ま、いいのよ。気にしないわ」
「す、すいません」
「だから、気にしてないわ。私、前は警備員をしてたから、こんな身なりだし、気付かなくても当然ね」
う。こういう時なんて返せばいいんだ…
「2人とも、話すのはいいが、警戒を疎かにしないでくれ」
俺が返答に困っていると、もう1人の男性に注意された。確かに、少し気が緩んでいたかもしれない。視線を門の外へと移して周囲を警戒する。
原沼さんもその通りだと思ったのか、真面目な警戒モードに戻った。
少しして、俺は警戒をしながらも注意してきた男性に声を掛ける。
「あの、名前を聞いてもいいですか」
「原沼です」
「え…?」
「あ、その人は私の旦那よ」
一瞬混乱した頭に、横から原沼(女)さんの声が入ってきた。
ああ、なるほど、夫婦か。
「私は原沼環奈、夫は原沼義一よ」
「カンナさんと、ヨシカズさんですか。覚えておきます」
「ええ、そうして。たぶん、長い付き合いになるかもしれないから」
長い付き合い、か。この2人も移動計画を知ってるようだ。
「これからどうするか、聞いているんですか」
「ええ、ええ。この病院を出て、もっと安全な田舎へ行くって話よね。安部医院長から聞いたわ」
「そうですか。2人はこの辺りが地元で?」
「そうよ。この病院の警備とかもよくやってたの、旦那と一緒にね」
「同業なんですか…あの、他にご家族は」
「ああ、息子が1人、いたのだけれど…」
環奈さんの顔が少し歪む。しまった、聞いたらまずかったか…?
「夏休みを使って、北海道にある私の実家に行ってたのよ…」
「環奈、今はその話はいいだろう。向井さんも、お願いします」
反対側から義一さんが鋭い声でそう言う。安否もわかっていないのか。
「北海道、どの辺りですか?」
「苫小牧のほうです」
尚も話し続ける俺に、義一さんも耐えかねて周囲に向けていた視線を俺に向ける。
「自衛隊が千歳の周辺で大規模な避難所を設営したと聞きました。絶対とは言えないですが、無事だと思いますよ」
俺がそういうと、2人の視線が固まった。そして少しして義一さんは疑うような目を細めた。
「なぜ、そんなこと知ってるんですか。デタラメを言って安心させようとかいう気遣いなら結構です」
「俺は感染拡大の初日から東京にいました。自衛隊が必死に生存者をかき集めて、北海道へと避難させている様子を間近で見ていました。詳細な場所までは聞いてないんですけど、だいたいその辺だというのも聞きました」
「…え、いや、それならなんで、向井さん、あなたはここに…?」
「少し、野暮用で」
「なんて馬鹿な…」
義一さんは疑うのも馬鹿らしくなったのか、呆れたように言いながら俺から視線を外した。
今度は逆側から環奈さんが。
「信用しますよ、私は。向井さんが嘘を吐く理由もないでしょうし…ふぅ、少し胸の支えが取れた気がします」
と安心したような声で言う。
皆、表に出さないだけで、安否のわからない家族や親戚、友人のことを心配しているんだな。特に、この病院に避難してきている人たちは、ほとんど表面上は平静を繕っている。いや、こうして警戒のために夜な夜な立っている人たちや食料調達のために外へと出て行っている人たちとしか面識がないだけ、か。きっと心の弱い人たちは心配で夜も寝られない状態なのかもしれない。
それからは静かに、ただ時間だけが過ぎていった。
周囲は明るくなり始め、気温も上がり始めた。まだ9月の上旬というだけあって、朝なのにもわっとした暑さだ。
「それじゃ、俺もそろそろ集まるので」
「あ、ご協力どーも」
安部医院長の姿が見えたため、俺はその場を離れて彼女のもとへと向かった。どうやら起掛けの一服をしているようだったため、邪魔をしないほうがいいだろうと少し離れて煙草の火を消すのを待った。
「待たせたわね」
「いえ、構いません」
「あら、喫煙者の気持ちも少しはわかるのかしら」
「ええ、少しは」
「…今、物流倉庫に行くメンバーを起こしに行ってもらってるわ。集まったらすぐに出発よ」
それから数分もすると、6人ほどが集まってきた。安部医院長曰く、大型車両を運転できる人たちだという。
その中には先日の花丸さんも含まれている。
「じゃ、お願いするわ。道中、危険があれば向井さんが助けれくれるから」
安部医院長がそうやって俺を紹介すると、面識のないオッサンが肩に下げているショットガンを見て。
「兄ちゃん、物騒なもん持ってんな…」
と言うが、不安よりもむしろ頼もしいというような口調だった。
「感染者にはなるべく近づかないようにしてください。見つかったら走りますから頑張ってついて来てください。こいつは本当に緊急の時にしか使わないですよ」
俺はショットガンを掛けている肩の方を軽く揺らして見せ、念を押しておいた。
「じゃあ、行きましょう」
俺は6人のドライバーを連れて、病院の門へと向かった。
門で待っていた原沼夫妻が2人で門を開けてくれた。…まて、いつも3~4人で開閉してる門だぞ、この2人かなりマッチョだな。
「お気をつけて」
門を出るとき、義一さんがそう言って見送ってくれた。




