三話担当:アカツキ
ピンポーンパンポーン♪
お昼休みに校内に鳴り響く、放送が始まるベルの合図。これが鳴ると皆一斉に黙る。
やんちゃな男の子達は「俺ら、呼ばれんじゃね」「速く行けるようにドア側に待機してようぜ」など小言で話し、ドアを目前にして自分の名前が呼ばれるのを今か今かと待っている。どうせ呼ばれた瞬間走りだすのだろうが、もし他の先生と鉢合わせでもしたら――そもそも呼ばれるものではなかったらどうするのだろうか。まぁ私には関係のないことなのでスルーする。平美ちゃんに貸してもらった深海生物図鑑に再度目を落とし、私は一つため息をついた。
どうしてこれのどこが良いのですのっ?
「後で感想よろしく。あ、自分のお気に入りの子も教えてね」
と、半ば強制的に渡された本だった。どれも気味の悪い生物ばかりなのだが、どうにかして一つでもお気に入りを見つけ出さなければならない。私は必死になってそれと格闘していた。
『六年一組高橋健くん、六年二組霧崎・イーラス・寧依さん、五年一組温蝶子さん、五年二組冷平美さん、理科室まで来てください。』
私呼ばれたんですの……?
呼ばれたことを自覚するまで、数秒を要した。皆無言で横目をこちらに見せてくる。やんちゃな男子達も「最悪だ」と言わんばかりに睨んでいる。みんなは声に出したりしないけれど、深海生物図鑑を読んでいるメルヘンチックなバカに『あいつやばい本読んで顔色を青とか緑に変えてるぜ、キモッ』とか私がいなくなった後に言われるに違いない。みんなの思っている感情がグサリ、グサリと体に刺さって今にも壊れてしまいそうだ。辛い。逃げたい。うちに帰りたい。自分の心が警告を鳴らす。心の底から湧き出る恐怖に抗いながら、私は教室を出ようと腰を上げた。
ダァアン!
と、後方の扉が勢いよく開かれた。そこにいるのは、体格に恵まれた一人の男子。まぁ、驚くほどイケメンである。私のクラスにはこんな顔の人はいないはず……なので、私のクラスに何をしに来たのだろう、と思ってもいいだろう。皆、立て続けに起こる珍事にだいぶ動揺しているみたいだ。そして、また一つ、思ってもみない珍事が起きるのだった。
「温さんだよね? 一緒に行こうよ!」
「急に呼び出して悪かった、俺、六年の高橋健。たまたま二組の廊下を通りかかったんだけど、冷さん席から動けないでいるから助けてみたんだよね。温さんはそのついで」
ついで感覚で助けられまあまあショックを受けるが、あの状態から救いの手が差し伸べられたから、スムーズに脱出できたのだ。素直にお礼を言うべきことだろう。
「あ、あの、ありがとう……ございま――」
「お礼はいいから速く走れ!」
「え、まっ」
彼が私の言葉を遮って言い放った直後、いきなり走り出した。すごい脚力だ。あっという間に私たちから遠ざかり、角を曲がって消えていく。
ふと隣を見ると、冷さん――平美ちゃんがいた。二人そろって取り残されたようだ。
「私たちもいくよ」
無機質に放たれた声とともに手が差し出される。それを掴み、私は走りだした。
私は、ふと我に返って思う。
『至急』なんて言ってませんわよね? どうして走る必要があるんですのよ~!
やっとのことで理科室に到着した。放送をかけた先生はまだ理科室に到着していないようだ。
「やっぱり走る必要なんてなかったんじゃないですの!」
言ってしまってから、しでかしたことに気づいた。先輩に悪口を言ってしまった。もしかすると嫌われてしまったかもしれない。謝ろうとするがあたふたして、言葉が喉をつかえて出てこなかった。
しかし、彼はそのようには受け取らなかった。
「ごめんごめん、反対側のドアに待機してたやつらがちょっかいをかけてくるんじゃないかなって思って」
そういって彼は笑った。
「もー健くんったら。女の子を走らせるなんてひどいよー」
知らない声に振り返ると、モデルにでもなれそうな長身細身の女子が立っていた。顔立ちはとても整っており、西洋人のようなブロンドの髪に白いロングスカートが相まって、街中を歩こうものなら老若男女誰もが振り返り感嘆の声を漏らすだろう。端麗という言葉はこの人の為にあるようなものだ。
そして、この人も私と同じハーフアップにしている。身長の有利を生かして、腰まである髪を美しくまとめられている。
「運動神経に任せて廊下を走っちゃダメでしょ? 先生が追い付けないからって調子こかないの!」
「あーはいはい……それはそうと先生は何で俺たちを昼休みに呼んだんだろうね。放課後じゃダメだったのかなぁ」
健さんが私を見て言う。話をそらされた先輩は急に振られてもそんな耐性を備えていないので、動揺して頭が真っ白になった。
挙動不審になる私をよそに、冷さんが淡々と話し始める。
「私が呼んだんです。彼女と、まだ先輩方の名前も知らないし今後の委員会活動とかを先輩方ともお話がしたいなって話していまして、私の担任、福山ですので今日の朝に言ってみたところ、昼休みになりました。先生は放課後用事があるみたいです」
「そう、なんだ……」
彼は気圧されたように少し身を引き彼女に助けを求める。彼女はそれを無視し私たちに腰を落として自己紹介をした。
「私は二組の、霧崎・イーラス・寧依っていいます。寧依って呼んでね。この委員会では書記を任されてます。お父さんがフランス人ですけど日本生まれでフランス語はあまり話せません。……このお調子者がごめんね。彼は一組の高橋健君。一応委員長ね。健君とは幼稚園の頃から一緒だったから彼のことなら何でも知ってるよ」
「一応って何だよ、っていうか俺お調子者じゃないし。あと、さっきこいつらにはちゃんと自己紹介したから、俺のことはもう知ってるんだよ」
「私はその現場見てませんから。……どっちが温井さんでどっちが冷さん?」
「わ、私が温蝶子です。えっと、不思議の国のアリスが好きです、よろしくお願いします」
「冷平美です。よろしくお願いします」
自己紹介が超簡潔な平美ちゃんは置いといて、寧依さんはどこか変わった雰囲気の話し方をするな、と思った。
「よし、自己紹介は済んだね。委員会始めますよー」
「げ! でた!」
「げ、って何だよ。私には福山祐希っていう名前あるんですけど!」
デジャヴッ、と寧依さんが噴き出した。意味はよくわかんないけれど、何かのフランス語だろう。
全員理科室に入り、机の下から椅子を出して座る。
「みんなの昼休み貰っちゃって申し訳ない。私は明日から出張するから放課後はみんなで頼むよ。今日はそうできるようにするための話し合う時間かな。」
先生が私と同程度の目線で話す。大人なのに生徒用の椅子に座るなんて、すごく親身な先生だなと、私は思った。
「まず活動内容について、観察日記を追加したいんだよね。本当は先生がやるものなんだけど、5年生がもっと実績を残したいってことなのでお願いしたい。観る項目を用意しておくからそれに沿って書いてくれるとありがたいかな」
先生がB5サイズのファイルを寧依さんに託す。表には『スライムについて』と書かれている。
「次に当番制の廃止ね。先日言ったとおり金曜と休みの日は先生がやるけれど、月火水木は5年6年が合同になって力を合わせて行う。他の仕事内容は、取り敢えず前と同じで水の組み換えと砂の補充、小屋とスライムの清掃。問題点があったらまず話し合ってみんなで解決してほしい。質問はある?」
「この『スライムについて』は毎日提出するものなのでしょうか」
「いや、週に一回、木曜日の放課後でいいです。先生の机の上にお願いします。他に質問はある?」
「特にないです」
「じゃあ僕は明日の出張の準備をするからこれで。またなんかあったらよろしく。一緒にいていられず申し訳ない」
そういって先生は退出した。
「ねえ健君。先生前会ったときよりもやつれてると思わない?」
「うん。目の下に大きなクマができてた」
「そのほかにも、全体的に痩せたし、顔がこけてしまっていてちょっと不気味だった。それと、私たち生徒に自分の仕事を押し付けるなんて、ちょっと先生らしくない気がするの。――冷さんの担任……でしたよね。冷さん、先生最近変わったことあった?」
「あまりよくわかりません。でも、口数はすごく減ってきたと思います」
「いつくらいから?」
「一カ月前です」
「そういうことね。放課後は取り敢えずどうする?」
「うーん、取り敢えずスライムの小屋の前に集合。集まり次第委員会の仕事をやりながらいろいろ話そう。取り敢えずここは解散でいいのかな」
3人ともそれにうなずいた。
理科室を出てあたりを見渡す。閑散としてとっても静かだ。ずっと遠くの教室前にに何人かのシルエットを見つけたが、きっと知らない人なのだろう。
健さんと寧依さんは別方向なので、私たちに「またね」と手を振り去っていった。
久しぶりに平美ちゃんと二人きりになった。
いや、前回会ったのが昨日の放課後だからそこまで久しぶりじゃないはずだ。そもそも友達になってまだ日が浅いのに、『久しぶり』という感覚は少し理解しがたい。でもそれは、平美ちゃんばっかり先輩たちと話をしていて、私は全く参加できなかったからだ。
先輩に助けてもらって、走って、文句言って、自己紹介して……と、平美ちゃんのように重要な話に参加することができなかった。平美ちゃんの担任が顧問だから平美ちゃんの方が話を振られやすいのかもしれないけど、私はそこまでしゃべることができなかった。平美ちゃんがずっと遠くに行ってしまうような気がして、私は置いてけぼりにされているような気がして、寂しかった。先輩方に平美ちゃんを取られたと錯覚していたのだろう、今やっと隣に立っていることで少し安心できた。
「ねえ蝶子ちゃん、深海生物の本読んだ?」
「さっき半分くらい読みましたわ」
「その中でお気に入りの子見つかった?」
「カブトクラゲかしら」
「へぇ、クリオネじゃないんだね」
そうなのだ。クリオネじゃないのだ。本当はクリオネにするつもりだったのだが、クリオネの記述を読んだときにそれはあきらめた。
クリオネ(ハダカカメガイ)
餌は小動物、特に近縁な翼足類のミジンウキマイマイなど巻貝を嗅覚により見つけると接近し、頭部からバッカルコーンと呼ばれる6本の触手を伸ばし、それで餌を抱え込むようにして、その養分をゆっくりと吸収する。
様は、頭が六本に裂けて口になる、ということだ。バカな私はこの説明文だけでは理解できなかった。だが、残念なことにその図鑑には画像が載っていたのだった。
カブトクラゲは、その図鑑を熟読して見つけた、かわいい深海生物だった。体長は大きくても10cmくらいで、体の一部がプリズムのように光る。毒も無いのだ。私は思わず「これですわ!」と叫んでしまうところだった。
「ちゃんと読んでくれて嬉しいよ」
と平美ちゃんが言う。
「読みもしないで『サメ』とか『サンゴ』とか言ってるやつもいたからね。私は君がクリオネっていうんじゃないかなって、どっかで思ってた。アリス好きのあなたは海の妖精って言われているクリオネを選ぶだろう、でも食事の仕方を知ったら絶対に選ばないだろうって思ってて、あの本にはクリオネの食事も書かれてる。ちゃんと読んでいるなら、無いか、他のを選ぶはずなんだ。無ければ無いで残念だけど、ちゃんと読んでくれてありがとう」
家族以外に感謝の言葉を言われたのはいつ以来だろうか。私はちゃんと選べてよかった、と思うと同時に、温かな気持ちに包まれた。
◇◇◇
案の定、教室に戻ると途轍もなく不快な視線に悩まされた。休み時間には目いっぱい陰口をたたかれ、ひそひそと目配せして私の認知外で会話をしているようだ。きっと「あいつに彼氏できるなんて意味分かんない」とか、「その人頭大丈夫か?」とか言ってるに違いない。
また、みんなの感情が体に突き刺さるが、今は逃げたいなんて思わない。“ここは耐えて、いつか弁明できる日を待つのよ、蝶子!”と自分に言い聞かせ、身を正す。理解が追い付かない授業を懸命に聞きながら、放課後になるのを待った。
そして放課後。
やんちゃな男の子達は陰口をたたくことをやめた。そして、残念ながらいやがらせをすることにしたみたいだ。
「おいお前、どこ行くんだよ」
やんちゃな男の子の一人がドアの前に立って道をふさぐ。
「その恰好口調、キモイんだよ。どっかのお嬢様気分してんの? それに、休み時間に深海魚の本読むとかイカれてんじゃねえの?」
「イカだけにな」
ぎひゃひゃひゃと、心がくすむ笑い声をあげる。深海魚の本じゃなくて深海生物図鑑だし、イカは深海魚じゃ無い。お前の顔がイカツイよと言い返したいのを必死に堪え、無理矢理突破を試みた。しかし、女子が男子相手に勝てるはずもなく、しかも向こうは複数人。もしも私が寧依さんくらい上背があって、健さんくらい運動神経があったらこんな突破朝飯前だったろうが、そんなもの持ち合わせているわけないので私は突き飛ばされて軽く宙を舞い、地面にたたきつけられた。強烈な痛みが体中を駆け巡る。
「その後! お前が先生に呼び出されてざまぁみろと思ったら! 誰だよあいつ。お前と絶対釣り合わないっつーの」
「やめて! なんでこんなことするのよ!」
痛みに耐えて、恐怖の重みに耐えて放ったその一言も一蹴される。
「やめてだって。キモッ」
「やめてぇ~なんでこんなことするのよぉ~」
「ぎひゃひゃひゃ! 似てる似てる!」
「っ……!」
私はこれからどうすればいいのだろうか。このことを親が知ったら必ず先生に言うだろう。そうなれば私は転校、スライム育成委員会は抜けて、せっかくできた唯一の友達とも離れ離れになってしまう。それだけは絶対に嫌なのに、自分の頭では防ぐ手立てが見つからず涙があふれるばかりだ。
考えている間も、私に対してのいじめは続く。
「目からスライム出してやがるー! きっも!」
やめて。
「うわぁあーそういえばあいつを触っちゃったよ! スライムまみれできったねえのに!」
やめて。
男の子たちは今気づいたように焦り、近くの机にその手を擦り付けている。明日になればその机の持ち主も私と同じ目にあうことが予想される。
やめて。
そう思ったとき一つの希望を見出した。
男の子たちが机に手を擦り付けているあいだに一直線にドアに向かってダッシュすれば、何とかなるかもしれない。私に触れたくないのならつかめないはずなので、うまくいけば逃げ切れそうだ。
私は渾身の力を足に込め、走った。
隙を突かれた男の子たち。顔に怒りをあらわにし、手で触りたくない感情と私をどうにかして止めなければならない感情が葛藤しているようだ。
逃げ切れる。そう確信したとき、私は掃除用具のロッカーに叩きつけられていた。
彼たちは、上靴の裏で私を蹴ったようだ。私は後から来る疼痛に悶絶し、床に嘔吐してしまった。
「うわぁきったねえ! こいつ床に吐きやがった!」
「きっっっも」
そう言ってまた足が振り下ろされる。このまま死んでしまいたいと思いながら、反射的に目をつぶった。
「やめなさい!」
ドアの向こうで声がする。寧依さんだ。凛とした体躯から溢れるオーラに男の子たちは少し怯えたように見える。
「い、いやぁーこいつが急に吐き出しちゃってー、近寄って「大丈夫か?」 って言おうとしてたところなんですよー」
と、訳が分からない嘘偽りを並べ立て、言い訳をする。敬語で話すところを見るに寧依さんを先輩だと認識しているみたいだ。まぁ、見るからにハーフだからさすがにわかるのだろう。
そして、寧依さんはスカートと長い髪をを大きくたなびかせて、怒りの形相で何かの空手の技(掌底)を繰り出した。手は男の子の鼻先すれすれで静止し、寧依さんの体が綺麗なシルエットを生み出す。
「もう一度言ってみなさい? 嘘をつくなら次は当てるよ」
その男の子の目からは完全な恐怖心が見て取れた。
全員で挑んでも勝てないと悟ったのか、男の子たちは皆、一目散に逃げ帰っていった。
「大丈夫⁉️」
空手の技を崩し、寧依さんが駆け寄る。大丈夫ですわ、と返事をしたいのだが声が出ない。代わりに脇に激しい痛みが襲い、顔をしかめた。
「どうした? 何があった?」
「健君! 大変なの! 男の子何人かにいじめられたみたいで、すっごく痛がってるの! 保健室の先生呼んできて!」
「わかった!」
私の意識は暗転した。
◇◇◇
目を開けると、月の光が指す見慣れない天井があった。保健室でもない。ベッドも学校の物より良い造りのようだ。胸周りを固く固定されているようで、少しばかり違和感があった。
月明かりに照らされて伸びる影を辿ると、今一番会いたかった平美ちゃんがいた。
私は静かに、その名前を呼ぶ。
「平美ちゃん……」
「蝶子ちゃん!」
瞼を閉じてうつらうつらとしていた彼女は、すぐさま目を覚ました。
平美ちゃんの目からは大粒の涙がとめどなく溢れ、顔がしわくちゃになっていく。
「すごく心配したんだよ……! あなたがこのまま目を覚まさなかったらどうしようって……本当によかった……」
平美ちゃんはとても笑っていた。スライムが脱走した日にみたその笑みより、とてもさわやかで自然な笑みだった。
平美ちゃんがそのあと、後日談を淡々と説明してくれた。
「今日はあの日から一日経った夜です。蝶子ちゃんに危害を加えた男の子たちは、みんな別々な学校に転校することになりました。あなたの怪我は、右後ろの真ん中あたりの肋骨にひびが入ったのと、背中の打撲、擦り傷で、全治2週間らしいです。1カ月は重いものを持たないでください」
平美ちゃんは「病院の先生に蝶子ちゃんが起きたこと言ってくるね」と言い、病室を去っていった。
「私、丸一日寝ていたみたいですわね……」
私はベッドから起き上がり、窓辺の月を眺める。三日月の対称、有明月のそれは、もうすぐ新月になる事を教えている。
――あの男の子たち、転校しちゃったのね。
私はどこか燻ぶっている衝動があった。
あの子たちは、私に怪我をさせたから、相応の罰を受けて離れ離れになった。けど、あの子たちも友達同士だったはずだ。友達同士が強制的に別れさせられるって、どれほどの苦しさなんだろう。さっき平美ちゃんが私に泣いてくれたみたいに、あの子たちも悲しんでいるんじゃないか。そう思うと、すごく申し訳ないことをしてしまった気がしてならないのだ。
本音を言えば、仕方がなかった。
でも、仕方なくさせたのは私だ。私があの子たちの気持ちを考えなかったからだと思う。
いつか、あの子たちに面と向かってごめんなさいをできたら――
私はベッドに戻り、また深く眠った。
私は翌日退院し、途中から登校した。
どうせ、また陰口を叩かれるのだろうか。「きもい」って言われるのだろうか。少し怖いし、涙が出てきそうになるけど、私はそれをこらえる。平美ちゃんや先輩方がいる限り私は絶対大丈夫だ。
担任につられて転校生のように教室に入る私。滑稽である。
「こんにちは」
皆にあいさつし、自分の席へ移動する。途中、何人かの机と椅子が不自然に消えていた。
皆は『あいつ学校から何人か消しやがった! 怖っ』って思ってるに違いないので、周りと目を合わせずに席に座る。すると、隣の女の子が話しかけてきた。
「大丈夫?」
「大丈夫ですわ。ありがとう」
すると、後ろの男の子が話しかけてきた。
「いつもと変わってないね! 元気そうでよかった!」
「でも、骨折れてるんでしょ? 安静にしてね」
皆、私に話しかけてくれている。三日前にはあるまじき光景だ。
「みんなどうしたんですの? 私なんかと話したら、いじめられてしまいますわよ……」
心の底に秘めていた本心を口に出す。
「いじめる人なんてもういないよー」
「もうどっか行っちゃったもんね!」
皆口々に声をかけてくれる。人数が減ってしまってさみしい気持ちもあるみたいだが、ぎすぎすした雰囲気を作っていた彼らが転校したことで、クラス内が一気に平和になったようだ。
――やっぱり本当に申し訳ないな……
普段通りを意識して今日一日の授業を終え、委員会活動をするためくぁせふじこのいる小屋へ歩いた。思い返せば、この道のりはとても重いものだったはずだ。今や足取りは軽く、少しウキウキしていた。
◇◇◇
「お! おんちゃん! 元気だった?」
スライム小屋につく手前、健さんが用具一式抱えながら話しかけてきた。いや、身にまとっているといったほうが正しいかもしれない。頭にバケツを被り、両手にモップと箒、砂、腕に雑巾、ポケットには無数の小石、ランドセルと背中の間には何故か無数の木の棒が詰まっている。
「だ、大丈夫ですわ。心配してくれてああありがとうございまっ」
舌をかんだ。いや、庭に立つ二宮金次郎の銅像がリアルに罰ゲームをされたような恰好をしている人と落ち着いて話ができる人などいるのだろうか。
「元気そうやね。ランドセルは?……」
「あ……」
と、今自分がランドセルを背負っていないことを今更思い出す。どこに置きっぱなしにしてしまったのかと自分の頭をフル回転させるが、答えは空回りするばかりだった。
そういえば今日持ってきてないような気が……
この考えにようやくたどり着いたとき健さんが笑う。
「ああ、そういえばおんちゃん脇痛めたんだっけ。荷物とか教室にあるっしょ」
「そ、そうですわ」
とても恥ずかしい。自分のバカさがここまでだったとは。穴が入ったら入りたいくらいだ。それはそうとして、何でこの人は私のことをおんちゃんって呼んでいるのだろうか。
「蝶子ちゃん、その面白い怪物はどうしたの?」
後ろから平美ちゃんが追い付いてきた。手には例のおじさんマイ雑巾。
「健さんですわよ? さっきここで会ったばっかりで私もよくわかりませんの」
「え、一回で運んだほうが早いじゃん? 浮いた時間スライム君といっぱい遊べる」
「へぇスライム君って呼ぶんですね、健さん」
平美ちゃんが意味ありげに感嘆する。
「お前たちはなんて呼んでるの?」
「くぁせふじこ」
平美ちゃんが即答する。
「なんじゃそれ」
「そういえばもう一人の女の人……寧依さんはこないんですか」
「もうついてるはずだよ」
ならばと、少し速足で進んだ先。
寧依さんがスライム――くぁせふじこに向けて、あの時と使った技(掌底)を放っている。
北の桜が咲き終わり、そろそろ梅雨に入る南野星市。南野星小学校で、私たちの次なるスイム育成委員が、再スタートした。