03 薔薇風呂とワニとブラックカード
あれから家に帰ってきた俺は、一連の流れを思い出して恥ずかしさに悶えたり、天使千春を推す一人の男として決意を固め直したりしながら風呂に入っていた。
風呂っていうか……温室の中のあったかい大理石の池。
伊集院家は、風呂が馬鹿でかい。伊集院環として十七年間生きてきて、今も生きている俺が、前世のハンバーガーショップ店員の感性で家を見るととてつもなく風呂がでかい。
風呂っていうか温室である。
バナナがめちゃくちゃ生えた温室の真ん中に湯気のたつ温泉があり、ちょっと離れた水槽でワニとかゾウガメが執事から餌をもらう。それが伊集院家の日常。
……なんていうか……バカゲーだなあ……
そう思いながら俺は薔薇で埋め尽くされた風呂にぶくぶくと鼻先まで沈んだ。
25メートルプールぐらいでかさのある風呂、巨人も足湯できそうだ。
「坊っちゃま、今日は浮かない様子ですね」
「そうか?」
「物理的に沈んでいらっしゃるので」
「あっ、はい」
物理的に沈むのをやめて顔を上げると、褐色ピチピチスーツのマッチョが俺を見下ろしていた。執事兼ガードマンのオールバック褐色マッチョ。ハリウッド映画とかに出てきそうな見た目をしている。
すべきみの世界観の中ではそこまで目立ってなかったが、こうしてよく見るとなかなかこいつもキャラが濃い。褐色マッチョのハリウッド映画に出てきそうなスーツの執事。インパクトがでかい。
「……セバスチャンにもわかるか」
「田中ですが」
顔と名前があまりに合わないので俺は彼の進言を無視した。
「セバスチャン、今日俺は、好きな女子をシンデレラにすると約束してしまった」
「田中ですが。ほう、それで?」
「……驚いたり引いたりしないのか?セバスチャン」
「坊っちゃまが幼稚園の頃、『きみをおれのプリンセスにするよ!』と同クラスのまゆちゃんに告白した時と似たようなことをしているなあと思いまして。田中です」
まゆちゃん誰だよ。
「そんなことしてたっけ!?」
「いつもの事だなと」
「そ、んな事ないだろ、今の俺は高校生だぞ!高校生にもなってシンデレラにすると約束するとかどうなんだ……!?」
褐色ダンディマッチョ田中はちょっと眉を上げる。
「シンデレラにしてあげればよいではないですか」
「でも……いきなりほぼ話した事もない男に、シンデレラにしてやるとか言われて、あの子は引いたかもしれない……」
「しょっちゅうサンクチュアリで休んでる環坊ちゃんが何言ってるんですか?」
「お前には人の心がないのか?俺の家族も同然じゃないか」
「あくまで執事です」
その台詞大丈夫なのかな。
俺はセバスチャンを手招いて、黄金のバケツに満たされた刺身を持って来させる。気まぐれにその餌をワニに投げながらため息をついた。
ワニは今日もめちゃくちゃ元気である。元気一杯馬刺しを食べている。いいよな、悩みがなさそうで。
俺もワニになりたい。
でもワニになってたら、天使とあんな風に近づける機会も、こんな風に彼女のことで悩める機会もなかったんだろうな……
「……彼女のために何かしてあげたいんだ、俺は。あの子が幸せそうにしてるところが見たい」
「なるほど、愛ですね」
ハリウッド俳優顔負け褐色マッチョは考え込んだ。
「では手始めに、お出かけにでも誘われては?我が伊集院家の運営する五つ星ホテルで、ディナーでもご一緒に」
「いきなり夜に一緒に過ごすのはハードルが高い!」
「それでは家で昼食でも共にされては?」
「家はもっと駄目だろ……!」
彼女からしたらよく知らない立場である男から、突然招かれたら怖いだろう。
ワニもいるし。あと庭にライオンもいた気がするし。天使を怖がらせるのはちょっと。
「割と意気地がないですね」
ハリウッド映画俳優みたいな顔して恋愛経験豊富そうなセバスチャンと比べないでほしい。
「ではそうですね……健全に、お昼のデートのお誘いでも。最初は共に遊ぶ程度にしておけばよいと思いますよ」
彼はどこからか魔法のように、二枚カードを取り出した。
黒光する宝石のようなそれは、どこからどう見てもブラックカード!
「セバスチャン、それは……!」
「我が伊集院家の経営する店で使えるブラックカードです。これを使って彼女をお誘いしましょう。田中です」
「ありがとう、お前の気遣いのできる所が好きだ」
「私は妻一筋ですので」
そういう意味じゃねえよ!
ーー
ぴろん、と。
軽快な音と共に携帯が鳴って、天使千春はぱちりと目を瞬かせた。ちょうど彼女は、ゲームの中に出てくるスーパーアルティメットゴリラをぶち倒したところだった。
(……ベリーハードは勝てたけど……ナイトメアモードは……え、えっ、め、メッセージ……?)
彼女はめっちゃくちゃびくびくした。
家では桜色の三つ編みもほどき、ゆるゆるの白いTシャツを着てオーガニック美少女っぷりが全開になってはいたが、気弱な小動物っぷりは相変わらずだった。
(わ、わたしに、誰が……っ?)
ゲームの配線を避けながら、千春は自分のスマホを発掘して画面を見た。
ディスプレイされた『伊集院環』の名前に何度か目を瞬かせる。
伊集院くん。
本当に、連絡してきてくれた……。
「……わたしなんかに時間割いてくれて、迷惑じゃあ、ないのかなあ……」
ずっと昔に——『少しだけ縁があった』、その時の頃を伊集院くんも、覚えていてくれたのかな?
いつも教室ではきらきらと華やかで賑やかで、ちょっと不思議な言動はするけどいつも自信に満ち溢れている人。恋とか愛とかじゃなく、純粋な、憧れ。誰にも言ったことはなかったし、きっと彼本人だって気がついてはいないだろうけど。
あと、あれ。
めちゃくちゃ肌の美容とか髪の手入れとかに気を遣っていて、並の女子より綺麗で。
タイが曲がっているよとか言ってくれそう。
雰囲気がマーベラス。
(伊集院くんって、なんか……そう、ファビュラスなんだよね……)
グッドルッキングレディを従えてそう。
千春はちょっと気合を入れてからメッセージを開いた。
「えっと……、『今週の日曜、よければ一緒に出かけないか。必要なものはこちらで用意した、君は身一つでこれを受け取ってくれ』……」
こ、これって……!
「あそびの、お、お誘い……!?お洋服、どうしよう……!?それより、ううん、わ、わたしなんかが、う、受けていいの……?」
もしかして十人乗りのベンツに乗せてもらったりできちゃうのだろうか。
前に彼の前のクラスメイトの子が言っていた、ワニのいる薔薇風呂とか見学できちゃったりするのだろうか。夢が広がる。
彼女はクソ鈍感系女子だったので、デートとかいう文字は頭を過らなかった。
大体そういうのはファビュラスな人への憧れで押し流された。
千春はすっ飛んでいってクローゼットを開く。
「お洋服、どうしよう……!おしゃれしなきゃ!」
そこには……クソダサを煮詰めたようなとんでもねえ配色の服ばかりが詰まっていた。
紫色にナスの絵に「NASU」って編み込まれたニットだとか。
真っ赤な地に「ゲーム人生」とだけ書かれてるトレーナーとか。
が、千春本人はレアイベント、『クラスメイトとのおでかけ』に着ていく服をその中から見つけようと必死だったため——己の服装センスのクソダサさに気がつくことはなかった。
それにしても、一つ謎なことがある。
「この写真……何が写ってるんだろう、海苔……?」
伊集院が撮った写真は、手振れと下手くそ具合ですごいことになっていたため、ブラックカードは海苔と化していた。
天使千春はよくわからないまま首を捻った。
「伊集院くん、クラスメイトに布教したいぐらい海苔が好きなんだ、渋いなあ」
日本の海苔、とかそういう攻略本を読んでお出かけに挑むべきなのかも。
次回、来たるデート編です。クソダサゲーマー鈍感美少女と、金持ちモブのブラックカードデートにご期待ください。