表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

1/7

一話担当:もっさん太郎

 先生がスライムを拾ってきた。


 その噂は新年度早々、○×△□県、南野星みなみのほし市、南野星みなみのほし小学校中に広まった。

 特に噂の広まりが早かったのは5,6年生。

 何故なら拾われたスライムは、飼育動物として、「スライム育成委員会」という、今年度から新たに発足する委員会で飼育することになるからだった。



 ……そして私はそのスライム育成委員会の委員になった。


「ふざけんなですわ。頭おかしいですわ」


 唇を噛みながら、廊下を歩く。鼻の奥がツンとして、じわりと涙がこぼれそうになる。

 それを一度強く目をつぶって、俯いて歩くことでごまかした。


 私が何故、そんな誰もやりたがらない委員会に入ることになったか、というのはすごく簡単なことだ。


「……なんでじゃんけんに負けちゃったの、私。三回も」


 最初に希望したのは図書委員会、次に希望したのは生活委員会、最後に希望したのは園芸委員会だ。全部負けた。最後なんて私含め二人しかいなかったのに負けたのだ。


 決まってしまった以上文句は言えなくて、今日という初めての委員会の日を迎えてしまう。


「そもそもなんでスライムを拾おうと思うのよぉ……」


 1人で呻きつつ、足取り重く指定の場所に向かうしか、私に示された道はなかった。


 ガラガラと扉を開く。ここは理科室、スライム育成委員会の指定の場所だ。

 グループに分かれて実験をするために、理科室には大きい机が9つ設置され、机には椅子が4つずつしまわれている。

 その中で、前列真ん中の机からは、椅子がすべて取り出されていた。


「こんにちは」


 すでに4つの席の一つを埋めていた子に私は挨拶する。

 黒髪黒目、長い髪をポニーテールにし、長袖長ズボンの女の子だ。シャツにデフォルメされたおじさんが印刷されているのにちょっと顔が引きつったけど、普通に挨拶することが出来たと思う。


「あぁ、こんにちは」


 無愛想な挨拶が帰ってくる。それを聞きつつ、私は彼女の隣の席に座った。


 ——確かこの子は同級生だったはず。


 同じクラスにはなったことがないけど、この学校の規模だ。顔くらいは知っている。


 南野星小学校は、1つの学年にクラスは2つ。ちょっと小さな学校だ。

 高学年になると、同じクラスになったことがない人なんて少数派なのだ。

 ちなみに、スライム育成委員はクラスで1人ずつ選出されるから、スライム育成委員は全員で4人になる。


 ——この子もじゃんけんに負けたのかしら?


 顔は見たことがあっても名前は知らない同級生。彼女も自分と同じ境遇だと考えると、同情と共に親近感がわいてくる。

 親しみやすい笑顔を意識して浮かべ、私は彼女に向かって口を開く。


「私はぬくい 蝶子ちょうこです。こんな委員会だけど、あなたと知り合えただけですてきに思えてくるわ。これから半年間、よろしくね」

「あぁ、はい。れい 平美なるみです。よろしくお願いします」


 彼女はスライム育成委員会になってしまったこの状態でも、ハキハキ喋った。聞き取りやすい声で、かっこいい。

 この子と仲良くなりたい。今度こそ友達を作りたい。私は強くそう思った。


「ねぇ、冷さん。私とお——」


 ガラガラ。丁度私が冷さんに話しかけようとした時、理科室の扉の開く音がした。

 私はあわてて口を閉じて、音の方へ目をやる。

 視線の先で、先生が台車を押して理科室に入って来た。


 台車の上に乗った大きな水槽の中には、ピンク色のぷにぷにがいた。


 何の動物に似ているとか、どんな形をしているとか、そんな言葉で言い表せようもない。

 ピンク色のぷにぷにだった。


 ——きっと、あれが噂のスライムなんだわ。


 あんなに大きなスライムを、私は見たことがない。そもそも私は、洗濯のりやホウ砂で作るスライムも触ったことがない。


 ——今日からこいつの世話をするのね。


 そう思うと、背筋に冷たいものが這ったような気がした。


 先生は台車を教卓の近くに停めると、教壇の上に登る。


「ではこれから、スライム育成委員会の活動を始めます!」

「先生、まだ2人来ていませんわ」

「あぁ、今いない2人は欠席だよ。今日は5年生だけになっちゃうけど、我慢してね」

「そうですか……」


 6年生の先輩は休み。スライムのことはさておき、先輩と仲良くなれる機会だと思っていたのに、少し残念に思った。


 挨拶をした後先生は、この委員会のことについて教えてくれた。


 水槽に入っているのが噂のスライムだということ。

 何故拾ったかというと、謎の生物が道端をカタツムリのように這っていて不思議に思ったからだということ。

 拾ってから、この生物どうしよう、と困ったところで、委員会を作ればいいじゃないかと思いついたこと。

 スライムというのは仮の名前で、拾ったぷにぷにが本当にスライムかどうかもわからないから、名前は好きにつけていいということ。


「しばらく育てて観察していたのだけど、どうやらペットや人間が食べるようなものは口にしないらしい。口がどこかわからないけど」

「先生、ならこの子は何を食べるんですか?」

「多分砂だね。水槽に敷き詰めた砂がいつの間にか減っているし。あぁ、そうそう。水も飲むっぽい」

「随分と適当ですね。この子がかわいいそうだとは思わないんですか?」

「未知の生物だからっ、試行錯誤しながらになるのは仕方ないでしょう!?」

「ならきちんと確定してくださいよ」


 何故かスライムを擁護する冷さんに、先生がちょっとたじろいだ。


「それはともかく! このスライム育成委員会は、謎のピンク色の生物を飼育する委員会です。二人一組、当番制でスライムの世話をしてもらいます。拾った責任もあるし、金曜日と休日は私が世話をするから、それほど負担にはならないと思うよ」

「つまり、月火水木の四日間を、二グループで回せばいいんですわね?」


 先生がこくりとうなずく。私は考えた。


 ——担当するのは週二日。それを半年。この頻度なら、何とか耐えられるかもしれない。


 湧いた希望で、さっき感じたスライムに対する恐怖にふたをすることが出来た。


「ペアは……今いる二人と欠席の二人で組むので異論はない?」

「ないですわ!」

「……はい」


 勢いよく返事をした私に驚いたのか、冷さんは少しそっぽを向いて返事をぼそりとつぶやいた。がっつき過ぎた、とちょっと反省した。


 ——冷さんと一緒なら、飼育している時にお友達になれるかもしれない!


 キラキラした気持ちが胸の中で膨らんでいく。

 今度こそ。今度こそはお友達を作るんだ。

 私はそう決意した。


 スライムが住む場所や飼育用具の場所を教えてもらい、担当する曜日を決めて、その日は解散した。


 ◇


 ——今日はスライム飼育委員の仕事の日!


 朝一番にこんな文字列が浮かぶほど、私は張り切っていた。

 スライム飼育委員会を嫌がっていたのが嘘みたいに思える高揚感。そのせいで昨日は眠るまでにかなり時間がかかった。

 昼休みになってすぐ、私はウキウキと用具入れに向かった。


「あら、こんにちは!」

「こんにちは」


 相変わらずデフォルメされたおじさんのシャツを着て、飼育用具を探している冷さんに挨拶した。私の方が到着は早いと思っていたのに先を越されてしまったのは、少し残念に思ったけど、些細なことだ。


 必要なものを選んで取り出し、2人で手分けして運び始める。

 用具入れは園芸委員会と共同で、花壇に近いため、スライムの小屋までは遠かった。


「温さん」

「はい!」


 道具を運んでいる時、なんと冷さんの方から話しかけてくれた。少し声が上ずった。


「スライムちゃんの名前なんですけど」

「あぁ……。昨日の委員会では決めていませんでしたわよね」

「はい。ですから、あの……私が決めていいですか」


 冷さんのきりりとしたかっこいい表情がふにゃりと崩れる。ほんの少し口角が上がって、それがまぁ、とてもかわいい。

 きらりと輝く瞳。彼女の様子に、こっちまで頬が熱くなった。


「えぇ、もちろん! 冷さんが決めてくれる名前だったら何でもうれしいわ!」

「ありがとうございます。じゃあ、スライムちゃんの名前は……」


 ——きっと冷さんなら、スライムでも愛着の湧くかわいい名前を付けてくれるに決まっているわ。


 そんな期待を眼差しに込めて、私は名前が言葉になるのを待った。


「くぁせふじこで」


 ——ん?


「本当は原文そのままがよかったけど、あのまま発音するのは難しいですよね。名前は呼びやすくないと愛着がわきません。可愛さを捨てるのは惜しいですが、削っても原文の可愛さが完全になくなることはないので、くぁせふじこって名前がいいなと思います」


 予想の斜め上を行く回答に、一秒ほど頭の回転が止まった。

 理解できないことを理解したとき、私の首がゆっくりと傾げられていくのは当然のことだった。


「くあせ、ふじこ……?」

「はい」

「ちょ、ど、え? ど、どういう意味なの……?」


 微妙な空気が広がる。冷さんが急に足を止めた。私は振り返った。

 冷さんの、華やいでいたほっぺが、嬉しそうに上がっていた口角が、スンっと元に戻ってしまっていた。


「特に意味はありません。可愛いから名前にしたいと思った、それだけです」

「かわ、いい……?」

「そう思ったんです、私は」


「私は」の部分を強調する。冷さんは止めていた足を踏み出すと、早足で進んでいった。

 置いていかれないように私は小走りでついていく。

 距離は縮まらなかった。


 目的地——スライム小屋に到着する。昔、チャボのために作られた小屋は、最近まで空っぽで、ちょうどよかったのでスライムのものになったそうだ。

 剥き出しの土は、スライムが食べたせいで凸凹している。ここに私がもってきた砂を敷きなおし、濡らした雑巾でで土や砂まみれのスライムを拭う。冷さんが持ってきてくれたトンボでならして、水の入ったお皿を置けば、お世話は完了だ。


 簡単なお仕事だ。そう、簡単だ。


 ——言うだけなら、ね。


 これらの仕事全部、スライムに近付かなければならないのだ。

 友達を作ろうと張り切っていたことで目をそらしていたものが、目の前のスライムを見たせいで突きつけられる。張り切っていた友達作りも、空気を悪くしてしまったから今日は出来そうにはない。心の中に積乱雲が浮かんでいるみたいだった。


 ——こういう嫌なお仕事は、2人で協力して終わらせた方がいいわよね。


 スライムのお世話を一人でやらせるのはやっぱり、可哀想だ。

 例え気まずくっても、逃げちゃいけない。冷さんをこれ以上困らせたくない。


 震える足に力を入れて、小屋の中に入ろうとした。

 その時だった。


「突っ立ってるならそれください」


 緩んでいた腕の中からするりと砂の入った袋が抜き取られた。冷さんだ。

 彼女はためらうことなく小屋の扉を開けた。中に入ると扉を優しく閉め、ずんずん進む。

 砂の入った袋を開け、さらさらと砂を撒いた。


 涼しい顔で。スライムが隣にいても。


「ごはんだよ~くぁせふじこ。いっぱいお食べ、ほぅら」


 邪魔することは憚られる。優しく語り掛ける姿は、慈愛すら感じる。

 生き生きとした冷さんの姿。

 私はただ、それを見ていることしかできない。


 冷さんは袋を小屋の外に出すと、懐からぞうきんを取り出した。

 ぞうきんには、デフォルメされたおじさんがいた。デザインは、中途半端なところで切られている。


 ——まさか、自作なの? そのぞうきん。


 そこまでする情熱を、私は持ち得ていなかった。


 小屋のすぐそばに蛇口があり、そこで冷さんはぞうきんを濡らし、硬く絞った。

 また小屋の中に入り、スライムの側でしゃがむ。


 ぺちょり。


 鳥肌が立つような気持ちの悪い音が、冷さんがスライムに触れると同時に聞こえた。

 それでも、冷さんは顔色を変えない。

 スライムを気遣いながら、自作っぽい雑巾で力強く、スライムの体についていた砂を拭っていた。


 冷さんには確かな、スライムへの愛があった。


 ——何をしているの、私。


 ハッと我に返る。何もしていない私に嫌気がさす。

 同時に焦った。仕事をしなければ、スライム育成委員会の務めを果たすことが出来ないし、冷さんと仲良くなることだって……。


 そこでふっと顔をあげた冷さんが、私のことを見た。


「あ」


 何かに気付いたのか、冷さんはスライムに「ちょっと待っててね」と声をかけてから、ゆっくり立ち上がる。冷さんは小屋を出、私に近付き、私の頭に手を伸ばした。


 スライムに触った手で。


 ドサッ。


 私は失神した。

 そこから先のことは、覚えていない。




 突然倒れた私を呆然と見下ろしていた冷さんは、空を彷徨った手を見て理由を察した。


「……頭の上に蝶がいたから、取ってあげようと思った、だけなのに……」


 思い出すのは昨日のこと。


「私に嫌がらずに話しかけてくれた。温さんなら私のことを理解してくれると思ってたのに。

 あなたとなら、友達になれると思ったのに」


 空気が灰色に染まる。沈黙が重苦しさを生み出している。

 冷さんはとても落ち込んだ——




 ——かと思えば、10秒で顔が普段通りに戻っていた。


「……まぁ、いつもどおりだけど。温さんも他のクラスメイトとおんなじだったってことだね。趣味とか好みとか、私のことを理解してくれる人は、一体いつになったら現れるのか……ハァ」


 ◇


「どうして私を避けるの?」

「温さんが嫌いだからだよ。言えばやってくれるのが当たり前。やってもらうのが当たり前。どうしてあなたのことを好きになれるの?」


 小学校に入ってすぐのことだった。


 小さな頃から私、温蝶子は、両親からたくさんの愛をもらって育ってきた。

 私が欲しいといったものは、何でも買ってもらえた。それが当たり前だと思っていた。

 自業自得だ。だから嫌われたんだ。ストレートな言葉が胸に刺さった。


 だけど私は、根っこからのあほだ。


 真に悪いところを理解せず、いつものようにお父さんとお母さんに相談すれば解決すると思考放棄していたのだ。


「面と向かって暴言を吐くなんてひどいな! 蝶子が孤立するのを黙ってみていた学校も最悪だ!」

「あぁ、蝶子。気にしなくていいのよ。悪いのはあなたじゃなくて、あなたを除け者にするクラスメイトと先生たちなんだから」


 私の話を聞いた両親が怒りを向けたのは私じゃなかった。


 学校にクレームが入って、私に嫌いと言ってくれたクラスメイトは、先生にたくさん叱られた。表面上は解決した。


 だけど、私とその子との溝は永遠に埋まらなくなった。


 優しい両親は、私の悪さを指摘してくれた子と、学校には怒った。

 だけど私自身には一言も、お叱りや教え導く言葉はなかった。


 私の本当にだめなところは、すぐに両親に頼るところだったと、その時ようやく理解した。


 ——友達が欲しい。でも、友達のつくり方がわからない。


 優しい両親に頼ってしまえば、私はまた甘え切ってしまうだろう。

 こんな私がみんなと仲良くなるには、両親と距離を置くしかなかった。


 どうすればみんなと仲良くなれるのか考えた。

 周りをよく見て、クラスに溶け込むためにみんなの真似をしてみたり、みんなが校庭で遊んでいるのを見つけ、混ぜてもらってみたりした。


 でも、体に染みついた言動や行動は、そう簡単には消えてくれない。

 気が付けばまた、ふりだしに戻る。


 ——全部私が悪い。


 ループする時間を過ごしていた小学4年生の頃、私はメルヘンが好きになる。

 ラプンツェルやシンデレラ、ヘンゼルとグレーテル……。グリム童話はとても面白い。

 だけどやっぱり、私は不思議の国のアリスが好きだ。


 主人公たちは皆可愛くて、キラキラしている。そして、何もしなくてもたくさんの人が集まって来る。

 私もそんな風になりたい、なんてよく思った。


 なんて私らしい、甘くてばかばかしい考えなんだろう。


 ◇


 気が付けば保健室にいた。

 保健室のベッドの上で、私は頭を抱えていた。


 ——私、最悪よ!


 失神直前の記憶はスライムを触った手を私に伸ばしてきた冷さんだ。それが原因で失神したことを私は理解している。


 つまりだ。

 私は不本意であってもスライム育成委員会になったにも関わらず、飼育する対象のスライムに触れないということだ。


 ——不本意であっても、きちんと仕事はするって決めていたでしょう!


 自分で自分がアホすぎて嫌になる。

 しかし、これよりももっと重大な案件がある。


 ——私は冷さんを拒絶した。


 私の頭に手を伸ばす前に何かに気付いたような顔をしていたから、理由があって手を伸ばしてくれたのだろう。そんな冷さんの好意を私は拒絶してしまった。


 それに、冷さんはスライムに愛情を注いでいた。きっと冷さんはスライムが大好きだ。

 なのに拒絶してしまった。


 ——きっと冷さんにはもう、嫌われてしまったわよね……。


 嫌われて、もう話すことも出来なくて、近付くことさえ許されないだろう。

 鼻の奥がツンとして、涙がこぼれてきた。


 ——まただ。またやってしまった。


 夢で見た通り、昔からずぅっと私はアホだ。

 こんなだから、いつまでたっても友達が出来ないんだ。


 後悔しても、おとぎ話のように時が戻らないことは、自分が一番理解している。だけど、嘆かずにはいられなかった。


 ——私がもっと早くから、冷さんのことを理解できていれば。


 カーテンの向こうで人が動く気配がして、慌てて涙を止める。鼻水をすべて啜って、ぐじぐじとこすって涙の後を消した。深呼吸。


 カーテンが開く。窓が薄いオレンジ色になっていた。

「おはよう」と言う保健室の先生。私は挨拶を返した。

 体調のことを聞かれて、どこにも異常はないと答えると、保険の先生は安心して笑った。


「冷平美さんがあなたをここまで運んでくれたのよ」


 ハッと顔をあげた。


「体格も同じくらいだから運ぶのは大変だっただろうに、背負ってきてくれてね……後でお礼を言うといいなさいね?」


 やいのやいのと準備してあったランドセルやら外靴やらを持たされ、気が付けば職員玄関から外に出る。校門で迎えを待つようにと言われた。

 職員玄関の前で、私の心は雄叫びを上げた。


 ——冷さんはまだ私のことを嫌いになってない!


 だってそうでしょう?

 保健室の先生も言っていたように、私を運ぶのはとても大変だっただろう。なのに運んでくれた。

 普通そんなこと、嫌いな相手にしないだろう。


 ——取り戻すしかない。


 今日の失敗を、成功で塗り替えるんだ。

 まだ嫌いになっていないなら、嫌いになる前にどうにかして好きになってもらうんだ。


 ——まずは冷さんに謝らないと!


 私はスライム小屋に向かって……。

 自分のあほさ加減に頭を抱えた。


 ——いや放課後のスライム小屋に冷さんがいるわけないでしょう!?


 本当にどうしようもない。くだらない奴だ。

 そう思って、保健室の先生の言う通り校門に行こうとしたところで違和感に気付く。


「スライム小屋の鍵が開いてる……」


 細く開いた扉。その隙間から何かがのぞく。

 それは、ピンク色のぷにぷにだった。


「ひっ……」


 引きつった声を漏らして、後ずさりする。

 今まさにスライムが小屋を抜け出そうとしている。カタツムリ並みの速度で。


「誰か! 誰かいませんの!?」


 周りを見渡しても、誰もいない。

 私以外誰も。


 走馬灯のように昨日と今日の出来事が再生される。

 スライム育成委員会に入ってしまったこと。

 スライム委員会で冷さんという素敵な同級生と出会えたこと。

 スライム委員会の仕事をろくに出来ずに気絶して、冷さんに迷惑をかけたこと。


 冷さんと友達になりたいと、何度も何度も願ったこと。




 ——私がやらなきゃ。


 スライムを元の場所に戻せるのは、私しかいない。


 体は見た目より柔らかくないのか隙間を抜けられず、ドアを押し開けようと奮闘しているようだ。

 べちょっ、べちょっ、と扉が押されたり引っ付いたりして、揺れている。

 はっきり言って気持ち悪い。


 ——気を強くもて、私。


 これはスライム委員会として仕事をやっていくうえで、スライムに触るための練習だと思えばいい。


「私は冷さんと、お友達になる!」


 大きく息を吸い込んで、笑う膝を黙らせた。


 ぺちょり。

 腕全体に感じる日陰の土のような冷たさ。独特の感触。

 私はスライムを抱きかかえた。


 私はスライムに触った。


「ッァァァ」


 声にならない叫び。

 思いのほかずっしりとしたそれは、自分が今スライムを持っているんだという認識を絶え間なく与え続ける。

 意識を飛ばしそうになったが唇を噛んで耐え、私はスライムを倉庫に戻すことが出来た。


 初めてスライム育成委員会としてちゃんと働いた。


 腕に残る粘液が、さっきまでスライムがいたことを主張する。

 それをぼんやりと見つめ、私は、


「いや無理ですわ!」


 悲鳴を上げた。


「気持ち悪過ぎよ! なんで先生はあんなのを拾おうと思ったの!? そもそもあのスライム動き遅いし、どうして生き物だって思ったのかしら!? おかしいですわ!」


 今までため込んできた鬱憤が爆発するようだった。


「それよりもどうして冷さんはスライムを触れるの!? 愛せるの!? 私には到底不可能だわ! 冷さん素敵だわ!?」


 一通り叫んで息切れした。


「……温さん?」


 ふと、失神する直前に聞いてそれっきりの声が聞こえてきた。

 心臓がどきりとする。

 ギギギ、と後ろを向けば、冷さんがいた。


 ——まずい。


 スライムが好きな冷さんにあんな罵倒聞かせていたとしたら、今度こそ嫌われてしまう。

 恐る恐る聞いた。


「どこから……聞いてたのかしら?」

「どこから見てたと思う?」

「……今来たばかりでしょうか?」

「違うよ」


 冷さんは目を細めて答えをはぐらかす。いつの間にか敬語もない。


「そんなことより、一つ言いたいんだけど、スライムの名前はくぁせふじこだよ。スライムの可愛さがわかってないみたいだけど、愛称を呼べばきっと可愛く思えてくるよ」

「えっ、えーっと、スライムの名前は欠席だった先輩とも一緒に考えたほうが……」

「『冷さんが決めてくれる名前だったら何でもうれしいわ!』って言ってたのは誰だったかな。百歩譲って先輩たちに相談するとしても、温さんは嬉しいわけだから私の考えた名前であの子を呼んでくれるよね?」

「えっ、あっ、くぁせふじこ……」

「ところでさ、私他にも可愛いもの知ってるからさ、いっぱい温さんに紹介したいんだ。いいよね?」

「えぇ、あ、はい」


 ぐいぐいと勢いに押され、情けない言葉を出すことしかできない。


 最中、気になったのは、冷さんの顔。

 今までで見たことのないくらい、輝き花咲く笑顔だった。


 ——怒ってない、のかしら?


「ね、ねぇ冷さん……私とお友達になってくれませんか?」


 顔色を伺って、おずおずと口を開いた。




「うん、いいよ。温さ……蝶子ちゃん」

「……え」

「今日からお友達だね、蝶子ちゃん。いっぱい私の好きなもの知ってもらうからね」


 理解するまで時間がかかった。

 理解すると、自然に涙があふれてきた。

 冷さん——平美ちゃんがギョッとしていても、それを止めることはできなかった。


 ——私の、初めてのお友達。


 生きていて初めての、嬉し涙だった。


「ありがとう、平美ちゃん。ありがとう……!」


 私と友達になってくれて。


 平美ちゃんは瞬きをした後、ほころぶように笑った。


 鍵をポケットに入れたまま小屋を閉め忘れて学校に戻って来た彼女の、後ろに組んだ手には、一部始終を見ていた鍵が握りしめられていた。


 これは、スライム育成委員会だった半年間の物語。

 今日はその、1ページ目だ。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ