第55話 蔑視
保養所を出て、助け出した10人と一緒に歩き出す。
ライフルから空になったマガジンを外し、装填済みのマガジンに切り替える。
ペタペタと裸足で歩く10人。寝かされていた彼らは靴を履いていなかった。たぶん玄関かどこかにまとめて置かれていたんだろうが、それを取って来る暇はなかった。
しかし…別館に残った人たち、無事でいればいいのだが…。そういや勝手に逃げ出した2人、まぁ、どうでもいいか。知らんよ、あんなの。
「裸足でキツイかもしれないですけど、追手が来ると思うので、我慢してください」
俺がそう言って裸足の人たちに歩行を促す。
幸いにも追手はなかった。裸足の彼ら連れているため、移動速度は牛歩のそれだが、まさか追撃がないとは思ってもいなかった。
1時間ほど歩いて、小鹿野の町の中へとやって来ていた。地元民に靴屋の場所を聞いて、靴の調達に向かった。
場所は寂れた商店街の一画。薬局や自転車屋、飲食店など個人商店が立ち並んでいる通りだ。
シャッターが閉じられているが、施錠されている様子はなく、俺は大きな音を出さないようにシャッターを持ち上げた。
シャッターの内側にはガラス戸があり、そちらは施錠されていた。念のため、ノックして声を掛けるが人の気配はなかった。
マチェットの柄でガラス戸を割り、鍵を開ける。
「割れたガラスに気を付けて、自分に合う靴を見つけてください」
俺がそう言うと助け出した人たちは少し不快感を示すように表情を歪ませる。俺が平気でガラスを割って、不法侵入をし、靴を盗るように指示しているのが嫌なんだろう。
「今は、自分の命、身体を守るのが最優先です。裸足では安全な場所まで行けません」
俺がそう言うと少し戸惑いつつも、地面に落ちたガラス片を避けながら、彼らは靴屋へと入って自分に合った靴を探し始めた。
全員が靴下と靴を調達し終えたため、移動を開始した。
幸いにもこの周辺に感染者はいなかった。あまり感染が広がっていない地域だったようだが、集団的な避難が功を奏していたのか。逆にそこを元凶に狙われてしまったわけだが、これは想定外だっただろう。
俺は歩きながらも、10人の健康状態を確認した。皆、顔色は良くない上に表情も悪いが、歩くのに支障があるような状態にある者はいなかった。監禁されていた割には健康だ。
俺は最初に助けた看護師の女性に話しかける。30代半ばの至って真面目そうな人だ。
「あの、皆さん歩けるくらい元気ですけど、食事とかはどうしていたんですか」
「あぁ、あの点滴、たぶん栄養剤とか入っていたんです。なので皆さん歩けるくらいには健康のはずです」
「なるほど。あの、あなたはどこで奴らに…」
「…私はあの近所に住んでいました。数日前に白い服を着た人たちが、家に押し入って来たんです…それで、夫が…」
そう言って女性は目を伏せる。そう、か。
「他の人たちも、同じような境遇でしょう。あの部屋に残った人たちは、たぶんこのおかしくなってしまった環境を生きていく勇気、気力がなかったのかもしれないです」
なるほど。確かに、平気で白服の連中をぶち殺している俺も、彼らからすれば普通の人間ではない。アウトブレイクから2週間以上経っていても、意識を適応させられない人たちは生きていくことはできないのだろう。人を殺し、奪い、壊す。平気で行われる悪行に耐えられないのもおかしいことではない。
いやむしろ、それに適応している俺がおかしいんだろう。
「とりあえず、今は安全な場所に向かいます」
「はい。お願いします」
それ以降、何か話すことはなく今朝立ち寄った山の上にある公園へとたどり着いた。
「あ、また来ましたよ」
道路を歩いていると前方でそう声を上げる人影が見えた。後方に向かって人が来たことを伝えているようだ。
構わずに近付いて行くと、ぞろぞろと人が現れてこちらへとやって来る。
「××公園の避難所から来た方たちですか?」
そう声を掛けて来たのは、今朝俺と出会った市職員の佐藤と名乗った男性だった。
「佐藤さん、今朝はどうも」
「あ、今朝の…」
「この方たちを保護してもらえませんか」
「ええ、はい、とりあえずこちらへ」
そう言われて、俺と助けた10人は体育館のような建物に通された。
助けた10人はその端の方に座らされて、水やら保存食やらを渡されている。
「向井さん、でしたよね。何人か、あなたに聞いてここに逃げて来た人たちがいますよ」
「あぁ、よかった。こっちに来れてたんですね」
「ええ。それで、その逃げて来た人たち、白服を着た人たちに襲われて逃げて来たと言っているんですが…あの、何か知っていますか?」
佐藤という職員は周りに聞かれぬように小声でそう尋ねて来た。
隠すこともないだろうと、俺は見て来たことを教えることにする。
「はい。実際、小鹿野にある大きな公園の避難所には、無数の遺体が転がっていました…数を確認はしてないですが、少なくとも3桁ほど…」
「は…?」
「白服を着た連中は、この災害を引き起こした元凶です。カルト集団みたいな奴らで、自分たち以外を殺して回ってるみたいです」
「そ、そんな、バカな…」
「バカな話、ですけど、事実です」
「…すーっ、はぁ。わかりました。ところで向井さん、怪我されてるんですか?」
「え、ああ、これは返り血で」
マチェットで突き刺したときに浴びた返り血が付着しているのを見て心配されたが、俺は咄嗟に事実を口にしてしまった。佐藤さんの表情が変わったのを見て、しまったと思ったがもう遅いか。
「返り血…ですか」
「ええ、件の白服の奴らと戦ったので…」
「殺したんですか…?」
「はい」
俺が肯定すると、やはり彼の眼は蔑むような色を帯びる。
「…仕方なく、やむを得ず、ですよね」
「それは…」
はい、と答えて良いのか。実際、助け出した10人のためという部分もある。だが、芯になっている理由は復讐に他ならない。
「そこは迷いなく、はいって言ってくださいよ」
俺が一瞬躊躇ったのを見て、佐藤さんは鋭い視線を俺に向けて言う。
「俺は…俺は復讐のために白服の連中をぶっ殺したんです。助けた人たちもいますが、それも所詮副産物。実際、蔑むべき殺人者ですよ」
「…っ!あんた、良く平気で話せますね。人を殺して、なんでそんな普通に話せるんですか!!」
今まで小声だった佐藤さんは堪らず声を荒げた。周囲の人たちから視線が集まる。
「大切な人を失えば、わかるかも知れませんね」
俺は冷静に彼の眼を見てそう言う。するとさらに彼の表情は歪んだ。
「…なんなんだ、どうなってんだ、この世界は…!」
もう法も秩序も存在しない混沌の世界だ。常識的な意識を持っている人たちは正気を保ってはいられないだろう。
アウトブレイクから2週間以上経った。そろそろ備蓄も限界になり、人々は略奪を始めるだろう。素行の悪い連中は既に暴れまくっている。
そんな世界に適応できるのか。
「俺は、行きます」
周囲の視線を集めている。人を殺して、という言葉を聞いて、俺の血に塗れた姿を見て何かを察した人たちから強い視線を感じる。
「ええ、はい、外までご案内しますよ」
我に返った佐藤さんは周りの状況を理解して、すぐに俺を連れて歩き始めた。
「向井さん。ここにはもう、来ないでください。皆、怯えてしまうので」
公園から少し離れた道路までやって来てから、佐藤さんはそう言ってすぐに振り向いて戻って行った。
「そうします」
彼の背中に向かってそう呟いて、俺は歩き始めた。




