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3. その空虚の理由を

 すぐにでも席をたちたいような、たちたくないような――説明しがたいひそやかな葛藤を無駄に味わった後、俺は休憩に出るふりをして室井の姿を探した。だが見つけられなかった。しばらくして俺が打ち合わせのために席をたち、戻ると、すでに室井は退社していた。


 次の日、室井は会社を休んだ。感染症にかかったらしくしばらく休むという噂を俺はひとまず信じた。だがさみしかった。さみしいと思う自分に驚き、そんな自分の幼稚さに羞恥を覚えた。平日は室井とほぼ確実に会えていた事実は、思った以上に俺の生きがいとなっていることに、出会いから十年もたって気づかされたのだった。


 そして――室井が会社を休んで、三日目。俺はいきつけのバー、座り慣れたカウンターの最奥で、ジェントルマンジャックを何杯も飲んでいた。普段ならば会社帰りに一杯のグラスをゆっくりと飲み干していく粘度のある時間を楽しむのだが、この日は耐えがたいさみしさを強いアルコールで埋めることしかできなかった。


 常ならぬ俺の様子に、店主は水を入れたグラスを置くと俺の前からそっと離れた。その店主に同じくカウンターに離れて座る初老の常連客が話しかけ、少なくとも俺と俺の内面以外はこの場は正常へと戻っていくのをぼんやりと感じた。――抑揚があるようでない、ジャズ。そよ風のような男同士のささやき。時折、笑い声。無言。またささやき。繰り返されるリズム。グラスの中で揺れる氷。滑る音。指先に伝わる冷気。絶え間なく流しこむウイスキー。喉を流れる冷気と熱。残るのは、熱。胃に沈殿していく、熱。冷めようのない、熱。チェイサーがあろうとなかろうと冷めることのない、熱――。


 きついアルコールのせいだけでなく、杯を重ねるごとに指数的に頭痛が増していく。


 ここは現実で、俺は行きつけのバーにいる。日々そつなく仕事をこなし、十時には帰宅する。愛してはいるが最愛ではない女が待つ家へと。それが現実のルーティーンだ。なのにどうしてこうもさみしさを感じるのか。室井はただの同期で、付き合うどころか触れたこともない。二人で出かけたこともなく、好意を伝えたこともないというのに。


「本当にわからないのかい」


 それが小人の第一声だった。


 あきらかに店主や常連客とは異なる声質は、性でいえば男なのだろうが、女めいてもいて、つかみどころのないしゃがれた声に俺の腕は正直に反応した。鳥肌がたった腕をさすりながら声の方に目線をやると、小人は俺の隣のスツールに生意気にも腰掛けていた。


「教えてやろうか。お前さんのその空虚の理由を」


 やや上目遣いに俺を見上げる様はこびているようにも舐められているようにもとらえられた。その濁った目と目が合った瞬間、俺はこの不思議な存在を――50センチほどの身長しかない、明らかに非人間的かつ醜い存在自体をなぜか受け入れていた。


「言ってみろよ」


 言いながら、唐突に強い酔いを自覚した。


「言えよ。ほら。さっさと言え」


「おー、怖い」


 小人は首をすくめ、俺のためのチェイサーを氷ごと一気に飲み干した。空になったグラスにはなめくじが這ったような奇妙な痕だけが残った。


「どのように知りたい?」

「どうように?」

「我の言葉でいいなら、今この場で言えるよ。正確に。誇張なく」


 けれどそれでは納得しないでしょうと小人が続ける。


「お前さんのその空虚は大きく、深い。さながら地獄の鍋のように。お前さんが毎夜見る夢の中の鍋のように」

「……お前はあの夢や巨人と関係しているのか」

「そうであってほしいのかい?」


 氷を口の中で転がしながらしゃべる小人の向こう、常連客と店主は穏やかに会話を続けている。温かみのある照明の元、あちら側はまるで天国のようだった。そして小人といる俺の方は地獄にいるようだった。その境界線は目視できなくても、あちらとこちらで世界の軸がいつしか完全に異なっていた。


「関係しているのならすぐにやめろ」

「やめなかったら?」

「お前の首をねじきってやる」

「やってごらん」


 そう言った小人があまりに生意気で、不愉快で――俺は右手で小人の頭を、左手で首根っこをつかむや、右手をスロットのように回転させながら曲げていた。登場からものの数分で小人は俺の世界で呼吸することをやめた。

かなりのスローペースでの不定期連載になりますm(_ _)m

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