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四話担当:伊織

 「帰りたいですわ……。」

今日も今日とて重苦しい雲が途切れる気配は無い。ここ数日手放せない傘を開きながら、気付けば誰にともなく呟いていた。玄関から一歩出たばかりだというのに。私はうんざりしながら重い足取りで学校へと向かう。いくら憂鬱でも、今日は平美ちゃんと昼休みにおしゃべりをする約束があるから絶対に休むわけにはいかない。たった一つの大きな楽しみを燃料に、私は重い足を動かし続けた。


 いつもの数倍長く感じた道のりが終わりに近づき、最後の角を曲がって校門の方向に目をやると、黒や透明な傘の集団の中に一際鮮やかな青色の傘が見えた。健さんだ。傘を振り回して水滴を撒き散らしてみたり、突然ぐるぐる走り出してみたり元気の良い男の子たちに混じって楽しそうに喋っている。あちらは気付いていないようで、手を振ろうか少しだけ迷ってやめた。あんなことをしていて濡れないのかな、と思ったがきっと気にならないのだろう。健さんも周りの男の子も、見るからにずぶ濡れだ。私ならきっと耐えられない。すごい、と感心しながら体がしっかり隠れるように傘を握り直すと、大粒の水滴がワンピースの裾に落ちてしまった。ただでさえ重い気分がさらに落ち込んでしまいそうになったその時。 

 「おんちゃんじゃん!おはよう!」

 大声で呼ばれ、肩がはねた。同時に声のした方を向くと、校門の反対側の端から健さんが大きく手を振りながらこちらに駆けてきた。

 「お、おはようございます健さん。びっくりしましたわまったく、驚かせないでくださる?」

 「ごめんごめん!あ、ごめん呼ばれてる。また放課後!」

 豪快に笑いながら言うと、全速力で元いた方向に走って行った。さっき顔に雨粒が激突しているように見えたけれど、やはり一切気にしていないようだった。どうしたらあんなに水に強くなれるんですの?私も雨に強くなりたい。そう思った矢先、ワンピースの裾が雨で濡れていることに気付いてしまった。これだから雨は嫌い。

 「雨になんか負けませんわ。」

 沈んだ気分を少しでも引っ張り上げようと呟いた。


◇◇◇


 どんよりと重い天気に屈しそうになりながら、それでもなんとか昼休みを楽しみに午前の授業を終えて昼食を押し込み、チャイムがなると同時に教室を小走りで突っ切ろうとして、すぐに速度を緩めた。まだあまり走ったり激しく動いてはいけない、油断は禁物だと言い含められていたことを危うく忘れかけていた。隣の教室なので、急がなくてもすぐにつく。そう自分に言い聞かせ、ゆっくりと机の合間を進んで廊下に出た。

 「わあっ。」

 開けようとしたドアが向こうから勢いよく開いたので思わず後ろに飛び退いた。それに目をくれることなく、数人の男の子がボールを持って勢いよく飛び出して行った。

 「待ちなさい、雨が降っているよ!」

 気を取り直して再びドアに近づこうとすると、今度は先生が飛び出してきた。やはりこちらを気にすることなく小走りで行ってしまう、と思ったら先生は数歩行ったところでつまずいてよろけた。そのまま壁に手をついてしばらく動かない。呆気に取られていると、急に後ろから肩を叩かれた。

 「わあっ!!」 

 「ひっ!」

 またも驚き跳び上がって後ろを振り返ると、平美ちゃんがいた。息を吐いて胸をなでおろす私を面白そうな目で見ている。

 「びっくりしましたわ。いきなりどうしましたの?今日はなんだかたくさんおどかされる日ね。」

 「蝶子ちゃん、廊下見てぼんやりしてるからいたずらしたくなった。何かあったの?」

 「えぇ、福山先生がちょっと。」

 「どうかしたの?」

 再び廊下の方を向くと、福山先生はいなくなっていた。向き直ると平美ちゃんは首を傾げている。

 「さっき走って行こうとしたら急にふらついて壁にもたれていましたの。最近あまり元気そうな福山先生をお見かけしませんわ。」

 「そうだね。少し心配。」

 私は2週間前のことを思い出していた。先生の元気が無くなり始めたのはあの頃からだったような気がする。

 「そうだ、蝶子ちゃん。くぁせふじこに会いに行かなきゃ!」

 突然目を輝かせて、平美ちゃんが手を叩いた。

 「え、あぁ。放課後にも行くでしょう?今行くの?」

 「そう。今日はファイルを提出する日でしょう?今週もたくさん書いて先生を驚かせたいの。」

 「そういうことね。ついていくわ。」

 「ファイルを取ってくるね。」

 平美ちゃんは軽い足取りで教室に戻って行った。平美ちゃんと話すのを楽しみにしていたから少しだけ残念な気はしたけれど仕方ない。くぁせふじこのことになると平美ちゃんは譲らない。

 2週間前から始まった「スライムについて」には、すでに(主に平美ちゃんの)くぁせふじこへの愛があふれんばかりに綴られていた。くぁせふじこの様子を主に書いているのは平美ちゃんで、私は日付や天気などの欄を埋めている。先週は「思わずたくさん書いちゃった。蝶子ちゃんも書かない?」と渡されたすでに空欄の無いファイルの欄外に、気付いたことを少しだけ書き込んだ。「今日は元気に動き回っていた。弾んでいて楽しそうだった。」遠慮しなくていいのに。と平美ちゃんには言われたが、空欄がなかったから仕方ない、と言い訳のように答えた。

 「お待たせ。」

 平美ちゃんが戻ってきた。ピンク色のファイルを抱えている。

 「行こう。」

 二人並んで、廊下をゆっくり歩き出した。窓の外を見ると、遠くに色の濃い雲淀んでいた。雨は上がっていた。窓の水滴が落ちていった。  


 スライム小屋のドアが開いていた。

 「誰かいるの?」

 ドアの脇で私が言うと、中から福井先生が出てきた。

 「誰だ。て、温さんと冷さんか。」

 先生の顔が一瞬やけにこわばっているように見えた。

 「先生、いらっしゃったのね。」

 「まぁ、はい。二人は観察に来たのかい?」

 「そうです。くぁせふじことしゃべりに来ました。」

 ついに平美ちゃんはくぁせふじこと会話できるようになったの?!と驚きながら小屋に入ると、突然平美ちゃんが走り出し、大声を上げてくぁせふじこに飛びついた。

 「くぁせふじこぉぉぉー!!!」

 私は平美ちゃんがスライムのこと以外でここまでハイテンションになっているところを見たことがない。もう慣れつつあるけれど、それでも普段クールな平美ちゃんがここまではしゃいでいると未だに強烈な違和感を覚える。

 「元気だった?何か困ってることはない?」

 平美ちゃんは今にも頬擦りしそうなほど顔を近づけ、しゃがみこんで両手でくぁせふじこをなで回している。まるで数年ぶりに再会した家族だ。前にくぁせふじこに会ったのは昨日のはずなのだけれど。いつも通りなら少なくとも15分はこのまま離れない。しゃべれるようになったと言っていたけれど、どうしても一方的にピンク色の得体の知れない何かに話しかけているようにしか見えない。

 「いやそんなことはないはず気のせいですわ。平美ちゃんがそう言っていますもの。」

 小さく呟いた。

 「そうだ、忘れてた。日誌を書こう。」

 平美ちゃんはそっとスライムを地面に置いて、側に置いていた日誌を開き、熱心に書き込み始めた。

 私はすることもなかったのでぼんやりとくぁせふじこを眺めていた。ここに来たばかりの時より活発になったような気がする。人がゆっくり歩くぐらいのスピードで、小屋の中を動き回っている。

 そうこうしている内に予鈴が鳴った。

 「いけない、時間ですわ。帰らないと。」

 「もうそんな時間?」

 平美ちゃんが驚いた様子で顔を上げた。

 「おお、もうこんな時間か。」

 腕時計を見た先生は、わたしたちに教室に帰るよう促した。

 「先生はまだ残るんですか?」

 「あぁ、もう少し残ります。まだ水を入れてないんだ。」

 先生は小屋の中をホウキで掃いていた。朝観察に来た時スライムの水と砂がなくなりかけていたのでその補充に来ていたそうだ。掃除はそのついでだろう。

 「わかりました。」

 「あ、先生。ファイルを今渡しても良いですか?」

 「いいよ。預かっておきます。」

 冷さんは先生にファイルを手渡した。私と冷さんは先生に会釈して、小走りで小屋を出た。靴を履き替えていると、近くの水道で先生がバケツに水を汲んでいるのが見えた。


◇◇◇


  終礼が終わってまもなく、冷さんが嬉々として私を呼びに来た。

 「蝶子ちゃん、早く行こう。」

 「そうね。」

  誰があんなことを言ってみんなが笑ってたとか、今日の給食がおいしかったとか、そんな他愛のない話をしながら外に出ると、健さんと寧依さんが待っていた。楽しそうに笑っている。こちらに気づくと、手を振って「こっちこっち!」とわたしたちを呼んだ。健さんは相変わらず、身にまとった道具をガタガタ鳴らしている。

 「やぁ。お疲れ様。」

 「こんにちは。じゃあ行こうか。」

 「また雨が降りそうだね、少し急ごう。」

 「そうですね。あ、先生のことなんですけど。」

 冷さんは思い出した、と話を切り出した。

 「今日、突然出張が入ったとかで午後はいなかったんです。5時間目に他の先生が来て、授業はその先生で。その先生から、放課後は小屋に行けないからスライムよろしく、って伝言をもらいました。」

 「そう。最近多いね。何かあったのかな。」

 「そうだね。突然出張なんてどうしたんだろう。」

 寧依さんも健さんも首を傾げている。確かに、先生が突然出張だなんてめずらしい。

 なにげなく男の子たちが走り回っている方を見ると、その近くにバケツが置き去りになっていた。掃除の時にしまい忘れたのかな、それにしても男の子たち元気だな、とぼんやり考えた。

 「て、あれ、おんちゃん?」

 健さんが大きな声でわたしを呼んだ。いつのまにかみんなから離れてしまっていたので、慌てて追いかけた。

 そうこうしている内に、スライム小屋が見えた。

 「えっ」

 わたしと冷さんは顔を見合わせた。健さんと寧依さんは怪訝そうな顔をしている。ドアが、目一杯開いていた。先生はいないはずだし、委員会のメンバーは全員ここにいる。私たち以外の人がここに来ているところなんて見たことが無いし、だとすれば先生がドアを閉め忘れたとしか考えられない。健さんがあわてて走って行った。健さんがいつもポケットに入れている小石と、ランドセルに挟んでいる小枝が落ちた。わたしたちもそれに続いた。中に入ったところで、健さんは突然立ち止まった。また小石が落ちた。

 「いない。」

 平美ちゃんが血相を変えて、健さんを押しのけて入って行った。

 「もしかしたら砂に潜ったのかもしれない。僕は小屋の中を探すから、3人は小屋の周りを探してきて。」 

 ランドセルを投げ捨てた健さんのその言葉でわたしは我に返って小屋を出た。寧依さんは、校庭をお願い、と言い残してカバンを置き小屋の裏に走って行った。振り返ると、冷さんがただ茫然と小屋の真ん中に立ち尽くしていた。

 「冷さん、行きましょう!」

 私は小屋に戻って冷さんの手を取り、二人分のランドセルを隅に置いて飛び出した。



 小屋の周り、植え込み、木の陰、学校内の思い当たる場所を全て探し尽くしてもくぁせふじこは見つからなかった。平美ちゃんは青ざめた顔をして、何もしゃべらずに黙々と手当たり次第くぁせふじこが隠れられそうな場所をあたっている。寧依さんか健さんが報告したらしく、先生たちも外に出てきて広い校庭や中庭を手分けして探し始めた。学校の外にも出るようだ。 

 「考えたくないけれど、外に出てしまったのかしら。」

 くぁせふじこがいなくなった時点で学校の外に出てしまったという可能性は頭をよぎっていた。けれどこの学校の敷地は広いから、と言い訳にならない言い訳をして、外に出た可能性をあえて消し去っていた。外は小屋の中、学校の中とは比べものにならないほど危険だ。少し離れれば車の多い道路もある。他の人に拾われるかもしれないし、そうなってしまえば得体の知れない生物がどう扱われるか分からない。動きもそれほど早くないのでなおさら、何が起こるか分からない。

 「外に出よう。」

 平美ちゃんが、蚊の鳴くような声で言った。わたしは走り出した平美ちゃんに続いて校門を出た。


 学校の周りを一周した。途中、何人かの先生とすれ違った。重く詰まった雲から落ちた水滴が、校門前のコンクリートにしみを作り始めた。

 「冷さん、傘を取りに行、」

 「嫌だ!早く見つけないと。」

 平美ちゃんはわたしの言葉を遮って、全速力で走り始めた。わたしも遅れて必死に追いかけた。息が速くなって、ほとんど治ったはずの肋骨が軋んだ。

 平美ちゃんは辺りを見回しながら、まるで何かに突っ込むように走っている。ついていけなくなったわたしは立ち止まり、冷さん、とできる限りの大声で呼んだ。声はかすれてしまった。服が水を吸って身体にまとわりつき、酷く不快だった。

 遠ざかる平美ちゃんの方へとわたしが重い足をもう一度動かし始めかけたとき、平美ちゃんは右側の植え込みを見下ろしたまま時間が止まったかのように動かなくなった。わたしは鉛のような足を引きずって、どうにか駆け寄る。首に髪がまとわりつく。ワンピースの裾が張り付いて、足がもつれた。

 見慣れた顔から、一切の表情が抜け落ちていた。

 やけに乾燥して空気を拒む喉に辟易しながらその視線を辿って、緑色の塊の先にあったのは、黒に散らばった砂にまみれて動かないいくつかの汚れたピンクだった。

 わたしと平美ちゃんの名前をを呼んでいるらしい遠くの声が頭を通り抜けていった。トラックが一台、水溜りを踏み潰して通り過ぎていった。エンジン音が遠ざかって、雨の音が響いた。


 「おんちゃん、れいちゃん、探したよ。」

 「スライムは見つかった?」

 頭の中が滅茶苦茶になって収拾がつかず立ち尽くしていると、青色が視界をよぎった。傘をさしてバケツを持った健さんと寧依さんがこちらに走ってきていた。はっとして、二人に状況を説明しようとした。

 「あの、くぁせふじこが、あの、あそこに、」

 伝えるべきことは分かっているはずなのに何もまとまらず、必死にスライムを指差しながら植え込みの低木を押し除け車道に出ようとした。が、腕を掴まれた。寧依さんだった。

 「待って。」

 数メートル先で、健さんが左右を確認し低木の切れ目から車道に入った。寧依さんは遠くを見て、車が来ないか確認している。その間に健さんが、きっとくぁせふじこだった何かをバケツに回収した。そして低木を乗り越え、こちらに戻ってきた。

 一度息を吸うごとに、底をつきかけている力が容赦無くえぐり取られていった。

 「帰ろう。」

 健さんが低く呟き、無言で歩き始めた。のぞきこんだバケツの中身はぴくりとも動かず、揺れるたびに少しずつ水分が染み出して砂と混ざっていた。寧依さんにもらった傘を平美ちゃんと二人で使った。肩に水滴が落ちた。


◇◇◇


 「見つかりました。」

 名前も知らない先生に、寧依さんが言った。

 「そう!良かっ、」

 バケツの中を見ながら言いかけて、その先生は口をつぐんだ。

 「生きてるの?」

 誰も何も言わなかった。

 数秒経って、先生が気の毒そうに言った。

 「そう。それは残念ね……小屋の裏かどこかに埋めてあげたらどうかしら」

 健さんがはい、と小さく答えて踵を返した。

 

 一人一つスコップを持ち、スライム小屋だった建物の裏に穴を掘った。健さんがピンク色の塊を一つずつ穴に落とし、盛り上がった土を被せた。泥と化した地面の中で、その一角だけは違う色をしていた。寧依さんが小屋の中で一番大きな石を持ってきて、置いた。

 しばらく誰も何もしないまま、雨の音だけを聞いていた。石は音もなく色を変えていった。

 小さなしゃくり声が聞こえた。今まで何も言わず、ただ淡々と作業を手伝っていた平美ちゃんだった。目からぽつり、ぽつり、と水滴を落としていた。わたしは、揃った膝の上で固く結ばれた平美ちゃんの手を握った。平美ちゃんはその手に顔を埋めて、声を上げて泣いた。もう片方の手を出そうとして動かした腕に水滴が落ちて、わたしも泣いていたのか、と気づいた。

 友達なのだから、何か声をかけて慰めなくちゃ。私は平美ちゃんに救ってもらったんだから、今度は私が平美ちゃんを救わなくちゃ。

 「平美ちゃん、」

 気持ちが空回りして、それ以上の声が出なかった。


 「まだ誰かいるの?」

 誰かの声がした。振り向くと、畳んだ傘とランドセルを二つ持ったさっきの先生が立っていた。

 「もう帰りますわ。ごめんなさい。」

 わたしは朱色の濃い空を見上げ、平美ちゃんの手を引いた。

 重い雲はどこかに流れていった。残るのは何も知らない少しの青空と、ぶち撒けられた朱と、静かに下がり始めた気配を見せる藍色のカーテンだけだった。


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