~第19節 森の獣~
音の少ないこの地域では、秋の虫の音とサラサラとした風の音が聞こえる。しかし空よりも暗い闇に見える深い森の奥からは、何か獣の遠吠えのような鳴く声が聞こえてくる。道は獣道ほど酷くはないが、一応街道のように人の通れる道はあるようだ。ただ鬱蒼と葉の茂った森の中は月の光が届かず、何か明かりがないと暗く見にくい。
「行くとは言ったものの、この暗さじゃぁ~さすがにこの先を進むのには、ちょっとためらうな」
進む隊列としてアギトとマリナの2人を先頭の前列とし、ナツミ・カエデ・カケルの3人が中列を担当。最後の後列をアキラ・セレナ・ライムの2人と1匹が務めることにした。とりあえず森に入る前にアギトが悪態をついていたところ、セレナが前に出て申し出た。
「私が中列の上に明かりを灯します」
言うが早いか、短杖を上にかかげ、セレナは光属性の呪文を唱え始める。
「力の根源たるマナよ!光の精霊ルミナスよ、闇を照らす光をもたらしたまえ!光球!」
足元に光輝く魔法陣が輝き、杖の先から放たれた光の粒子が隊列中央の上部に到達すると、光の玉状に凝縮してまばゆい輝きを放ちだした。するとその光は昼間とまではいかないが、かなり遠方まで視界が届くようになった。これなら突然の戦闘になったとしても、対処しやすい。
「おう、嬢ちゃん助かるぜ。これなら良く見える。それじゃぁ、まわりに気を付けて進めよ」
アギトはメンバーに振り返って鼓舞し、我先にと進み始めた。街道上は舗装されてはいないが、草は生えておらず土がむき出しだ。ただ良く見ると古いが馬車の轍の筋のようなものや、馬の蹄の跡も見て取れる。少し進んでから、セレナは周囲に警戒をしつつも、今の異世界転移の状況からある思いにふけていた。
(まさか異世界に来ちゃうなんて…みんなも一緒にいてライムもいるから少しは安心するけれど。元の世界のお母さんが心配だな…)
そしてふと思い出したように、ポケットに入れていたスマホを覗いた。電波は圏外ではあるが、電源は入っており時刻も表示されている。しかし、こちらの時間帯といささかずれがあるように思える。
「ねぇ…向こうとこっちの時間って、ちょっと違うのかな?」
前を歩くカエデの背中に、セレナは問いかける。それを見てカエデも懐からスマホを取り出し、時刻を確認する。
「あ、ホントだ。向こうの時刻だとまだそんなに遅くないと思うんだけど、こっちではもう真夜中な感じよね」
「それはそういうこともあるだろうね。平行世界であるが、異世界である以上は違うこともある可能性も十分あるよ。充電ができない以上、電源は切っておいた方がいいかな。いざという時に、何かに使えるかもしれないし」
カエデとセレナの疑問に答えるように、アキラは一瞬振り返る。そして自分のスマホの画面を少し確認してから、電源を切った。それに倣ってそれを聞いていた他全員も電源を切る。その後はザッザッと隊列の足跡だけが反響しているように聞こえる。
「アキラさん…警戒しながらでいいので、ちょっと聞いてもいいですか?」
「うん、何だい?」
お互いに両サイドの森の木々の間を目視しながら、歩みを進める。
「私、以前にずっと歩けなくて入院してたじゃないですか?でもいつの間にか歩けるようになったのが、どうしても解らなくて。それって今考えると、こういう異世界転移みたいに、少しだけなってたのかなぁ…なんて思うんです」
少し驚いたように、アキラは瞳を大きくして一瞬こちらを見るなり、すぐに今見ていた森を見つめる。
「そうだね…セレナくんは普段街を歩いていて確かあったお店が、いつの間にか閉店してたり、いつの間にかお店が出現していたりしたことはないかな?もしくは家の中で一人で、確かここに確か置いたはずなのに、あとで見たらなぜか違う場所に置いてあるとか」
「そ、そうですね…両方ともあるような無いような」
「それは、確かに勘違い、という場合もあるんだけども、実はごく小さい範囲での平行世界への移動、ということもあるんだ。そういう意味では夜寝て朝起きる時には、別のパラレルにいることなんてざらにあると言われているんだ」
人差し指でアゴを支える形で、セレナは森から目を移し、街道の上に開くまっすぐな長い切れ目のような夜空を眺める。
「ふぅ~ん、なるほど。そうすると、私も歩けない世界から歩ける世界に、いつの間にか移動したって、ことでしょうか?」
「そうだね。今歩けているのが、それがまぎれもない現実だよ。波動が上がった影響もあるのかもしれないよね」
そのように2人が会話を続けている時に、不意に前衛の2人が立ち止まって、それぞれの武器を構えだした。
「どうかしたの?」
急に立ち止まる前衛のアギトとマリナの反応を見て、ナツミは疑問を呈する。
「前方から複数の足音が聞こえる気がする。それも人間のものじゃねぇ」
「私も荒れたような気配を感じます。森の獣でしょうか」
アギトは背中に背負った大斧の柄に手をかけたまま、目だけでナツミの方を見る。マリナも森の中を警戒しながら、いつでも刀を抜けるように柄に手を添えている。
「僕も複数の獣の足音が聞こえるよ。周囲をもう囲まれてるみたいだ!」
ウサギの耳を左右にピクピクと振りながら、カケルも良くなった聴覚で索敵を行っていた。
「ウゥゥゥゥゥ…」
低い唸り声を上げ、鋭い牙をむき出しにしながらゆっくりと姿を現したのは、白い毛並みに赤い目をした狼に似た獣だった。
「あ、あれって、狼ですか?!いつのまにかこんなに…あれもダークスフィアから召喚されたものでしょうか」
驚いてカエデも伸縮式の薙刀を慌てて構える。
「あの狼たちからは、暗黒の波動は感じません。本能で襲ってきている感じがしますね」
ズラッと取り囲んだ狼を流し見て、マリナは波動鑑定を行う。
「あれは…おそらくフロックウルフ。ただ確かに黒い霧が見られないから、召喚されたものではなく、野生のものか」
少し大きめのフロックウルフを中心に、ジリジリと周りの狼も距離を狭めてくる。
「くそっ、やらなきゃだめか!」
アギトのかけ声をきっかけに、他の全員は武器を抜き襲い来る獣に備えた。それと同時にフロックウルフも一斉に襲いかかる。
「とりあえず僕が足止めしますっ!力の根源たるマナよ!地の精霊ノームよ襲い来る者の足元を狂わせたまえ!土類蔦!」」
咄嗟のカケルの土魔術で周囲のフロックウルフの足元に、土の蔦が盛り上がるが、それは悠々と強力なジャンプ力で飛び越えてられてしまった。
「あぁっ、ダメだっ!」
魔術が有効でなかったカケルは、焦って背中に背負っていた弓を取り出し、矢筒から矢を取り出しつがえる。
「ちょっと、なにやってるのよ!」
呪文に失敗したカケルに対して、ナツミはダメだしをする。
「仕方ないじゃないかっ!まさかあんなにジャンプして避けるなんてっ!」
そう言いながら、カケルの準備をカバーする形で、ナツミはフロックウルフの前に出る。
「私も援護します、力の根源たるマナよ!光の精霊ルミナスよ、光の保護をもたらし彼の者の攻撃を防ぎたまえ!光の庇護!」」
カエデの足元から全員を囲うように白の魔法陣が展開し、それと同時にそこにいる全員の身体が白く光り出し、包み込んだ。
「これで多少ですが、軽い傷なら素肌でも防ぐことが出来るはずです!」
そしてそのすぐ後にカケルに襲い掛かろうとしたフロックウルフの一匹から、守るように身を挺してナツミは左腕を噛まれてしまった。
「くっ、い、痛くない!これが援護魔術ね…」
手甲の無い部分も本気で噛まれているはずだが、ナツミには痛みを感じていない。
「そして…なぜだか身体が…軽い?」
同時に身体の良い方向での異変に、ナツミは気が付き始めていた。