第56話 移動計画
昼過ぎになり、俺は拠点にしている病院へと帰って来た。今朝、門番をしていた青年たちが俺に気が付くと、強化済みの門を複数人で開いて出迎えてくれた。
「向井さん…ご無事で…?」
ハーフクエスチョンで尋ねて来るのも無理はない、俺の腕や足には返り血が付着しているのだ。
「大丈夫です、俺の血じゃないんで」
そう言うと青年たちは一瞬だけぎょっとした表情になるが、すぐに平静になって続ける。
「安部医院長がお呼びです。ロビーの方に向かってください」
俺は頷いて、少し早足で病院内へと向かって行った。
「あ、帰って来たわね。…なんであなた、半日でそんな格好に?まあ、いいわ。本題に入るわ」
ロビーでは安部医院長とその部下の医者たち、そしてつなぎを着て工具箱を持った40代のオッサンが集まっていた。安部医院長は俺が帰って来たことに気付き、血塗れになっているのも気にしながらも話を続ける。
「向井さんが来たから、最初から話すわ。まず、動く車があるかって話からよ。花丸さん」
花丸さんと呼ばれたのはつなぎ姿に工具箱を持った40代のオッサンだ。彼は医院長に、ではなく俺に説明するように答える。
「院内にあった車は全滅だったよ。いーえむぴー?だったか、電磁波の影響でエンジンが掛からない状態だったけど、俺の2トンはさっき直ったよ」
「え、直ったんですか」
「ああ。セルモーターがダメってんなら押しがけしてみるかってな。だがうまくいねえ。んでコンピューターをリセットしてみたらよ、押しがけでエンジンが動いたんだ。メーター類とかナビ、オーディオ系は全滅だったがなぁ…」
案外、簡単に直るんだな。
「だが、他の車はダメだ。同じことしてもエンジンが掛からん。病院にある車はどれもこれも新車でよ、ATだしハイブリッドだしでわからねえんだ。俺もちょっといじれるだけで別に車の整備士じゃねえからよぉ」
なるほど、普段使っている自分の車だから直す方法もなんとなくわかるが、それ以外はわからないのか。
「車の話をしてるってことは、ここから移動するのは決定事項ですか」
俺は安部医院長にそう尋ねる。ここを拠点とし続けるのには無理があると判断したのか。
「ええ、移動することに決めたわ。さっきも感染者が何体か来たのよ。日に日に増えてるわ…より安全な、感染者の少ない場所に行くべきだわ。それには移動手段が必要なの」
「場所はどこなんです?」
「ここから北西に向かって、県境を越えたところにある神流町よ。私の実家があるの」
「群馬ですか。確かに、老人子どもを連れて歩くとなると、少し遠いですね」
道のりにして30キロちょっと。数字にしてみると割と歩けそうな距離ではあるが、県境にある土坂峠を越えていく必要がある。500メートルくらいの高低差があることを考えると、やはり老人や子どもがいると歩いて行くのはリスクがある。なんたってどこに感染者や敵対者がいるかわからないのだから。道中安全に休める場所があるかどうかもわからない。
「周辺で車を調達する。とかですか」
少し考え込んで、俺は呟くような声で言う。
「ま、そうね。私たちも今、そうしようかと相談していたのよ。それで、帰ってきたところで悪いのだけれど、頼めるかしら」
「え、ええ、まあ。その前に着替えとシャワー、いいですか」
俺は手足に付着している乾いた血液を自分で確認しつつ安部医院長に尋ねる。彼女は頷いてから、周りの人たちに先に準備するように命令し、人払いをした。
「先に聞いておこうかしら。何があったの?」
「小鹿野まで行って、元凶の連中の拠点を強襲しました」
「…あなた、本当に命知らずね」
「まあ、1度捨てた命なので」
記憶を失い、そして取り戻した時。俺は持っていた拳銃で自殺を図った。だが運命の悪戯か、トリガーを引いても弾丸は俺の頭には飛ばず、不発だった。
あの時、俺の命は捨てられたも同然だ。そこから、俺はただただ復讐を果たすためだけに生きる復讐者だ。そのために命果てるなら本望。
「それで、どうなったのよ」
「80人程度の信者がいる拠点でした。10人くらいぶち殺して、10人ほど捕らわれていた一般人を助けてきました」
「…そう、よくやったじゃない」
「いえ、捕らわれていた全員は助けられませんでした」
俺がそう言うと、安部医院長の表情は僅かに曇る。
「それでも、10人は助けられた。そう思うことね。…ところで助けた人たちはどうしたの?」
「ああ、道中の山の上にある公園が避難所になっていたので、そっちで保護してもらいましたよ」
「山の上の公園…あぁ、あそこの。そう、それならいいけれど」
「それと…小鹿野の町の中にある公園が避難所になってたんですが、元凶に襲撃されて、遺体が3桁くらい転がってました…」
当時の光景を思い出しながら、俺はそう報告した。安部医院長の顔を見ると、苦虫を嚙み潰したような表情だった。
「本当に生存者を、襲ってるのね」
「そのようです。奴らの拠点の近くの住民も、同じように、おそらく…」
「感染者に加えて、超攻撃的なカルト集団、さらに核攻撃…?本当に、狂ってしまったわね、この世界」
「ええ、そう、ですね」
そんな世界に適応しつつある自分も狂っているんだろうか。
「移動した先でも、防備を固める必要があるわね…全く、先が思いやられるわ。あ、引き留めてごめんなさい、シャワー浴びて着替えて来てちょうだい」
「はい」
俺は汚れた身体で申し訳ないと思いつつ、院内を歩いて行った。




