宿屋にて
今日の宿への道中、新しい服に身を包んだ二人は地図を見ながら歩を進めていた。着替えたことによってか、先ほどまで感じていた視線は嘘のようになくなっていた。
「いやー、借金返すまではいかないけど結構な大金が手に入ったな!」
「私のおかげね! 感謝してよね!」
ディアーナは慎の前に立つとくるりと回って、びしっと指を差す。紅いコートの端がふわりと舞って鮮やかな軌跡を描く。
「はいはい、ディアーナ様々ですよ」
慎は子供のように得意げに胸を張るディアーナに呆れたように声を掛ける。だがその口の端は柔らかに綻んでいるのだった。
「でもあのドレス、本当に売ってよかったのか?」
「別にいいわよ。まぁ、ラートーナ母様がくれたものだけど、人の子に甘えっぱなしなんて母様だって許すわけ無いもの」
「え!? 母親からの贈り物だったのか!?」
慎は聞き捨てならない言葉を耳にする。ディアーナのドレスは母神であるラートーナから贈られたものだったのだ。それをディアーナは手離してしまった。
「おま、いいのかよ!?」
「いいのよ、私が勝手にやったことだしね。それに、あんただって元の世界との唯一の繋がりだったもの売ったじゃないの」
「それは、そうだけど……」
「ま、女神に戻ればまた母様にも会えるし、その時に謝るわよ」
女神に戻れるまでどれだけの時間がかかるかわからない。いつ母に会えるかわからないというのに、明るく振舞うディアーナ。寂しくないはずが無いのに、それを表に出さない姿勢に慎は拳を固く握り締める。
「……ディアーナ! 権能、見つけ出そうな!」
その言葉はディアーナに向けたものというより、慎自身への誓いに似たものだった。ディアーナを女神に戻す。そのためには六権能を集めなければならない。その手伝いをするのが自分の役目だと、改めて胸に刻む。
「ちょ、何よ急に。当たり前でしょ! さっさと全部見つけ出してあのジジイに一泡吹かせてやるんだから!」
急にやる気を見せた慎の様子に若干戸惑いつつも、ディアーナは悪戯っぽく笑って決意を新たにするのだった。
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「いや、これは聞いてねぇよ……ろくに確認しなかった俺も悪いけど……」
「全くね……あんた、こっち来たら玉、もぐわよ」
「勘弁してくれ……」
ディアーナの物騒な発言に背筋に冷たいものを感じる慎。二人は宿の一室を大きな布で仕切って会話をしていた。というか部屋には布意外なにも無かった。二人がこんな状況に置かれているのには理由があった。
遡ること二時間前――
「すいません、冒険者協会からの紹介できたんですけど……」
慎とディアーナは宿のカウンターで受付の職員に声を掛けていた。宿はそこまで大きくは無いが、かといって古く汚れているわけでもなく、よく手入れされていた。カウンターの奥から三角巾をした少女がパタパタと駆けてきて、とんでもないことを口にする。
「はいは~い! あ、聞いてますよ! イチジョウ様ご夫妻ですね?」
「「ん゛ん゛!?」」
慎とディアーナは二人とも目を見開いて間抜けな声を上げた。なぜか二人が夫婦と言う事になっているらしい。
「ちょ! 夫妻ってどういうことですか!?」
「え? 違うんですか? 同じセカンドネームですし、新婚さんなのだとばっかり……」
「同じって……あ!」
セカンドネームを指摘され慎ははたと気づく。冒険者協会でステータスを確認したとき、確かにディアーナのセカンドネームが「イチジョウ」になっていたことを思い出す。あの時は称号にばかり目が行ってしまい流してしまっていたが、確かに同じセカンドネームでは誤解されても仕方がない。
「お前、もうちょっとこう、なんかなかったのかよ……」
「しょうがないでしょ! ぱっと出てこなかったの!」
頭を抱える慎と腕組みをして頬を膨らませるディアーナ。だが、問題なのは夫婦と誤解されることではなく、別のところにあった。
「ご夫婦でないとなると困りましたね……」
「困る? なにかまずいんですか?」
顎に指をあてて少女は悩む仕草をする。確かに誤解されるのは困るが、それ自体は説明すればいいだけであって特段、問題になるようなことではないと思う慎であったが、少女の次の一言に驚愕する。
「部屋一つしかなくて、そこにお二人で泊まっていただくことになってるんですよ」
「「はぁぁぁぁ!?」」
慎とディアーナは再び二人で揃って大声で叫んだ。 なんと、夫婦という誤った情報が流れてしまっていたせいで一つの部屋に二人で泊まることになっているらしい。
「いやいやいやいや! なんでそんなことに!?」
「協会でゲッシュ結ばれた際に、一部屋しかないことと同室でも可ということでゲッシュ成立されてたもので、ぎりぎり空いていた一部屋に割り当てさせてもらったんですよ」
慎は冒険者協会でのゲッシュを思い出そうとするが、宿が確保できたことに舞い上がっていたせいかどうしても内容を思い出せなかった。
「またかよ……ゲッシュ結ぶときってよく読まねぇと駄目なんだな」
一日に二度もゲッシュ・エリックの内容を確認しないせいで痛い目を見た慎は、これからゲッシュを結ぶ際は必ずそれぞれの内容を確認しようと心に誓うのだった。
「よく読まねぇと駄目なんだな、じゃないわよ! どうすんのよ!?」
カウンタ-でディアーナが喚く。このままでは二人で同じ部屋に泊まらなければならない。駄目元でもう一部屋とれないか少女に確認を取る慎。
「なんとか、なりませんか?」
「もう空きが無いんですよねぇ。あとは他の宿に泊まっていただくしかないと思うんですけど、だいたい一泊五千から一万ウェルズ近くしますよ? ここは協会が準備した駆け出し冒険者用の宿なので一ヶ月五千ウェルズの破格の値段で提供できるんです。さすがにサービスは劣りますけど……」
「五千から一万……」
この街の宿の相場を聞いて愕然とする慎。手元にはディアーナの服を売って得た二万五千ウェルズがあるが、安いところでも数日宿泊したら底をついてしまう。かといって野宿をするわけにもいかない。二人に選択肢はなかった。
「背に腹は変えられない、か」
慎は呻くように漏らす。
「え!? ちょっと、本気!? 私は嫌よ!」
ディアーナは堪ったものではないと抗議の声を上げるが、慎はじろりとディアーナに胡乱な目線を送り口を開く。
「嫌って、しょうがないだろ? じゃあ、他にどうするんだよ……一泊五千も取られたら五日も持たずに破産だぞ?」
「うぐっ! ク、依頼をこなせばいいじゃない!」
「どれだけの収入が得られるかわからないのに? 俺ら服しか持ってないんだぞ? 仮に魔物討伐とかするとしても武器も買わないといけないんだぞ?」
「うぅ、うぅぅうう~っ!」
そしてディアーナはしばらくうなり声を上げるが、遂には肩をがっくりと落とし諦めたよう俯くのだった。一連のやり取りを見ていた少女が、慎に向かっておずおずと声を掛ける。
「えっと……お話、まとまりました?」
「はい……ここの部屋でお願いします」
「それでは、ご案内しますね……えっと、部屋の中を布で仕切るくらいはできますので……こちらで少々お待ちください」
「お手数おかけします……」
慎とディアーナの様子があまりに不憫に思ったのか、少女は部屋に仕切りを作ってくれるらしい。布とはいえ、あると無いとでは大きく違うだろう。慎は疲れたような笑みを浮かべて少女に返事をするのだった。
そして現在に至る。
「同室って……しかもマジで部屋だけかよ。ベッドもテーブルもねぇじゃねぇか……」
そう、慎の呟きの通り部屋には本当になにも無かったのだ。二人は仕切り布越しに床でうなだれる。
「こんなとこで寝るの、あたし嫌なんだけど……」
「俺だってこんなとこで何日も寝られねぇよ……また出費が嵩むなぁ。異世界転生ってこんなに世知辛かったっけ……」
部屋で最低限暮らせる程度のものは揃えなければならない。が、それを買うためにも金がいる。異世界での新しい生活に胸躍っていたのも束の間、先立つものがなければ生きていけないのはどこの世界でも同じであることを痛感した慎であった。
だが、いつまでもうなだれているわけにも行かない。慎とディアーナはこの世界で生きていかなければいけないのだ。慎は大きく息を吸い、気持ちを新たにする。
「……よし! こうしててもしょうがないし、とりあえずこれからの方針を決めようぜ?」
「方針? どういうこと?」
慎の言葉にディアーナは首を捻る。慎の言っていることがいまいち理解できていないようだ。
「この世界での目的はディアーナの権能を探すことだろ?」
「そうね」
「そのこと自体はいいんだけどよ、権能ってどうやって探すんだよ? それにこの世界で生活できるようにならないと権能探す以前の問題だろ?」
慎の言う事ももっともである。「権能を探す」とは簡単に言うものの、慎はそれがどんなものなのかわからない。そもそも探して簡単に見つかるようなものなのかすら不明だ。加えてこの世界での生活の基盤が整わなければ各地をさがすことだって出来ない。
つまり、慎は最終目標を到達するために、目の前に山積している様々な課題をクリアしていく必要があると考えたのだ。
「権能のことは心配しなくてもいいわ。近づけば私がわかるわ」
「近づけばって、どこにあるかわかんないのに?」
「それは、その……えっと……」
ディアーナはばつが悪そうにもにょもにょと口ごもる。近づけばわかるとはいえ、そもそもどこにあるかわからないものを闇雲に探して見つかる確率はかなり低いだろう。
「いきなり手詰まりかよ……まぁ、ディアーナが存在がわかるってだけで収穫ではあるけど、地道に依頼こなしながら情報収集するしかないか」
「そうね……」
権能については、何も情報が無い今は棚上げするしかないだろう。冒険者協会で依頼をこなしながら情報を集めるしかない。幸い冒険者は世界を股にかける職業だ、何かしらの情報は得られるだろう。
「あとは、借金か……」
「それも結局、依頼こなすしかないじゃないの……」
「結局、こつこつ働くしかないってことか」
そう、なんだかんだ行っても結局のところ、冒険者協会で依頼をこなし生活費を稼ぐ。つまり働くしかないのである。
部屋にある窓から橙色の明かりが差し込んでくる。もうすぐ陽が暮れて夜の帳が降りる時間だ。
「今日は布団とか調達したら、飯食って休もうぜ」
「そうね、賛成」
それから二人は薄っぺらい毛布を何枚か購入し、固いパンで腹を満たして早々に床に就くのだった。