22 恋と紙吹雪と厨ニ病
天使が。足を滑らせて、落ちた。
セットの上から。白いドレスの体がふわりと中空に浮いて、こっちに落ちてくる。俺の腕の中に。
花束を投げ捨てる。必死で腕を伸ばす。俺の腕なんて折れてもいい、推しを受け止めるためなら、それでも。
駆け寄って抱きとめて、腕に負荷がかかる。いくら体重の軽い天使でも落ちてきたものを受け止めたら普通に重い。
いやでも……軽いな……胸があんなに大きいのにその分の体重どこに行っ……
「すげえ!レイティスがリリアナを受け止めたぞ!」
「今の演出?事故?」
「レイティス様かっこいい~~~!!!」
「レイティス美人すぎじゃね?惚れたわ……」
「いやリリアナちゃんの可憐さこそが至高、彼氏にしてくれ」
「馬鹿野郎!百合の間に挟まろうとする男は死ね!」
過激な百合厨いるなあ。
俺は息を吸って吐いて、腕の中の天使を見る。ぎゅっと目を瞑っていた天使がおずおずと目を開く。胸元につけられたマイクの電源を切って、マイクに拾われないように、天使以外には誰にも聞こえないように囁いた。
「……天使さん、……大丈夫?」
「あ、……伊集院、くん、わ、たし……」
天使は大きな瞳で俺を見る。目が潤んでいる。
顔が真っ青だ。緊張ゆえか、体も震えている。一人で舞台に出してしまったからか、内気な彼女にはきっと厳しいことだったに違いない。
俺に引き回されて大分いろいろな耐性ができたとはいえ、彼女はやっぱり内気な天使千春であって。
いくら綺麗なドレスを纏ったところで、内面はそう簡単に変わらないのだ。
でも。
その天使が、震える足でみんなの前に出て、称賛を浴びた。それだけでも、凡仁の提案に乗ってよかったと思った。彼女が逃げ出さず、みんなから拍手されて迎えられるシーンを見られただけで。
推しがみんなに注目される瞬間を見られただけで、大分本望だ。
「……俺たちは劇場版の再現を演目として入れてるけど、……台詞、喋れるかい?」
「ぁ、……うん、喋れる、……喋れるよ。……伊集院くんが、来てくれたから」
花が咲いたような笑顔だった。はにかんで、頬を染めて。可愛い。
その笑顔に客席がざわつく。かわいい、と声が飛び交う。
「リリアナちゃん、まさしくエンジェル……」
「いやこれはバズりまくるわ……」
「裏ミスコンでこんなレベルたっかいコスプレ美少女拝めるとは思わなかった……」
「俺を彼氏にしてくれ……」
「百合の間に挟まる男は死ね……」
定期で百合の間に挟まる男を殺したがってるやついる。
天使千春は息を吸って、吐いて、それから立った。真っ白なドレスを引いて。
白亜の宮殿セットの真ん中に立って、俺を見る。それからしずしずと歩いて、花束を拾い上げる。
それを俺に差し出した。
「──レイティス。あなたが来てくれて、本当に嬉しい。湖の底に咲く花をも採ってきてくれたその心、わたくしはとても尊いものだと思います。あなたの愛を、全てを、愛しく思います」
輝かんばかりの微笑みだった。眩しくてくらっとして、──そして切なくなった。
こうやって、頑張った天使は、きっと凡仁と上手くいくのだろう。天使が見る先にきっと、俺はいないのだ。
俺ではない男が用意した衣装を着て、こんなにも輝いて、笑顔を見せる。その様は正直、──うん、認めよう。
俺は。天使が、好きなんだ。
推しってだけではなくて、いや今も人生の推しではあるけど。
あれだ。ガチ恋勢に進化してしまった自覚があった。厄介オタクかよ!
「……い、伊集院くん……」
声をかけられてはっとする。
そうだ、今は演目の最中。これで優勝したら──……いや。考えるのを今は、やめろ。
「……リリアナ。私も、あなたを愛しく思う。私の、あなたが幸せであれと願う心、どうか受け取ってください」
言った。──言ったぞ、レイティス。
「──わたしの幸せは、あなたがいてこそです」
……ん?
天使さん、なんか、台詞が違うな。リリアナの台詞にこんなのあったっけ。
緊張しすぎて台詞が飛んだ……?
「……あなたがいてこそ、わたしは、幸せだと思えるんです」
手を。
手を握られる。ぎゅっと。
こんなシーンはない。原作にない。
天使の手は震えていて、頬は真っ赤で、目は潤んでいた。
原作にない台詞を言う天使千春は、──まるで、俺に恋をしているように見えた。
え、いやでも、俺は……えっ。……えっ?
「──これからも、わたしのそばにいて、ください」
息を吸って吐いた。
彼女が、どんな気持ちでこの言葉を口にしたかはわからない。俺にはわからない。でも。彼女の勇気を、彼女の気持ちを、受け止めたいと思った。厄介オタクとしての気持ちが抑えきれなさすぎて怖い。天使が他の誰かに取られてしまったら嫌だ、幸せにするのは俺でありたいと願うのが止められなくてひどい。
ただのファンからガチ恋勢になってしまった……ごめんな……。
「……ああ。……俺が、……いや、私が守ります」
手を握り返すと、客席が一斉に立ち上がって拍手した。スタンディングオベーション。マジ?
歓声がすごい。太鼓がどんどんしてるし、掛け声もすごい。バカゲーの中だからか?ちょっとのことでめちゃくちゃ周りがお祭り騒ぎになる。野生のフラッシュモブ。
「二人共幸せになってくれ~~!!!」
「原作のセリフじゃないが二次創作最高~~~~!!!」
「レイティス!俺と結婚してくれ!」
「リリアナ、レイティスと結婚しろ~!」
「百合の間に挟まる男は滅びろ~~~!!!二人共いいぞ!」
拍手とか紙吹雪とかがすごい。
辺りを見回すと、いつの間にか舞台袖に移動してきていた凡仁と、麗川と──あともうひとり誰だ?がこっちを見ていた。小柄な影。俺のことを食い入るように見つめている。
というか、原作の台詞回しと違うせいでここからどうしたらいいか……。
俺が一瞬戸惑っている瞬間に、天使が俺の手を引いて、発泡スチロール宮殿セットの前に出た。
こっちを見て、照れたように笑ってから、トラックの舞台から客席に控えめに手を振る天使。ふわふわとリリアナ姫の金髪ウィッグが揺れる。上がる歓声。
俺の方をちらちらと見る。
「い、伊集院くんも、……ね?」
あの内気だった天使が。自分から、舞台の前に……
「伊集院くん?」
「あ、えっと」
俺は咳払いした。それから、大きく手を振る。更に沸き立つ歓声と、紙吹雪で俺たちの出番は幕を閉じる。
ーー
舞台袖でその様子を見ていた、五条マユは黙り込んでいた。
伊集院環。初恋の、人。幼稚園の時に、「まゆちゃんをお姫様にする!」って言ったくせに一週間後には忘れきっていた金髪のアホぼんぼん。
「顔がいいだけで、女をはべらせるしか能がないって、思ってた……」
小さくつぶやくと、隣にいつの間にか控えていたメイドの中村がにこにこと言った。
「マユお嬢様の初恋の方は、素晴らしい殿方ですわ」
「……うん……」
マユは小さく頷いた。金髪の少年が客席に向かって手をふるのを。あんな嫌がらせをしたのに、めっちゃ水をぶっかけておいたのにそれでも臆せず舞台に出た。婚約者(暫定)を守るために、舞台まで走ってやってきた。落ちた彼女を受け止めて、大事にして。
「うっ…………」
マユは涙ぐんだ。涙が止まらなくなっていた。
「お嬢様…………」
「ち、ちがう、これは、泣いているんじゃない……目から、聖なる水が……」
「漆黒の断罪者の目にも涙ですわね」
「ちがうのぉ……これは……あんまりに……」
「あんまりに二人が尊くて…………!!!!!」
中村はちょっと沈黙した。あっ、失恋の痛みとかじゃないんだ。
漆黒の断罪者を名乗っているくせに、お嬢様は語彙がオタクであった。
オタクなのか厨ニ病なのかはっきりしてほしい。
「……誠実なら、いい。マユのような女を増やさなければ、いい。……あの伊集院環が、誠実に愛する人間を見つけた。それだけで、聖なる道は開かれた。断罪の必要はなくなったわ。いじゅこん尊い」
伊集院×婚約者の略だろうか。
マユお嬢様が鼻をずびずび鳴らしながらハンカチで鼻をかむのを見守りつつ、従順で賢明なメイドは一言添えた。
「……お嬢様、それはようございましたわ」
次回でコスプレ大会編は多分完結……かな?ここまで読んでいただけて嬉しく思います!




