第44話 死臭
俺と女性は少年を連れて宅地を出た。少し警戒を緩めて女性に向けて話す。
「向井です。あの組織と敵対している者です」
「私は…青葉と言います。青葉由紀子、この子は真人」
「青葉さん、これからどうされますか?近くの小学校が避難所になっているようですが…」
「そう、ですね。では学校に行こうと思います、この子の友達もいるかもしれませんし」
そうか、地元民か。確かに近くの小学校なら知り合いや親戚などもいて心強いだろう。
「ではそこまでお送りします。この辺りは感染者が少ないですけど、さっきの奴らの残党がいるかもしれないので」
「はい…お願いします」
そこから30分ほど歩き、来る途中に寄った小学校に到着した。時間は、昼前か。
校門には先ほどもいた体育教師風の男性がいた。よかった、話がスムーズに進みそうだ。
「先ほどはどうも」
「あ、さっきの。どうしました?」
「地元の方を保護したんですが、こちらで受け入れて頂けますか?」
俺はそう言って後ろにいる母子が見えるように横に避けた。
「あ、青葉さん。それに真人くん…。どうされてたんですか?」
「え、あの、それは…」
青葉さんは何と答えたらいいかわからず言葉を詰まらせる。そりゃ拉致監禁されて性的暴行を受けていましたなんて言えるわけがない。俺は2人の間に割って入る。
「あの、責任者の方にお会いできませんか。少しでいいので。俺が説明します」
「せ、責任者、ですか。わかりました。どうぞ」
体育教師風の男は校門のロックを外してガラガラガラとスライドさせる。門はあまり強化されていないみたいだな。
そのまま校門を通され、駐車場を抜けて、昇降口で靴を脱ぎスリッパを借り、校長室まで通された。
俺はライフルもマチェーテも拳銃も全てバックパックにしまっている。少し風貌の怪しいバックパッカーみたいだ。
「お待たせしました。この学校の校長の馬場です」
やって来たのは60代中頃の女性だった。優しそうな校長先生だな。
「あの、そちらの方に退室して頂いても…?」
「えぇ、田代先生外してください」
体育教師風の男、いやたぶん体育教師の田代と呼ばれた男は渋々と校長室を出て行った。
「失礼、ちょっと言い難いこともあると思うので。青葉さん…」
俺はそう言って、青葉さんに説明を求めた。真人くんはもう一つのソファーで寝息を立てている。
「では…まず1週間前なのですが…」
青葉さんの説明を要約すると、1週間前に突如自宅に現れた白い服の3人組に夫を殺され、母子ともに拉致されたという。それから俺が助け出すまで男に毎日性的暴行を加えられていたそうだ。息子、つまり真人くんとは一度も会えず安否も不明だったという。
「なんと…」
馬場校長は青葉さんの話を聞いて絶句している。
「それで、その白い服の人たち…というのは?」
「それは俺が説明します。奴らは所謂カルト教の信徒で、この災害を引き起こした元凶です。どうやら秩父地域にいくつかの拠点を持って活動しているようです。奴らは自分たちが始祖になるために自分たち以外を排除するつもりで、生存者たちを襲う計画を立てています」
「え、えぇ?そ、それでは私たちも狙われているということ、でしょうか?」
「その通りです。近くの拠点は潰しましたが、今後襲撃が無いとも限りません」
「…青葉さんのこともありますし、信じないわけではないですが…なんというか…それに、拠点を潰した、というのは?」
「その場にいた恐らく全員を殺害しました。たぶん1人残らず」
「…」
目を見開いて固まる馬場校長。しばらくして。
「青葉さんと真人くんは保護します。ですが、あなたは今後一切この学校に入ることを許しません…」
「…そうですか。良かった、保護して頂けるんですね。それでは、俺はすぐに」
言い終わる前に、俺は立ち上がった。そして足早に校長室を後にする。
いくら人を助けるためとは言え、やっていることは殺人。それを非難するなとは言えない。言えないが、少し違和感が残る。
「ふぅ…」
昇降口にてスリッパを脱ぎ、自分の靴を履いていると何となく溜息が出た。
「あの、あんた…」
「ああ、追い出してすいませんでした。えっと、田代さんでしたっけ?」
靴を履いて歩き出そうとすると、田代と呼ばれていた体育教師が声を掛けて来た。何か用だろうか。
「さっき、遠くの方から銃声、みたいなのが聞こえて来ていたんだが…」
「あ、はい、それがどうか?」
「それ、寄こせよ」
田代から俺の胸倉に向かって右手が伸びて来る。避けることはせず、そのまま掴ませる。
服を掴み力が入る腕、体育教師というだけあって筋力はそれなりにあるようだ。力が入った腕が俺の身体を押す。
そのまま身体をスッと後退させると、一瞬だけ胸倉を掴んでいた力が弱まる。ここ。
俺は胸倉を掴んでいる右腕を掴み返し、自分側に引っ張る。田代の身体は前方に向けて力を掛けていたためあっさりと俺の方へとバランスを崩す。
そのまま田代の軸になっている右足を思いっきり払った。そのまま田代はぶっ倒れるが、最低限の受け身は取った。そして尻餅をついた状態で忌々し気に俺を睨む。
「くっ…」
「欲しいなら、自分で取ってきな」
「この野郎…あっ」
昇降口の方からこちらを見ている人がいた。青葉さんか。
「あ、青葉さん、こ、こいつがいきなり…っ」
田代は尻餅をついたまま俺を指さしてそう宣う。が。
「私、最初から、見てましたよ。あなたがいきなり掴みかかるところから」
「えっ」
「向井さん、助けて頂きありがとうございました…私と真人の命の恩人です」
「いえ、当然のことをしたまでです。それでは」
俺を忌々しそうな目で見上げる田代を無視して、俺は校門へと向かった。
少なくとも、青葉さんには感謝された。今はそれだけでいい気がした。誰が何と言おうが、助けて良かったのだと。
校門から出るために門を開いていると、声を掛けられた。田代が追って来たかと思ったが、どうやら違うようだ。
「なあ、若いの。あんた軍人さんかい?」
振り返ると老人がおり、物珍しそうに俺を見る。80代か90代のかなり高齢な爺さんだ。目はほとんど開いていないんじゃないかってくらいに細い。
「いえ、自衛官ではないですけど…」
「そうかい、物腰がそんな感じじゃったんだが。まあ良い、あんさん銃持っとるな」
「ん?」
なんだ、この爺さん、田代と俺の会話聞いてたのか…?
「隠さんでいい。硝煙の匂いでわかりゃあ」
「ああ、なるほど」
この爺さん元軍人か。それとも猟師か。
「この場所にある家に行ってみぃ。入ってすぐ右の部屋、番号は714じゃ。わしゃぁこの通り老いぼれじゃあ。もう使えんから、あんさんにやる」
紙片を渡される。簡易な地図が描かれていて、どこかの家を指し示しているようだ。話の繋がりからして…。
「銃、ですか?」
「おぉん、そうだ。立派なもんじゃぁないが、.30-06のライフルだ」
.30-06?アメリカ軍の古い実包だな。スプリングフィールドとかガーランドの弾じゃなかったか?
「お爺さん、名前は?」
「冴島十兵衛、じゃ」
「冴島さん、ありがとう。お礼はいつか必ず」
「お礼なんていらん」
そう言うと細い両の目を見開いて。
「血生臭いんじゃよ、あんさん死臭が出てる」
「…」
「気を付けるんじゃな」
いつの間にか細く戻った目でそう言って、冴島の爺さんは学校の建物の方へと戻って行った。
なんだ、あの爺さん…血生臭いってのはわかるが、死臭…?まあ、そりゃいつかは死ぬような戦い方をしてるしな。とりあえず、渡された地図の示す場所へと行ってみるか。
もう一度、お礼を言っておくかと振り返るが、既に冴島の爺さんの姿はなかった。
晩夏の風が、校門を抜けて息をするような音を出す。
何だったんだ、あの爺さん。