第38話 無関心
俺、若木さん、佐川さんは病院の病室の1つを使っていいと言われた。安部医院長は、今日はゆっくりしていると良いと言ってくれ、安部のオッサンの方はニタニタしながらまるで、俺は気が利いているだろうと言いたげに個室の病室へと案内した。
「向井さん、助けて頂いてありがとうございました」
「私たちだけだったら、雲取山でも、さっきの男たちにも…どうなっていたかわかりませんでした」
女子大生2人にお礼を言われる。確かに雲取山の時に俺がいなかったらまず2人とも生きてはいなかっただろう。本当に偶然だが、助けられる人は助けていくつもりだった。半グレに囲まれた時も、俺がライフルを持っていなければ、2人はどこかに連れ去られ何をされていたか…。
「いえいえ、礼を言われるほどでもないですよ。道中は安全でしたし」
「あん…?」
「ぜん…?」
平時と安全の基準が違い過ぎて、感覚が狂っている俺の言葉に、2人は引き気味だった。東京ではもっと悲惨で危険な状況が続いていただけに、ここ数日は随分楽だったと言える。
俺はそんな2人を病室に残し、人の集まっている1階の待合室に向かった。そこには医師、気立ての良さそうな青年たち、地元のオッサンオバサンたち、老人たちなどがいた。合計で30人くらいだろうか。
そんな彼らにさっそく聞き込みをする。
まずは秩父地方での感染状況。どうやら秩父を縦断している鉄道各駅の近辺や荒川の西岸側、市内北部と北側に隣接する皆野町方面に感染者が多いとのこと。感染者は少数で、音を立てなければあまり動かず徘徊範囲は狭い様子。
次に元凶の組織が拠点としていそうな場所、広い別荘地や分譲地などがないかを聞き込む。気になる情報はいくつかあった。隣接する横瀬町に中規模の新興住宅地が出来たこと、だが少し山の中に入ったところに作られたという話だ。国道付近なので特別交通の便が悪いわけではないが、少し不思議だったと教えてくれたオッサンは言う。そして奥秩父にある別荘地を2カ所、隣接する小鹿野町の別荘地を1カ所教えて貰った。
次に物資状況について。やはり食料が不足気味であるとのこと。飲み水は屋上のタンクに十分あり、雨水のろ過装置も作られているうえに、濾過した水を浄化する薬品も相当量あると言う。一部患者のために使われている非常電源の燃料も少なく、既に一部の助かる見込みのない重篤患者には安楽死という手段を取らざるを得なかったそうだ。
「食料と燃料か」
安全な拠点を提供して貰う以上はできる限りの協力はする。俺はそう決めて、地元民たちに食料の残っていそうな場所、ガソリンスタンドの場所などを聞いた。
その後、若木さんと佐川さんがいる病室へと戻り、扉を開けた。
「あ」
ノックもせずに女性のいる部屋に入った俺が悪いのは間違いないが、まさか、そういう。
「「あ」」
俺が見た光景は、ベッドに腰かけて唇を重ねている2人の姿で、俺に気が付くと2人はお互いにさっと離れた。
「あ、えと、水を貰ってきましたんで、どうぞ」
窓から晩夏の程よい風が吹くが、気温はまだまだ30度前後。水分補給を怠ってはならない。持って来た水瓶とコップをベッドのサイドテーブルに置いて、水を注ぐ。
「あ、ありがとうございます」
そう言ってコップを手に取り水を飲む佐川さんだが、手が震えている。若木さんは押し黙って俯いてしまっている。
やっちまったなと思いながらも、過ぎたことはどうしようもない。俺は病室の窓側へと向かって、外を眺めながら水を飲む。とにかく、自然に振舞っておこう。
と思っていたが、窓の外を眺めると表門の方に人が集まっているのが見えた。門の外には若者たちが集まっているようだ。
俺はコップを置き、自分のバックパックを背負って部屋を飛び出した。
「入れやがれ!お前らは俺たちがどうなったっていいってのか!?」
「そうだそうだ。非人道的だ!」
「医者のくせに人助けしねえのか!」
門の前までやって来ると、そんな声が聞こえて来た。俺は門まで来ていた安部医院長に声を掛ける。
「どうかしたんですか」
「ああ、向井さん。あの半グレ共、一度ここで受け入れたんだけど、中で問題行動を起こすから追い出したのよ。昨日ね」
そういえば、ここに来る途中で何人かの半グレに囲まれ、そいつらも病院から追い出されたとか言っていたことを思い出した。
「問題行動?」
「婦女暴行よ。ま、すぐに見つかって外傷はなし、だけど心に傷は残るわよねぇ」
そういや、待合室にずっと椅子の上に体育座りしている高校生くらいの少女がいた。ずっと誰とも話さず、たまに周囲を見てはすぐに顔を膝に埋めていた。
「クズ共か」
「そうね。ふー」
安部医院長は煙草を吹かす。普通、敷地内は禁煙だろうが、今は屋外ならいいということだろう。
1分半ほど、煙草を無心で吸っていた安部医院長は、吸い殻を水の入った錆びたバケツに突っ込んで門へと向かった。
「いい加減にしな、ガキ共!てめえらに居場所なんかありゃしないわよ!さっさと家に帰ってママと×ってな!」
現場は静まり返った。
そして何を言われたのか理解した半グレたちは、狂ったように奇声を上げながら門を掴んで揺らそうとしたり蹴ったりしている。が、門は強固で、動いたり壊れたりする様子は一切ない。
そしてしばらくすると諦めたのか、捨て台詞を吐きながら門から離れて行った。
あいつら、普通じゃない。薬物、か?
「少し様子を見て来る。門を開けてくれ」
俺は安部医院長にそう言って、門を開けてもらうように頼んだ。
「向井さん…危険よ。平気で人をレ〇プできる人間は平気で人を殺せるわよ」
「自分の身は自分で守れます」
俺はそう言って、バックパックからライフルを取り出して、ストックを展開、弾倉を取り付ける。
「自衛官だったの…?」
「いえ、自衛官から貰った物です」
「そう、わかったわ。門を開けて!」
安部医院長は門を開けるように指示を出した。数人掛かりで開かれる門。
「大丈夫だとは思うけど、気を付けて。奴ら、危険ドラッグを使ってるかもしれないわ」
「大麻ですか」
「いいえ、たぶん合成薬物ね。吸入、経口摂取、やりたい放題みたいよ」
俺は神妙な顔で頷いて、病院の敷地を出た。
道路の遠くの方に半グレ集団が15人ほどで歩いているのが見える。俺はそいつらの後をつけて行く。
しかし、自分たちが追跡されているとは知らないにしろ、現状の路外を歩くにしては警戒心がなさすぎる。いつ感染者が襲ってくるかもわからないのに、半グレ集団は無駄にデカい声で喋りながら、後ろを全く振り返らずに歩き続けている。
「なんであれで生き残れるんだ…」
と思わず呟くが、この地域は感染者の分布の偏りが大きい。地元の地理を理解し、感染者の多い場所、少ない場所を知っているため呑気に歩いているのだろうか。
そう思っていた矢先。民家から感染者が飛び出して来た。集団のうち1人が感染者に押し倒され、首元を噛み千切られた。しかし、半グレ集団はそんな1人に構いもせずに早足で逃げていく。助ける素振りも見せなかった。
確かに、ああなっては出血を止める術も、感染を防ぐ手立てもない。だが、迷いなく逃げていく様には驚かされた。
「たず、たずげ、あがっ、ぐっ」
首元を噛まれ、頬を噛まれ、肩を噛まれ、腋を噛まれる男は、助けを求めて藻掻くが、出血性ショックだろうか、すぐに動かなくなった。
俺はライフルを肩に掛け、パックパックからマチェーテを取り出してカバーを取り外した。
そして今も男を喰い続けている感染者の首に斬撃を加えた。
刃が半分ほどまで首に食い込み、感染者は声も上げずに勢い良く倒れた。
俺がそんなことをしていても、半グレ集団が振り返ることはなかった。仲間が感染者に食い殺されていても見向きもしない。明らかに異常だった。
恐らく安部医院長が言っていた危険薬物の作用なのだろう。自分以外に無関心になる、そんな作用。
鳥肌が立つ。恐怖ではない、何か気色悪い物を見た時の感覚だった。
早足で歩く集団を、俺は再び追いかけ始める。




