初依頼
翌日、慎とディアーナは街の一角を訪れていた。
「ねぇ、本当にこの依頼するの?」
ディアーナは鼻を摘みながらくぐもった声で慎に話しかける。
「受けちまった以上やるしかないだろ? おえっ、くせぇ!」
慎は悶えながら薄い布でマスクを作り口を覆う。二人は初仕事をしに街の住宅エリアに来ていたのだ。昨日買ったコートは部屋に置いてきており、今日は動きやすい半袖の麻の服を身にまとった状態だ。
「じゃ、私はあっちで見てる――」
「ふざけんな。お前もするんだよ!」
慎はディアーナの首根っこを掴み、強引に引き戻す。ひっぱられた勢いで首が軽く絞まり、ディアーナは舌を出してえずいた。
「ぐえっ! ちょっとなにすんのよ!?」
「何すんのよ、じゃねぇ! はよ準備しろ」
「うぅ~はいはい、なんで女神のあたしがどぶさらいなんか……」
二人の初仕事は住宅エリアのどぶさらいだった。陽が上り、二人が支度を終えて冒険者協会に依頼を受けにいったら、すでに依頼掲示版にはめぼしい依頼は残っておらず、雑用同然の依頼や報酬の見合っていないようなものしかなかったのだ。
その中から渋々選んだFクラスの依頼が、「住宅エリアのどぶさらい」だった。指定のエリアにあるどぶをさらって二人で一日二千ウェルズ。割のいい依頼とは言えなかった。
「これで二千て……生活費さっぴいたらあんま手元に残らないんだよなぁ」
「くさいよぉ、きたないよぉ、みじめだよぉ。女神の私がなんでどぶさらいなんか……ぐずっ」
慎がどぶさらいしながら収支の計算をしている横で、ディアーナは鼻をすすりながら涙声で手を動かしている。気品溢れる女神の姿は最早そこには影も形も残っていなかった。
「明日は早起きだな……」
哀れなディアーナの姿に憐憫の情を抱く慎であったが、その哀れな女神と同じような境遇に自分もいるのだと思うと頭が痛くなってくる思いであった。
そうして黙々と作業を続け――約一名、元女神は不平不満たらたらであったが――陽が傾き建物の壁が灰色から橙色へ変わる頃、依頼主に終了の報告をしてやっと今日の依頼を達成したのだった。
「っっはぁぁぁ、疲れたぁぁぁぁ」
「もうやだぁぁぁお風呂はいりたいぃぃぃ」
二人は住宅街にあるベンチの背もたれに身を預けて天を仰いでいた。
「こんだけやって生活費分とぎりぎり貯蓄に回せるかどうかって、割に合わなすぎるだろ……」
「なんでもいいわよ……さっさとエニスに報告して帰りましょ」
「そうだな……」
手元にはまだ服を売ったときの代金があり多少の余裕はあるが、いずれ底を尽きてしまうのは明白だ。考えれば考えるほど深みにはまりそうだと思った慎は、一旦考えるのを止め報酬を受け取りに冒険者協会へ向かう。
道中、我が家への帰路に着く人々とすれ違う。人々の顔には疲れが浮かんではいるが、皆一様に充実感や満足感を感じているようだった。日が沈みかけ、街が夕陽の色に染まればその日の仕事は終わり。
真夜中まで働いていた前の世界とは豊かさも文明の発展度合いも違う。それでも、前の世界でこんなにも充実感に溢れた人々を見たことがあっただろうか。慎がそうでなかっただけで、周りにはいたのかも知れないが多くはなかっただろう。世界が違えばこんなにも人のあり方も違うのかと、慎はしみじみ感じ入るのだった。
そうこうしているうちに冒険者協会に到着し、教会の重厚な扉を押し開け中へと入る。中は多くの冒険者でごった返していた。皆、依頼を終え報告に来たのだろう。慎とディアーナも依頼達成の報告をすべく受付カウンターに向かい、エニスへと声を掛ける。
「エニスさん、今日の依頼終わりました」
「お疲れ様です。先方からも依頼達成の連絡が来ています。これが報酬ですね」
そう言ってエニスは報酬の硬貨をプレートに乗せて持ってくる。
「ありがとうございます」
報酬を受け取った慎は布製の袋に硬貨を入れる。この袋の中には服を買い取ってもらったときの代金と今の報酬の全財産が入っていた。袋の中身の心もとなさに不安感を覚える慎。やはりこのままではどうにもジリ貧の生活しか送れないような未来しか見えない。そう思った慎はもう少し割りのいい依頼についてエニスに相談することにした。
「エニスさん、駆け出しでもできるような依頼ってほかにどんなのがあるんですか?」
「そうですねぇ、今日のようなどぶさらいや薬草摘み、街の修繕や行商人なんかの荷物降ろしの手伝いなんかでしょうか。ただ、どれも一日がかりで報酬に大きな差はないですね」
「ですよねー。はぁ、やっぱりFクラスじゃ無理があるか……」
肩を落とす慎。やはりどこの世界でも駆け出しに回ってくる仕事は対して責任もない代わりに報酬もすずめの涙程度のようだ。そんな慎を見かねて、エニスが一つの提案をする。
「Fクラスではそんなものですよ。お困りのようでしたら早々にクラスアップして討伐系の依頼を受けることをお勧めしますよ。討伐系の依頼はEクラス以上ですけど、安くても4000ウェルズ以上は報酬でますから。というか駆け出しの皆さんはすぐにクラスアップされる方がほとんどですね」
討伐系依頼とは、文字通り指定された魔物を討伐するタイプの依頼だ。命の危険がある分報酬も高めに設定されている。とはいえ4000ウェルズの報酬となればどぶさらいの倍の金額である。Eクラスならば危険性はあれども命の危険とまでは言いがたい依頼がほとんどだ。やはり早々にクラスアップすべきかと慎は考える。
「あたし、どぶさらいなんてもう嫌よ! 魔物狩ってたほうがまだマシよ」
隣で話しを聞いていたディアーナが声を上げる。きょうのどぶさらいが相当堪えたようだ。ぶーぶー不平不満を漏らしている。
「わかったわかった……それで、エニスさん。EクラスへのクラスアップはどれくらいFクラスの依頼をこなせばいいんですか?」
「Fクラスの依頼を二十件達成する必要があります」
「それは、個人でですか?」
「個人の達成記録になりますね。パーティーで受けた場合はパーティーの記録がそれぞれのメンバーに付与されます。今日の依頼はお二人で一件を受けたので二人共に達成記録として一件付与されております。達成記録はステータスプレートで見れますよ」
そう言われて、慎とディアーナはステータスを確認する。ほとんど昨日見たものと変わりはなかったが、一番下に一つ項目が追加されておりそこには、
達成記録;Fクラス1
と記載されていた。
「なるほど。分かりました」
「ちなみにクラスアップ試験は協会の指定するEクラスの討伐依頼を達成していただくことになります」
「試験内容言っちゃっていいんですか?」
「特別サービスです! ……というのは冗談ですけど、いいんですよ。Eクラスへのクラスアップ試験はもう知れ渡ってますので」
そう言ってエニスはくすくすと笑う。試験内容が知れ渡っているのもどうかと思うが、Eクラスへのクラスアップなどそんなものなのかもしれないと自身を納得させる慎。
Eクラスへのクラスアップにはあと十九件依頼をこなさなければならない。まだもう少しFクラスの依頼を頑張る必要があるようだ。
「結局、まだ何日かはどぶさらいってわけね……」
ディアーナは気落ちしたようにため息をつく。
「しょうがないだろ? 明日は薬草摘みでもしてみようぜ」
そんなディアーナを励ましつつ、慎とディアーナは帰路に着くのだった。