~第18節 変異~
夜空は満天の星空がきらめき、ときおり流れ星が月の横を尾を長く引き、地平線へと消えていく。電子光の蔓延する現代では久しく見られない、自然そのままのまばゆい幻想的な景色だ。草原を薙ぎ頬を撫でる夜風も、適度に冷たく心地よい。同じ地球上の日本もかつてはこんな景色が見られたのだろうか…そしてここは異世界である。
「異世界…でも今の状況からは全くの異世界、というわけではないんですよね?」
上空を偵察していたドローンはその後ゆっくりと降下して地面に着地した。役目を終えたそれを持ち上げ、カケルは本体の電源を切る。電力を失ったドローンは両サイドの赤緑それぞれのライトが消灯する。
「そう…研究ではとんでもなく違う異世界には、おそらく高い波動もエネルギーも必要と考えているんだ。それがもし転移することが可能なら、現世にとても近い平行世界にしか行けないのだろうと僕は考える」
じっとアキラの話を聞く全員の間を、サーッと勢いの良い風が通り抜けていく。
「でも富士山が見えるなら、そんなに異世界に来た感じには思えないけれど…ここには人が住んでる気配が全くしないわ」
後ろの深い森以外はどこまで行っても大草原にしか見えない、この世界を見渡しながらナツミはつぶやく。
「でも…そんな大掛かりな儀式魔術を使っての転移でしたら、ひょっとしてもう二度と元の世界には帰れない…んですか?」
言い知れぬ恐怖と不安にかられて、カエデは自分の両肩を抱きしめて縮こまる。
「いや、まだ元に戻れないと決まったわけじゃない。あのダークスフィアの刺客が意味もなく膨大なエネルギーを必要とする異世界に我々を飛ばすとは思えないからだ。ただ単に僕らを始末するだけなら、現世のあの場所で、あの瞬間にもできたはずだ。そうでない以上は、おそらく別の意味があるはず…」
フムと右手を顎にそえて考える素振りを見せて、アキラは少しあさっての方向を向く。
「あの大きな亀さんもここにはいないですし…どこに行ったんだろ?それとも今、私達のいる異世界には来ていない…?」
人差し指で顎をツンと支えながら考えるセレナの足元に、暗くて良く判らないが白くて丸い毛玉がゴソゴソと近づく姿があった。
「きゃっ!なに?」
「おそらくあの大亀もこの世界に来ているとみたニャン」
その毛玉が触った瞬間、背筋がゾクッとした。が、それは人の言葉を話す毛玉。三毛柄のマンチカン、ライムがセレナの脚に頭を擦り付けて姿を現していた。その目は夜目でいつもよりも緑色に光っているようにも見える。
「ラ、ライム?!一緒にくっついてきてたの?」
「そうニャー。お主の守護者たるもの、いつなんどきでも主の危機とあらば我は駆け付けるのニャ。帰りが遅いから様子を見に来たら、たまたまあやつの術に一緒にかかってしまったんだニャン…」
思いもしない飼い猫ライムの登場で、セレナはしゃがんで飼い猫の頭をなでなでする。いつも感じるモフモフでフワフワした心地よい触り心地だ。ライムも気持ちよさげに目を閉じてそれを受け入れている。心細いこの異世界でも、少しこころがほっこりした気がする。
「そういえば、この前もそうだったけど、どうしてライムちゃんは喋れるようになったの?」
以前に似た状況にカエデは、ライムが人語を話せることに疑問を感じていた。
「それなんだけど…前にライムから聞いたのは、私の波動がお父さんからもらったこのペンダントのおかげで底上げされて、話せるようになったみたいよ」
「へぇ~人の言葉を話す猫…初めてみます」
「それには僕も同感だよ。ただ今僕らが異世界に来ていることから考えても、それは不思議じゃないですね」
珍しいものを見るかのようにマリナもしゃがみ、右手を差し出す。それに対してライムはお手をする形でペチッと右前足を差し出す。アキラも今の状況から考えれば、人の言葉を話す獣がいても大して驚きを感じられないようだ。
「お主も高い波動を持っているニャ?」
「それは、ありがとうございます」
ライムの波動鑑定に、マリナは素直に喜ぶ。そんなマリナの様子を見て、遠巻きに見ていたアギトはその携えた見事な日本刀に喰いつく。
「ところで、アイドルのねぇーちゃん。使い込まれた良い刀を持ってるな?俺でもわかるぜ」
「私は七瀬マリナといいます。この刀は…代々我が家に伝わる宝刀であり、同時に持つものを選ぶというわれる、妖刀なんです」
ライムの髭をもてあそんでいたマリナは、おもむろに立ち上がり、腰に差している刀の鞘に手を添えてさする。
「あぁ、悪かった、七瀬さん。ほぅ、妖刀とはただごとじゃねぇな」
「マリナで結構ですよ。かつて、この刀を使って人を斬ったものは…不遇の死を遂げたと聞いています。ただ今現在、私はまだ無事なので…」
「なるほどね」
答えたアギトは無意識に自分の長いアゴヒゲを撫で、自分で驚いてそれを慌てて辞めた。
「ところで、そこの老体…ドワーフ?お前は誰なんだ?」
いぶかしむようにアキラは中指でメガネを直し、アギトとおぼしきドワーフにたずねる。
「お、おいっ!俺だよ、黒鉄アギトだよ、アギト!声でわかんだろ!」
そう言いながら、アギトは低くなった背を高く見せる様に頑張って背伸びをする。
「確かに声はアギトそのものだが…そうか、ひょっとしたら、魂の来歴でその姿は変わることもあると聞いたことがある。お前は確か祖先は鍛冶屋だったか?」
「そうさ、俺の故郷は新潟の燕市。代々に渡る刀鍛冶の本家本元の職人さ」
「それなら答えは明らかだ。やはり先祖にこの世界の種族が影響を及ぼしているらしいな」
腑に落ちてアキラはうんうんとうなずく。カエデがアギトに手鏡を渡し、それを見たアギトは愕然とする。
「マジかよ…これが本当に俺なのか?」
「おっさんが、ホントにおっさんになったの?マジ受けるんですけど」
プププとドワーフのアギトの姿を見て、思わずツボに入りナツミは吹き出す。
「やかましい、お前!またおっさんよわばりか!そういうお前はその背中の翼はどうなんだ?」
ツボに入っていたのもつかの間、ゲッとナツミは背中に目をやる。すると朱色の見事な翼が自分の背中から生えているのが見える。また靴を履いている足の指もなんだか違和感を覚える。
「えっ!?なにこれ?」
「ナツミさんは…鳳凰に関係するなにか、ハーピィといったところか」
「は、ハーピィだなんて…他のみんなはどうなの?」
何度も背中を振り返り、ナツミは今も信じられないという顔だ。アキラは冷静にそれを分析する。すると、良く見るとマリナは耳が長く上にとがって見え、カエデはそれよりも半分ほどの長さだが、耳がとがっているように見える。
「マリナさんはさながらハイエルフで、カエデさんはハーフエルフなのかな?」
思わずマリナとカエデはお互いの耳を見て、そして長くなっていることに驚いた。
「私にはどんな由来が…?」
「ハーフエルフって…なんだか中途半端…」
マリナとカエデの様子を見て不安になったカケルは、恐る恐る耳が有るはずの場所を触る。しかし頭頂部から敏感な音を感じるような気がして、頭頂部を触ると耳を触る感覚がある。
「あ、アキラさんっ!これって…」
「カケルくんは…ウサギの耳?獣人族の兎獣族か?」
「えぇっ、ウサギ獣人って…微妙」
いささかしょぼんとしたカケルは、ふとセレナを見ると同じように獣の耳が付いているように見える。
「セレナちゃん!ケモ耳がっ!」
「えっ!?」
慌ててセレナは頭頂部をさすると、飼い猫のライムを触るような感覚で耳があることがわかる。また後ろにもフサフサの尻尾があるように感じる。それを見てアキラはまた分析する。
「その耳は…猫か?セレナくんは猫獣人だな、おそらく」
それを見ながら足元のライムも満足そうに何度もうなずく。
「それはそうだニャン。先祖に猫の気配を感じるニャ」
「えーっ?私の祖先は猫なの??」
セレナは気が動転して、無意識にフサフサの尻尾をフリフリする。
「そういえば、アキラさんはどこも変化してないように見えるけど…」
ここにいるメンバーが全員変異しているのに対して、セレナはアキラが何一つ変化していない、ただの人間のように見えた。
「僕は…先祖は代々武家のサムライだったと聞いてる以外は、あまり詳しくはないんだよね。動物には縁がなかったか…」
一通り変異を確認したアギトは、ふと次にどこに行こうかと考える。現状ではなにも情報がない状態だ。
「さてと…みんなの確認も終わったようだし。これからどうするかねぇ…」
そういうアギトの前にマリナは進み出た。
「この森の…ずっと奥から不穏で大きな気配を感じます」
マリナが言いながら指さす先は、深い闇のような森の先に高い岩山が見えた。
「僕もあの方角から、なにか猛獣の呻くような声が聞こえます」
耳の良くなったカケルにも、その不穏な生き物がいることが感じられた。
「そうか…猛獣の声。それにマリナも波動を感じるのか。そう思うと俺にもなんとなく感じる気がするな」
「マリナさんって、ちゃんと『さん』を付けて言ってください。おっさん」
アギトがマリナを呼び捨てにしたことに対して、ナツミは即刻ツッコミを入れる。
「あぁ?ったく…仕方ねぇな」
それを渋々と受け入れたアギトは、浅黒くたくましい腕で両膝を叩き、立ち上がった。
「よしっ!ここでうだうだ考えてても仕方ねぇ!とりあえずは情報収集だ」
そこにいた全員がその深い森の先にある、岩山を目指すことに異存はなかった。