2. 夢の話をしたことを思い出したのは
夢の話をしたことを思い出したのは深夜三時のことだった。正確には三時十二分。隣に室井がいないことに気づいて、起き上がり、冷蔵庫からバドワイザーを取り出して一口飲んだ後だった。
爪の長い、巨人――。
細かな炭酸が喉の奥でちりちりと踊り、力尽きて消えていく。巨人に連れていかれるたびにあきらめ、うなだれる俺のように。だが世界が変われば俺こそが強者となることもある。
室井とベッドをともにし、眠ったのはわずか数時間だった。だがその数時間が俺にとっては一つの特異点となった。巨人の夢を見なかったのだ。そんなことはこの十年ほどなかった。レム睡眠だろうがノンレム睡眠だろうが、起床時には必ず新たに体験した悪夢の記憶が脳にきっちりと刻まれているべきなのに。俺の頭の中には優秀すぎる速記係が住み着いているのか、はまたは高性能すぎるCPUとメモリが組み込まれているのか。理由はわからないが、とにかくそうだったのだ。
「奇跡……か」
ビールを飲み干し、ベッドに背中から倒れこむ。見上げた天井は随分低かった。なぜあんなところに、と思えるような場所に足跡めいた汚れがいくつも確認できる。
室井は家に帰ったのだろう。こんな安宿ではなく、築浅の高層マンションへ。俺を置いて、帰るべき人のところへ。俺も帰るべき場所に戻らねばならない。ただ、今夜巨人の夢を見なかったことは確かだった。……しかし明日はどうだろう。
「それは違うね」
声のした方に首を傾けると、窓のサッシに小人がちょこんと座っていた。皺だらけの顔。みすぼらしい服。ねっとりとした髪のうねりなど、見るからに不潔そうだ。だが小人が身なりを気にしないのはいつものことだった。
「お前さんは勘違いをしているよ」
小人が口をひらくたびに嫌な匂いが鼻をつくのもいつものことだ。
「勘違い?」
「そうさね。お前さんは勘違いをしているよ。正解なんて一つもない」
「たとえば」
「たとえばあのお人は家に帰っちゃいない」
「なぜお前がそれを知っているんだ」
「お前さんは学習というものをするべきだよ。我が何を知っていようともこの世はこの世でしかない。なぜそれを理解できないのかねえ」
皮肉を含んだ小人の物言いに、初めて小人が俺の前に姿を現した日のことを思い出した。
あれはひと月前のことだった。
実数と虚数、正弦と余弦から成るプログラムがようやく正常に動くようになり、重くなった瞼をモニタ画面からフロア全体へと無意味に動かしたところで、なんとなく場の空気が違っていることに気づいたのだ。そして庶務の千代田さんがグループ長の尾道に「室井さん、泣いてました」とこっそり告げているのが聞こえてきたのである。