第57話 家族
俺は冷たいシャワーを浴びて、服を着替えた。服は病院内に避難して来ていた近所の住民の古着を貰った。ちと、古びたタンスの香りがするが、耐えられないほどではない。
その後、病院付近の避難してきた住民の家へと出向き、車を調べることにした。
住民から事前に彼らの住居の鍵を貸してもらい、車のキーの在り処を聞いていたため、作業自体は問題なく進んだ。
しかし、簡単に直せる車は5台中1台しかなかった。
その1台が90年代前半のMTのセダンで、押しがけでエンジンを始動させ、病院まで持って帰って来た。オーディオとエアコンとメーター類しか装備のない車だったが、そのすべてが故障していた。病院に到着して停車するとエンジンは止まり、また押しがけしないと始動しないようなポンコツ状態という何とも言えないものだった。
「こりゃ、参ったなぁ…」
車をいじっている花丸さんはそう言ってボンネットを閉じた。やはり手作業の修理だけで直せるような状態ではないらしい。
「大型の車両が必要だ…」
車の回収を一度中断して、安部医院長たちと集まって会議を始めると花丸さんはそう進言した。確かに、動かせる大型のバスやトラックがあれば1台でかなりの人数を運ぶことができる。ちまちまと乗用車などを回収してもダメだということだろう。
「大型の車両…ね、心当たりがないわけでもないのよ」
「え、近くにあるんですか」
俺は思わず安部医院長の顔を直視しながら尋ねる。
「あなたたちが先日、食料を探しに行ったスーパーの少し先に、最近できた物流倉庫があるのよ」
物流倉庫。近年、需要が増したのか日本各地に大型の物流倉庫が建てられていた。確かに、大型のトラックが何台もあるだろうというのは容易に想像できる。だが問題は…
「そこにあるトラックが動くかどうか、それはわからないわね」
安部医院長はそう言いながら煙草を取り出して火を着けた。
物流倉庫…
そういえば、皇居の避難所にいた時必要な食料を確保するために、湾岸沿いで物流倉庫に向かったことがあったな。
ん…?
「あの、その物流倉庫って大きいですか?」
「ええ、大型トラックが入れる立体駐車場があるくらい巨大な建物よ」
あー、盲点だったな。
「なら、動くトラックがある可能性はかなり高いですよ」
「え?わかるのかい、向井くん」
花丸さんはたいして車に詳しくもない俺が、可能性が高いと言ったことに懐疑的のようで、少し不安な表情を見せる。だが…
「はい。絶対とは言い切れないですが…鉄筋コンクリートに囲まれていれば、EMPの影響を受けていないトラックがあるかもしれません」
EMPによって発生した電磁波がコンクリートを貫通しないという確証はない。だが電磁波とは電波、地下や鉄筋コンクリート造りの頑丈な建物の中では通信機器が使えなくなるのと同様に、上空から降り注ぐ電磁波をそれらが防いでくれる可能性は十分にあるだろう。
「確かに…核シェルター、とかも地下だしな…」
と呟く花丸さん含め、皆が納得の表情を見せる。とは言っても、所詮は素人意見なのだが…少なくとも、何の根拠もなく出された戯言ではないのは確かだったのだろう。
「では、明日その物流拠点へ向かって貰うわ。大型トラックを運転できそうな人たちも、院内で探しておくわ」
そう言って安部医院長はふかしていた煙草を消して、すぐに病院の建物内へと入って行った。
決まれば行動の早い人だな、とどこか他人事のように考えながら、彼女の背中を見送った。
花丸さんと2,3分雑談をして、俺も病院内に入って自分に割り当てられた病室へと戻る。
「あ、向井さん、お疲れ様です」
「今日も朝から外へ行ってたんですか?」
病室に入ると若木さんと佐川さんが声を掛けてきた。
「ええ、まあ。あ、そうだ」
俺は医院長に口止めされているわけではないため、移動計画について2人に話すことにした。
「近いうちに別の場所に移動することになります」
「え、そうなんですか」
「もっと安全な場所、ってことでしょうか?」
話が早くて助かるな。
「はい、ここから少し離れた山間の町、か村です。感染者がまだいない場所のようです」
「それなら安全、ですね」
「この病院もここ数日のうちに感染者が来るようになったって聞きました…やっぱり危ないんですね」
「…それで、お2人はどうしますか?」
「「…?」」
俺の質問の意味がわからず、2人は不思議そうに俺の顔を見る。
「あー、もちろん他の人たちと一緒に行きます、よね?」
「え。そう…ですね。他にどうしようもないかなと思います」
「…可能であれば、家族のいる地元に帰りたいですけど…私たちには無理だと思いますし」
と、2人は現実的な回答をする。確かに、俺のように平気で人を殺せて、感染者を倒せ、逃げられ、長距離を徒歩で移動できる人というのはそうはいない。登山部とはいえ、女子大学生の2人が地元へと歩いて行けるわけがない。
「それに、家族も無事かわからないですし…」
「朋美…!大丈夫、きっと避難して無事でいるって…」
佐川さんは家族が無事ではないと考えているようで、顔を俯かせる。若木さんはそんな彼女を励ますように背をさすりながら声を掛けるが、既に佐川さんは涙を堪えられずに泣き出してしまった。
「2人は、どこに住んでいたんですか」
「私は武蔵野の辺りに、朋美は西東京の辺りです」
「そうなんですか…ならご家族は無事の可能性も十分にあり得ますよ」
「え…?」
佐川さんは伏せていた顔を上げ、目に溜まる涙を拭いながら顔を上げた。
「自衛隊が都内の至る所で避難者を救助していました。このアウトブレイクが起きてからすぐの頃は東京の中心のほうで、それから少しして青梅や奥多摩で自衛隊が避難者を救助してるのを見たので。絶対とは言えないですけど、今は北海道に避難しているかもしれませんよ」
俺がそう言うと、佐川さんは希望があると知ったのか、少し笑顔を見せて、また泣き出してしまった。
「グスっ、男の人の前で、こんなに、すっ、なるまで泣いちゃうとか…恥ずかじぃ、グスっ」
10分ほどで喋れるくらいまで落ち着いた佐川さんがそう言いながら顔を両手で覆っている。
若木さんもその隣でなぜか恥ずかしそうに顔を赤らめている。まあ、親友の痴態を見られて自分まで恥ずかしいという感覚なのだろう。
「と、とりあえず、今は自分の命を優先に考えてください。まだこの先どうなるかなんて予想もできませんが、生きていれば必ず再会できるはずですから」
2人は頷いてくれた。佐川さんも覆っていた手を降ろして、ようやく落ち着きを取り戻したようだ。
「とりあえず、明日はその移動のために必要な車両を調達しに行きます。それが成功すれば数日以内に移動すると思います」
「わかりました。あ、そろそろ晩御飯ですかね」
「じゃあ、今日も私たちが取ってきます!」
時計は止まってしまい時間はわからないが、空が夕暮れから徐々に暗くなってきたことでだいたいの時間を察した2人は、また俺に有無を言わせずに食事を取りに行ってしまった。
まあ、いいか。少しゆっくりしよう。そう思って、俺は座っているソファーで横になった。
家族、か。実家は千葉県印西市にある。印西は東京と成田空港の中間あたりで、都心のベットタウンのような住宅地も多い。俺の実家はそういった住宅地のある幹線道路沿いや鉄道沿いではなく、そこそこな田舎だと言える場所にある。たぶん、両親ともに無事だと思う。そうであればいい、という願望かもしれないが。
3人いるアニキたち、仙台、大阪、福岡となかなか遠い場所に移り住んでしまったんだが、無事だろうか。こっちは全く予想できない。無事だと、いいがな。
とはいえ、そんな家族も2年ほど前から消息を絶った俺のことを心配しているかどうか。
悠陽と彼女の家族が元凶に身柄を拘束され、解放してもらうために2年ほど前から闇に身を染めていたこともあって、連絡は全く取っていない。警察に捜索願出ていたのかもな。失踪届は流石に出てねえよな…?
そういや、悠陽の両親はどうなったんだろうか。確か父親は国家公務員だったかな、どこかの省庁勤めだったと思う。母親は専業主婦だったな。1度だけ両親と会ったことがあったが、どちらも優しい人だった。俺が本気で悠陽と付き合っていることを知って、まるで自分たちの息子のように接してくれた。
そんな人たちがどうやって元凶と関りを持ったのかはわからない。一方的に捕らわれたのかもしれないし、父親のコネクションという可能性もあったのか。
考えてもわからない。だめだ、考え始めると色々なことが頭の中でゴチャゴチャになる。
俺は無理やり思考を止める。




