ビッグマウス討伐依頼
「どぶさらいから卒業かと思ったけど、結局こういうとこに来ないといけないのね……」
「しょうがないだろ。下水道にいるビッグマウスの討伐なんだから」
慎とディアーナはカリガライン武具店で武具を調達した後、街の地下を流れる下水道の入り口まで来ていた。慎は鋼鉄の剣を腰から下げ、コートの上から軽い鎧を身につけている。見た目はいっぱしの冒険者と言えなくも無い。ディアーナも弓を手に持ち、背には矢筒、胸元は真新しい胸当てで覆われている。
下水道の入り口は街の外れにあり、地下へと続く階段が二人の目の前に広がっている。
「この臭い、なんとかなんないの……」
「そりゃ無理だろ。下水だし。我慢するしかねぇよ」
二人は鼻を突く不快な臭いに顔をしかめつつ、階段を下りていく。クラスアップ試験はこの下水道に生息するビッグマウスの討伐だ。
階段を下りきると、そこは陽の光がほとんど届かない空間だった。二人並んで歩くことの出来るほどの通路の横には下水が轟々と流れている。高さはおよそ2メートルほどだろうか、慎が上段から剣を振り下ろそうとすると剣が天井にぶち当たってしまうほどには狭い空間だ。
「で、ビッグマウスってどこにいんの?」
「横穴とか、でかい図体してるわりに狭い空間にいるらしいぞ。とりあえず進んでみようぜ」
慎の手に持ったカンテラの灯りを頼りに、二人は下水道を歩き回る。しばらく探し歩いていると、通路の奥にずんぐりとした丸い図体に細長いものがくっついた影が見えた。どうやらビッグマウスのようだ。
「いた! あれがビッグマウスか! ディアーナ、俺が前に出るから――」
慎がそう言葉を発し、隣にいるディアーナを見た時だった。そこには凛とした様子で前を見据え、弓に矢をつがえる元女神の姿があった。
「おま、何して」
「あいつを撃てばいいんでしょ? まあ見てなさいよ」
ディアーナは冷静に獲物であるビッグマウスに狙いを定めると、そのまま流れるように矢を射る。その動作には一点の曇りも無く、矢を放つ姿はさながら戦場に舞い降りた戦女神のようであった。
ディアーナの弓から放たれた矢はぶれることなく一直線に宙を走り、ビッグマウスの脳天を捉える。
「ヂュッ!」
矢を頭に受けたビッグマウスは、短い鳴き声と共に絶命し地に伏した。
「やった! 流石私!」
ディアーナは無邪気に喜び、ぐっと拳を握る。そんな様子を見ていた慎は、あんぐりと口を開け呆然と倒れたビッグマウスを見つめていた。自分の出番が一切なかったことに僅かな寂しさを覚える慎であった。
「何間抜けな顔してんのよ。あいつの尻尾切り取りに行くわよ!」
慎のそんな思いを知ってか知らずか、ディアーナは慎を一瞥して先を促す。
「あ、ああ……そうだな」
「何で凹んでんの? 変な慎」
ディアーナは意気揚々と、慎は意気消沈しながらビッグマウスの元へと向かい、その尻尾を切り取るのだった。
尻尾を切り取り終わると、再びビッグマウスを探して下水道を歩き回る二人。残るは4匹だが、ここで思い出したかのようにディアーナが口を開く。
「そういえば、さっきから思ってたんだけど灯り手に持っててビッグマウス逃げないの?」
ディアーナの疑問ももっともだ。ビッグマウスが鼠と同じ習性であれば、灯りを手にしてうろうろしていては人の気配を察知される恐れは十分にある。それではいつまで探しても標的に出会えないのではないかとディアーナは考えたのだ。
だが、慎は不敵な笑みを浮かべ答える。
「ふっふっふ。そこは抜かりないぜ!」
「どういうことよ?」
「ビッグマウスの習性は調査済みってことだ。なんでもこの時期は繁殖期みたいで攻撃的になってるから、むしろ寄ってくる可能性のほうが高いんだってよ」
「ふーん、鼠の癖に肝が据わってんのね……あれ? でもここってビッグマウスの巣みたいなもんよね?」
「うん? まあそう言っても過言ではな……」
そこまで話して慎ははたと気づく。ディアーナも同じことに気づき、二人で顔を見合わせた。そして、近くで生き物が駆けずり回る音が二人の耳に飛び込んでくる。
今の時期、ちょうど暖かくなってくる季節はビッグマウスの繁殖期。この時期のビッグマウスは攻撃的。この下水道はビッグマウスの生息地。全ての条件が重なり合い、導き出される結論は一つ。
「ねぇ……まずいんじゃないの?」
「……まずいかも」
二人が話し終えたちょうどその時だった。生き物の足音は最高潮に大きくなり、遂に足音の主が慎とディアーナの目の前に現れた。
「ヂヂヂ!」
体長1メートルは超えるほどの鼠型の生き物。紛れもなくビッグマウスだった。それが6匹。合計12の紅い瞳がぎらぎらと光り、招かれざる侵入者を見つめていた。
「いきなり6匹は多くない!?」
「ちょっと想定外かなー!?」
慎は冷や汗をかきながら腰から下げた剣を引き抜き眼前に構える。いまだ剣の重さには慣れないが、魔物を前にしてそんなことは言ってられない。
「あーもう! やってやるわよ! 慎! あんたちょっと鼠連中引きつけてて!」
「え? あ、お、おう!」
急なディアーナの指示にびっくりする慎だったが、とりあえず言われるがままビッグマウスに立ちはだかる。慎の目の前には興奮した様子のビッグマウスが3匹並んでおり、その奥にさらに3匹が並んでいる状況だ。
ディアーナは後ろに飛びのき、ビッグマウスと距離をとると弓に矢をつがえ、矢を射る準備をする。
慎と相対する3匹のうち1匹がその口をがばっと大きく開ける。その口の大きさは身体の半分くらいに到達するほどだ。普段は大きい鼠のような見た目だが、口を開くと非常におぞましい見た目だった。
「うわ! ちょ! 怖っ! 口でかいなんてもんじゃねぇよ!」
その大きい口で慎に噛み付こうと襲い掛かる。慎は必死に手にした剣でビッグマウスの歯を弾く。ビッグマウスの由来を体感した慎であった。
1匹が動き出したことを皮切りに残りの2匹が次々と襲い掛かってくる。
奥の3匹は手前の3匹が邪魔で前に出て来れないようだ。狭い通路が功を奏しているが、それでも慎一人で3匹を相手にするのは荷が重い。
「くっそ! これはちょっと……」
次々とビッグマウスの歯を弾き続ける慎。すばいっこいと言えど知性の低い魔物が好き勝手に攻撃してくるだけならば、魔物討伐素人の慎であっても付け入る隙はある。慎は剣を振るいながら辛抱強く機を伺う。
「ヂヂ!」
2匹のビッグマウスが尚も噛み付こうと飛び掛り、再びそれを弾く慎。その後に続いてさらに1匹が噛み付こうと大口を開けた時だった。
「そこだ!」
最初の2匹は体勢を崩しており、攻撃には移れない。一瞬だけ一対一の状況が訪れ、その隙を慎は見逃さなかった。ビッグマウスの大口目掛けて剣をするどく突き込む。
「ヂュッ!」
すぶり、と肉を裂く生々しい感触が剣を通して慎の手に伝わってくる。慎はすぐさま突き刺した剣を引き抜くと、1匹のビッグマウスがどさりと倒れこみ絶命した。
「まず1匹!」
慎は気合を入れなおすように声を上げるが、その横から体勢を立て直した2匹のビッグマウスが襲い掛かる。それを見ていたディアーナが、1匹のビッグマウス目掛けて矢を射る。
「やるじゃない! ……そこ!」
ディアーナの矢が1匹を貫く。ディアーナは油断することなくすぐさま次の矢を射る体勢に入る。慎に襲い掛かるビッグマウスは残り1匹だが、後続のビッグマウスも空いた穴を埋めるように殺到してきていた。
「くっそ! 次から次へと!」
慎は襲い掛かってきていたビッグマウスを剣で大降りに横なぎに切り裂くが、そのせいで後続のビッグマウスへの対応が遅れてしまう。ビッグマウスは次々と慎に襲いかかろうとするが、慎に生じた隙を埋めるようにディアーナの声が響く。
「……疾っ!」
ディアーナはつがえていた矢をすばやく射ると、後続のビッグマウスに命中する。
「っはぁはぁ、悪い! 助かった!」
「感謝してよね! ってか大丈夫?」
「あ、あぁ。なんとかな」
体勢を立て直した慎はディアーナの横までバックステップで飛びのくと、剣を持ち直し正面にいる2匹のビッグマウスを見据える。額には大粒の汗が浮かんでいる。手強い魔物ではないとはいえ、初めての魔物討伐で6匹もの魔物を相手にしているのだ、負担は相当なものだろう。
「あと2匹か……一気にいくぞ!」
「オッケー! さっさと終わらせるわよ!」
慎は剣を持って前に飛び出し、ディアーナは弓矢を構え、狙いを定める。2匹のビッグマウスは飛び出してきた慎に向かって前歯をむき出しにして飛び掛ってくる。
「それはもうこわくねぇんだ、よ!」
襲い来る2匹のビッグマウスのうちの1匹に狙いを定め、大口の中に全力で剣を突き刺す。再び手に肉を切り裂くやわらかい感触と、ビッグマウスの体液が慎に吹きかかる。剣をつきこまれたビッグマウスは動かなくなるが、もう1匹の歯が慎に届こうかという時だった。
「やらせない!」
慎の耳にディアーナの声が入ってきた次の瞬間、鋭い風きり音がしたかと思うとすぐ近くまで迫っていたビッグマウスが弾かれたように吹き飛び、地面にごろごろと転がる。その頭部には目を貫通して1本の矢が刺さっていた。
慎は剣を引き抜くと、ひゅんと剣に付着したビッグマウスの体液を振り払う。
「これで……終わり、か?」
慎は周囲を見回すと、ビッグマウスの死骸が6つ転がっていた。
「ふぅ、依頼達成ね! お疲れ様、慎!」
「あ、あぁ。ディアーナもお疲れ」
ディアーナが慎に近づき、軽くポンと肩を叩き微笑む。ディアーナの笑顔を見た慎はやっと討伐が終わったのだと実感し、剣を地面に突き刺しずるずるとへたり込む。
「ちょ、ちょっと、どうしたのよ?」
「いや、なんかすげぇ疲れて……」
戦闘中は極度の興奮状態にあったのだろう、疲れなど感じている余裕はほとんどなかったが、いざ終わってみると酷い倦怠感が慎を襲っていた。
「ふぅーん、ま、そこで休んでなさいよ。私が尻尾集めてくるわ」
「悪い……」
慎はふぅっと息を吐くと、その場に腰を下ろす。酷く腕が重く感じ、しばらく休まないと剣を持ち上げられないだろう。慎はディアーナが剥ぎ取りようの短剣でビッグマウスの尻尾を切り取るのをぼーっと眺めていた。